2003年09月19日

正しいけど違和感(佐藤)

「味わわない」
「タイイク(体育)」
ちゃんとした表現・語形・文字なのに、妙に座りが悪い…… そういうのってありますよね。ひょっとしたら、次代には新たな形式にバトンタッチしているかもしれない。そういうの、教えてください。

*タイトルに「正しい」が含まれますが、とりあえず分かりやすいので。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 19日 金曜日 23:22:59)

 実は(というほどでもないのですが)、私は「タイイク」にはさほど違和感を感じません。「タイーク」と把握しているのだと思うのですが、アクセントのことを考えると、やはり「タ’イーク」は変かな、とも思います。しかし「タ’イク」は外来語のように感じてしまい、「タ’イーク」の方に親近感を感じます。綴り字発音ではないと思うのです。
(ご趣旨からははずれますが)


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 19日 金曜日 23:52:30)

>(ご趣旨からははずれますが)

いえいえ、ありがとうございます。
私は、教科名としてはタイクとしか言わない(言えない)のですが、知育・徳育と並べられるとタイイクが出てきます。
岡島さんは、教科名としてもタイイクないしタイークですか? とすると、ひょっとしたら、エイ(例:映画)の発音が[ei]である地域(岡島さんの出身地も?)と[e:]となる地域(私の出身地)があるわけですが、そういうことと対応しないかなと思ったりもします。ちょっと飛躍というか、二つの現象を結びつけるにはちょっと説明が必要ですが。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 20日 土曜日 00:24:31)

正しいのに違和感をもつ場合は、すでに一方で誤りの形が生まれている場合が多いと思います。たとえば、私は「のたまった」ということばに違和感をもち、「のたまわった」と言いたくなりますが、これはすでによく見られますね。(Googleで「のたまった:のたまわった」=53,000:2,810)週刊誌の例を添えますと

「オウムの信者がかぶるヘッドギアのことだっけ?」と、のたまわった本誌某デスクよりは、はるかにマシな答えであるが。(「週刊朝日」1995.06.16 p.143)
「子、のたまわく」というような言い方が影響しているのでしょうか。

とくに誤り形が想定されないのに、正しい形に違和感をもつ例となると、むずかしそうですね。

「あまやか」ということばは、毎日新聞で使われ、「Uアナウンサー」が「『甘やか』なんて言葉、ありませんよね!!」と指摘したそうです(平成ことば事情1196「甘やか」)。道浦さんは「『日本国語大辞典』を引いてみると、なんと!「甘やか」、載っているではありませんか!!」と驚かれています。私は、小説で目にして、やはり「甘やか」なんてあるのかなと思いました。

健吾の体を抱きかかえ、一方ではつきあげる甘やかな感傷に胸を熱くしながら。(江国香織『落下する夕方』〔1996.11発表〕角川文庫 1999.06.25 p.128)
これは、「やか」がク活用形容詞の語幹につく例が現代では少ないせいかとも思います(「細(ほそ)やか・若やか」などは古語的、「ほそやか」はワープロでも出ない)。仲間が少ないための違和感でしょうか。

「うれしみ」「さびしみ」ということばは、あるのかと思いますが、辞書にはあります。書物では、

人との出会いやつながりが、うれしみや楽しみ、面白さを生み出します。(キモトアユミ『自分からこころをひらく練習』リヨン社 1998.12 あとがき)〔これは学生から教わった例〕

夏子が生きていたらということがはっきり感じられてきた。死ぬということは実によくない。自分はこんな取りかえしのつかないことがあるかと思い、さびしみが骨の髄{ずい}まで徹{てっ}した。(武者小路実篤「愛と死」〔1939.07発表〕 新潮文庫 p.101)

「うれしさ」「さびしさ」なら言うけれど、というところです。

「うんざりと(○○する)」という言い方、これは誤用すれすれなのかもしれないと思いましたが、珍しくないのでしょうか。

 私は窓ガラスに映った自分の顔を見て、うんざりと首を振った。今更とうの昔に過ぎてしまったことを考えて何になる。《稀少》(山本文緒『ブルーもしくはブルー』〔1992.09発表〕角川文庫1996.05.25初版 p.26)

「さて、どうなさいますか。昭光道成居士さん」/ 教壇の上で資料を整理しながら教官が言った。/「再審査をお願いします」/ 教官はうんざりと椿山を見上げた。再審査は死者の権利なのだが、なるべく希望者の出ぬように説諭することが教官の使命なのだろう。〔浅田次郎・椿山課長の七日間33〕(「朝日新聞」夕刊 2001.08.09 p.3)

私ならば「うんざり(と)する」という使い方しかせず、こういう場合には「ものうげに」「力なく」「面倒くさそうに」と言います。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 20日 土曜日 17:34:20)

>岡島さんは、教科名としてもタイイクないしタイークですか?
そのつもりです。「タイク」だと、「サンス」「ズコ」ほどまではありませんが、どことなく物足りない気がします。
ただ、綴り字発音ではない、と今は感じるものの、幼い頃に(言語獲得期に)身につけた、綴り字発音であるのかもしれません。

さて、私が違和感を感じる言い方を一つ思い出しました。「(……と)おなじため」です。「おなじ」は、連体詞であったり、形容動詞語幹であったりしますが、「おなじなため」でも今ひとつしっくり来ない。「おなじであるため」なら違和感はないもののちょっと長い、という感覚です。「おなじために」なら少しましかな? でも「おなじなために」は、これまた落ち着かない。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 20日 土曜日 18:54:36)

香川県高松市出身の私も「体育」は「たいいく」と発音して疑いません。「たいく」はどうしても「体躯」という感じがします。「日本体育大学」「体育の授業」「体育館」いずれも「たいいく」。主観的には4拍で、聞き手もそのように聞くと思います。

「容易じゃない」を埼玉県出身の母は「よいじゃない」と申しました。私も小さいころ真似していましたが、これは意味からして方言的で、「わずらわしい」「思うにまかせない」という意味だろうと思います(方言辞典に載っているのを見た記憶があります。『埼玉県方言辞典』?)。山田太一脚本のドラマ「冬構え」(NHK 1985)のラストシーンで、笠智衆と藤原釜足が「(人生は)よういじゃないねえ」「よういじゃない」と語り合うところがありますが、これは母のいわゆる「よいじゃない」であろうと思っております。

「おなじため」「おなじなため」で思い出しましたが、私は、以下に挙げる例を始めとして、「名詞」+「な〔断定助動詞連体形〕」+「形式名詞」のたぐいに一様に「正しいけど(?)違和感」ないし「ちょっと立ち止まるけれども許せる」という複雑な感じをもちます。『集英社国語辞典』の「だ」の説明(川端善明)によれば「連体形「な」は準体助詞「の」へのみ続く」とありますから、「誤り」としてしまうこともできるのでしょうが、多数にのぼる例なため違和感が薄れてきた現状なわけでしょうか。

・寺の墓地へ墓を立てさせて金にしようといふ魂胆なものと見えて(夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思ひ出』改造社 1928.11.23発行 p.350-351)
・「しかしどうして?」/とまた訊ね、女中の目つきでようやく雨傘が原因なことを知ったのである。(丸谷才一『たった一人の反乱』〔1972.04発表〕講談社文芸文庫 p.85)
・何しろ時代はのんびりしてゐたし、所は温暖の地な上に遍路にゆかりがあるから(丸谷才一「横しぐれ」〔1974.07発表〕『横しぐれ』講談社文芸文庫 1990.01第一刷 p.122)
・「商品の主力は生活必需品なためでしょう」という。(「朝日新聞」1995.01.26 p.11)
・「寅さんは旅に出かけて留守なだけ」。こう思いたいのはファンだけではないらしい。(「朝日新聞」夕刊 1997.08.09 p.9)
・〔REINA(「MAX」のメンバー)〕〈紅白〉って、一年の中で最大のお祭りな感じがします。(NHKウイークリーステラ臨時増刊『紅白50回』2000.01.16 p.27)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 20日 土曜日 19:08:27)

「ようい」は、NHK教育「ふるさと日本のことば」でも聞きました。番組では偶然なのかどうか埼玉、福島の回でしたから、北関東のことばでしょうか?(私の索引)。

よーい(容易;簡単)「年とったちゅーだかなんだか、まー――ではねぐなったない」〈三春町〉【福島】
よーい(容易;簡単)「――じゃなかったいな、峠いくつも越えてさ」〈秩父市〉【埼玉】
と記しておきましたが、これは硬い漢語としての「容易」ではないと思います。ちょっと話がそれましたか。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 20日 土曜日 21:30:00)

「熟字」
「熟語」の上っ面、文字だけをとりだして言いたいときに使うのですが、ちょっと後ろめたいというか、落ちつかい。「熟語形」では余計変だし、誤解されそうだし。

西日本出身のお二人が「タイイク・タイーク」とは認識を改めました。ありがとうございました。「甘やか」は、私、使いそうです。実際、使ったら気恥ずかしいでしょうけれど。
 

熟字 「熟語(じゆくご)(2)」に同じ。」→「熟語」 


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 21日 日曜日 23:39:19)

「金+矢」(「鉄」ではなく)
ここからリンクしてよいものかどうか。でも、JR西日本は「正式には」と言っているので。

JR西日本:なるほど


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 22日 月曜日 00:53:18)

浅田次郎『鉄道員』で、「JR北海道では」と書かれていました。そこでも、JR各社であるとは書かれていなかったのですが、全部纏めてそうだったと思います。証拠写真などのあるところはないものでしょうか。
ホームページのロゴでもよいのですが、JR北海道のページにはないようです。四国のは突き抜けているように見えます。

それから、先例は「名鉄」であると読んだように思うのですが、ホームページ上では確認出来ません。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 22日 月曜日 16:20:26)

JRが「鉄」の字を「金+矢」にするのは、ロゴのデザインや社内文書に限られているはずです。
一般に使うのであれば「鉄」でかまわないことになります。
そもそも、会社の登記書類は「鉄」ではないでしょうか。
これについては「読売新聞」の1987年2月17日と21日に大きく出ていました。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 23日 火曜日 17:37:24)

「世界文化村ぎふ」
下記リンク先の左上のロゴの読みなんですが、どんなものでしょうか。デザイン優先は分かるのですが。

岐阜県図書館


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 23日 火曜日 23:29:47)

 skidさんの書き込みの趣旨が分かりませんでしたが、やっと飲み込めました。リンク先であるJR西日本のQ&Aにも「JRが発足時に正式社名ロゴを決定する際」とあるように、あくまでロゴとして「正式には」〈金+矢〉を用いるということです。他の、文書上などでの用字(用字形?)については触れるつもりはありません。
「世界文化村ぎふ」の書き込みに比べて簡潔すぎたかな。「ロゴ」の一語を入れておけば丁寧でしたね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 24日 水曜日 18:02:14)

「世界文化村」なのか「世界文化材」なのか、と思いますよね。
「世界文化ざい」なんて、まるで世界文化遺産みたいだな、と。

で、考えたら「文化ざい」は「文化財」だから、これは「文化村」なのか、と。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 24日 水曜日 22:38:33)

「不動産屋さん」というのは、「さん」が繰り返され、なんだか二重敬語(?)のような感じがして落ち着かないのですが、こちらの書き込みを拝見して、不動尊を「お不動さん」というせいもあるかもしれない、と思いました。

昔々、おそらくもう20年ぐらい前でしょうが、NHKラジオか何かで、「今朝の朝日新聞」というのがダブっているようで気になる、と言っていた人がいました。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 25日 木曜日 02:26:01)

早合点でした。
正式ロゴだが違和感ありということですね。

私の違和感は「考」の字形。
老かんむりの下の部分は「巧」の右側と同じ形のはずだったのに、左から右に「一」ではなく右から左に「ノ」と書くデザインが多くなってしまったのは何故なのでしょう。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 25日 木曜日 08:06:45)

明朝体で、カタカナの「ヒ」の1画目を「ノ」(左へはらう)にしてあるものが多いのではないかと思います。うちのパソコンのフォントでは、「MS 明朝」「FA 明朝」「TT-S明朝体ソフトMedium」などは明白に「ノ」です。「JS明朝」「DHP平成明朝体W3」などでは「ー」(横棒)のようにも見えます。

私が習い覚えたのは「ー」です。江守賢治『楷行草 筆順・字体字典』(三省堂)の「カタカナの筆順」の手書き文字でも「ー」です。

光村図書『こくご一下 ともだち』(2001.06)に出ている手書きのカタカナ五十音図では「ー」で、ご丁寧に「→」と矢印が付してあります。光村図書・学校図書の小学校国語の教科書体活字は、「ノ」とも「ー」とも見えますが、「メ」の1画目のような起筆がないので「ー」であろうと思います。

うちのパソコンに入っている「HGP教科書体」では、「ヒ」の1画目は左ほど細くなっているので、これは「ノ」を表現しているのであろうと思います。「FA 教科書M」では「ー」のようです。

歴史的には? 手近なところで『日本国語大辞典』の「ひ」の「かたかな」を見ると、即断しがたいものの、いずれも「ー」ではないかと思います。

「ヒ」は「比」の一部を取ったものですが、「比」は明朝体では左は「ー」、右は「ノ」です。しかし、上掲字典では、「ー・ー」とするもの、および、「ー・ノ」とするものの2種類の「比」を上下に並べて示したうえで、「下が小学校教科書の活字の形。一般では上の形に書くのが普通。」と注記してあります。つまり明朝体の「比」は手書きと異なっているわけです。

『五体字類』を見ると、なるほど「比」は「ー・ー」と書いてあります。

結論を言うと、「ヒ」を「ノ」にしてある明朝体活字は、私には違和感があり、正しいかどうかも疑問ということになります。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 25日 木曜日 12:36:13)

「清朝(体)」
 書体で思い出しました。私はシンチョウと読みがちで、その読みも許容されているかと思いますが、どこかで誰かが「正しくない読み方だ」と書いていたような。

 書体つながりで、またロゴですが、「ラジオ技術」。ヤフオクだとより大きな画像が出てますが、リンクしてよいかどうか。

2003年9月号


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 26日 金曜日 12:50:08)

「清朝体」はこの会議室の「森首相と日本語」で話題になっていますね。

『日本国語大辞典』で「しんちょう-かつじ」を引くと「「せいちょうかつじ(清朝活字)」に同じ。」と「見よ項目」(※)になっています。ところが、添えられた用例には「*新語新知識(1934)「清朝活字(シンテウカツジ)は〈略〉訛って『せいてう』ともいひます」」とあり、この新語新知識を書いた人は「しんちょう」を正としていたわけです。

「せいちょうたい」を引くと、用例に「*最新百科社会語辞典(1932)せいちょうたい 清朝体〔印〕しんちょうたいを見よ」。

私も「明朝体」が「みんちょうたい」ならば、「清朝体」も「しんちょうたい」でよかろうと思います。

※見よ項目 この言い方、辞書にないことばです。「空見出し」がふつうでしょうか。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 27日 土曜日 08:57:37)

>私も「明朝体」が「みんちょうたい」ならば、「清朝体」も「しんちょうたい」でよかろうと思います。

心強いことばありがとうございます。

また、面白い情報をお示しいただき、ありがとうございました。1930年代の新語辞典ではシンチョウが主たるものだったのですね。一方で、日国や前田年昭さん(リンク先)のように、現代ではセイチョウを主たるものとしているらしい。この転換がいつ、どのようにおこったのか、興味深いですね。その理由いかんによっては読み方を改めてもよいかな(改めなくてはいけない?)。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 27日 土曜日 23:27:04)

シンチョウからセイチョウに変わったというのでは少々言葉が足りな気味ですね。すみません。
「訛って」出発した、すなわちマイナスから出発したセイチョウですが、それが正当な言い方としてステータスを得るに至った過程に興味がある、ということになります。たとえば、「シンチョウ」と呼ぶことが何かのタブーに触れるようになったので言い換える必要もあったとか、植字工さんたちが「セイチョウ」と呼び始めたのを一種の専門用語として尊重したので広まったとか…… 書誌学者・印刷関係者の書き物に情報がないかしらん。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 27日 土曜日 23:59:53)

 誤植(ごちょく)というのも、ありましたね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 08:35:39)

 間違えました。植字(ちょくじ)でした。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 18:12:25)

手持ちの国語辞典で調べていますが、明解−新明解が興味深い。次の二書で正反対の判定になっています。16年間(注1)に何が起こったのか。

明解国語辞典 改訂版 (昭和31 改訂32版)
しんちょお@[《清朝]−チョウ(名)(中略)(二)←清朝活字。──かつじD[《清朝活字](名)活字の字体の一種。筆で書いたような字体のもの。せいちょう。例、清朝。(「せいちょう」は立項せず)

新明解国語辞典 初版 (昭和47 第15刷)
しんちょう@〈−テウ〉[《清朝](中略)(二)→せいちょう
せいちょう◎(注2)(−テウ)[清朝]〔←清朝活字〕活字の字体の一つ。筆で書いた楷書(カイシヨ)体のような字体のもの。清朝体◎。例、新明解。〔誤って、「しんちょう」と言う〕

    注1:「16年間」とは書いたものの、新明解初版刊記の日付は第一刷のものだけなので、第15刷の刊行時期は正確には不明。何か見分け方があるのでしたでしょうか?
    注2:◎は「丸に0」。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 18:49:18)

『漢字百科大事典』「清朝体」によると「「清朝体」は明朝体・宋朝体などとの区別のための名称であって、中国の清(しん)代の書体とは関係がない」(倉島節尚)とのこと。このあたりが、現行の諸辞書などでセイチョウを正しいものとする根拠なのかもしれませんね。
 が、しかし。
 日本の都合で別名(もともとは弘道軒活字)を付けたのだから、中国の王朝とは関係ない、したがって「せいちょう」と読むべきだ、ないし読むはずだった。そういう理屈は成り立ちそうです。
 一方、「宋朝体・明朝体」に類推しなければ、「清朝体」は出て来ない。ならば「明朝体」をすでにミンチョウと読んでいるのだから、そのあとの王朝に由来・付会(?)する「清朝体」をシンチョウと読んでもよい、むしろ、そう読むのが正しい……
 別名を最初に付けた人に真相を聞いてみたいことです。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 19:10:32)

フォントハウスというところのHPに「清朝体活字に命を賭けた男」とのお話があったようですが、すでに消滅のもよう。残念。

Cooool Link


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 19:42:20)

下記ブックガイド中の〔A-55〕が参考になりそうですね。神崎正誼が弘道軒活字(清朝体)の発案者。

transart online shop


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 19:45:21)

ありました。<第20話>清朝体活字に命を賭けた男

archive.org


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 19:46:53)

 上のところからでは、パスエラーが出てしまいました。

<第20話>清朝体活字に命を賭けた男 


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 20:34:15)

おお! その手がありましたね。ありがとうございました。(^ε^)


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 21:23:43)

推測にすぎないのですが、「みん」と「しん」の音が紛らわしいから、聞き違いを起こさないための言い換えが広まったのかも。
オリジナルから一般化された時点で呼び方を変えたなんてこともありそう。
「植字」も「食事」との区別を明確にする必要があったとすれば、むしろ「うえじ」でいいわけですが、どうなのかわかりません。
「伝播」が「電波」と紛らわしいため「伝搬」になったり、「輿論」が「世論」に書き換えられて「よろん」から「せろん」になったり、ということもあります。
読み方の変化は、清濁の違い以外にもかなりありそうですね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 21:39:06)

> 一方、「宋朝体・明朝体」に類推しなければ、「清朝体」は出て来ない。

ゆえに「しんちょう」がむしろ正しい、と佐藤さんがいわれる論理は分かりやすいと思います。

「清朝体」の「清朝」が王朝名でないとすれば、しからば、その「清朝」はいかなる意味を表すのであろうか。清々しい朝?

聞き違いを避けるための一種の読み癖ならば、「しんちょう」が誤り呼ばわりされる理由はないことになりますね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 28日 日曜日 21:40:53)

上記ことば足らずです。下のように訂正――

「せいちょう」が聞き違いを避けるための一種の読み癖ならば、「しんちょう」が誤り呼ばわりされる理由はないことになりますね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 02日 木曜日 22:11:48)

冒頭の「体育→たいく」の類例の追加のつもりです。

 それからまた「委員会{イインカイ}」というべきを、「イ」が落ちて「イ{傍点}ンカイ」になったりもします。こういうような、発音の不明確さが出てきます。(稲垣吉彦「話しことばと日本人」・金田一春彦他『変わる日本語』講談社 1981.11.30 p.128)


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 07:43:09)

「植字(ちょくじ)」について。
岩波ジュニア新書『カラー版 本ができるまで』94ページより。

   文選で拾われた活字は、植字の工程に回されます。植字は「ちょく
  じ」と読みます。彫(ちょう)った字を植えるということから、そう
  いう読み方をするようになったといわれています。

「彫(ちょう)った」なんて言い方があったのでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 15日 月曜日 13:38:22)

唯川恵『夜明け前に会いたい』〔1996.04発表〕新潮文庫 2000.06.01発行 p.180)に

けれど俊市はまた沈黙を決めてしまう。
とあるのは、ひっかかります。「沈黙を決め込んでしまう」ならばまあまあ。もっとふつうに(私が)使うのは「だんまりを決め込んでしまう」。

とはいえ、『日本国語大辞典』によれば「決める」にも「決め込む」に通ずる使い方があるので(「図留〔ずる〕をきめてしまやアがったんさ」当世書生気質)、「沈黙を決め込む」が許せるならば「沈黙を決める」も許さなければならない道理です。

新潮社CD-ROMなどで主な文学作品を見ると「沈黙を……決め」「沈黙を……決め込(こ)」はないようです。「"沈黙を決め"」でGoogleにより検索してみると、70件ほどしか出てこず、しかも多くは「沈黙を決め込む」で、「沈黙を決める」はほんとうにごくわずかです。

しかし、聞いて分かることばではあります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 21日 土曜日 18:53:56)

上の「タイク(体育)」「インカイ(委員会)」の類例として「ユーツ(憂鬱)」。

なおちゃん ユーツはなおりましたか(「なおちゃん」谷山浩子作詞作曲・歌 1983)
とあります。また半藤末利子『夏目家の糠みそ』(PHP研究所 2000)にもあるとの情報。(どのページかは不明)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 21日 土曜日 20:18:40)

「唯一」の「ユイツ」もありますね。
(ここのところ、書き込みの時間がとれません。)


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 23日 月曜日 21:28:31)

パリ/マルモッタン美術館展が、東京都美術館にて開催中ですが、東京在住の友人によると、○にマの字がシンボルマークで(?)、ポスターにも堂々と「丸にマ」が印刷されているとか。モネらの絵があるそうですが、やっぱり「マルモッタン」のもじりも兼ねるんでしょうね。
ん〜、マルモッタン美術館の方にはどんな風に説明してあるのか、少々興味があります。ただ、それほど知名度が高くない(であろう)美術館を一挙に知らしめるのにはいいアイディアとも思います。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 23日 月曜日 21:34:40)

リンクを忘れました。ポスターと同じ画像だそうです。↓

東京都美術館


新会議室に続く

posted by 岡島昭浩 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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