標記の違いはどうなんでしょうか?私は、接尾語としての「ある」は動的、「いる」は静的なイメージがを持っているのですが。
動詞としての「ある」は状態としての存在、「いる」は動物(生命体)の存在、というような違いも感じます。使い分けはあるのでしょうか?また地域差(方言)という可能性はどうでしょうか?
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 11日 火曜日 23:56:26)
この主題については多く論じられていますが、不勉強のまま我流に論ずることをお許しください。「生徒の読書推進のため、専従職員を置く」という言い方を例に取れば、
a「専従職員を置いている」
b「専従職員を置いてある」
c「×専従職員が置いている」
d「専従職員が置いてある」
e「専従職員が置かれている」
f「専従職員が置かれてある」
の5つの言い方が少なくともあり得ます(fは見慣れない感じですがあるのです)。ここで問題になっているのはaとbの言い方なので話を限定します。
aは、専従職員を置いた上司が、今でもその仕事内容について親身に気にかけて、その専従職員とコンタクトを密に取っている感じ。対して、bは、専従職員をやとったまま、上司は「あとは適当にやってね」とほったらかしてある感じ。
aの場合の「置く」は、継続的な行為(「現在〜ている」と言える、「備える」「有する」に近い)であるのに対し、bの「置く」は、瞬間的、一回的な行為(「連れてくる」に近い)です。aは「置く」という行為が継続しているのに対し、bは専従職員を「置いた」(雇った)、その結果が残存しているということであろうと考えられます。
同様に、「窓を開けている」は、「窓の開放状態を継続している」であり、「窓を開けてある」は「窓をガチャッと開ける行為が過去に行われ、その結果が残存している」ということだと考えられます。
この限りでは、「ている」は(状態の継続なので)「静的」、「てある」は(1度動作が行われた結果の残存なので)「動的」ということはできると思います。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 12日 水曜日 00:01:22)
最後の2段落は、次のように訂正した方がよいようです。
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同様に、「窓を開けている」は、「窓の開放状態を継続している」であり、「窓を開けてある」は「窓をガチャッと開ける行為を過去に行い、その結果が残存している」ということだと考えられます。
この限りでは、「ている」は(状態の継続なので)「静的」、「てある」は(1度動作を行った結果の残存なので)「動的」ということはできると思います。
NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 12日 水曜日 02:17:05)
「置いておる」ともいいますね。文語的というか老人語というか。
動詞としては、「ある(有る・在る)」が存在一般で無生物が対象、「いる(居る)」「おる(居る)」は生物の存在を示すもの、と理解していました。
が、その昔、紀州弁使いの友人が「人がある」と言うのを聞いて非常に驚いた覚えがあります。(「物がいる」と言っていたかは記憶にありません)
「日本言語地図」の解説本(*)によると、「人が居る」を東日本では「いる」(東北の一部は「いた」)、西日本では「おる」、紀伊半島南部で「ある」
となっています。上代の名残りですね。
(*) 徳川宗賢『日本の方言地図』(中公新書)
佐藤亮一監修『方言の読本』(小学館)
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 12日 水曜日 02:46:54)
上で
> c「×専従職員が置いている」
この言い方に×印をしておきましたが、動詞によってはこのfのような言い方ができるようです。
こないだから、落ち穂らー麺という聞いたこともない即席ラーメンの四個入りが近所の昨夜の店頭で百二十円で投げ売っていたから、あれを買ったとして五百八十円。(町田康「屈辱ポンチ」〔1998年発表〕『屈辱ポンチ』文春文庫 2003.05 p.155)すなわち、「ラーメンが店頭で売っている」ということであり、「専従職員が置いている」と同様の言い方です。
もっとも、これは「ラーメンを店頭で売っている」および「ラーメンが店頭で売られている」の混交(つまりは文のねじれ)かも知れません。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 12日 水曜日 02:48:49)
正誤
×近所の昨夜の ○近所の酒屋の
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 12日 水曜日 02:51:24)
再々、申し訳ありません。2つ上、
×動詞によってはこのfのような言い方が
○動詞によってはこのcのような言い方が
夜更かしで頭がぼんやりしているようであります。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 16日 日曜日 16:59:46)
金田一春彦『日本語(下)』(岩波新書)65ページに、『「ある」と「いる」』という短い項がありました。それによると、生物か無生物かということとともに『「有心物」か「無心物」か』というのもポイントになるようです。