2003年11月16日

「大学」にはなぜ「校」が付かない?(hiroy)


はじめまして。最近この掲示板を知り、大変興味深く拝見いたしております。

さて早速ですが、質問をさせて下さい。


小学校、中学校、高校(高等学校)、大学。。。

何故、大学だけ「校」が付かないのでしょうか?


「大学校」は気象大学校、防衛大学校など実在しますが、学校教育法の

対象外となっており「大学」ほど一般的ではありません。

※『大辞林 第二版』(三省堂)には大学校の意味に「(3)大学の俗称。」

とあり、「三波伸介の凸凹大学校」はこれに該当しそうです。


また、何故「小」「中」「大」という物の「大きさ」に関する言葉を

冠するのでしょうか?(知識領域の大きさを示しているのでしょうか?)

初等学校、中等学校、高等学校、と呼ぶのならば分かりやすいと思う

のですが。


手元の辞書には、以下のようにありました:


学校

(前略)「学校」の語は「孟子」に由来。

(『広辞苑 第四版』岩波書店)


大学

学術の研究および教育の最高機関。一般に中世ヨーロッパの大学を起源

とし、初めボローニア大学などのように教師や学生のギルド的団体とし

て発生し、近代国家の発達とともに一九世紀以後今日のような形態となっ

た。わが国今日の大学は明治以後欧米の大学を模範として設立されたもの。

(後略)

(『広辞苑 第四版』岩波書店)


大学

(2)律令制下、地方の国学に対して、中央の官吏養成機関。式部省に属し...

(後略)

(『大辞林 第二版』三省堂)


大学

中国、儒教の経典(けいてん)の一。一巻。もと「礼記」の中の一編であるが、

宋代に四書の一つとされて重視された。(後略)

(『大辞林 第二版』三省堂)


これらからの情報から想像すると、「大学」という言葉は"university"

を、古代の官吏養成機関に倣い(「学校」という言葉とは独立して?)

名づけられた訳語、というようにも思えます。しかしそもそもなぜ

「大学」なのか。また「小学校」や「中学校」の名前の由来との間に

何か関係があるのでしょうか?


以上、よろしくお願いします。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 16日 日曜日 17:08:39)

hiroyさんの質問に答えずに申し訳ないのですが、関連の疑問を思い出したので、書き込みます。

数年前から耳にするようになった「大学院大学」というのは、「大学」なんでしょうか?それとも「大学院」なのでしょうか?一体なんでこんなややこしい名前なのでしょうか?「400億万円!」とか、そんな言葉を思い浮かべてしまいます・・・。



NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 17日 月曜日 02:18:35)

『学校教育法で「大学」と規定されているから』というのは答えになっていないでしょうか。


それ以外の法令に基づくものは「大学校」ですね。

自治大学校、消防大学校、警察大学校、防衛大学校、防衛医科大学校、国土交通大学校、航空保安大学校、独立行政法人航空大学校、独立行政法人海技大学校、独立行政法人農業者大学校、独立行政法人水産大学校、気象大学校、海上保安大学校、税務大学校、社会保険大学校。職業能力開発総合大学校、職業能力開発大学校


大正7年の勅令「大学校令」で設置されたのは、「大学校」ではなかったと思います。新潟県の「教育史年表」のページには「大学令」となっていますが、正式には「大学校令」だったはず。


「大学院大学」は「(学部を置かない)大学院(だけの)大学」という意味ですね。通常の「○○大学大学院」との区別のために「○○大学院大学」としたのでしょう。


学校教育法(昭和二十二年三月三十一日法律第二十六号)

 第五十三条 大学には、学部を置くことを常例とする。<後略>

 第六十二条 大学には、大学院を置くことができる。

 第六十八条 教育研究上特別の必要がある場合においては、第五十三条の規定にかかわらず、学部を置くことなく大学院を置くものを大学とすることができる。


国立学校設置法(昭和二十四年五月三十一日法律第百五十号)

 第三条の三 学校教育法第六十八条に定める国立大学として、次に掲げる大学を置く。

   政策研究大学院大学

   北陸先端科学技術大学院大学

   奈良先端科学技術大学院大学

   総合研究大学院大学


教育史年表



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 19:10:05)

私は専門外ですが、「小学校、中学校、高等学校、大学」の中で、「大学」だけが異質というわけではなく、これらの呼び方はなぜかばらばらですね。


「中学に上がる」というのだから「小学に上がる」と言ってよさそうなものなのに言わない。(「小学」の呼び方は、辞書には出ていますが)


「中学校」が「中学」ならば、「高等学校」は「高学」と言ってよさそうなものなのに言わない。


ばらばらであります。


これらは歴史的に完全にひとそろいのものとして生まれたのでなく、それぞれ独自の変遷をたどってきたということが呼び方の違いに表れているのでしょう。時代ごとにそれぞれの学校が一般的にどう呼び慣わされてきたか、ということをたどるのは、なかなかむずかしそうですね。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 20日 木曜日 08:27:35)

道浦さん、NISHIOさん、Yeemarさん、コメントありがとうございます!


ちょっと調べてみたところ、文部科学省のサイトで『学制百二十年史』

というページを見つけました。ここで私の疑問に対するいくつかの答え

を見つけることができました。


以下、関連する歴史を簡単にまとめてみます:


・明治2年7月 教育行政と教育活動との2つの機能を併せ持つ「大学校」が発足。

・明治2年12月「大学校」が「大学」と改称。

・明治4年7月28日(廃藩置県の4日後) 従来の「大学」を廃止し「文部省」設置。

・明治5年8月 欧米学校制度をモデルとした「学制」公布。

全国に大学区、小学区、中学区という「学区」を設け、それぞれに「大学校」

「中学校」「小学校」を設置するという計画。

・明治6年 「学制」施行。その後試行錯誤が行われる。

・明治10年 東京医学校と東京開成学校を合併して東京大学設立。

・明治19年 学校種別にそれぞれの学校令を制定。

(帝国大学令、師範学校令、小学校令、中学校令など)

中学校令では、中学校を尋常・高等の二段階に区分。

その後、尋常中学校→「中学校」、高等中学校→「高等学校」と改称。


「小、中、大」というのは、「学制」における学区に由来するようですね。

興味深いのは、これが国際的に見ても画期的なものだったという、同サイ

トの説明です:


「学校制度は、学区制に基づき大学校・中学校・小学校の三種から成る

とされたが、それらが基本的に身分・階層の別なくすべての国民に開放

された単一の体系を採ったことは、当時米国を除けば国際的にもほとん

ど例を見ない画期的な特徴であった。」

(『学制百二十年史』「一 近代教育制度の創始」文部科学省)


面白いと思ったのは、行政機関でもあった「大学校」がすぐに「大学」

と改称されたり (明治2年)、また「学制」で「大学校」と計画されるも

明治10年に設立されたのは「東京大学校」ではなく「東京大学」、

という点です。何故か「大学校」という言葉は、すぐに「大学」とされ

てしまうようですね。これはやはり奈良時代の「大学」に大いに影響を

受けているのでしょうか。



学制百二十年史(文部科学省)



hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 20日 木曜日 11:45:12)

> 全国に大学区、小学区、中学区という「学区」を設け、それぞれに「大学校」

> 「中学校」「小学校」を設置するという計画。


すみません、「全国に大学区、中学区、小学区という...」の誤りです。

ここが肝心なところだったのに。。(^_^; 失礼しました。


posted by 岡島昭浩 at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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