ご無沙汰しております。疑問に思ったので、お智恵拝借と存じまして、書き
込みさせていただきます。
サトウハチロー作詞の「たのしいひなまつり」という有名な歌がありますが、
2番の歌詞の「お嫁にいらした姉様に」のところを、「我が家にお嫁に来た」と
理解していましたが、これを「他家にお嫁に行った」という風に解釈することは
可能でしょうか。
前者で思ってたので、家父長制下で嫁がいびられてるいやーな歌だと思ってま
したが、後者なら実姉を想起している末娘みたいな、けっこういい歌だな、とお
もいまして。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 21:18:49)
詩の世界のことなので感受性が問題となりましょうが、
「おや、この官女は今度お嫁にやってきたお義姉さんによく似ているわ」
というほうが詩らしいか、それとも、
「この官女の白い顔を見ていると、お嫁に行かれたお姉さまが思われる」
というほうが詩らしいか、という問題でしょう。どうも私には後者のほうが詩らしく思われます。
もう一つは、詩的世界の中で「嫁に行った姉を思う」というテーマと「嫁に来た義姉を慕う」というテーマとどちらが一般的かということもあろうかと思います。前者のほうが何となく一般的のような気がします。たとえば、「十五で姐やは嫁に行き」(赤とんぼ)など……そのほかにすぐ思いつきませんが……。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 21:56:51)
まず、「いらした」の両義性を確認するところから話は始まるのでしょう。
「いらっした」あるいは「いらしった」は、「いらっしゃる」の〈タ接続形〉でしょうから、これは、「行く」でも「来る」でも「居る」でも、どの意味でもよいのでしょう。「〜〜にいらっしゃる」の場合は「居る」ではないでしょうから、「〜〜に行く」か「〜〜に来る」か、いずれかの意味となると思われます。
「いらっしゃる」は、元は「いらせらる」ですから、本来は「入る」の尊敬なのでしょうが。
「赤とんぼ」の「ねえや」は、姉ではなく、子守さんであろうと思っております。「お里」から子守奉公に来ていたが嫁に行った、その後しばらくは「お里」からも、奉公先(良縁を得るきっかけともなった?)へ便りが届いていたが……、という具合に。
後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 23:07:38)
亡くなった姉へのレクイエムだとの説もあるそうです。
→ 宮地楽器ピアノ技術課 音楽情報誌 Together28号
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 03日 水曜日 00:32:25)
「赤とんぼ」の「姐や」については、何となく引っかかりを感じつつも、書いてしまいました。実姉であれば、どこか他の家が「お里」でそこから便りが来るというのは考えられないので、やはり子守の姐やですか。
高橋半魚 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 03日 水曜日 18:23:15)
みなさま、ありがとうございます。「たのしい」ではなく、「うれしいひなまつり」でした^^;。
>「いらっしゃる」は、元は「いらせらる」ですから、本来は「入る」の尊敬なのでしょうが。
ふーむ。語義的には、やはり「お嫁に来る」の方が優勢なんでしょうかね。
現代語の感覚では、「来る」でしか解釈されないとも思いますし。
ただ、「行く」で解釈するのも不可能ではない、ということでしょうか。
後藤さんの紹介されていてサイトものぞきました。この歌詞は、作詞者の
実人生とストレートに繋がってるものではありませんが、参考になりますね。
Yeemarさんのおっしゃっている、感受性の問題で言いますと、僕も、だんぜ
ん過去の想起のほうが詩的だろうと思っておるのですが、実際には案外少ない
かもしれませんですねえ。
「赤とんぼ」は、時制と想起の面でも、童謡の中でピカ一の出来ですね。木
越治さんの意見ですが、歌謡曲ではちあきなおみの「喝采」が最高傑作だとか。
すいません、話題がずれました。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 03日 水曜日 20:07:30)
>現代語の感覚では、「来る」でしか解釈されないとも思いますし。
ですか? 半魚さんは。
「外国にいらしたことありますか」
は×でしょうか。
高橋半魚 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 04日 木曜日 16:27:15)
>「外国にいらしたことありますか」
>は×でしょうか。
なるほど。○ですね。
はい、これからは「お嫁に行った」論者になろうと決意しました。