「全京都建設協同組合」のHP「アット・ホーム・ページ」の中のことわざミニ辞典のコーナーで「結構」の語源は、字のとおり家屋を構築したり、文章を組み立てたりする事。建築物の組立てが優れている時、「見事な結構」と誉めたが、やがて、見事、立派な意味を表すようになった。現在ではYES・NOがあいまいな「結構です!」という言い方が多い。という記述がありましたが、「結構」はいつ頃から、なぜ、あいまいな表現になったのでしょうか?
→ http://web.kyoto-inet.or.jp/org/zenkyoto/osirase/news/kotowaza/2001autumn.html
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 10日 土曜日 05:09:47)
古典を見ると、「物くさ太郎」(室町末)には「四面四町に築地をつき、三方に門を立、東西南北に池を堀、嶋をつき、松杉を植へ、島より陸地へそり橋をかけ高欄に擬宝珠をみがき、まことに結構世にこえたり」とあり、これは、「屋敷の造り(の立派さ)が世間に有名である」ということでしょう。
大名狂言「鬼瓦」では、「大名 さてもさても結構な御堂じゃなあ。」とあって、これは「さてもさても(立派な)結構の御堂じゃなあ」と、( )内の意味がちょっと残っているように感じられます。やがてその( )の中の意味が、直後の「結構」に移行するのでしょう。
「お茶はいかがですか」「もうけっこうです」という言い方がいつごろからのものかについて、辞書は語ってくれません。(このような用法では、案外、用例が未収録なのですね、「味噌にこだわる」などもそうですが。)
「けっこう」は褒めることばであるものの、「お茶は(もう出していただかなくても)けっこうです」というふうに( )内の意味を補える場合は拒否になります。
「けっこうです」があいまいとは、私はあまり思いません。「お茶はいかがですか」に対し「もうけっこうです」と言ったのに、お茶を注がれるということはないでしょうし、「どうです、これからちょいと一杯」と言われて「けっこうですね」と答えれば、同意と解釈されるはずです。ここで「けっこうです」と言うと拒否だと思われるでしょう。「いや」とか「もう」とか、そのほかの文脈の助けによって、意味が一つに確定します。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 10日 土曜日 23:59:37)
「結構です」が曖昧ならば、「いいです」も曖昧だということになってしまいますね。
ですから、これは「結構」という言葉が曖昧なのではなく、使い方によって曖昧になってしまうものだろうと思います。
「もう結構」の手許の用例としては、昭和一〇年頃の「ドクラマグラ」にあります。
しかし私は慌てて押し止めた。
「イヤ。モウ結構です」
と云ううちに両手を烈しく左右に振った。