長嶋監督が脳卒中で入院されたことを受けて、アナウンサーが「長嶋監督が倒れられて・・・」と言いました。この「られる」は「尊敬の意味の敬語」で使われましたが、何かしっくり来ません・・・というより、笑えてしまう。おかしいです。
このように、行為の主体にとってマイナスの意味を持つ、行動を表す動詞に、周囲の者が「敬語」扱いすると、そぐわないことがあるようです。
例えば、「先生が落とし穴に落ちられた」とか「先輩がクスリでラリられた」などは明らかにおかしい。「何者かにカッターナイフで切られられた」
特に「られた」が付く場合にその前の動詞がラ行だとヘンな感じ。
「倒れた」「落ちた」などの動詞を敬語で使う場合はどう表現すればいいのでしょうか?「お倒れになった」?「お落ちになった」?「お切られになった」でいいのでしょうか???
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 06日 土曜日 00:39:45)
菊地康人『敬語』(講談社学術文庫)をもとにコメントします。
まず、菊地氏は
レル敬語は、作り方が簡単な上、人間を主語として使うほとんどすべての動詞について機械的に作ることができ、この点で制約がほとんどない。(p.144)と述べる一方、「お/ご〜になる」という形は、使うのがなじまない場合があると述べます。たとえば
意味的によくない内容の語は、「お/ご〜になる」の形がなじまない場合が多い。として「はげる・ぼける・(会社が)つぶれる〔これは「会社」が主語だから当然か〕・倒産する・失敗する・混乱する・誤解する・(政治家が)落選する・(学生が)留年する」などは「おはげになる……」などと言えないことを示します。しかし、これをレル敬語にすれば、「はげてしまわれた・ぼけてしまわれた・倒産された・失敗された」のように、皮肉ではなく可能だということを示します。
そこで道浦さんの挙げられた「倒れられた」「穴に落ちられた」は、菊地氏的にはオッケーということになります。菊地氏説では「お〜なる」のほうが「〜れる」よりも制約が多いのですから、かりに「お倒れになった」が可能であれば、「倒れられた」はなおさら可能ということになります。
わたし的にはどうか? 「倒れられた」は違和感は覚えません。思いますに、道浦さんの違和感は「倒れる」のように「れる」で終わる動詞にさらに「られる」がつくところから来るのではないでしょうか(口調の問題と考えられませんか)。
なお、菊地氏は
俗語的な語や、意味的によくない内容の語については、レル敬語が(多少)作りにくいものがある(たとえば、「こける・バテる・くすねる・グレる・居座る・のさばる」などは「こけられる・バテられる……・のさばられる」とはやや言いにくい)とも述べ、道浦さんの言われる「ラリられた」はこれに該当するでしょう。
「切られられた」のように「受身のレル」に「尊敬の(ラ)レル」がつく場合、重言のようで嫌われるのでしょう。「お切られになった」も、「〜になる」というのが自然発生的な意味をもつことから、「切られる」の「れる」と意味が重なるわけで、私としては違和感を持ちます。
こういう場合、私ならば、とっさの場合には「切られてしまわれた」のように「てしまう」で中継ぎするか、長くなってよければ「何者かにカッターナイフで切られるという被害にお遭いになった」と続けます。
「亡くなる」は100%敬語とは言えませんが、「死ぬ」の婉曲表現であるため、それだけでも敬意を含む言葉として使えます。ただ「岡田真澄さんが亡くなりました」では物が無くなったようなぶっきらぼう感があります。なので現実には「お亡くなりになりました」、または「亡くなられました」のどちらかを使う人が多いのでしょう。しかし、上の例だと三重敬語みたいですね。大御所の死ということで木村アナも緊張してしゃべったのだと思いますが、こういう場合、報道番組なら「死去されました」、「逝去されました」などと漢語を使って逃げたほうが違和感が減るかも知れませんね。