新聞の見出しはとにかく、短く言い切る形になっています。「首相が中国を訪問」は「首相、中国訪問」。主語を表す助詞は「、」ですまされ、助詞は大幅にカットされています。そんな新聞見出しだから、「〜すべき」も「〜すべし」が正当だということを知らずに使っているのではなく、「すべきだ」の「だ」を省略しているのではないかと。
たとえば「シュッと一吹き、室内もさわやか」「町おこしで商店街もにぎやか」「うわ〜、おいしそう」…この種の見出しもよく見かけます。本来、形容動詞の「さわやか」「にぎやか」様態の助動詞の「そうだ」など、活用語の語幹で言い切るのは本来の用法ではないと思うのです。ただ話し言葉でも「わあ、きれい・さわやか」などが使われるのは、あくまで「さわやかに、にぎやかに」あるいは「にぎやかだ」「おいしそうだ」の「省略」だと考えるのです。
そうすると、「〜すべきだ」も「〜おいしそうだ」も、省略好きの新聞見出しなら「〜すべき」「〜おいしそう」で止めてもいいという理屈になってくるはずです。
私は以上のように考えていますので、もし「べき止め」が嫌いな人は「さわやか」「おいしそう」も一緒に嫌ってくださいと言いたいのです。私は「〜すべし」という見出しより、省略形の「〜すべき」の方が、ほとんどの記事では内容にふさわしい語感をもっていると思いますが…。ご教示ください。(長々とすみません)
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 30日 火曜日 20:35:59)
「さわやか」は「名詞化」してますし、「おいしそう」は「感嘆詞化」してると考えられないでしょうか?「すべき」はそのどちらでもない。日本新聞協会用語懇談会放送分科会発行の
「放送で気になる言葉改訂新版」でも「口語体の言い切りとしては『すべきだ(すべきである)』と『だ(である)』をつけて終止形にすべきである。」
と書いてあります。新聞の見出しはまあしょうがないかな、と思いますが、本文の中では「だ」「である」を付けた方がいいでしょう。
booko さんからのコメント
( Date: 2004年 04月 02日 金曜日 02:36:09)
ちょっと長くなりますが、「べし」は私も以前から気になっていたので、ちょっと調べてみました。
昭和27年国語審議会の「公用文作成の要領」では、以下のようになっています。
「べき」は,「用いるべき手段」「考えるべき問題」「論ずべきではない」「注目すべき現象」のような場合には用いてもよい。「べく」「べし」の形は,どんな場合にも用いない。「べき」がサ行変格活用の動詞に続くときには,「するべき」としないで「すべき」とする。
時枝誠記『日本文法口語篇』(1950年)では、
推量の助動詞べし
未然形「○」、連用形「べく」、終止形「○」、連体形「べき」、仮定形「○」、命令形「○」
・・・終止形が全然用ゐられないことは、この助動詞が口語特有のものでないことを示してゐる。
とされています。
明治書院『品詞別日本文法講座8』(1972年)巻末資料 B.現代語 「べし」のところに挙げられている例は、連用形と連体形のみです。
以下は、「青空文庫」内の検索によるもので、主に50年以上前に書かれた作品についてです。(すべての作品を網羅的に検索したわけではなく、年代を見ながら有名な作品を中心に、ランダムに検索しただけです。)
「べし」の使用は作家によってだいぶ差があるようで、ほとんど「べし(もしくはその活用形)」が出てこない作品も多くありました。「べし」が多かった作品では、
田山花袋『蒲団』(1907年)
べき(連体形・体言相当含) 15
べく 7
べから 3
べきだ 0
有島武郎『或る女』(1950年)
べし 2
べき(連体形) 54
べく 1
べから 2
べきで(ない) 2
べきだ 0
のように、「べし」を多く使う人でも「べきだ」「べき止め」はまったく出ていません。上に挙げた国語審議会、時枝、明治書院のものは、このあたりの事情を反映させているものと思われます。(国語審議会では連用形も認めていませんが。)
しかし、「べきだ」で青空文庫内検索をかけると、宮本百合子、太宰治、有島武郎、九鬼周造、堺利彦などの作品から、「べきだ」(文末に限らない。「べきだと思う」なども含む)が80件強見られます。このうち半分以上は宮本百合子(1899〜1951)の作品からで、この年代にも「べきだ」がかなり多く使われていたことがうかがえます。
・・・個人的には、時枝の『口語篇』を読んだときから「では私たちが普段使っている“べきだ”という形はどうなるのだろう」という疑問を持っていました。学校文法でも「べき」は助動詞として扱われていません。「すべき」と「するべき」の問題もありますし、またぼちぼち勉強しながら、ここでご教示もいただきながら、続きを考えたいと思います。・・・
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 04月 02日 金曜日 06:19:04)
「べきだ」という形でひとつの助動詞なのでしょう。そう記述する文法書はないのでしょうか。
古典文法で、「ごとし」のほかに「ごとくなり」を認めているわけですから、「べし」のほかに「べきだ」を認めてもよいわけです。
助動詞「べきだ」を認めるとすれば、その活用は「べきだろ(う)/べく・べきで・べきだっ(た)/べきだ/べき/べきなら(ば)」という変格活用ということになります。
なんでも変格活用にするのは怠惰な考えでしょうか?
かつまた、現代語の「そうだ」「ようだ」は
夜8時を回る頃には、みんなフラメンコを踊り出すそう。(「Hanako」2000.02.02 p.27)などと語幹用法があるのですから、「べきだ」の語幹用法として「べき」があるのだろうと思います。水月さんが「さわやか」「おいしそう」と同じだとご指摘になっているとおりだと思います。「それぞれの党員の思いがこもった」(幹部)誌名だけに、新タイトル探しは「予想外に大変」な作業のよう。(「朝日新聞」2001.02.18 p.4)
「べし(連用形で、べく)」+「あり」が一体となった語でいいのでしょうか。ならば、現代語で「べくある」もありなはず?
それに対応するのが「べきだ(べきである)」なのでしょうか?なぜ「で」を挟まないといけなかったのか、気になります。
あれは、連体形が、感動詞として用いられてる例ではないかなーと思うのです。
詠嘆の助動詞「かな」は用言の連体形を受けるんですよね。
その「かな」の省略形かなと。
「べき」止めも、それに近いのかな、と思いました。
話はちょっと違いますが フィーチャリングをフューチャリング にしたり 有効 を有効的と言ったりしますが最近は前ほど違和感も感じません あまり気にしないほうが人生楽しいかもしれませんね