『日本国語大辞典』には「いでく」(カ変)のみ掲載、「いできる」(上一段)は立項されておらず、語誌欄にも言及がありません。しかし、『日本古典文学大系』を見ますと、「お生まれになる」意で「(いで)きさせ……」と仮名書きされたらしい例は、次の2例はあるようです。({ }は大系本でルビ)
・しかれ共{ども}、いまだ皇子{わうじ}も姫宮{ひめみや}も出{いで}きさせ給{たま}はず。(平家・巻第三・赦文 大系上 p.210)のように。ほかの作品にも、・主上{しゆしやう}つねはめされける程{ほど}に、うちつゞき宮{みや}あまたいできさせ給へり。(平家・巻第八・山門御幸 大系下 p.121)
・さても、去年{こぞ}の三月三日かとよ、經{つね}氏の宰相の女の御腹{はら}に、若宮いできさせ給へりしを、(増鏡 大系 p.359)のごとくあります。・御示現{ぢげん}あらたにかうふらせ給ひ、いできさせおはします姫{ひめ}にてましませば、(御伽草子・のせ猿さうし 大系 p.293)〈他1例〉
・中婦君{ちうふきみ}のおん腹{はら}に、出來{いでき}させ給へる王子{わんず}を、(椿説弓張月 大系下 p.111)
また、「出て来る」の意で使われている例もあり、
・心やすく思{おも}ひを{(お)}くべきことのはしを出{い}できさせて、(浜松中納言物語 大系 p.283)狭衣、浜松中納言の成立は11世紀と思われますが、写本の年代はそれより下るため、これらの諸例は、ざっと中世〜近世の語法を反映しているのでしょう。・大宮、こよなく力{ちから}出{い}できさせ給へる心地{ち}して、(狭衣物語 大系 p.158)
さらには、「いでき」の形に否定の「ず」がついたものもあります。
・大事{〈だいじ〉}のいできぬそのさきに、はや/\歸{かへ}り給へ(御伽草子・御曹司島渡 大系 p.119)〈類句他1〉これは、「いできぬる」(完了)ではなく、やはり「いでこぬ」(否定)の意であろうと考えられます。