例えば、ファミリーレストランで、食べ終わった食器を下げに来たウェイトレスが、「これ、お下げして、よろしかったでしょうか?」。
レジで5000円札を出すと、受け取った店員が、「5000円からでよろしかったでしょうか?」。
どちらの場合も、「よろしいでしょうか?」「よろしいですか?」と現在形でいいはずのところを「よろしかったでしょうか?」と過去形にしているのは、どうしてでしょう?
「よろしいですか?」と問われれば、「いいえ」と言いやすいけれど、「よろしかったでしょうか?」と言われると、もう、「皿を下げること」「5000円札で支払うこと’が過去の事実になってしまったようで、「いいえ」と言いにくいような気分になる。つまり、何か押しつけがましい表現に聞こえるのだけれど、そんな表現を、恐らくマニュアル化しているはずの店は、どう考えているのでしょう?
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 4月 29日 日曜日 11:55:07)
まずはこちら。
→ 名古屋で聞いた完了態
森川知史 さんからのコメント
( Date: 2001年 4月 29日 日曜日 20:20:42)
「名古屋で聞いた完了態」にすでに取り上げられていたようですが、私にはまだ充分には納得できないものがあります。私が最近「よろしかったですか?」を頻繁に聞くようになったのは、京都の店々で、なのですが、ここでの皆さんのコメントを読んでみても、北海道や東北で以前からあった完了態の表現法が何故、京都でも聞かれるようになったのか、それも、恐らくマニュアルに載っているはずの表現として採用されるに至ったのか、が解らないからです。
私の勤務する短大の学生(群馬出身)は、自分の地元では聞いたことがなく、京都へ出てきて初めて聞いたために、京都特有の言い回しかと思った、と話していました。この表現の分布の地域差も気になるところです。