漢字の読みについて、以前からすこし気になってたことを
すっきりさせようと、インターネット上をさまよってこちらに
流れ着きました。掲示板の趣旨に沿っていればいいのですが。
「酷い」の読みについてです。私はこう書かれていると、
「むごい」と読んでしまうのですが、どうも「ひどい」という
読みとして書かれている場合が多いように思われます。
どちらもほぼ同じ意味で文脈からの判断が微妙なのですが、
「むごい」のほうが「ひどさ」が強いので、そこまでは
言っていないだろうと、改めて「ひどい」と読み直すのですが、
どうもすっきりしません。
「ひどい」は「非道」から来ていて、漢字で書くなら「非道い」
だと思っていたのですが、簡単な国語辞典でも「ひどい」は
「酷い」とされていて、Microsoft IMEのかな漢字変換でも
「酷い」しか出てきません。
私が求めているすっきりする結論というのは、
1. 「ひどい」は「非道い」であり、「酷い」は間違っている。
もしくは、
2. 「ひどい」を「酷い」と書いても間違いではないが、紛らわしい
ので注意深い書き手は「非道い」もしくは「ひどい」を使う。
のいずれか辺りなのですが、
3. 「むごい」は「惨い」であり、「酷い」と書いてあれば、当然
「ひどい」と読む。
が一般的なのではないか、と恐れています。
世の中の常識はどのあたりにあるのでしょうか?
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 01日 日曜日 10:41:29)
同じ漢字を当てていても、「辛い」(からい・つらい)、「上手」(うわて・かみて・じょうず)のように(1)〈意味がはっきり違い、使用場面に住み分けがある〉場合はいいのですが、おっしゃるように「酷い」(ひどい・むごい)とか、「強請る」(ねだる・ゆする)、「歪む」(ひずむ・ゆがむ)のように、(2)〈なまじ意味が似ており、しかしニュアンスが明確に違う〉場合に同じ漢字が当てられていると、どうも困ります。
「娘に腕時計を強請られた」というと、怖い娘かもしれないと思います。
「避ける」(さける・よける)、「濯ぐ」(すすぐ・そそぐ・ゆすぐ)のように、(3)〈意味は同一ではないが、いずれで読んでもそれほど支障がない〉場合もあると思います。
もっとも、(1)〜(3)は程度問題でありましょう。「歪む」はむしろ(3)かも。「辛い」も、中には迷う例もあります。
「ありふれた答えですが率直に申しあげて〔文学賞受賞は〕たいへん嬉しいわけであります。しかしその嬉しさというのは」上に「苦さ」とあるのがヒントになりますが、感情について書いてある部分なので「つらさ」も行けそうです。ちなみに原文には「から」とルビが振ってあります。
記者たちがいっせいにメモをとりはじめた。
「天の一角から幸運が舞いおりてきたとか初めてやった競馬で大穴を当てたとかいう場合の天真爛漫な突拍子もない嬉しさではなく、おのずから苦さや辛さが尾を引いてきていてそこから解放されないままの嬉しさであります。〔後略〕」(筒井康隆「大いなる助走」文藝春秋 p.193)
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 02日 月曜日 21:00:55)
臭い(におい・くさい)は、意味も違うし、品詞すら違うのですが、「牛乳が腐って、すごい臭いです」とあると、どう読めばいいのか迷います。これは(1)と(2)の中間あたりに位置する例でしょうか。旧仮名遣いなら「臭ひ」「臭い」で区別できますが。
岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 03日 火曜日 15:46:29)
世の中の常識を探るのは難しいですね。とくに、このような漢字のあて方のような〈知識を必要とする常識〉は。「常用漢字の音訓表にない言葉は、全部仮名書き」という常識とは別のところにあるわけですから。
「ひどい」が「非道」から来ているのであっても、別の漢字を「ひどい」と読んではいけない、ということはないわけですから、「酷い」を「ひどい」と読ませようとしてもよいわけです。ただ、注意深い書き手(読み方をきにする書き手)は、「ひどい」と仮名書きを使うか、振り仮名を打つか、するでしょう。
#「臭い臭ひ」、そういえば、旧仮名変換(qkana.sed)の時に、問題になりました。
#「常用漢字音訓表にない」で思い出したのですが、漢字検定試験って、「常用漢字音訓表にない読みを書け」というような問題が出るんだそうですね。そういえば「常用漢字音訓表にない言葉を漢字で書きたいと思ったら、常用漢字外の漢字を使う(あるいは音訓表で音のみの字を使う)」という意識も、あるような気がしています。
かねこっち さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 03日 火曜日 23:50:48)
漢語の和訳という観点からすれば、「酷い」は「つらい」「きつい」「きびしい」
なんていうのもありうるんじゃないでしょうか。
たとえば「酷暑」「酷評」などの「酷」を和語でいう場合、「ひどい」「むごい」だけでは「酷」という漢字のニュアンスが完全にうつせるとは限らないと思います。
書き手が「酷い暑さ」「酷い評」に「つらい」「きつい」「きびしい」などのルビを用いるのは別にかまわないんじゃないでしょうか。
もとは中国語でしょうから、場合によって対応する和語も違って当然じゃないでしょうか。