(形容詞と言うか形容動詞と言うか、連体詞と言うか)
「親愛なる」「大いなる」「偉大なる」「なだらかなる」といった「なる」系統の語と、
「厳然たる」「厳粛たる」「憮然たる」「堂々たる」といった「たる」系統の語の違い、「なる」になるか、「たる」になるかの、基準・ルールはあるのでしょうか?
「たる」系統の語の方が、かなり少ないようです。
また「なる」が和語系統、「たる」が漢語系統かとも思いましたが、そうでもないようですが。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 25日 金曜日 14:51:28)
山田孝雄は次のように喝破しています。
「なり」と「たり」との意義上の差をいへば、「なり」は内面的にして主として断定をあらはし、「たり」は外貌的にして主として状態をあらはせり。
これは子なり。
我れは子たり。(『日本文法論』1908年、p.356)
私のことばでいいますと、「これは子なり」は、血縁関係についていうのに対し、「我れは子たり」は、親に孝養を尽くし、子としての分をわきまえて……というふうに、人の目で観察できる状態であることをいうのだと思います。
また、
峻険なる山
峨峨たる山
というとき、「峻険なる」は山の性質(「峻険で登りにくい」というように)を、「峨峨(がが)たる」は山の見た目のようすを表すのでしょう。では
些少なる金額
些々たる金額
はどうか? このあたりになると、「なる」と「たる」との違いはあまり出ていないかも知れません。
「○○なる」と「○○たる」とを比較対照した研究は、最近あるのかどうか、不勉強で存じません。
UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 25日 金曜日 23:19:34)
広辞苑の「形容動詞」の項より引用です:
| 文語では、名詞にニアリの結合した「静かなり」(ナリ活用)、
| 名詞にトアリの結合した「泰然たり」(タリ活用)がある。
| 形容詞の語尾クに動詞アリの結合した「多かり」(カリ活用)を加える説もある。
「なり」の方は「な」に変わって現在でも形容動詞ですね。
「たる」の方の名詞は必ずしも現在の形容動詞にならない。
「厳粛な(式典)」とは言うけれども「憮然な(表情)」とは言わないですね。
「たる」の方は「とした」でも置きかえられます。
「厳然とした」「厳粛とした」…のように。
一方、「親愛とした」「大いとした」とは言えない。
思いついたままに書いたので、あまりまとまってません (^^ゞ
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 26日 土曜日 23:23:52)
「厳粛」は、私の語彙では文語では「厳粛なる(式典)」で、口語では「厳粛な(式典)」となります。ですから、
○○なる→○○な
○○たる→○○とした
というふうに、ほぼ例外なく文語から口語にスムーズに移行していると思います。
もっとも、「ほぼ例外なく」というときのそのわずかな「例外」はどういうものか、思い浮かびません。「厳粛」はひとまずおくとしまして、それ以外に思い浮かびません。
文語で「○○なり」であった語が、何かの拍子に口語では「○○と」の形で用いられるようになった例、または、「○○たり」であった語が「○○な」の形で用いられるようになった例があってもよさそうです。
例外がないとすれば、「○○なり」(○○な)と、「○○たり」(○○と)とは、すこぶる厳密に使い分けられていることになります。
UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 27日 日曜日 0:21:40)
「*然」は「たる」系が多いですが、「自然」は例外的に「なる」系ですね。
「自然と」という副詞的用法は「たる」系の「*然と」の形に引っ張られた?というのは考えすぎでしょうか?
その他、広辞苑で「然な」「然に」を全文検索して見つけた「なる」系の「*然」たち:
・当然
・不自然
・突然
・同然
でも「*然と」のようには使えないですね。
「たる」系と「なる」系(「と」系と「に」系と言ってもよいのかもしれません)が
Yeemarさんの引用されている「内面的」「外貌的」説のように
意義の上からはっきり区別できると面白いのですが、私には法則が良くわかりません。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 27日 日曜日 1:03:23)
ああ、「自然に」「自然と」は両形ありますね。思い浮かびませんでした。「自然に」のほうが比較的古いのでしょうね。
もっとも、「自然として」「自然とした」というような言い方はないので、ト系としての使われ方は限定的のようです。
似た例として、「意外に」「意外と」というのを思いつきました。「意外と」とうのは辞書には「俗」とあります。
山田孝雄の「内面的」「外貌的」という分け方は、勘所を突いていると思いますし、「子なり」「子たり」の違いをそう説明されるとよくわかるのですが、では「主(おも)な」は内面的で、「主(しゅ)たる」は外貌的なのかといわれれば、はて、となってしまうことは否めませんね。ことばを意義で分類するにあたっての指標となるものではありませんね。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 28日 月曜日 11:31:33)
「なり」と「たり」の両方で使えるケースですね。
それについては私も考えたのですが、なかなか思いつきませんでした。
で、今↑の皆さんのご意見を拝見して、ふと思いついたのですが
「母なる(大地)」
「母たる(もの)」
はどうでしょうか?「子ナリ」「子タリ」と似てますが。
形容動詞系統ではなく、完全に、名詞」プラス「なる」と「たる」の形ですが。山田孝雄の「内面的」「外面的」がわかる気がします。
「なる」が「にある」、「たる」が「とある」から来ていることを考え合わせると、「なるほどなあ」と思いました。
「意外に」と「意外と」、「自然に」と「自然と」の使い分けも、Yeemarさんと同じく「意外と」「自然と」の方が、俗語っぽいと私も感じていたのですが、それよりも、「外から見た感じ」で自分のことを言うのが、ちょっとヘンな感じなので「俗語っぽく」感じたのでしょうね。
なぜならば、本来自分のことは自分で分かるはずなのに、
「私って、意外と、お料理が好きな人なんです。」
というふうに、第三者の目で自分を見るような感じで「意外と」は用いられるようになってますよね。これまで(いつまでかわかりませんが)は、
「私、意外にお料理が好きだったんです。」
と、自分の内面に気づいた自分は、あくまで「自分」だったのでしょうから。
「主(おも)な」と「主(しゅ)たる」は、「おもな」を和語系(”おも”が訓読み)、「しゅたる」を漢語系(”しゅ”が音読み)と思われますが、「内面的」「外貌的」という基準だけではなく、また違った基準が存在するのではないでしょうか?