2002年01月30日

東京語は正式に標準語と決められた?(Yeemar)

由香さんのご質問に対するコメントです。

> 東京地域で話されている言葉が標準語として正式に発表あるいは法的に認めれれたという過去の事実がありますか?


由香さんの素朴な疑問、ということでお答えしてよろしいでしょうか?

法的に認められたことはありません。また、「正式に発表」というとき、どういう形が正式かという問題がありますが、内閣告示とか、文部省令、通達とかいったもので公に認められたことはありません。

1891(明治24)年の「小学校教則大綱」には

読書及作文ハ普通ノ言語……ヲ知ラシメ
とあります(「学制百年史 資料編」)。この「普通ノ言語」というのは「ひろく通じることば」という意味で、要するに標準語ですが、べつに東京ことばだとは断ってありません。どの地方のことばを基本にするということを明示せずに、近代国語教育は始まったようです。

実際、初期の国定教科書をみると、

もし、きみがをらなんだら、ぼくは、雷にうたれて、死んでしまふのだった。
(国定読本 1期1-2)
というふうに、「おらなんだ」(いなかった)ということばが使われていたりして、東京ことばらしくない部分もあります。

文部省の国語調査委員会が1916(大正5)年にまとめた口語文法についての本『口語法』の「例言」には、

本書ハ主トシテ今日東京ニ於テ専ラ教育アル人々ノ間ニ行ハルル口語ヲ標準トシテ案定シ……
とありますから、この本の編者が東京のことばを「標準」と考えていたことはうかがい知れます。

この『口語法』および『口語法別記』の東京語準拠論が、「それまでの標準語論に決着をつけ、大正から昭和にいたる標準語政策・標準語教育の方向を決めたといってよい」というのは真田信治氏の説(『標準語はいかに成立したか』創拓社、p.97)です。標準語は、なにかの法令などで決められたものではなかったのです。(妄言多謝、乞御訂正)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 31日 木曜日 9:55:49)

少し新しいところで、昭和33年5月5日、「明解日本語アクセント辞典」初版(三省堂)の序(金田一春彦)に、
「理想的な標準日本語は必ず生まれなければならぬ。それは恐らく全国各地の方言から粋を集めた、豊かな、しかも洗練された言語体系であろう。そのような言語の基盤になるものは、やはり現実に日本全国に共通語として通用している、現在の東京語をおいてほかにはない。」
という記述があります。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 31日 木曜日 15:30:15)

「国語学」を推し進めた上田萬年が、明治二十年代に次のように言っていました。

願はくは予をして新に發達すべき日本の標準語につき、一言せしめたまへ。予は此點に就ては、現今の東京語が他日其名譽を享有すべき資格を供ふる者なりと確信す。

上田萬年「標準語に就きて」


前田年昭 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 02日 土曜日 16:00:42)

飛田良文は『東京語成立史の研究』1992、東京堂出版、のなかで東京語の歴史を成立期(国定読本の出来るまで)、定着期(標準語の成立)、展開期(共通語の時代)に時代区分を示しています。


模範語を示して話し言葉と書き言葉の、国語の統一を図ろうとする考え方は、定着期のはじめ、1904(明治37)年から使われた『尋常小学読本』の編纂趣意書に述べられています。

文章ハ口語ヲ多クシ、用語ハ主トシテ東京ノ中流社会ニ行ハルルモノヲ取リ、カクテ国語ノ標準ヲ知ラシメ、其統一ヲ図ルヲ務ムルト共ニ、出来得ル丈児童ノ日常使用スル言語ノ中ヨリ用語ヲ取リテ、談話及綴リ方ノ応用ニ適セシメタリ。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 02日 土曜日 22:16:44)

「をらなんだ」を使っていた国定教科書も、その趣意書では東京中流社会のことばが「国語ノ標準」とされていたということですね。飛田氏の著書に目を通していないことが露見してしまいました。文部省として東京語を標準とした教授書を作ったのは、『口語法』ではなく、第一期国定教科書までさかのぼるということで、私の発言には不適切な部分がありました。

上田萬年が自説を開陳したような例は、個人的な意見表明として無視してしまっていました。

金田一春彦氏の文章の「標準語」は、「標準アクセント」もしくは「共通アクセント」と読み替えるべきものと思います。同氏はここで「標準」「共通」の概念をことさら区別していないように読み取れます。つまり「現在、日本語の文法・語彙は東京語を基礎としたものが全国共通に用いられている、しかし、アクセントには標準がなく、全国で共通に用いられるアクセントというのはない、いずれ東京語のアクセントが標準となるべきである」ということだろうと思います。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 04日 月曜日 17:15:52)

金田一春彦さんの文章に関してはそうですね。「アクセント辞典」ですもんね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 05日 火曜日 0:42:20)

真田信治「脱・標準語の時代」(小学館文庫)でも、標準語登場は1895年、上田万年「標準語に就きて」を「標準語登場期」としていました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 07日 木曜日 7:42:38)

水原明人「江戸語・東京語・標準語」(講談社現代新書)も参考になるのでは・・・。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 07日 木曜日 13:39:35)

 杉本つとむ『東京語の歴史』(中公新書865 昭和63.1.25)が出て来ました。

 「終章 江戸語の伝統と東京語・標準語」で、上田万年の「標準語につきて」を引き、『口語法別記』を引いていますが、その間に別のものも引いていました。明治34年『尋常小学国語科実施方法要領』の「国語教授に用ふる言語は主として東京の中流以上に行はれ居る正しき発音及び語法に従ふものとす」(原文片仮名)というものです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 12日 火曜日 14:32:37)

前田さんと同じことを指しているのだと思いますが、飛田良文さんが、文化庁発行の「ことばシリーズ23”言葉の変化”」(1988,3,31)の中に「近代・現代の言葉の変化」と題して書いています。その四「標準語の成立」によると、国定教科書の使用が始まった明治37年4月からが「東京語の定着期」「標準語の時代」と呼ぶことができる、とあります。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 2月 15日 金曜日 9:46:35)

山口秋穂ほか「日本語の歴史」(東京大学出版会1997)の213ページに、「東京語を標準的なことばとして捉えたうえで編纂された教科書は、西邨貞「幼学読本」(明治20年1887年)が最初である。」とあります。この項は鈴木英夫さん(白百合女子大学教授となっています)が書いています。


posted by 岡島昭浩 at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック