1997年04月06日

四畳半フォーク(Yeemar)

>>>>「神田川」の世界を〈四畳半フォーク〉と批判したのは荒井由美だったと記憶
>>>>する。
  :
>>小林氏は『話の特集』ででも読んだのであろうか。荒井由実のデビューはおそら
>>く1973年。

 「Yumi Arai The Concert with old Friends」(東芝EMI TOCT-9770, 96.12.7)
附録の「yumi arai book」によれば

>>1969年5月  自作が初めてレコード化される 「愛は突然に」歌/加橋かつみ
  :
>>1972年7月5日 シングル「返事はいらない/空と海の輝きに向けて」でデビュー
>>       ※バック・ミュージシャンは、かまやつひろし、ガロなど。
>>1973年11月5日 シングル「きっと言える/ひこうき雲」発売
>>1973年11月20日 アルバム「ひこうき雲」発売

となっていました。前に日外アソシエーツの事典で見たときは1973年の「ひこうき雲」発売をもってデビューと考えているようでしたが。「返事はいらはない」はカラオケ化もされていないようです。どうでもいい話で済みません。

【四畳半フォーク】


野浪正隆 さんからのコメント
( Date: 1997年 4月 15日 火曜日 15:05:19)

今日小専国語の一回目の授業があって,自己紹介していました。
ユーミンと同年代なので,「画期的」であることを具体的に説明するときに,ユーミンデビューあたりのフォークソングは,「四畳半」「貧乏」「ギター」だったけれど,ユーミンの歌詞の世界は,リッチだし,「場面化」が行われているといいました。「中央フリーウェイ」を例にして。

飛行機雲は大学2回生の時に,同級生に教えてもらいました。
では。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 4月 17日 木曜日 16:10:27)

 野浪さん、ようこそいらっしゃいませ。
 私の場合は、荒井由実はフォークとは別のものだという感じでした。特に「中央フリーウェイ」は庄野真代の曲だという感じだし。アグネスチャンの「白い靴下はもう似合わない」が荒井由実の曲だというのは後になって知ったことでしたが、いずれにせよ、フォークとは全く違う、と思っていました。逆にバンバンが歌った「いちご白書をもう一度」が荒井由実だということで、やはりフォークなのかな、とも思ったことでした。
 ふと、思ったのですが、「四畳半フォーク」って、ひょっとして「抒情派フォーク」を下敷きにしているのでしょうか。うがちすぎ? それとも常識?
 久しぶりの、会議室への参加の方が現われて浮かれております。

 折角ですから、野浪さんのページにリンクしておきましょう。

野浪正隆研究室


posted by 岡島昭浩 at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック