何か借りを作ってて,それをなしにすると行った意味で使う
「今日の海までの高速代は,俺の車だしたのとガソリン代でチャラでいいよね」
のチャラです。
気になってしようがありません。
よろしくお願いします。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 5月 21日 水曜日 16:35:22)
ブンブンさん、ようこそいらっしゃいませ。
「チャラ」、使いますね。でも『日本国語大辞典』などには載っていません。『三省堂国語辞典』はようやく第4版から載っています。この辞書には語源説も書いていませんし不確かなのですが、私の意識としては「サラ」と関係があるように思います。「マッサラ」の「サラ」です。まだ使っていない状態を指すことばです。
一度使ってしまっても、サラに戻すことは出来ますね。例えば、古い家を壊した後も「サラ地」と言います。
ですから「チャラにする」というのは「サラにする」ではないかと思います。一度デコボコになったものを再びサラの状態、貸し借りなしの状態に戻す、というわけです。
サとチャが近い関係に有ることはチイサイ・チイチャイ、〜サン・〜チャンなどからも伺えると思います。
いかがでしょうか。
satopy さんからのコメント
( Date: 1997年 6月 01日 日曜日 1:01:32)
そうか、サラか。関東方面の伝統的な崩し方だと「マッツァラ」になりますね。そうすると「チャラ」にまた一歩近づきますね。ただ、この「ツァ」というのはもともと日本語にあったわけですが、その手の言い方がだんだん滅びてきているようです。さらに「ツァラトストラ」をはじめ、「エリツィン」「ツェツェ蠅」「カンツォーネ」のように、ツァ行音が外来語になじむような状況もある気がします。そこで、「ツァラ」が認められず「チャラ」になった、というふうになればこれ
はこれで面白いのですが……
そういえば、マンガの『美味しんぼ』でお相撲さんがお礼をいう場
面が何度かあるのですが、たしか例外なく「ごっちゃんです」になっていました。私の感覚からすると「ごっつぁんです」とあってほしいところです。
ひょっとしら、「マッチャラ」もどこかで生きているかも。
情報言語学研究室(萩原義雄) さんからのコメント
( Date: 1997年 6月 09日 月曜日 9:41:07)
「ちゃら」の使い方と語源
昨日、私の主催するイベント行亊「岩見沢・夕張80キロランニング大会」の交流会での私とお手伝いいただいた責任者との会話でした。
「ガソリン代1台3,000円5台分と交流会費2,500円6名分を相殺することにしましょう。これでちゃらですね」。
「はい、結構です」。
このような使い方が、現代人の「ちゃら」の使用だと私も思いました。
ところで、この「ちゃら」の語源ですが、私は演劇用語の流れを汲むのではないかと思っています。
芝居の跡始末のつけかたが、いいかげんに言い散らしてしまう、「ちゃらんぽらんに……」「ちゃらぽこ」の口からでまかせの「茶番劇」が江戸庶民にもてはやされたのが始まりではないかと思うのです。
「ちゃ」は「茶」で、この「ちゃ」を動詞化して表現する「ちゃる」に接尾語「〜ぽらん」「〜ぽこ」がついたことば表現ということです。
「ちゃちなもの」の「ちゃち」も粗末ですぐにだめになってしまうような代物ということで、茶番劇の景品としてはうってつけです。
「むちゃくちゃな」も節理の通らぬ物言いですし、朝の通勤ラッシュで「もみくちゃにされる」といえば人々がごったがえした混乱状態、それがエスカレートして「めちゃくちゃな」は、芝居が筋書きをはずれて途方もない状態になってしまう喜劇世界です。
おもしろおかしく人々を楽しませるのが茶番劇、そんな芝居には、とちりはつきものなのですが、師匠は「客を飲んで、人を茶にしてかかれ」と弟子に言います。「茶にする」「茶化す」すなわち「ちゃかす」(ごまかす。だます意味)そして時にはうまく「ちゃらかす」わけです。
さらに、「ちゃらちゃら」もそして「お弁ちゃら」も、歌舞伎の「ちゃり」も共通した姿勢表現ではないでしょうか。
こうして見ると、「茶」の動詞化した「ちゃら。ちゃり。ちゃる。ちゃれ」の表現が瞬く間に庶民に浸透し、今日の使い方になったのではないかと私は思っています。そのひとつがこの「ちゃら」なのではないでしょうか。
ご意見をお待ちします。