Q 日本で外国語や外来語に漢字を使って書くようになったのはいつごろでしょうか?
A 室町時代の末頃とみる。
天正十年(1582)大友義鎮〔よししげ〕がローマイエズス会会長宛に欧州派遣使節団に託した書簡中「ガラサ」(ポルトガル語の「聖寵〔せいちょう:神の惠み〕」)を「賀羅佐」と表記されたのが最古かな^0_0^。
Q 日中共通の外来語地名表記は?
A 桑港〔サンフランシスコ〕・倫敦〔ロンドン〕・印度〔インド〕・埃及〔エジプト〕・緬甸〔ビルマ〕・西班牙〔スペイン〕・希臘〔ギリシヤ〕・羅馬〔ローマ〕・雅典〔アテネ〕など。
Q 日中異表記の外来語地名表記は?
A カナダ 「加奈陀」(日本)⇔「加拿大」(中国)
デンマーク 「丁抹」 ⇔「丹麦」
イタリー 「伊太利」 ⇔「意大利」
オランダ 「和蘭」 ⇔「荷蘭」
などと書いていた。
そして、ここで留まった。なぜかといえば日本人も「荷蘭」と書いた用例があるからだ。
その資料は、明治の新聞記事に見える。また、東京資料編纂所の維新資料綱要データベースで検索した結果、嘉永三年(1850)三月、松代藩士佐久間修理(啓) 自著荷蘭語彙版行の許可を幕府に請ふ。允さず。の記亊が見つかる。
だから、もう一度、調べ直す予知があるのではないかと思った次第。いかが?
最後に、この異国の地名を漢字で一覧にした資料が確かあったのだが、それが何に收録されていたか、いま記憶が定かでない。この手の資料を掲載した文献資料名をご存じであればお教えていただきたい。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 5月 21日 水曜日 16:34:34)
「日本で外国語や外来語に漢字を使って書く」というのは、「非漢字圏のことばを漢字を使って書く」という意味で理解いたしました。しかも中国・朝鮮に於いて当てられたものをそのまま流用する場合は含めない、ということですね。
『宇津保物語』の「波斯国」を思い出しますが、これは中国で当てられたものですね。『宇津保物語』の記述を見るとペルシャあたりだとは思っていなかったようですが。
しかし、空海や円仁が梵語を漢字で書いたものの中には、彼らが(中国人や中国語の出来る天竺人ではなく)漢字を選んだものもあったかもしれません。円仁の『在唐記』は、梵語音を日本人の耳で聞いて漢字を使って書き表しているわけです。単語を写しているわけではありませんが。
また日本の北方は勿論、南方にも(あるいは飛騨にも)、日本語とは違う言語が話されていたかもしれず(「外国語」ではなく「外語」でしょうが)、現在の地名の漢字表記もそうした外語を写した可能性は十分あると思います(何でもかんでもアイヌ語起源や朝鮮語起源にするのは困りますが)。
〈西洋のことばを日本人が漢字で写した〉例を捜すとなると、やはり16世紀以降ということになりましょう。萩原さんがお示しの「賀羅佐」は、確かに日本人が当てたような字面ですね。バテレンの「万天連」はそれより2年後に見えるようですが(『日本国語大辞典』『角川外来語辞典』)、これも日本人が当てたという感じですね。
外国地名の漢字表記を集めた辞典としては『宛字外来語辞典』(柏書房)が挙げられると思います。今手元に見当らないのですが、一般語と地名人名を分けていたように思います。本文は漢字順で索引が別に付いていたと記憶します。中国書の用例は取っていなかったかと思います。
あと、ついでですから挙げておきますと、杉本つとむ『「宛字」の語源辞典』(日本実業出版社1987.4.30)と『あて字用例辞典』(雄山閣1994.1.10)があります。後者には「外国名=地名あて字一覧」があります。『遊字典』(角川文庫1986.8.25、講談社α文庫の増補改題版あり)には漢字索引がないので、武部良明『漢字の読み方』(角川小辞典3)の余白に書込むという形で自家索引を作りかけたのですが、ア行の途中であえなく断念しました。
情報言語學研究室(萩原義雄) さんからのコメント
( Date: 1997年 5月 22日 木曜日 10:22:56)
収録資料について、列擧していただき感謝です。
あれから私もひとつ収録文獻を思い出しましたので參考まで付加しておきます。
前田政吉編『難字と難解語の字典』(北海道出版企画センター・1992)
これは、国名地名宛字を畫數でまとめています。
杉本つとむ編『あて字用例辞典』で確認してみると、「荷蘭」は、仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』に收載が見られるとありますので、さらに見てみましたところ、
6039,仏〔ふらんす〕は六分〔ろくぶん〕の一、孛漏生〔ふろいせん〕、白耳義〔べるぎい〕、南北日耳万〔なんぼくぜるまん〕、聯合洲〔れんかうす〕、澳斯多利〔あうすたらりや〕は何〔いづ〕れも十六分〔ぶん〕の一、魯西亞〔ろしや〕、米利堅〔めりけん〕、伊太里〔いたりや〕、荷蘭〔おらんだ〕、瑞西〔すいつる〕は三十二分〔ぶん〕の一に過ず。,下133K,,下,,
とあります。いよいよ日本人文士の表記法を「和蘭」に限定できないことが明確にできたしだいです。ありがと(*^_^*)。今後も引き續き収録資料名をお教え下さい。