1997年07月15日

親が……(Yeemar)


 暑中お見舞い申しあげます。

 ご無沙汰いたしております。多事多端にわたり(意味不明)、ことば
を受けとめるアンテナが鈍っているこのごろです。自分のホームページ
の更新も滞っています。

 さて、「アルバイトをしたいんだけど、親が許してくれないのよ」と
いうような言い方がありますが、自分の親を指してそのまま「親」とい
う言い方は最近の言い方ではないでしょうか。どうもそういう気がしま
す。

 私のことばでは「両親が」となるところです。敬語の問題か、それと
も、家族と弟の話をするとき「弟ちゃんがこうした」などとは言わない
というようなのと同種の問題(?)なのか、よく分かりません。

 そもそも、「親が」という言い方に注意が引かれるという私の言語感
覚に問題があるのか、とも思っています。いかがでしょうか。

p.s.
 昔はどうだったかというに、中古の日記では「親とおぼしき人に、た
はぶれにも、まめやかにもほのめかししに」(蜻蛉日記)、「親の太秦に
籠り給へるにも、こと事なくこの事を申して」(更級日記)のように、自
分の親のことをふつうに「親」と言っています。しかしむしろ自分を客
体化して書いているのではないでしょうか。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 1997年 7月 17日 木曜日 15:23:37)


 実は私は高校時代ぐらいから使っていたように思います。
 「父が母が」というのは恥ずかしい、また「おやじが」「おふくろが」なんていう言い方はより一層照れ臭い。
 そこで「親が」という言い方を選んだのだったと思います。父であれ、母であれ、「親が」と使うわけです。「両親が」だったらふたおやの意見が一致していることを確認してからでないと言えませんけど、「親が」なら使えるわけです。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 1997年 7月 17日 木曜日 20:37:32)


 ありがとうございます。

 なるほど、一種の朧化と申しますか、婉曲表現であったわけでしょうか。私
は、「親が」というからには「両親」なのだろうと思っていましたが、そうい
うわけでもなく、どちらであるかをボカしているのですね。

 というと、別に最近のことでもなく、昔から使われていた表現なのでしょう
かね。

 こちらについては、念のために新潮文庫などから <親[がのをにへはも].*よ」>
(つまり、「……よ」という女性のせりふで「親」が出てくるかどうか)を
調べたのですが、出てきませんでした。
 



Yeemar さんからのコメント

( Date: 1997年 7月 17日 木曜日 20:45:20)


 そういえば、私が初めに引いた「蜻蛉」「更級」も、「親」で父親のこと
をいっているのですね。別に両親ではない。しかも、「親とおぼしき人」で
すから、何重にも朧化が行われているのですね。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 1997年 7月 21日 月曜日 15:52:41)


 こんにちは。
 「親が」に拘泥するようですが、ふとまた思いつきましたもので。

 テレビを聴いていて注意が引かれたのですが、自分の父親のことを「父が」
と言わずに「父親が」というのも最近(範囲不明)の言い方ではないでしょう
か。

 「父が」では照れくさいためであろうと推測できるのですが(なぜ照れく
さいのか)、「-親」がついただけで、妙に〈照れくさくなく〉客観的になる
のですね。これは一体何なのでしょう。

 初めに出した「親が」という言い方も、してみれば「父か母か、はた両親
か」をぼかすという以上に、「親」という呼称の客観的な雰囲気を利用して
いるのかという気もします。

 あたかも「あの先生がこう仰しゃった」といわず、「あの教師が……」
というがごとき? いや、これは敬意の問題か。ちょっと違うような。



稀Jr さんからのコメント

( Date: 1997年 7月 22日 火曜日 16:58:09)


 はじめまして&ちょっと乱入させて下さい。

 私の場合、自分の両親を示す時は「うちの親が…」という言い方
になります。
 「うちの」が身内意識を強調しているのだと思います。

 確か「父が」「母が」という言い方は、小学校だったか中学校だ
ったかで謙譲語として習いました。ですから、他人に対して身内で
ある父親や母親を示す時、「私の父が…」「僕の母は…」という言
い方になるのだと思います。
 で、「父が」「母が」が照れくさいのは、友人のような軽い関係
で話していて、重たい「謙譲語」を入れてしまう気恥ずかしさ&重
苦しさが出るのではないでしょうか。
 大坂では「おとんが…」「おかんが…」という形で身内である軽
い謙譲を表わしますが、標準語の場合には、この辺の中間的なニュ
アンスが出し難いのかもしれません。
 ですから、「親が…」という形になるのだと思います。

 もうちょっと突っ込めば、「おやじが…」「おふくろが…」とい
うほど、敬愛すべき身内ではなくなっているのではないでしょうか。
 身内ではあるけれども、家族という社会の中で親と自分という個
人の関係を保つ、という意味で、ちょっと抽象的な「親」という用
語が使われるのかもしれません。

 「父親が」「母親が」という言い方は、「親が」では特定できな
いどちらかを指し示す意味を保ちつつ、「父が」「母が」の中に含
まれる重い謙譲を避けるのだと思います。

 そうそう、「あなたの御両親は?」という言い方がありますが、
実のところ「両」が揃っているとは限らないので、「あなたの親御
さんは?」と云いかえるのがベターかなあ、とか最近思いつつあり
ます。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 1997年 8月 17日 日曜日 19:31:25)


 ありがとうございます。
 なるほど、「父が」「母が」は〈重たすぎる〉謙譲語かもしれませんね。たま
にそういう言い方をテレビで聞くと、むしろ凛とした雰囲気を感じるほどで、平
凡な言い方ではなくなっているのかも。

 〈敬愛する身内ではなくなっている〉ということもあり得るでしょうね。謙譲
語というのは低める言い方ではありますが、ふだん敬意をもっているからこそ、
対外的には低めて言うわけで。

 以上は、〈最近「親が、父親が」などという言い方が増えている〉という前提
で申したのでした。じつはずっと前からそういう言い方があったのだ、となると、
また考え直さなくてはなりません。


posted by 岡島昭浩 at 00:16| Comment(1) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by 岡島昭浩 at 2008年03月04日 21:31
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