「〜あと」「〜あとに」「〜あとで」といった文章表現が作品中に多く見られるのですが、「〜たあとから」という表現用例がなぜか少ないのです。
なぜ、少ないのか?
また、どういう場でどのように表現されるのか?
みなさん、お知惠を拜借したいのです。
現在のところ、この上記の課題につきまして、現代日本語研究のなかで、Sさんが考察中です。
現在收集した用例
1,子供が帰った 後からは 円い大きな お月さま(『夕焼小焼』の二番。中村雨紅・12)
2,「すいと木立を横切った、あとから直すいと追懸けてくる。(夏目漱石『明暗』)
3,泣いたあとからもう笑っている。
4,黒人の地位を上げ、オリンピック・スポーツの発展に貢献したジェーシーオーエンスが、亡くなったあとから見返りを受けたことの悲しさを、僕は両親や書物を通じて教わってきた。(Bart1996,No24)
*「〜てから」の表現を「〜たあとから」に置き換えが出来ない。
*3の用例のように、前の動作表現と後の動作表現が対をなしている。
Aさんが退出したあとからBさんが入室した。
まだ、觧らないことだらけの表現です。
1の童謠には、子供と大人の世界のけじめがあって、大人になると夜になって帰らないでもよくって、「円いお月さま」を賞美できるのだよと子供に「大人になる夢」を託している表現方法として「〜たあとから」が使われているのかなぁと私自身思っています。
いかがなものでしょうか?
satopy さんからのコメント
( Date: 1997年 8月 01日 金曜日 22:03:54)
用例、少ないですね。手元の資料では、次のものしかありませんでした。
朝日新聞社説(85.4.5 朝刊)
例によって今回の交渉でも、これまで経験ずみのすべての悪い癖が出た。大統領に善処を約束しながら土壇場になるまで国内対策をひき延ばしてきた首相の姿勢、譲歩を小出しにして不透明行政の印象をさらに強めた官僚の抵抗、合意ができたあとから首相の足をひっぱる自民党派閥の政治的思惑と圧力団体の反抗などである。
情報言語学研究室(萩原義雄) さんからのコメント
( Date: 1997年 8月 07日 木曜日 19:57:47)
昨日、二度にわたって、おかしなファイルを貼り付けていたようです。削除下さい。
佐藤さんどうも貴重な用例有難うございました。
私も、先日某新聞社の電算局の方と酒の席で「たあとから」を訪ねたことがありました。
そのコメントは「たとえ記者が「たあとから」と記事を書いたとしても、推敲のところで「たあと、」と訂正されてしまうのではないか」ということでした。
そのため、新聞記亊にはないのかなと思っていた矢先でしたので有り難いです。
新聞記亊でも社説などは書き手の力が強いところかもしれません。
今後、他の新聞記亊についても検索する必要があるのでしょう。
これからもよろしくお願いします。