なんか、あれこれ宮部みゆきさんのことが書いてありましたが、私が気になったのは『火車』の冒頭ですね。冒頭3行が気になって、とにかく後が読めません(苦笑)。
「どおりで」じゃなくて「どうりで」だろうが! 「道理で」をひらがなにして「どうりで」ですよね。
ハードカバー単行本、重版だいぶかかっているみたいなんだが、直ってないみたいで。
でもこれは、宮部さんのせいではなく校正者のせいなのかなぁ…。
小矢野哲夫 さんからのコメント
( Date: 1997年 11月 29日 土曜日 8:03:52)
「道理」の話ですね。理屈の上では「どうりで」が正しいとこになりますよね。でも、ひらがなで書くときに、わざと「どおりで」と表記することはありそうなことです。
似た例に、「鬱陶しい」があります。「陶」の字の音読み表記は「とう」ですから、「うっとうしい」となるはずですが、「うっとおしい」と書いてある例は実際にあります。
ほかには「ウットーシー」と、長音符号で表記するのもあります。「うっとうしい」「うっとおしい」「うっとーしー」など、いろんな書き方があって、それぞれに伝えようとするイメージに差があるように感じられます。
「さようなら」というのも、口で言うときに、ぼくなんか、「う」抜きの「さよなら」のほかに、「お」入れの「さよおなら」または「さよ、おなら」なんて(もちろんふざけてですが)、言うことがあります。
見識のある方からは顰蹙を買い、昔若者からは「ヒンシュクー」「サイテー」とののしられそうですけど。
森川知史 さんからのコメント
( Date: 1997年 11月 29日 土曜日 17:18:02)
「かな表記」は、なかなか難しいですね。現代仮名遣いが旧仮名遣いを元に作られた訳だから、最初から
現代仮名遣いを教え込まれた者は、表記について論理的に考えてみる手だてを奪われていることになりま
す。これは旧仮名遣いでは「ほ」表記だったから、などと考えねばならないのでは、どうしようもありま
せん。新仮名は旧仮名に比べて整然としていないとか、きたないとかいう人もいますが、何れにせよ、発
音通りに書くことなどできない訳ですから、混乱が生じるのは仕方ないとしか言いようがないのではない
でしょうか?
問題の「道理」は「どうり」ですが、「通り」は「とおり」ですから、やはり混乱は約束されていたので
はないでしょうか?
satopy さんからのコメント
( Date: 1997年 11月 29日 土曜日 17:38:55)
細田さん、はじめまして。
宮部みゆきのことを書いていたのは、私めでございます(気になることば)。ご愛読、感謝いたします。また、岡島さんのページ(この「会議室」ほか)とは、リンクははってありますが、独立したページであることを念のため、申し添えます。
『火車』は名作のほまれ高いものですが、未読です。貴重な情報、ありがとうございました。読む気が出てきました(^^;。
とは申せ、宮部の諸作品は、最近の推理小説界では、まれにみるほどの質の高さをたもっていると思います。早々に全部読んでしまわないように、少しずつ読んでいるところですので、このような次第になっております。
接続か遅い、という件については、「あれこれ会議室」の方でも投稿したことがありますので、そちらを御参照ください。
それでは、また。
どうか、今後とも、拙ページをごひいきに。(^^;
ボンビ さんからのコメント
( Date: 1997年 12月 02日 火曜日 12:21:16)
「お」と「う」の違いについては、私も悩んでいます。
双方について、逆に把握していたことが少なくありません。ワープロの文字変換で始めて
知ったりして…。両者の違いについて、基準となるもの、あるいは法則性はあるんでしょうか?
当初、発音により決まると認識しておりましたが、そうでもないですね。たとえば、道理は
「ドウリ」でなく「ドオリ」と発音しますよね。また、小矢野さんがご指摘のように「陶」
は「トウ」であるのに「うっトオしい」があったりする。
この「発音説」「漢字説」(私が勝手に命名)とも一貫性がありませんですネ。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1997年 12月 02日 火曜日 14:05:20)
「おお・おう」は、現代仮名遣いの最大の難所ですね。
→ 現代仮名遣い