直喩と隠喩の違いを教えてください
守沢 良
- 04/5/14(金) 3:47 -
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ご無沙汰しております。
比喩について長年疑問に思っていることがあります。
声喩とか換喩とかほかにもいろいろあるようですが、使用例が多いのは直喩と隠喩(暗喩)だと思います。
この直喩と隠喩について、一般的には次のようにいわれているようです。
直喩 「……のような」「……のごとし」のように直接たとえるもの。
隠喩 「〇〇は〇〇だ」のように、「……のような」とか「……のごとし」を使わないもの。
ここまでは、なんとなくわかります。
では、次のような場合はどうなのでしょう。
1)お母さんは鬼だ。
2)お母さんはまるで鬼のようだ。
3)お母さんはまるで鬼だ
4)お母さんは鬼のようだ
1)は隠喩、2)は直喩、3)は直喩、4)は直喩、と考えてようのでしょうか。
本質的には何もかわらないのに、単に「まるで」とか「ような(だ)」という言葉を使うか否かで、直喩にもなり隠喩にもなるというのはなんか納得できません。
どう考えればよいのでしょうか。
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Re:直喩と隠喩
Yeemar
- 04/5/14(金) 7:40 -
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直喩と隠喩とは、「ような」3文字のありなしの差ではなく、本質的な違いがあります。
中村明『比喩表現の理論と分類』(国立国語研究所報告57、秀英出版)、佐藤信夫『レトリック感覚』(講談社)などを参考に、私のことばに移して申します(例も私の用意したもの)。
直喩では、一見何の関係もないようなAとBとが形式のたすけによって結びけられます。たとえば、「彼の姿」と「風」とには一見何の関連性もありませんが、
彼の姿は風のように消えてしまった。と言えばよくわかります。この場合、隠喩を使って
彼の姿は風だった。消えてしまった。などというと、理解に支障が生じます。
彼の姿は消えた。風だった。
隠喩では、「ような」などの形式を使わなくても関係がわかるようなABが並べられます。「お母さんは鬼だ」「ぼくにとって君は太陽だ」「いいかい、君たちは花なんだ。40人いたら40ある、それぞれ違った花だ。(新聞投書)」などは、「ような」は不要であり、あればむしろ冗長さを感じさせます。
【84】
Re:直喩と隠喩
守沢 良
- 04/5/19(水) 23:31 -
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ありがとうございました。
書き込みが遅れて申し訳ありません。書棚の奥底から佐藤信夫『レトリック感覚』(講談社)を引っ張り出しました。もう20年以上前に読んだはずなのですが、当然ながら内容は何も記憶にありません。とりあえず「直喩」と「隠喩」の章を読んで、知恵熱(こういう使い方も誤用ですかね)が出そうになりました。
Yeemarさんのコメントも加味して、なんとなく理解できたような気持ちになっています。ただ、どうもスッキリところがあり、なんとなくモヤモヤしています。勉強させていただきます。
なら隠喩か
なら隠喩か
彼は風のようだは直喩か
彼は鬼のようだ の場合どうなるんだろうか
隠喩かな