書き込みとチャット
道浦俊彦
- 04/6/4(金) 16:40 -
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長崎県佐世保市で起きた小6同級生殺害事件。なんとも痛ましい事件です。1学年1クラスという閉じられた中での事件だけに、同じ長崎で去年起きた事件とは、また様相を異にしています。
この事件の報道の中で、犯行の動機について、「インターネット(の掲示板)上の書き込みで悪口を書かれた」というものもあれば「チャットで悪口を言われた」というのもあります。
実は私はあまり詳しくないのですが、「掲示板の書き込み」と「チャット」は、同じものなのでしょうか?(微妙に違うように思うのですが・・・。)
【130】
Re:書き込みとチャット
Yeemar
- 04/6/4(金) 20:57 -
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悲しい事件が起こってしまいました。ジャーナリストとしてあえて記者会見されたお父様がいたましい。
役人などが「命の大切さについて徹底指導を」と、今回もまた呪文のように唱えているさまに思考停止の姿を見ます。凶悪事件の加害者は命の大切さを十分に知っています。ある人物Aが別の人物Bに憎しみを抱くとき、「Bの大切なものを奪ってやれ、とりわけ大切な命を奪ってやれ」と思うからこそ、事件を起こすのです。
根治療法として考えられるのはむしろ、人(々)に対する憎しみを昇華し霧消するためのプログラムではないかと思います。この点について言及する論を私は知りませんが、教育学なり、何なりの分野では議論されているのでしょうか。もう少し声高に論じてよいことではないでしょうか。
いや、NHKスペシャルか何かで、憎しみを解消する教育について見たような記憶もあります。あれはどういう文脈だったか。
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話がそれました。掲示板への書き込みとチャットは別物ですね。原理は同じかもしれませんが、使われ方が違います。
掲示板は、駅の掲示板と同じで、書き込みがずっとあとまで残る。したがって、甲が書き込む時間と、乙が読む時間がずれていてもよい。この「ことばについての会議室」(掲示板)では、じつに7年前とか6年前とかいう書き込みも読むことができます(旧会議室も含めれば)。
チャットは、甲乙丙丁が同じ時間にコンピュータに向かって、速射砲のようにキーボードを打ちながら文字で会話する。次々に新しい発言が書き込まれるものだから、さっきの発言は下へ下へと押しやられて、古いものから消去される。あとで見ようと思っても、保存されていないのがふつう。
といったところでしょうか。
【132】
Re:書き込みとチャット
畠中敏彦
- 04/6/5(土) 18:27 -
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▼道浦俊彦さん:
>「掲示板の書き込み」と「チャット」は、同じものなのでしょうか?
メカニックなことは説明できませんが、
「書き込み」は文字どおり、書き込んで完結。「チャット」は画面上で相手方と
文字で会話する方式です。
したがって、キーボード操作がある程度早くないと、煩わしい面もありますね。
わたくし事ですが、外国(タイ)の娘と時々「会話」してますが、私がトロイため
最近はごぶさたが多いです。
【144】
「命は大切」
Yeemar
- 04/6/12(土) 14:00 -
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話がそれっぱなしですが、上記の私の意見とまったく同様のことを小学生・松下令奈さん(横浜市11歳)が投書していたので記録します。2004.6.12 p.14「声」より。
「命は大切」ということは、私たちはもうすでに百も承知であるのに、これからも言葉で教えてくれるだけでは、意味がないのではないでしょうか。まったく同感。
そんなことより、その大切な命をうばう原因となった憎しみを除くことを、親や先生など周りの大人たちにやってもらいたい。2人の間に何があったのか、どうして殺すまでに至ったのか、解明してほしいと思います。
また、加害少女が「命は大切」であること、少なくともそういう言い方があるのを知っていたことについてはホームページの文章から分かります。以下は「週刊文春」2004.6.17 p.31より。
無理やり退部されられたバスケ部。そのときの切ない胸の内を仮託したのか、A子はHPにこうつづった。こういうところを見ても、「命の大切さを教えなければ」「心の教育」云々は、どうも内容空疎なスローガンであると思われます。
〈虫も魚も動物も木、花もたった一つだけのかけがえのない、『命』をもっているのだから……殺さないで、沢山殺して殺して殺して殺して……(略)神様はいるのですか……助けて下さい……〉(二月二日)
【145】
Re:「命は大切」
道浦俊彦
- 04/6/12(土) 16:05 -
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たしかにそうですね。特にマスコミで学校の対応について「命の大切さ」について云々と、伝えることにも問題があるのかもしれません。要約するとそうなのかもしれないけれども、これだけ「常套句」となってしまった「命の大切さ」というフレーズに、もはや「命」はないのかもしれません・・・・。反省。