もじり、パロディ
Yeemar
- 04/10/25(月) 11:21 -
----
宮本輝『葡萄と郷愁』はまじめな小説ですが、こんな一節があります。
アーギは、一九〇七年に出版されたアディ・エンドレの「血と金」という詩集におさめられているその詩を諳{そらん}じることが出来た。これはどう見ても山口洋子作詞「よこはま・たそがれ」であり、まじめな小説の中に流行歌を取り入れたパロディが入っているように見えます。私はここで笑ったのです。
海辺、たそがれ、ホテルの小部屋。
あの人は行ってしまった。
もう逢{あ}うことはない。
あの人は行ってしまった。
もう逢うことはない。(文春文庫p.179)
ところが、調べてみると話はあべこべで、この詩人は実在するようです(Ady Endre, 1877-1919)。山口洋子さんのほうが(穏当に言えば)パスティーシュを行っていたわけ。
この話は「有名」であるようで、無粋独言7(2002.8.14)では「パクリそのものである」と断罪しています。
「葡萄と郷愁」はこの続きがあり、
「自分でも、よく真似{まね}をして作ってたよ。いろんな単語を並べてね。たとえば、この単語だったら、『あの夜、仮面、幸福の庭。あの人は行ってしまった。もう逢うことはない。あの人は行ってしまった。もう逢うことはない』。そんなふうになるんだ。〔……〕」この詩が実際にいろんな模作を生んだのか(つまりこの詩は「根岸の里のわび住まい」みたいなものか)、それとも、宮本輝氏が日本の歌謡曲を暗に批判したのか(これは深読みですね)。
【501】
Re:もじり、パロディ
田島照生
- 04/10/26(火) 1:27 -
----
私を見捨てて他に花が
咲くと思うか義理知らず
たとえ他に花咲いたとて
私の怨みで皆殺し サノヨイヨイ
(以下省略)
はじめ見たとき、梶芽衣子の『怨み節』を想起してしまいました。ご存じかもしれませんが、これは「田川三井炭坑・撰炭節」という歌で、「月が出た出た」でお馴染みの「炭坑節」のもと歌なのだそうです。
つい最近、新藤謙『流れ者歌謡考』(ブロンズ社,1971)を読んではじめて知りました。むしろ、もと歌のほうがパロディの様に感じられます。
また、以下のようなパロディがあります。これは以前、どこかで聞いたか読んだかしたことがある筈なのですが、有名なパロディだったのでしょうか。
「『教育勅語』は『朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ』と始まるのだが、中学生ともなると、『ちんおもうに、われこそこそと、くじりはじめることのうえんに』などという替え文句を上級生から教わって、その方も暗誦していたのである。きびしければきびしいだけ、その反動も大きい。きびしさの裏にはまた、逃げ道もあったのである。」(駒田信二『漢字読み書きばなし』文春文庫1994,p.12)
【503】
Re:もじり、パロディ
岡島昭浩
- 04/10/26(火) 23:42 -
----
本歌どりでも、石原裕次郎の方を先に知ったら、そうなるのかとも思います。
それから、先ほど検索して謎が解けかかっているのですが、五木寛之の『青春の門』に、「流れ流れてさすらう旅は 今日は函館明日は釧路」というのが出てきて、これは「旅の終わりに」ではないかと思ったことがありました。作詞者名は五木寛之ではない。
誰となく歌われていたものが、五木寛之によって書きとめられもし、歌謡曲にもなったのだろうか、と思っていたのですが、作詞者名は違う(立原岬)ものの、これはやはり五木寛之の作詞によるものらしいですね。『旅の終わりに』という小説があるのでした。
【504】
Re:もじり、パロディ
KS
- 04/10/27(水) 10:22 -
----
▼岡島昭浩さん:
>それから、先ほど検索して謎が解けかかっているのですが、五木寛之の『青春の門』に、「流れ流れてさすらう旅は 今日は函館明日は釧路」というのが出てきて、これは「旅の終わりに」ではないかと思ったことがありました。作詞者名は五木寛之ではない。
>これはやはり五木寛之の作詞によるものらしいですね。『旅の終わりに』という小説があるのでした。
「艶歌」と言う短編小説をTVドラマ化したときの挿入歌(小説の中では主人公「演歌の城?」が作ったヒット曲)だったと思います。記憶が定かではありませんが、ドラマの中の歌詞はチョッと違ったような気がしますが…。
【507】
Re:もじり、パロディ
Yeemar
- 04/10/28(木) 2:16 -
----
▼岡島昭浩さん:
>それから、先ほど検索して謎が解けかかっているのですが、五木寛之の『青春の門』に、「流れ流れてさすらう旅は 今日は函館明日は釧路」というのが出てきて、これは「旅の終わりに」ではないかと思ったことがありました。作詞者名は五木寛之ではない。
「旅の終わりに」は知りませんが、よく似た「流浪の旅」(後藤紫雲作詞、大正時代の歌)は知っています。
流れ流れて 落ち行く先はというものですが、「旅の終わりに」は「流浪の旅」の替え歌とか、パスティーシュという位置づけなのでしょうか?
北はシベリア 南はジャバよ
「流浪の旅」の56年後に発表された曲ですからその時点では著作権は消滅していなかったのではないでしょうか。詞もメロディーもよく似ていますから五木氏、菊池氏の作詞作曲とするのは問題があるのではないかと思いますがどうでしょうか。