# 「ライオン」の話
Yeemar
- 04/6/16(水) 22:09 -
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「ライオン」の話
の続きです。
病気の名前が分かってほっとしたという話。「朝日新聞」(夕刊)2004.06.16 p.9「三谷幸喜の ありふれた生活211」に
帰宅してパソコンの前に座ったら、いきなり腰のあたりに痛みを感じた。最初は冷房が利きすぎて、体が冷えたのかと思った。(略)もっともこれは、死病ではないらしいと分かってほっとしたのでしょうから(手遅れになればともかく)、「得体のしれない猛獣の名前が分かって安心する」というのとはちょっと違うかもしれません。
床に転がり、痛みが治まるのを待つが、よくなる気配はまったくなかった。自分の体の中で、何か大変なことが起きている。(略)
妻の運転する車で、近くの病院に駆け込んだ。その間も痛みは激しくなるばかり。これまで大病をしたことがないから、ここまで痛いと、かえって新鮮な感じがした。ほんのちょっとだけ(僕は今日中に死ぬのだろうか)と思った。
診察後、腎結石の疑いがあると、先生に言われた。得体{えたい}の知れない痛みに、名前がついたことで、ほっとする。ほっとはしたけれど、それで痛みが治まるわけではない。
【603】
Re:# 「ライオン」の話
岡島昭浩
- 04/12/18(土) 22:14 -
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ちょっと違うのですが似ているので。
『木下順二作品集II おんにょろ盛衰記』(未来社 1961.7.5)の「解説対談」での木下氏の発言。
そういう感性的にもね、こまかく分けて考える考え方と、一方でそいつを概念として概括する表現との両方がなければならないわけで、極端な話が例の有名な、ライオン一匹一匹に名前がついている未開社会、それをライオンとして一つの概念としてとらえる能力がないという、これはちょっと極端だけれども、そこんところが方言をこまかく使ってゆくとわからない場合がいろいろと出くるわけです。
【604】
Re: 「ライオン」の話 #
Yeemar
- 04/12/19(日) 7:29 -
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>こまかく分けて考える考え方と、一方でそいつを概念として概括する表現との両方がなければならないわけで、
「黒一点、白一点」に孫引きした金田一春彦氏のいわゆる「言語にはその分析能力と同時に綜合能力があり」ということですね。