石原千秋「秘伝 中学入試国語読解法」(新潮選書,1999.3.30, 1999.7.10 7刷)
p.53 で、小学校国語の或る学習用プリントの模範解答を誤答としています。
(長いので、問題文の引用を省略します。これだけでは、何が何だか
分からないと思いますが、御容赦)。
問題は、傍線部(2)の「このなぞ」の方である。常識から考えて、また、日本語
の正しい使い方から考えて、答えは傍線部(1)の「これ」と同じところになる。
ところが…解答によると答えは傍線部(2)の次の行の…だという。解説には「少
しむずかしい指示語の問題を出しました。」などと書いてある。「むずかしい」
どころではない。答えが間違っているのである。
とあります。問題文の一部しか引用されていませんが、それを読んだ限りでは、
傍線部(2)の「このなぞ」が直接に指す部分は文中には存在せず、従って、問題
の要求の様に「…というなぞ」という形にする為に「…」を本文中から書き抜
くとすれば、(字数制限に拘わらず)模範解答の如くにならざるを得ないのでは、
と私には思えます。
「答えが間違っている」というのは、設問を「「このなぞ」は何を指すか」と
読み間違えた、パタン化された反応によるものではないでしょうか。
この問題自体が、そういう反応を予期して作られたものの様にも思われます。
皆様、如何お考えでしょう。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 1999年 7月 20日 火曜日 22:08:02)
この際ですので、問題文を引用いたしましょう。
ツバメやガンなどの渡り鳥は、一定の季節になるとかならず大海を渡り、山野を越えて、日本に飛んでくる。そのような渡り鳥は、なぜいつも方向をまちがええずにきちんと飛んでくるのだろうか。(1)これは大きな「なぞ」の一つである。
ある人は、「それは本能だよ」と一言のもとにかたづけてしまうかもしれない。確かに本能にはちがいない。
しかし、なにもかも本能でかたづけるわけにはいかない。それぞれの動物が、どうしてそのような本能をもつようになったか、それを、一つ一つ具体的に追求し研究していかなければ、(2)このなぞは解けない。
では、動物は、どうやって自分が進んでいく道を知るのだろうか。
そして問題は
――線部(2)「このなぞ」とは、どのようなことですか。「……というなぞ」と答えたいと思います。「……」にあてはまる部分を本文中から三十字以内でさがして、最初の三字と最後の三字を書きぬきなさい。
模範解答は
「動物は、どうやって自分が進んでいく道を知るのだろうか。」
石原氏の答えは
「渡り鳥は、なぜいつも方向をまちがえずにきちんと飛んでくるのだろうか」
……となっています。石原氏は「『この』という指示語は、ごくごく少数の例外を除いて、それより前の言葉を受けるために用いられる」ため、「答えが間違っている」と主張しています。
さて、豊島さんのご趣旨は「設問では〈「このなぞ」の「この」はどの部分を指すか〉と問うているのではない、要するに〈「このなぞ」の内容をまとめよ〉と言っているのであるから、「この」より後ろが解答になっても差し支えない」ということと拝見しました。
私も賛成です。がしかし、一抹の不安を申しますならば、かような設問によって、小学生が「『この』という指示語は、後ろのことばを指すためにも使われうるのだ」という誤解をしないかと心配します。やはり良問とは言いにくいように思います。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 7月 30日 金曜日 15:31:37)
私も、ようやくこの書の該当箇所を立ち読みしました。
豊島さんの「傍線部(2)の「このなぞ」が直接に指す部分は文中には存在せず」という気がします。
「渡り鳥は、なぜいつも方向をまちがえずにきちんと飛んでくるのだろうか」ということに代表される「動物は、どうやって自分が進んでいく道を知るのだろうか」というような、動物の本能によると言われる諸行為、その不思議さ、というなぞ
でしょうかね。悪問に悪文ですが。