2005年10月17日

わたしが作った #

【314】
わたしが作った #
 岡島昭浩
 - 04/8/22(日) 10:56 -
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「わたしが作った」の続きです。

「この人が作った」の姉妹編。

岩波文庫『戊辰物語』所収の「五十年前」は大正十五年の「東京日日新聞」に連載されたものとのこと。164頁。
今の柔道というのは真揚流と起倒流とを折衷したもので、わしが初めて柔道と名称《なづ》けて、この一派を開いたのさ。(中略)柔道に初段とか二段とか段を設けたのも、わしの創案で、この頃は剣術でも弓術でも道の字を用いて段をつけるのはわしの専売特許を侵すものだよ。

(加納治五郎翁談)



【384】
Re:わたしが作った # 「貢献」
 岡島昭浩
 - 04/9/19(日) 17:01 -
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『新公論』 大正3年4月号「言語に依て知らるゝ文明と外国関係」上田敏(「新布教」4号よりの転載)
 新聞記者、翻訳者なども盛んに新しい言葉をこしらへます。「少なくとも」「我輩は」「社会」「哲学」などゝ云ふ語は皆新しく作られた言葉です。英語のコントリビユート(contribute)と云ふ語は「寄付する」「捧げる」と云意味であるが、私はそれを貢献すると譯してからは、此頃では盛に使はれて居る様です。又「體讀」と云ふことも、慥か高山樗牛氏が造られた語だと覚えて居ます。




【386】
Re:わたしが作った #「野鳥」「探鳥」
 岡島昭浩
 - 04/9/22(水) 10:44 -
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『人・その世界 スタジオ102土曜インタビュー』日本放送出版協会 昭和52.8.20。

中西 さんざん雑誌の名前を考え、苦労しましてね。結局「野鳥」という言葉を考えだした。−−野のものは野に置けという姿勢です。それまで野鳥という言葉はなかったんですよ。初めて私が考え出した。
高梨 いま“野鳥を愛しましょう”なんてさかんに野鳥という言葉を使うけれども、これは中西さんがおつくりになったんですね。
中西 まったく私の造語。このごろやっと社会に定着した……。
高梨 そうですか。長年知らずにただで使わせていただいておりました。
中西 いや、どういたしまして。やっと国語になりました。
 それから「探鳥会」ね−−山野に鳥を探る。この探鳥会という言葉もね、あんまりいい言葉じゃないけれども、やっと定着しましてね。(中略)探鳥という言葉と、西洋でいっているバードウォッチングという言葉を結びつけたのが私という意味です。(中略)私の主張が四十年かかってやっと通りました。(p169-170)

聞き手は高梨英一アナウンサー。昭和五十一年五月の談話。



【387】
Re:わたしが作った #「野鳥」「探鳥」
 岡島昭浩
 - 04/9/22(水) 11:42 -
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実際には、「野鳥」は日葡辞書にもあることば。



【388】
Re:わたしが作った #「探鳥」
 岡島昭浩
 - 04/9/22(水) 12:07 -
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「探鳥会」が中西氏によるものであることついては、『60年代ことばのくずかご』で指摘されています。また、『最近日本語事情』にも。



【389】
Re:わたしが作った #「野鳥」「探鳥」 余談で失礼
 佐藤
 - 04/9/22(水) 20:39 -
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>中西 いや、どういたしまして。やっと国語になりました。


中西悟堂ですね。日本野鳥の会の産みの親。この文脈なら現代ではまず「日本語」となるところでしょうが、当時の中西あたりの年齢の人だと「国語」がさらりと出てくるのでしょうね。

日本で最初の探鳥会は悟堂が開いたのですが、金田一京助も参加したとか。
http://www.kissnet.ne.jp/fs/sdiary/sdiarys/547nobioka/2.html(2004/04/29分参照)



【390】
Re:わたしが作った #「野鳥」「探鳥」 余談で失礼
 岡島昭浩
 - 04/9/23(木) 0:13 -
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▼佐藤さん:
>中西悟堂ですね。


あれま、失礼しました。アナウンサーだけ注釈して、肝心の人の名を書き忘れていました。

>日本で最初の探鳥会は悟堂が開いたのですが、金田一京助も参加したとか。
>http://www.kissnet.ne.jp/fs/sdiary/sdiarys/547nobioka/2.html(2004/04/29分参照)


ほおぉっ(感嘆)。柳田国男もですか。調べて見ると、新村出も発起人に名を連ねていますね。



【420】
Re:わたしが作った # 「大衆・大衆文芸」
 岡島昭浩
 - 04/10/2(土) 23:47 -
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小林信彦『面白い小説を見つけるために』(光文社知恵の森文庫 2004.5.15。『小説世界のロビンソン』の改題)の第十八章(p202)。そこに、白井喬二『さらば富士に立つ影』(六興出版)からの引用があります。
 雑誌『大衆文藝』の「大衆」の語であるが、これを民衆の意味におきかえたのはぼくであった。元来、この語は昔からあるけれど、それは仏教語として存在するだけだ。多くの信徒のことをダイス、ダイジュウと濁って発音して単なる民衆の意味はなかった。それをタイシューと清く読んで民衆の意味に用いた。一種の新造語である。(中略)「大衆文芸」と四字にまとめたのは恐らくマスコミであろう。




【556】
Re:わたしが作った #「民間学」
 岡島昭浩
 - 04/11/23(火) 17:37 -
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「民間学」という言葉は、鹿野政直がその著書の題名にはじめて使った。それまでに「民間史学」という言葉はあったが、鹿野は、その考え方を史学よりも広くとり、柳田国男らの民俗学、柳宗悦らの民芸研究、今和次郎の考現学にあらわれた共通の学風としてとらえた。

『民間学事典』1997.6.10三省堂「刊行のことば」。「鶴見記」とあるが、「鹿野政直・鶴見俊輔・中山茂」の三名の連署もあるので、「わたしが……」としました。



【557】
Re:わたしが作った #「民間学」
 佐藤
 - 04/11/23(火) 19:42 -
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たまたま私の背後の書棚に雑誌があり、また、語の起源から現在までを造語者本人が語るという面白い例でもあるので掲げてみます。
 面はゆいことながら、「民間学」とはわたくしの造語である。在野の学問つまりアカデミーのそとに一定の体系性を打ち立てつつ結実した学問を意味し、家永三郎が、山路愛山らの史学を「民間史学」と呼んだのにならって、提出してみた呼称である。一九七〇年代半ばから使いはじめ、そのなかでだんだん形をなしてきた考えを、八三年、『近代日本の民間学』(岩波新書)としてまとめた。日本語として定着したとは、とてもいえないだろうが、学問を考えるに当っての一つの軸としては、不安定ながら認知されてきたようにも観測される。(鹿野政直「「民間学」とは何か」『国文学 解釈と鑑賞』1992−1)




【558】
Re:わたしが作った #「野鳥」「探鳥」 余談で失礼
 佐藤
 - 04/11/23(火) 20:16 -
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▼岡島昭浩さん:
>>日本で最初の探鳥会は悟堂が開いたのですが、金田一京助も参加したとか。
>>http://www.kissnet.ne.jp/fs/sdiary/sdiarys/547nobioka/2.html(2004/04/29分参照)

>
>ほおぉっ(感嘆)。柳田国男もですか。調べて見ると、新村出も発起人に名を連ねていますね。


中西悟堂は歌人・詩人だったんですね。それで、文系の学者に人脈があったのでしょうね。
http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bungaku/writers/nakanis/nakanisJ.htm



【767】
Re:わたしが作った # 「活動写真」
 岡島昭浩
 - 05/3/22(火) 16:26 -
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『明治事物起原』遊楽部、「活動写真の始め」
愈々興行するにしても、原名のバイタスコツプでは覚えにくいから、日本風に誰にも分る名にしたが好いと茲で三人が、活動幻灯が好からう、イヤ活動写真が好からうなど相談したが、トゞの詰り活動写真と銘打つ事に極つた。実に活動写真といふ名称の名付け親は、私(杉浦誠言)と、柴田と福地(桜痴)とこの三人なのです。

柴田は、「新井商会の主人の友人に米国に帰化した柴田といふ人が、バイタスコツプと称する機械と其機械の技師米国人シツクといふ者を連れて渡来した、このバイタスコツプ今日の活動写真なのである。」

その少し後に、
 (四)活動写真の命名者 活動写真の名付け親は誰かといふに、福地桜痴といふ説、もつとも普通なるも、杉浦誠言は、杉浦、柴田、福地の三人なりといひ、十文字大元は、自分の命名なりといひ、荒木和一も、福地氏はこれを自動写真と命名してゐたれど、予は、生きて動くものを見るものなれば、活動写真機と命名したりといひ、命名者はいまに確認せざるがごとし。四十年冬脱稿の、著者の『事物起原』には、全部活動写真幻灯の名にて記載したりき。



加茂正一『新語の考察』では、福知桜痴の造語とするが、米川明彦氏の『新語と流行語』南雲堂の「新語の作り手」には継承されていません。


この記事へのコメント
上に書いた「民間学」ですが、森鴎外が使っていました。意味は異なるようですが。また、翻訳語のようですね。

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精神啓微ノ評
 我邦ノ識字社会ハ又タ一ノ民間学《ポプレール》ノ書ヲ得タリ中野(呉)氏ノ精神啓微是レナリ然レトモ余ノ所謂、民間学ハ彼、毫釐モ学問上ノ価値ナキ兎園冊ヲ指スモノニ非ス我邦ニモ近世、「普通」ト題シ「通俗」ト題シタル書ハ多ク出デタレドモ其録スル所、大抵妄誕無稽ノ説ノミニシテ却テ毒ヲ世間ニ流シタリ是、豈民間学ト名クベキ価アルモノナランヤ余ノ所謂、民間学ハ専科ノ学者間ニ行ハルヽ一種ノ学問上ノ符牒ノ如キモノニテ記シタル書ヲ余所ニシテ世ノ字ヲ識リ文ヲ学ビシモノ丶翫味ニ供スベキ悃誠ナル著述ヲ謂フナリ譬ヘパフオグト、ビユヒネルノ書、ドユ、ボア、レーモン、ヘルムホルツノ演説ノ如シ又タ彼、ヴイルヒヨウ、ホルチエンドルフノ両家ガ累年纂集シテ世ニ公ニスル「ポプレール、ヴイツセンシヤフトリツへ、フオールトレーゲ」ノ如シ今ノ世ノ学問ハ実ニ多岐トナレリ、故ニ一科ヲ専修スル学者ハ他科ニ精通シ難シ而レトモ
縦令、之ニ精通セザルマデモ其一斑ヲ窺ハント欲スル事アリ是ニ於テヤ学者モ亦タ民間学ニ待ツ事アリ今ノ世ノ人事ハ実ニ多般ナリ、故ニ彼、世間ニテ人物視セラレ政治社会等ニ奔走スルモノモ苟クモ鋭眼果断ヲ能クセントスルニハ種々ノ学問ノ一隅ヲ窺ハザルベカラズ是ニ於テヤ学者ニ非ザル人物、所謂、教育アル人物モ亦タ民間学ニ待ツ事アルナリ  若シ此意味ヲ以テ民間学ノ語ヲ解スルトキ渠ハ決シテ世ヲ誤ルモノニ非ズ毒ヲ流スモノニ非ズ、否沢ヲ及ボシ芳ヲ伝フルモノナリ況ヤ人文ノ未ダ開ケザルニ当テハ民間学アツテ専門学ナシ其或ハ以テ専門学トナスモノハ民間学ニ過ギズ
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『鴎外選集11巻』(1979.9)p186による。小堀桂一郎氏の解説で気づきました。
Posted by 岡島昭浩 at 2006年10月03日 18:11
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