「終える」と「終わる」
畠中敏彦
- 05/4/4(月) 11:54 -
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けさの新聞のスポーツ欄で「イチロー最終戦無安打で“終える”」(オープン戦)
とありました。
これが“終わる”であれば、目にとまらなかったのですが、ちょっと気になりました。
考えるに、“終える”はオープン戦が終了しましたと客観的事実の記述であるが、
“終わるは”最終戦も期待したが結局、無安打で終了しましたとする「評価(主
観)」が介入しているのではないか、と感じますが。
以上は、僕の個人的な印象ですが、みなさまのお考えはどうでしょうか?