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2004.02.08のNHK「新選組!」で、家を辞去しようとする訪問者に対し、沖田惣次郎(藤原竜也)が笑みを浮かべつつ胸元で小刻みに手を振っていたのが目に止まりました。つまり、「バイバイ」という趣。
幕末の人は「バイバイ」をしただろうかという疑問が浮かびます。しなかったという確信もありません。しかし、どうも西洋渡来のジェスチャーのような気がします。とりわけ、胸元で小刻みに手を振るのは、最近の若い日本人のジェスチャーではないかと思います。
川端康成「伊豆の踊子」(1926)では、別れの場面で「栄吉はさっき私がやったばかりの鳥打帽をしきりに振っていた。ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始めた」とあります。何かを持って振っているジェスチャーです。
島崎藤村「春」(1908)には「その隣国の兵士等が馬車の窓から手を振って、帰郷の喜悦{よろこび}を示した時」とあります。
いずれも相手に居場所を知らせるために振るもので、さしずめ「ここにいますよ」という意味でしょうか。沖田惣次郎の「バイバイ」のジェスチャーは、目の前でするのですから、これらとは違うことになります。
「手を振る」というジェスチャーは、このほか、「だめだめ」と禁止を表したり、「もう結構」と遠慮を表したり、「大丈夫」と安心させたりするときにも使われます。「手を振って笑う」というのもあり、芥川龍之介「煙草と悪魔」には「伊留満は、帽子をあみだに、かぶり直しながら、手を振って、笑った」とあります。このジェスチャーはちょっと私にはぴんと来ませんが、前後を読むと、笑いながら否定しているということのようです(そもそも、帽子をかぶっているときに手は振れないのではと思いますが)。
すぐ目の前で「バイバイ」の意味で手を振る例は、昔の文学作品には見つかりませんでした。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 16日 火曜日 22:52:56)
ジェスチャーを書き留めたものを蓄積してゆくと、面白いことでしょう。
その手の辞典が、出ていますが、手許にはありません。しかし、多分、文章の用例は少ないのではないでしょうか。
「手を振って別れた」「手を振って出迎えた」「手を振って否定した」のようなものでは、多数ありすぎると思いますので、説明しているものが望ましい、と思います。
人差し指の先で、自分の顔にすーっと一本線をひいて見せた。つまり顔の刃物傷で、暴力団員の意味だ。(草野唯雄『アイウエオ殺人事件』光文社文庫1990.3.20 p117)
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 16日 火曜日 23:29:18)
手を振って否定(禁止・遠慮・「いやもう大丈夫です」)するときは、手のひらが相手を向いておらず、拝むときのように小指の側が相手を向いているのがスタンダードでしょうか。バイバイは手のひらが相手を向いていますから、そこに違いがありそうです。
このようなディテールまでは望めないにしても、古い文献に「さらば/\と手を振りて云々」という文句があれば、それだけでもおもしろいと思います。しかしあるでしょうか。
手元にはジェスチャーを集めた本として、金山宣夫『世界20ヵ国 ノンバーバル事典』(研究社1983)があります。ある動作の意味が国によってどう変わるかが比較対照されており、興味深いものです。しかし、バイバイはあまりに自明であるせいか載っていません。もっとも、載っていても現代のことしか分からないでしょうけれども。
佐藤 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 17日 水曜日 09:44:22)
古いところで、有名すぎるかもしれませんが「袖振る」。説明のあるものだと……
……阿胡の海の 荒磯の上に 浜菜摘む 海人娘子らが うなげる 領布も照るがに
手に巻ける 玉もゆららに 白栲の 袖振る見えつ 相思ふらしも(万3243)
ちょっと面白いなと思ったのが次の歌。「別れ」と「袖振る」が共起します。別れ際に
手を振ることの早期の例なのか。あるいは「すべなみ」なので、臨時的なものと見るべきか。
白波の 寄そる浜辺に 別れなば いともすべなみ 八度袖振る(万4379)
→ テキストはこちらから引用しました→万葉抜粋・袖
booko さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 17日 水曜日 14:57:31)
私の感覚では、「バイバイ」というときに手を振るやり方は、
日本のものとしてそれなりに定着しているように思います。
以前の職場には欧米人が多くいたのですが、日本人のように
「バイバイ」と手を振るのは、あまり見たことがありません。
少ない経験から申し上げていいのかどうかわかりませんが、
どちらかというと"Bye." "See ya." "Cheers."などの言葉と
ともに1回手を上げて下ろす、もしくは相手に手の平側を向けて
軽いグー・パーを2〜3回素早く繰り返す、といったタイプを
見た気がします。
確かにYeemarさんがおっしゃるように、幕末の日本人が、
しかも男性がそのような手の振り方をしたのかというと、
そこは甚だ疑問であり、不自然に感じられます。
私の持っている英会話のテキストに、確かジェスチャーを
扱った項目がありますので、こんど見てみますね。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 17日 水曜日 14:58:34)
ああ、なるほど、万葉の「袖振る」がありましたね。「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」。佐藤さんご引用の「領巾(ひれ)」は襟に掛ける長い布ではないかと思いますが、これも振られたようで、
松浦県佐用比売の子が領巾ふりし山の名のみや聞きつつ居らむ(万868)とあります。後段に、この松浦サヨヒメのエピソードが記されています。朝命で海外派遣される恋人の船を遠く望んでひれを振ったというのです。その場所はひれふりの峰と名づけられたとのこと。
このころから伊豆の踊子に至るまで、「白いもの」を振る伝統はあったわけですね。
日本書紀歌謡にもひれを振る歌があります。「大葉子は領巾振らすも日本へ向きて」。
ただ、手そのものを振るのでないところが惜しまれます。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 17日 水曜日 15:38:54)
こちらに言魔さんが「ダイヤル、チャンネルを「まわす」」と言ってしまうということを書いておられますが、私はジェスチャーをも伴うのです。
「じゃあ、あとで電話するから」などと人に言いつつ、無意識に、左手を拳にして耳に当て、右手は人差し指を突き出してぐるぐる回している。相手はけげんな顔をする。
または、「テレビのチャンネルを切り換えて……」と言いつつ、つい、右手で丸い取っ手のようなものをつかんでくるくる回す仕草をする。時代錯誤なふるまいであることに気づいて苦笑する。
再三、これをやってしまう。直らない。もしくは、靴を入れても下駄箱、シャープペンシルを入れても筆箱であるしするから、最新型プッシュ式電話を形容するにダイヤルを回す仕草を以てしてもよいではないかと開き直っている。
語彙だけでなく、ジェスチャーというものも、一度身についたものはなかなか訂正が難しいと思います。
NISHIO さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 19日 金曜日 01:18:09)
手話の世界の「
電話をかけるジェスチャー」を若者がふつうの会話で使っているのを何年か前からよく目にするようになりました。
私は手話専用だと思っていたので、アメリカンホームダイレクトのテレビコマーシャル(*)で見たときは意外な印象を持ちました。アデランスのコマーシャルでも辺見えみりがやっていたような気がします。
→ (*) ハンドフォン(話をかけるジェスチャー)
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 19日 金曜日 08:38:58)
親指と小指を立てて耳に当てるのは、手話にあるのですね。
漫才などでこのジェスチャーをよく目にするようになり、「手を拳にして耳に当てる」では今の携帯電話らしくないのだと納得していました。
アメリカンホームダイレクトのテレビコマーシャルは
1997年9月に日本初の「リスク細分型自動車保険」を発売して以来、様々なTVCMを放映してきましたが、すべて"ハンドフォン"(電話をかけるジェスチャー)をシンボルとしています。ということで影響力が大きかったのでしょうか。
1995.07.24放送のフジテレビ「HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP」では、松本人志氏が(漫才の一場面として)右手の拳を握って耳に当て、電話をかけるジェスチャーをしていました。その後2年ぐらいのうちに変わったのでしょうか。