1999年06月16日

雑談(岡島昭浩)


 某夫人が、コロンビア大学を修了したとか卒業したとか聴講したとかいう、「学歴詐称」事件がワイドショーで盛んに言われているが、それで思い出すのが、先日の国語学会での清水康行氏のご発表「上田万年の欧州留学に関する記録」。

 清水氏は、上田万年の年譜から得られる情報をもとに、ベルリン大学とライプチヒ大学に照会FAXを送ったところ、ほぼ一週間後に両大学から、資料がコピーで郵送されてきたということである。おそらく即日処理であったろうと。100年以上まえのことですよ、凄いですね。

 ワイドショーの方も、マスコミ各社が勝手にコロンビア大学に電話掛けて聴くんじゃなくて、ちゃんと文書で、「はい、このとおり一切記録に残っていません」て見せればいいと思うんだけどね。同じ内容であちこちから問い合わせがあると面倒だと思うけどなあ。



岡島 さんからのコメント

( Date: 1999年 7月 23日 金曜日 14:24:42)


とにかく暑いです。私の研究室では脳みそが煮えそうです。

図書館では、いつもはパソコンのまえは人がいっぱいなのに、今はなぜか人影すくないのです。
試験に備えて勉強するには、パソコン机ではやりにくいのでしょう。

今日、ようやく授業が終わって、来週が試験。8月2日に会議があって、それでようやく夏休みです。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 1999年 11月 12日 金曜日 11:46:46)


 これ、いいなあ。

質問マイクの前に並ぶ方式



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 1999年 11月 12日 金曜日 12:03:25)


 書店で、書店の人が電話を掛けている。

「こちた○○書店と申します。いつもお世話になっております。○○という本をお出しかと思うのですが、正確な題名は分からないのですが、……」
(電話の相手が変ったらしく、しばらく経って同じことを繰り返す)
「……、はい、注文なさった方もうろ覚えの題名で申し訳ありませんが、それが品切れかどうかを。え? ニッパンショージ? 電話番号。はあはあ」
(日販のことかな。なんで取り次ぎに回さないといけないのか)
「もしもし、お伺いしたいのですが、○○書店の○○というシリーズ、在庫ございますでしょうか。」
(なんだ、○○書店か。大手じゃないか。取り次ぎに回すのか。ひどい話だ。)
「え? ○○が付くんですか。注文なさった方もうろ覚えの題名で申し訳ありません。あ、ございますか。それお願いしたいのですが」
(この書店、日販と取り引き有るのかな?)
「え? 前金ですか?」
(わっ。そうきたか)
「あの、普通ですと、直接注文の場合には、一ヶ月後……。確実に注文を受けましたので。商品と請求書と納品書。え? 納品書はない、はー。あ、faxで正式に注文を。はい」

うーむ。ひどいな。願わくは、定価で請求してこないことを。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 30日 金曜日 21:35:02)

 サーバーがクラッシュしたときにバックアップが随分前のものだったという私だから、あまりえらそうなことは言えないのですが。


 ある研究会から郵便が来ました。研究会のお知らせです。その中に、通信料節約のためにメールによる案内に移行することを考えていると有り、ついてはメールアドレスをこれこれのアドレスに送ってくれ、と。


 送った。User Unknown で帰ってきた。打ち間違えかと思って確かめたがそうではない。問い合わせてみようと思い、ページを探してみると、連絡先のメールアドレスも同じだった。


 一週間経ち、そろそろ治っているかもしれないと思い、再挑戦したが結果は同じ。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 04日 水曜日 18:37:18)

 冬樹社『遊字典』という本があり、これは後、角川文庫・講談社+α文庫にはいっています。これの1974年7月20日初版第一刷を見ていて気づいたのですが、この本の印刷時の題名は「漢字表現字典」だったのでしょうか。「冬樹社 漢字表現字典□□□□□ 十三折」というのが見えました。そういえば「Prefaceのようなメッセージ」「凡例=モノローグ」にも題名は見えません。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 19日 日曜日 18:09:42)

「皇室と日本語」というスレッドにするほどではないので、雑談にします。「ひながた」というスレッドを立ててもよいのかもしれません。


昨日、歌会始があり、皇室の方々の詠んだ十二首の歌の内、三首が「幸おほかれとわが祈るなり」という下の句を持つものでした。

私は、朝刊で読んだ、通信制高校における作文で、クラスの皆が同じ作文を出した、という話を思い出しました。これはクラスメートが見せあったのではなく、サポート校の指導によるものと言うことでした。


皇室の方々も見せあったわけではなく、なにか雛型を元に歌を作ったところ、三人が同じものを選んでしまった、ということではないか、と推察しています。見せあった方がよかったのではないでしょうか。

(これは2004.1.15に書き込んだものですが、サーバの不調により日付が狂っています)



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 04月 04日 日曜日 23:33:09)

○今の兒女輩《じぢょはい》書《しょ》を観《み》ることを好《この》めり。しかれども國字《いろはじ》をその傍《かたへ》に施《ほどこ》さざれば、また遂《つひ》に得《え》読《よま》ず。刊行《かんこう》の書籍《しょじゃく》は書肆《しょし》只|利《り》の爲にするをもて、字として傍訓《つけがな》をなさゞるはなし。よりて閲者《けみするもの》只|傍訓《つけがな》のみ観《み》て、本文《ほんもん》を讀《よま》ず。故《かゝるゆゑ》に讀《よむ》に随《したが》つて、その字體《じたい》を忘《》れて、生涯《せうがい》文義《ぶんぎ》を悟《さとる》によしなし。さばれ傍訓《つけがな》を刪去《けづりさる》ときは、得《え》讀《よま》ず。これを讀《よま》すれば文義を解《げす》に至《いた》らす。古人《こじん》文字を奴《やつこ》にして、文を作《つく》るものは已《やむ》ことを得ざるにあらす。文章《ぶんしゃう》に和漢《わかん》の差別《さぺつ》あり。和にもあらず、漢《》にもあらざるものは、國字《いろはじ》をもて傍訓《つけがな》を施《ほどこ》すべし、しからざれば雅俗《がぞく》ともにこれを讀《よみ》がたし。字音《じおん》は漢字《かんじ》わたりてよりの事なれど、中葉《なかごろ》より音訓《おんくん》をまじへて唱《とな》ふる故に、和漢混雑《わかんこんざつ》の文にあらざれば、俗子《ぞくじ》に解《げ》し易《やす》からず。和文《わぶん》一變《いっぺん》して和漢《わかん》を合《あは》するものはこれによれり。

馬琴『燕石雑志』巻三


posted by 岡島昭浩 at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「あれこれ会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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