どうにも没年が分からない人が居ます。例えば赤堀又次郎氏。『国語学書目解題』の複製には解説がないし、人名辞典には載っていない。古書通信の訃報索引には無い。どうやら昭和十年代の後半までは生きていらしたようだが、その後のことがわかりません。歴史関係のもので復刻されているものもあるようですが、これはどうでしょう。
同じく本居清造氏。『疑問仮名遣』の解説には著者についてのことは無い。
蒔田稲城氏はどうでしょう。『京阪書籍商史』は、復刻版が二種あるようですが、元版しか見たことがありません。
『日本史研究者辞典』とかいうような本が吉川弘文館から出たらしいのですが、そんなのには載っているのでしょうか。
ちょっとTRCで見てみたら、「1235名を収録」だって。ちょっと望み薄。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 10月 18日 月曜日 11:56:03)
昭和二十五年における本居清造氏の足跡。
→ 松阪年表
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 10月 27日 水曜日 15:37:11)
本居清造氏については足立巻一『やちまた』にありました。下巻152頁(旧版)。昭和38年9.7没。八十九歳。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 11月 02日 火曜日 10:59:02)
『日本随筆索引』の太田為三郎。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 11月 02日 火曜日 18:00:37)
『国歌大観』の松下大三郎の共著者、渡辺文雄。同定が難しい。共著者というよりも出資者である、ということを読んだ気もします。
同定が難しいといえば、『名歌辞典』の中村薫。これも元版しか持たないが、NACSIS-webcatで(1914-)と出るのは、復刻版によるのでしょうか。まだご存命?
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 1999年 11月 04日 木曜日 14:50:35)
『日本儒林叢書』などの関儀一郎。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 10月 31日 火曜日 12:17:01)
こんな掲示板が出来ています。
→ 没年調査協力機構
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 10月 31日 火曜日 12:27:16)
近くの図書館に本が置いてあればいいんですがねえ。
→ 皓星社
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 04日 月曜日 1:03:59)
ゴオンチョーを編んだ足利武千代のこと。栃木県の方の郷土資料を探せばわかるかな。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 04日 月曜日 17:37:35)
連濁のライマンの伝記『来曼先生小伝』1937を書いた桑田権平。兵庫県川辺郡小浜村米谷。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 04日 月曜日 17:43:55)
足利武千代について調べるには、栃木県の郷土資料よりもまずこれですね。
→ 足利銀行創立四十年誌
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 04日 月曜日 18:00:42)
『是丈は心得おくべし』シリーズの「加藤美侖」もしくは「加藤美倫」。大正頃の人。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 08日 金曜日 18:08:09)
『現行法律語の史的考察』(昭和5年)の渡部萬藏。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2000年 12月 23日 土曜日 17:59:44)
『日用舶来語便覧』(明治45)の、棚橋一朗の共著者、鈴木誠一。私は大空社の複刻版は未見ですが、それを見て書誌を取ったであろうものが、棚橋氏の没年は書いてあるのに、鈴木氏の没年は書いていないので。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 23日 水曜日 23:20:38)
『日本儒林叢書』などの関儀一郎、ですが、『近世漢学者……』の復刻版(昭和41.4)に、今年十三回忌とありました。越後高田に没す。七十七歳。とのことでした。昭和29年になりましょうか。だとすると著作権切れは2005年1月。
→ 関儀一郎
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 17日 月曜日 11:42:12)
国会図書館の近代デジタルライブラリーで、著作権情報の公開調査が行われています。調査の結果がどのように行かされるのかが不透明な部分もありますが、私が知りたいと思った上記の人々について検索してみました。
赤堀又次郎
本居清造
太田為三郎
渡辺文雄
関儀一郎
足利武千代
渡部萬藏
鈴木誠一
についてが、国会図書館でもわかっていないようでした。
本居清造、関儀一郎については情報提供いたしました。
→ 著作者情報公開調査
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 19日 水曜日 11:57:41)
国会図書館の不明者については、真面目に調査しているのだろうか、と思うものも混じっています。「赤穂義臣伝」中の歌の作者、浅野長矩など。
本題。
渡俊治という、中国語関係ならびに『儒家小誌』を書いた人、早稲田のひとのようですが、わかりそうでわかりません。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 19日 水曜日 12:36:19)
大川茂雄、南茂樹という『国学者伝記集成』コンビもわからない。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 20日 木曜日 09:50:20)
そういえば、太田為三郎は、『帝国地名辞典』の復刻版に、遺族についての情報は書いてあるのに、没年は記載されていないのでした。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 12日 土曜日 10:18:06)
国会図書館の近代ライブラリーの不明者調査ですが、浅野長矩、江島其磧、岡島冠山、羽倉用九、三島毅といった、恥ずかしいものについては消されているようです。恥ずかしいものだけでなく、私の報告したものについてはおおむね消されているようですが、どのような情報が明らかになって不明者でなくなったのかは知ることができず、もどかしい思いが残ります。
このスレッドの上の方に掲げたような、赤堀又次郎のような私も国会図書館も知らなかった人物が、どなたかにより報告され、国会の不明者リストから消えたとしても、どのような情報が寄せられて消えたのかが分からない、著作権が残っているか否かも分からないわけです。
年に一度という、データ追加の際に加えられていれば、著作権なし、と考えたいのですが、「著作権保護期間終了の資料及び著作権の権利処理を行った資料を収録」とあるので、そうとも言い切れない、という悲しさです。
この調査は、近代デジタルライブラリーのためだけの調査である、ということです。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 15日 月曜日 09:57:02)
学士会の会員氏名録が役立つのではないかと思っており、昭和三〇年ぐらいまでのものを五点ほど手に入れておりますが、学士会の会報にも訃報欄があることに気づきました。これも丹念に見て行けばいろいろと情報が収集されることでしょう。旧帝大出身者でも入会していない人もいるわけで、充分ではありませんが、ないよりはましだと思います。
あと、国学院・早稲田など私学関係の人の情報などが収集できるソースがあればよいと存じます。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 24日 火曜日 17:07:09)
まず、上記「加藤美侖」氏がたまたま見つかりました。
小川寅松氏(大正二年に井沢長秀『考訂今昔物語』を刊行した人。尚栄堂)と関係あるのではないかと思い購入した小川菊松氏(誠文堂新光社の創業者)の『日本出版界のあゆみ』(誠文堂新光社 S37.6.1)に載っていたのでした。
292頁に「彼がなくなる昭和二年四月」「三十八才の若さで死去した」とありました。
しかし、小川寅松氏は見当たりません。
さて、たまたま下記のようなものを発見。
他にもあるのかと「著作権者を探し」でググってみたら、これ以外は、おおむねファミコンソフトの著作権者探しでした。
→ 雑誌『住宅』著作権者消息調査
面独斎 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 27日 金曜日 07:09:41)
国立国語研究所のページからです。
国立国語研究所では,博文館から刊行された総合雑誌『太陽』(1895年〜1928年)を対象とした,日本語の資料集「太陽コーパス」を作成し,公開することを企画しています。「コーパス」とは,大量の言語資料という意味で,『太陽』から,1895年,1901年,1909年,1917年,1925年の5年分の全文を取り出した,言語資料集を目指すものです。というわけで、記事の著作権者を探しているようです。300人以上が不明だそうです。
→ 雑誌『太陽』の著作権調査
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 28日 土曜日 11:45:38)
面独斎さん、ありがとうございます。
「有名な名前があるなぁ」と思いましたが、これは没年調べではなく、著作権相続者の調査であることに思い至りました。
没年調べて著作権が切れていなければ諦める、といかないのが、全文コーパス構築の辛いところですね。
しかも公的機関ですから、きっちりとせねばなりませんし。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 01日 月曜日 23:14:39)
太田為三郎氏は、昭和十七年以前に亡くなっていることがわかりました。『出版人の遺文 岩波書店 岩波茂雄』(栗田書店s43.6.1)の三十頁。昭和十七年十二月の『図書』に掲載された「回顧三十年感謝晩餐会の挨拶」です。
台湾総督府図書館設立の任務を帯びて、今は故人となられた太田為三郎先生が突然店を訪問され、図書購入について私の意見を徴せられた結果、一万円の注文をされたことがありました。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 02日 火曜日 17:54:50)
改造社の円本などの編集の欄に名のある「山本三生」氏は、山本実彦氏であるのか、別人なのか、気になっておりますが、今のところ分かりません。
山本実彦氏であれば、伝記などがあります(1885-1952)。『改造とその時代』2冊、『改造と山本実彦』、『雑誌「改造」の四十年』を見て、発行者の「山本美」氏が、(最初の)夫人であることはわかったのですが、山本三生氏はわかりません。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 18日 木曜日 23:23:06)
太田為三郎氏は、『書誌学』の目次を見ていましたら、追悼文が載っていました。それにあたれば、はっきりすることでしょう。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 19日 金曜日 15:58:42)
上記、まだあたっていませんが、昭和10年か11年だと思われます。
太田爲三郎君を憶ふ 橘井清五郎
吉雨太田爲三郎先生を偲ぶ 宮良 當壮
(書誌学第6巻第4号)
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 04月 08日 木曜日 00:21:34)
室松岩雄がわからない。これまた多くの校訂をしています。
語音調(御恩寵に通ズ)徳富蘇峰学人他の賛を得たり
他云々
>今、なぜ足利武千代翁なのですか
ゴオンチョーが、漢語辞典の最後を飾るものであることが、山田忠雄『近代国語辞書の歩み』でも書かれています。
このような本を作った人のことを知りたいと思っているのですが、なぜ今か、と問われると困ってしまいます。もう十年ほど前から気にしてはいるのですが、本格的には調べていませんもので。
岡さんは、なぜ気にされたのか、お教えいただければ幸いです。
新島襄最後の門下にして大正4年漢字混用の不便を取り除かんと又、国語を外国人に授けるために語音調と題し刷刊され友人に配す。
大正5年足利銀行支配人云々
ご逝去の時を教えて下さり、有り難うございます。
ご引用になっている文章は、何に載っているものなのか、もしよろしければ、お教えいただければ幸いです。自伝本や追悼本らしきものは、国会図書館でも見あたらないように思いましたもので、もしあれば知りたいと思います。
また、以前、栃木県立図書館のレファレンスに問い合わせても、あまり分かりませんでした。
であったことが、以下の資料に記されていますので、ご参考まで。
・[恩師太田為三郎先生の思い出」『弥吉光長著作集 』6 日外アソシエーツ 1983.12 p.p.7
ご教示、有り難うございます。
10年になりますが先日古い物をかたずけておりましたら以前お話をしました足利武千代翁の亡くなられた時の新聞が出てきました。又語音調【御恩寵】この辞書に寄せた序文で徳富蘇峰氏の寄せられた原文がありました。
大変時間がかかりましたがこのコメントが岡島様に伝わり御必要であればコピーを送らせていただくことは可能です。
お心遣い、有難う存じます。
よく、こちらを思い出して頂いたものだと,嬉しく存じます。
お送り頂くのは恐縮に存じますので、何新聞であるのかと、当該記事の載る日付をお教え頂ければそれで結構です。
記事の件です。
同志社新報 昭和42年2月1日 第156号です。
翁の特集となっています。
序文はもう少し詳しいと思います。