ディスクジョッキーが使う「世界観」#
岡島昭浩
- 05/5/7(土) 0:29 -
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ディスクジョッキーが使う「世界観」で言及されていたと思われる用法に、3年を経てようやく触れることが出来ました。
ラジオで、「この曲の世界観は……」というようなことを歌い手らしき人がいっていました。「この曲の表している世界は……」というような意味合いのようでした。
「この曲の世界観は切ないんです」だったかな、たしか。
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「水木しげるは「貸本長編」の中で、近代における〈他界〉のありかたを、ひとつの世界観として提示して見せたのだ」が、やや微妙。
「全ての出来事は、この平面上のどこかでつながっているという感覚。そのような世界観の中では……」も、大丈夫なような気もするが、「世界観の中で」が、ひっかかります。
この「世界観」の使い方がずっと気になっております。ただ、現在に至るも、大方の理解を頂けません。私としては「世界感」のようなニュアンス、つまりそのひとの作り出す「世界」の「感じ」とでも思って使っているのかな、と考えています。
この「世界観」の「観」が何を意味しているかを理解するのは、結構難しいのだと、改めて気付かされた誤使用のひとつです。