戦勝60周年
道浦俊彦
- 05/5/12(木) 5:11 -
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5月9日、ロシアで対ドイツ戦勝60周年の式典が華々しく開かれましたが、疑問に思ったのは、
「なぜ50年ではなく60年なのか?」
ということです。私などの感覚では50年の方が「節目」だと思うのですが、何かロシアを始めとした欧米には「60年」を区切りと考えるようなものがあるのでしょうか?還暦?ではないですよね。
50年の時もこのような式典がロシアであったかどうかはわからないのですけど。単に10年ごとの式典なのでしょうか?それとも12進法、あるいは60進法との関連はあるのでしょうか?
【821】
Re:戦勝60周年
面独斎
- 05/5/12(木) 5:40 -
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高知新聞社説より。
「10年前の50周年記念の式典もモスクワで行われた。」
http://www.kochinews.co.jp/0505/050508editor.htm
【827】
Re:戦勝60周年
道浦俊彦
- 05/5/16(月) 21:59 -
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▼面独斎さん:
>高知新聞社説より。
>「10年前の50周年記念の式典もモスクワで行われた。」
そうだったのですか!じゃあ、特に60年を意識していないのでしょうか?
70年も80年も90年も、もちろん100年も、110年もやるのでしょうか?そこまで生きてないので、わかりませんが。
ただ、この高知新聞の中には、
>10年前の式典で軍事パレードには各国首脳も欠席した。ロシアがチェチェン
>の独立を抑える軍事介入を本格化させていたからだ。その情勢は大きく変わって>はいない。エリツィン政権を継いだプーチン政権は、旧ソ連圏への影響力を失う>まいと強権的な内外政策をとり続ける。
というふうに書かれています。
50周年の式典であるにも関らず、各国首脳は欠席したのですね。そしてチェチェンをめぐる情勢はその時と大きく変っていないにも関らず、今回の60周年は出席したのは、やはり50年より60年の方が重要視されているということとでは?
たまたまですかねえ・・・。
【832】
Re:戦勝60周年
面独斎
- 05/5/18(水) 6:28 -
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>50周年の式典であるにも関らず、各国首脳は欠席したのですね。
式典には出席したが、式典の一部である軍事パレードには欠席した――と私は読みましたが……。
【834】
Re:戦勝60周年
岡島昭浩
- 05/5/18(水) 11:09 -
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▼道浦俊彦さん:
>50年の時もこのような式典がロシアであったかどうかはわからないのですけど。単に10年ごとの式典なのでしょうか?それとも12進法、あるいは60進法との関連はあるのでしょうか?
西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。
それを思い出しました。
【835】
Re:戦勝60周年
佐藤
- 05/5/18(水) 12:51 -
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▼岡島昭浩さん:
>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。
柴田武先生ですね。「切手の五枚と六枚」(『日本語を考える』所収)。なにやら懐かしい。
【836】
Re:戦勝60周年
岡島昭浩
- 05/5/18(水) 17:06 -
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▼佐藤さん:
>▼岡島昭浩:
>>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。
>
>柴田武先生ですね。「切手の五枚と六枚」(『日本語を考える』所収)。なにやら懐かしい。
おお、佐藤さん、どうもありがとうございます。実は、「ひょっとして柴田武かも」と書きかけて、なぜそう思うのだろうという自分の感覚が全く説明できないものだったので、消したのでした。
御情報をいただき、すごくすっきりした気分です。
【838】
Re:戦勝60周年
道浦俊彦
- 05/5/18(水) 17:24 -
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▼岡島昭浩さん:
>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。
>それを思い出しました。
あ!確か鈴木孝夫です!私もそんな気がしてきました!確認してみます!
【839】
Re:戦勝60周年
道浦俊彦
- 05/5/18(水) 17:29 -
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>▼岡島昭浩さん:
>>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。
>>それを思い出しました。
>
>あ!確か鈴木孝夫です!私もそんな気がしてきました!確認してみます!
すみません・・・最後まで読んでから書けばよかった・・・柴田武さんですね。読んでみます。ありがとうございました。
【841】
Re:戦勝60周年
satopy
- 05/5/18(水) 22:12 -
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▼岡島昭浩さん:
>>柴田武先生ですね。「切手の五枚と六枚」(『日本語を考える』所収)。なにやら懐かしい。
>
>おお、佐藤さん、どうもありがとうございます。実は、「ひょっとして柴田武かも」と書きかけて、なぜそう思うのだろうという自分の感覚が全く説明できないものだったので、消したのでした。
いや、混線されるのも分かります。1980〜90年ごろって、日本文化論、比較文化論みたいなものがけっこう流行ってましたよね。何か一語で象徴して語らせようというのから始まって(大和魂・間・甘え…… ちょっと懐かしい)。「切手の五枚と六枚」もそのころが初出だったように思います。
【844】
Re:戦勝60周年
NISHIO
- 05/5/19(木) 17:45 -
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▼岡島昭浩さん:
>西洋人は、われわれ日本人に比して、半ダースである6に「ちょうどよさ」を感じるようである、というような文章を、昔読んだ記憶があります。鈴木孝夫だったか、外山滋比古だったか。切手を買うとき、我々ならば五枚買うところを六枚買う、というような内容だったと思います。
洋食器は6客揃え、和食器は5客揃えが基本ですね。奇数を吉とする陰陽思想の影響でしょうか。仏教では「六」も重要な数のようですが。