2005年10月17日

我事におゐて

【1044】
我事におゐて
 Yeemar
 - 05/9/15(木) 2:52 -
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宮本武蔵が書き残した箇条書きの文章「独行道」の中に
「一 我事におゐて後悔をせす」
という一箇条があります(熊本県立美術館蔵、正保2年、こちらで画像検索可能)。

これは、岩波文庫『五輪書』の「独行道」(p.165)では「我{われ}事におゐて後悔をせず。」とルビが振られています。

私は「我{わが}事において」と読むべきものではないかと思います。つまり、「自分のことに関しては後悔しない(他人のことについては、ああもすればよかったろうに、と同情することはあるかもしれないが)」という意味になります。

もし「われ」と読むとすれば、これは主語ということになりますが、他の条には「我」という主語がないのに、この条だけにあるというのはへんです。それに、「ことにおいて」という言い方が不自然です。「われ、何ごとにおいても後悔せず」ならわかるのですが。「われ」と読むことには、何か理由があるのか、わかりません。

ネットでは、「我、事において」と書いている人(「われ」派)と、「我が事において」と書いている人(「わが」派)といます。


この記事へのコメント
自民党党紀委員会が郵政民営化法案に反対した議員について処分を発表、野呂田芳成氏は除名処分と決まりました。「朝日新聞」2005.10.29 p.39によれば、野呂田氏は
(引用)
 除名がただ一人だけだったことについて、宮本武蔵の言葉を引いて「我事において後悔せずの心境。正しいことをやったと思っている」。〔28日のテレビの〕番組のなかで淡々とした表情で話した。
(引用終了)
とのことです。

記事に送り仮名がないところからすると、野呂田氏は「われ、ことにおいて」と言ったのでしょう。「われ」と読むことが一般的であることを示していると思います。

「ことにおいて」という熟した言い方を知りませんが、「ものにおいて」ならば、韓非子の「矛盾」の話で「吾が矛の利なる、物に於いて陥(とほ)さざること無きなり」(吾矛之利、於物無不陥也)というのがありました。同じ調子で「ことにおいて」もありうるのでしょうか。
Posted by Yeemar at 2005年10月31日 02:25
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