この人が作った ##
Yeemar
- 04/5/19(水) 16:54 -
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この人が作ったの続き。
わたしが作ったの姉妹編。
「肩がこる」という表現を初めて使ったのはだれか。これはクイズで、「森鴎外・夏目漱石・樋口一葉・二葉亭四迷」の中から選ぶのでした。おそらく『日本国語大辞典』の用例にあるところから、このようなクイズができたのでしょうが、『日本国語大辞典』の使い方を間違っているというべきものです。
答え、夏目漱石。
「門」に「指で圧して見ると、頸と肩の継目の少し脊中へ寄った局部が、石の様に凝っていた」。
ちなみに、この「肩がこる」という表現は昭和になって庶民に広まったと言われる。〔以上要約〕
(NHK「ためしてガッテン・指圧!3つのお願い」2004.05.18 深夜2:35放送=2004.05.12の再放送)
【85】
Re:この人が作った ##
岡島昭浩
- 04/5/20(木) 0:22 -
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▼Yeemarさん:
>「肩がこる」という表現を初めて使ったのはだれか。
>答え、夏目漱石。
>「森鴎外・夏目漱石・樋口一葉・二葉亭四迷」の中から選ぶのでした。
樋口一葉が入っているのは、『頭痛・肩こり・樋口一葉』がある故の「ひっかけ」でしょうか。
一葉は、肩こりのことをどのように表現していたのでしょうか。日記をみたら書いてあるのでしょうか。
多分、NHKのスタッフが日本国語大辞典を引いたわけではなく、何か〈肩こりの歴史〉について触れた本があるのでしょうね。
【341】
Re:この人が作った ## 「とんでもございません」
岡島昭浩
- 04/9/7(火) 21:07 -
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「とんでもない」をてねいにいったつもりの「とんでもありません」も一つごていねいに「とんでもございません」、というような不思議なことばは、まず耳よりも眼の方からさきに、私たちには気づかれていた。
私の記憶では、昭和十年代にはいってからのことで、その発明者は、大仏次郎あたりではなかったかと思う。
金関丈夫『文芸博物志』法政大学出版局1978 p7
【419】
Re:この人が作った ##
岡島昭浩
- 04/10/2(土) 22:53 -
----
ことばではないのですが。
『茶話』大正7.2.21(冨山房百科文庫『完本茶話(中)』p475)
法学榑士和田垣謙三氏といへば、学生の試験答案を爪先で一つ一つ跳ね飛ばしてみて一番遠くへけし飛んだのへ満点をつけたといふ、立派な採点法を発明したので名高い先生である。
【425】
Re:この人が作った ##「おさらいして…」
Yeemar
- 04/10/4(月) 18:04 -
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梶原しげる『口のきき方』(新潮新書2003.09.20)を読み始めたところで、このような記述に出会いました(p.16-17)。
まず「おさらいしておきましょう」という言い方、私の記憶に間違いがなければこれを最初にテレビで意識的に使ったのは「ニュースステーション」の久米宏さんでした。この番組が始まった当時、久米さんは「中学生にも理解できるようにわかりやすくニュースを伝えることをモットーとする」と言っていました。だからでしょうか、複雑でわかりにくいニュースを扱う際に、中学校の授業を模したスタイルをとることもあり、だからこそ大切なポイントを押さえるときに自然に「もう一度おさらいしておきましょう」という表現を使ったのだと推察します。〔略〕久米さんが言うとしっくりくるのですが、それ以外の人が言うのを聞くと「なんでおさらいなんかしなきゃいけないんだ。テレビで勉強を強制されるのはまっぴらだ」とテレビに突っ込みを入れる私でございます。この最後の「私でございます」もおもしろい。
【428】
Re:この人が作った ##「おさらいして…」
道浦俊彦
- 04/10/5(火) 10:38 -
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「おさらいして」は、NHK教育テレビではもっと古くから使われていたのではないでしょうか?学校現場では普通に使われていたと思われますので・・・。
【433】
Re:この人が作った ##「おさらいして…」
岡島
- 04/10/5(火) 19:55 -
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▼道浦俊彦さん:
>「おさらいして」は、NHK教育テレビではもっと古くから使われていたのではないでしょうか?学校現場では普通に使われていたと思われますので・・・。
「テレビに」ではなく「ニュース番組に」ということなのでしょう。
【528】
Re:この人が作った ## 「めんたいこ」
岡島昭浩
- 04/11/3(水) 23:34 -
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スケトウダラのことを韓国語で「明太《ミョンテ》」というのだが、日本人はこれを「メンタイ」と聞いたのだという。ならば、タラコは「メンタイ」の子というわけで、その塩漬けに「明太子《メンタイコ》」という名前をつけたのが、戦後福岡で「ふくや」という食料品販売店をいとなんでいた川原俊夫さん(故人)である。「メンタイコ」はオリジナルの造語で、立派な固有名詞だったのだ。(p157)
岩中祥史『博多学』新潮文庫 2003.9.1
【530】
Re:この人が作った ## ブティ(チ)ック・ホテル
佐藤
- 04/11/4(木) 20:27 -
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こちらでも田中康夫『いまどき真っ当な料理店』(ぴあ 1996)から。
ブチック・ホテルと十年近く前に僕が『ポパイ』誌上で命名した代物が立ち並ぶ池袋西口の一廓で、この店は営業しています。(182頁)
【559】
Re:この人が作った ##「歌謡曲」「軽音楽」
岡島昭浩
- 04/11/23(火) 22:53 -
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「歌謡曲」という呼び名は、放送局が付けた流行歌の別名で、町田佳声の発案と言われる。また「軽音楽」も、純音楽に対する放送用語で、青木正の発案と言われる。両氏はいずれも元NHKプロデューサー。
足立里見『ポスト歌謡曲の構造』1986.1.31五月社p166
【562】
Re:この人が作った ##「とりたて」(文法用語)
岡島昭浩
- 04/11/28(日) 23:43 -
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「とりたて」という用語をはじめてつかったのは,この本である。XXIVにつぎのようにかかれている。格助詞に似て,しかもそれとまったく異なった助詞に「取立て助詞」というものがある。(中略)だいたい普通の文法でいう「係助詞」に当たる。「係助詞」という名称はいわゆる「係り結び」にとらわれ過ぎた名称であるので,私はこの助詞の本質にかんがみて,あえて新しい用語を造ってみた。
(高橋太郎「宮田幸一『日本文法の輪郭』について」(『解釈と鑑賞』57-1))1948年刊だが、1943年には出るべく印刷所にあったとのことです。
【563】
Re:この人が作った ##「情熱」
岡島昭浩
- 04/11/28(日) 23:59 -
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透谷の造語「情熱」
(略)評論『情熱』(明治二十六年)で、彼ははじめてこの語を用いている。しかも、それは、彼の造語であり、以前には、日本語として存在しなかったもののように考えられる。
藤村が、大正九年の柳沢健『現代の詩及詩人』の序文を書き、(中略)(略)見たまへ、透谷以前に彼が賦与したやうな意味の情熱といふ言葉はなかった。(略)大正九年十月一日 島崎藤村(中略)
島田謹二氏が『近代比較文学―日本における西洋文学定着の具体的研究―』で、「Passionが『情熱』と訳されたのは、一八九二、三年の北村透谷の文章からだという。」と書いている。
(橋浦兵一『明治の文学とことば』評論社 昭和46.6.20 p65-66)
【566】
Re:この人が作った ## 「空弁」
佐藤
- 04/12/2(木) 9:47 -
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12月2日、『とくダネ!』(フジ系)を見ていたら流行語大賞の話題に。
8時37分ごろ、小倉智昭氏が「この番組から生まれたことばですよね。ディレクターが初めて放送するときに「『そらべん』はどう?」と提案したけれど、みんなで「え〜っ?」とか言ってましたよね」(以上取意)。
【607】
Re:この人が作った ##「OL」
田島照生
- 04/12/19(日) 18:15 -
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『女性自身』が「BG」にかわることばを、読者アンケートによって選出したものが「OL」である、ということはあちこちに書かれていますが、そこには実は「一つの詐術が施されていた」のだそうです。
『女性自身』読者による投票の結果(応募総数26,481票)は、
(1)オフィス・レディ 4,256票
(2)オフィス・ガール 4,189票
(3)サラリー・ガール 2,964票
(4)キャリア・ガール 2,894票
(以下略)
ということになっていますが、これは嘘で、一位は「オフィス・ガール」(OG)だったのだそうです。以下にその顛末を引用しておきます。
「BGからOGか。何か新鮮味がないねえ。あまり変わった感じがしないよ」
(中略)
「女性はガールよりもレディと呼ばれたほうが嬉しいんじゃないのかな」
「オフィス・レディか。略してOL。うん、こっちのほうがひびきもいいね」
藤本キャップ以下、私たち(藤本恭、浅井清宏、鬼頭典子、長尾三郎―引用者)はこんな勝手な議論を交わして、最終的に順位を入れ替え、「オフィス・レディ」をトップにもってきた。したがって、誌面に公表された投票総数や票数にも実は水増しされた作意が隠されていた。(長尾三郎『週刊誌血風録』講談社文庫,2004,p.28-p.29)
【612】
Re:この人が作った ## 「イラストレーション」を...
岡島
- 04/12/22(水) 1:15 -
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小林信彦『回想の江戸川乱歩』の小林泰彦氏との対談「もう一人の江戸川乱歩」に、
泰彦 初めてイラストレーションという言葉を使ったのも、『ヒッチコック・マガジン』だよ。とあり、さらに、
信彦 そうそう。最初だった。
(p37-38)
泰彦 でも当時は、たとえばイラストレーションなんて言葉はほとんど知られてなかったから、創刊号の目次を見るとそれが、イラストーレションになっているの。とありました。
(中略)
信彦 だってそんな言葉、日本にないんだもの。
(p39。原文では太字ではなく傍点)
【613】
Re:この人が作った ##「着ぐるみ」
岡島
- 04/12/22(水) 1:27 -
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目についた言葉でも書いた「着ぐるみ」について、丸谷馨『タウンページのなぞときたい』(朝日文庫1999.4.1)に、
「(株)三美」というところへ電話した。そしたら偶然も偶然、ここが最初に「着ぐるみ」という言葉を発案したのだという。(中略)さっそくだれが名づけたのかと尋ねたのだが、社長の井深敏和さん(六〇)と、デザイナーであり、妻の雅美さんとの諍いがはじまったのだ。
諍いは、どちらが先に「着ぐるみ」と名づけたのか、十五年前の「ある日」のことをめぐって。
「でも、たぶん二人同時ね」(中略)
「着ぐるみ」以前は「等身大ぬいぐるみ」と表現していた。
(p85-86)
【618】
Re:この人が作った ## 「脳天気」はひろまった
岡島昭浩
- 04/12/23(木) 18:35 -
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唐沢俊一『トンデモ怪書禄』光文社文庫1999.9.20(親本は1996.8光文社)に、
※「脳天気」とあります。唐沢氏は「ここからひろまった」ですが、web上では、平井氏の造語、とあいているものもあるようです。
正しくは「能天気」と書くのだが、SF作家の平井和正氏が「脳天気」と表記してから、この字がひろまった。僕もこの用語の持つインパクトを愛するものである。
日本国語大辞典によれば、早く、嵯峨野や御室が使っているようです。
【627】
Re:この人が作った ##「文学誌」
田島照生
- 05/1/3(月) 2:17 -
----
新刊本を読んでいたら、つぎのような箇所にぶつかりました。
それまで(昭和五十三年、著者が『イメージの文学誌』を企画編集するまで―引用者)文学史という言葉は一般に流布していたが、文学誌という言葉は、私の知る限りでは、誰も用いてなかった。すでに書き上げていた私の著書のタイトル「日本夢文学志」の「文学志」を少し変えて「文学誌」という新造語をこしらえたという面もある。その後、「…の文学誌」という標題の書物がぽつりぽつり出はじめ、今日では見なれた字面となっているが、この言葉を初めて使ったのは、どうやら私であるらしい。
(堀切直人『本との出会い、人との遭遇』右文書院,2004,p.100)
【628】
Re:この人が作った ##「文学誌」
田島照生
- 05/1/3(月) 2:43 -
----
ところが、それ以前に、
・『俳句文学誌事典』(文芸新聞社,昭和四十年)
・尾崎秀樹『点と線の歴史をゆく 私の大衆文学誌』(中央図書,昭和四十七年)
などが出ているのですね。法政大学の『日本文学誌要』もありますが、これは「文学+誌要」と分析すべきでしょうし。「文学誌」は、それほど古いことばではなさそうですが、果してどれくらいまで遡れるのでしょうか。
【631】
Re:この人が作った ##「文学誌」
岡島昭浩
- 05/1/4(火) 0:23 -
----
▼田島照生さん:
>「文学誌」は、それほど古いことばではなさそうですが、果してどれくらいまで遡れるのでしょうか。
〈文学に関わる雑誌〉のような意味では、『学海日録』の明治23年頃からあります。おっと、「新文学誌」はもっと古く、明治二十一年。
「語誌」のような「文学誌」は、どうでしょうね。
【634】
この人が作った〜女性性
道浦俊彦
- 05/1/4(火) 21:40 -
----
工藤幸雄『僕の翻訳人生』(中公新書、2004,12,20)の202ページに、
『ぼくもひとつだけ世に先駆けて造語した(恐らく)。シュルツの翻訳のなかで史上初めて「女性性」なる用語を取り入れたのだ。』
とありました。工藤幸雄氏、1925年生まれ。シュルツは「ブルーノ・シュルツ」。
【642】
Re:この人が作った ##「文学誌」
田島照生
- 05/1/6(木) 14:50 -
----
コメント、有難く存じます。
▼岡島昭浩さん:
>〈文学に関わる雑誌〉のような意味では、『学海日録』の明治23年頃からあります。おっと、「新文学誌」はもっと古く、明治二十一年。
「新文学誌」という雑誌の存在は、まったく存じませんでした。有難うございます。「文学誌」ということば自体は、もっと古いものだったのですね。
>「語誌」のような「文学誌」は、どうでしょうね。
堀切氏が書いていたのも、この「文学誌」(文学のアンソロジーとしての)なのでしょうが、この用法はかなり新しいような気がします。
【722】
Re:この人が作った ## 「民本主義」
岡島昭浩
- 05/2/8(火) 23:48 -
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吉野作造「民本主義鼓吹時代の回顧」から。
ここに、ついでにちょっとことわっておきたいのは、民本主義という言葉は私の作ったものではないことである。民主主義と率直にいってはその筋の忌諱《きい》に触れる恐れがある、これを避けてこんな曖昧《あいまい》な文字を使ったのかと非難されたこともまれでないが、そんな非難はあえて気にかけるにも当たらぬとして、事実私の作ったものでないことだけは、一言これを明白にしておきたい。私がこの文字を使ったのは、当時すでにこれが多くの人から使われておったからなのだ。もっとも多くこの文字を使っておられたのは茅原華山君であったと記憶する。欧州留学から帰りたての私は突如こうした用例に接し、なるほど便利だと思って、ちょっと踏襲してみたまでの話、実はあまり適切な表現とは信じていなかった。ゆえにその後の論文には必ずしもこの例に拘泥せず、率直に民主主義と書いたこともたびたびある。民本主義なる文字の創唱に関してはかつて茅原華山君が自分でおれが作ったのだと名のられたことを記憶して居るが、同じようなことを上杉慎吉君の書かれたものの中に見たこともある。
三谷太一郎編『吉野作造論集』昭和五十年一月十日発行 中公文庫 p139-140
http://csx.jp/~amizako/yoshinominpon.txt
【768】
Re:この人が作った ##「郵便はがき」
岡島昭浩
- 05/3/22(火) 18:08 -
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『明治事物起原』交通部に、
(五)郵便はがきの名付け親 前島密の『鴻爪痕』に、大蔵省五等出仕にて、紙幣局印刷部の監督なりし青江秀は、駅逓権正前島密の旧友なり。その者の案にて、西洋のポストカードを、はがきの名とす。当時二つ折りの紙を用ひしは、いまだ厚紙のなかりしためにやと見ゆ。切手は、従来、世上に、通用の酒切手、鰹節切手などの切手をそのまま用ひたり。郵便はがきの創始時代の現物には、いつれも「郵便はがき」または「郵便はがき印紙」など印記され、公文書類には、「はがき紙」「端書」「葉書」など、色々に書き、一定せる名はなかりし。
【773】
Re:この人が作った ## 「積読」
岡島昭浩
- 05/3/31(木) 14:30 -
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古典社編集部『書物語辞典』(1936 古典社)
つんどく(積讀) 本を買つて積んどく。どくと讀の同音から讀まずに積んでおくことをしやれたもので和田垣謙三博士の造語。
森銑三『明治東京逸聞史』には、明治三十四年の学燈を引いて田尻北雷説。『ことばのくずかご』、米川明彦『新語と流行語』もそれを継承。
なお、『ことばのくずかご』が「ママ」を付すのは『学鐙』とあるべきところと見たのであろうが、丸善のこの雑誌には両方の表記がありそう。
なお、『日本国語大辞典』も参照のこと。森銑三『閑読雑抄』から明治十二年『東京新誌』の例を引いている。
【782】
Re:この人が作った ## 「従軍慰安婦」
岡島昭浩
- 05/4/3(日) 17:11 -
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井上章一&関西性欲研究会『性の用語集』講談社現代新書(2004.12.20)所収の、渋谷知美「娘子軍(じょうしぐん)」(p290-295)に、
彼女たちはのちの歴史家によって「従軍慰安婦」と呼ばれることになる。
その名づけ親は『従軍慰安婦』(双葉社、一九七三年)を執筆した千田夏光だといわれている。
「慰安婦」が戦中からあることなど、論争などについては、同書参照。
【783】
Re:この人が作った ## 「従軍慰安婦」
道浦俊彦
- 05/4/4(月) 11:06 -
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「従軍慰安婦」と「慰安婦」は別なんですよね。「従軍慰安婦」は政治的な意味合いを持っていて、非難する立場の人たちが使うそうです。だから「慰安婦」という言葉は以前からあって、「従軍慰安婦」があとからできた言葉ということですね。
【811】
Re:この人が作った ## 「とんでもございません」
岡島昭浩
- 05/5/1(日) 16:36 -
----
「とんでもございません」を最初に使ったのは、山本富士子と言われ、昭和二十五年、ミス日本に選ばれたときの応答とされている。実際には、もう少し前から、かなり広く使われていたらしい。
奥秋義信『敬語の誤典』自由国民社1978.9.10 p134
【816】
Re:この人が作った ## 「とんでもございません」
岡島昭浩
- 05/5/8(日) 3:47 -
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奥秋義信『日本語よどこへ行く』リヨンブックス1988.3.25(カバー袖刊記) p26
元新聞用語懇談会幹事の久世善男氏の説によると、「とんでもございません」を最初に使ったのは、女優の山本富士子らしい、という。
彼女が、昭和二十五年のミス日本に選ばれたとき、(中略)審査員の一人、辰野隆さんから、「そんな言葉の使い方はない」と、たしなめられたと記録には残っている。
【846】
Re:この人が作った ## 「ギョッ」
岡島昭浩
- 05/5/20(金) 23:48 -
----
坂口安吾「戦後文章論」(『私の探偵小説』角川文庫による。初出は「新潮」昭和26.9)
「ギョッ」という流行語のモトはフクチャン漫画だろう。横山隆一の発明品である。彼は漫画の中へギョッだの、モジモジだの、ソワソワだのという言葉を絵と同格にとりいれるという珍法を編みだした。
【869】
Re:この人が作った ## 「耳年増」美輪明宏
岡島昭浩
- 05/5/31(火) 1:00 -
----
吉行淳之介『変った種族研究』角川文庫 昭和60.4.10 「戸川昌子」p122
同業のシャンソン歌手丸山明宏君が、戸川さんを評して、「耳年増」と言っている。耳学問によって男性についての知識を集めているオールドミス、という意味である。昭和三十八年から三十九年に、『オール読物』で連載されたものとのこと。
「耳年増、という言葉は、はじめて聞くが……」
「丸山くんというのは、面白い言葉を発明する人なんです」
と、戸川さんは笑って答えた。
【871】
Re:この人が作った ## 「〜のは、わたし一人であ...
佐藤
- 05/6/1(水) 21:41 -
----
たまたま図書館で目に入った本から。有名な話なのでしょうか? 既出だったらごめんなさい。
わたしの感じでは、「……と考えるのはわたし一人だろうか。」「……ということを訊きたくなるのは私だけであろうか。」というような言い方が出て来たのは、一九四五年からあとだとなるが、「こう思うのはわたし一人であろうか。」わたしは、こういう言い方が大分はやつてきていると思う。そして、その言い方をしている人々が、この言い方の「一種の」プリオリテートが、宮本百合子にあることをかなり無造作に無視しているのではないかと思う。
中野重治『日本語 実用の面』筑摩書房 1976
三つの例文があがってますが、宮本百合子にプライオリティがあるとするのがどれなのか、ちょっとよく分からない。三文とも似たりよったりなので、ひっくるめての元祖ということなんでしょうね。
ん、んん? 第3文は用例でもあるけれど、中野重治が自分の所感を例文めかして示した遊び? マル(。)を」の外に出しておいてくれると分かりやすいのですが。
【872】
Re:この人が作った ## 「〜のは、わたし一人であ...
Yeemar
- 05/6/2(木) 7:22 -
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▼佐藤さん:
> たまたま図書館で目に入った本から。有名な話なのでしょうか? 既出だったらごめんなさい。
わたしの感じでは、「……と考えるのはわたし一人だろうか。」「……ということを訊きたくなるのは私だけであろうか。」というような言い方が出て来たのは、一九四五年からあとだとなるが、
>中野重治『日本語 実用の面』筑摩書房 1976
これは知らずに、ずっと前にこの常套句に関する戯文をホームページに書きました。また、大幅に手直しして拙著『遊ぶ日本語不思議な日本語』のp.47以下「私だけだろうか」でも触れました。しかし、宮本百合子には触れておらず、不勉強を恥じます。
「私だけだろうか」という類の言い方は古典にもあり、また外国語にもあるようなので、普遍的な言い方であると断じていました。しかし、ふつうの語をだれかが流行語的に使うことはよくあります。宮本百合子がそう使ったのでしょうか。
拙著では1945年・1946年の新聞投書欄の例を示し「(このころには)もう多く用いられるようになっています」と記していますが、ここは中野重治の「感じ」と偶然にも一致しています。ただ、私にもっと古い例を採る気があったならば、「青空文庫」には宮本百合子作品が多く入っているのだから、探せば取り出せたはずのところです。
今「青空文庫」を見ると、
・太宰治「碧眼托鉢」(1936)「日本の講談のにおいを嗅いだのは、私だけであろうか」〔太宰には他に何例かあり、頻用?〕
・横光利一「鳥」(1930)「おのれの痛さを痛さと感じて喜ぶ人間は私だけではないであろう」
などとあるほか、
・夏目漱石「こころ」(1914)「こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。」
と大正の例もあります(やや常套句からは外れますが)。
【873】
Re:この人が作った ## 「〜のは、わたし一人であ...
佐藤
- 05/6/2(木) 8:55 -
----
この情報は私も初めて知りました。しかし中野のこの著は古書店などでも比較的見かけるから皆さん承知のことかもしれないと、おっかなびっくりの投稿です。
このコーナーの趣旨(の一つ)として、真偽のほどはさておき、「誰それが作った言葉だ」という証言を集成しようということがありますね。それにそっての投稿でもあります。
それはそれとして、中野が宮本の名を挙げたきっかけに興味がそそがれますね。「誰それが元祖だ」と言い切るには相応の根拠があるはずですが、その「根拠」がどのように醸成されるのか…… これは中野だけではなく、このコーナーや「私が作った」のコーナーでもそうですが、「○○が元祖だ」と言ってしまうのはなぜなのか、どういう心理的な動きがあるのか、また仕向ける状況・環境に共通することはないのか等々、興味深く思います。
この場合だと、当時の宮本が一般雑誌等によく露出し、一定量以上多用したといった事実がありそうですね。ただ、プロの表現者として同じような文句を何度も使うものかどうか(実際(現状の)青空文庫では、あまり出てこないようだし)。そうだとするといよいよ中野の「根拠」がどのように作られたのか、分からなくなってきますが、それだけに興味深くもあることです。
【876】
Re:この人が作った ## 「初夏(はつなつ)」
岡島昭浩
- 05/6/4(土) 23:54 -
----
作ったのではなく、「初めて短歌に」ということ。平成17(2005)年6月4日の「産経抄」
短歌に初めて「初夏(はつなつ)」を詠み入れたのも晶子だという。
これは今野寿美『24のキーワードで読む与謝野晶子』に、そうあるらしい。
俳諧用語を短歌に使ったのか。
【892】
Re:この人が作った ## 東山三十六峰
Yeemar
- 05/6/12(日) 1:59 -
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「東山三十六法……」という無声映画の名文句をつくったのは、活動弁士の伍東宏郎であったとされているようです。作品名は「尊皇」。
――とは、無声映画鑑賞会編・マツダ映画社監修『活動弁士 無声映画と珠玉の話芸』(アーバン・コネクションズ2001)の「弁士人物録」の欄を図書室で見てのメモによります。肝心のその記述の原文はメモしていません。
「尊皇」制作年 1926年(大正15年)●制作会社 阪妻プロ●監督 志波西果●脚本 志波西果●撮影 鈴木 博●出演者 阪東妻三郎、森静子、中村琴之助、中村吉松
勤王佐幕の闘いに明け、血で血を洗う争いに暮れる。時あたかも幕末の頃、絃歌さんざめく京洛の夜は更けて、東山三十六峰、静かに眠る丑満〔ママ〕どき、千鳥泣く加茂川べりに、夜の静寂を破って、たちまち響く剣戟の音!〔略〕(伍東宏郎の説明より)〔同書p.73〕
【910】
Re:この人が作った ## まだ報告は受けてない
Yeemar
- 05/6/23(木) 22:38 -
----
答弁の常套句について、入江徳郎がつぎのようにからかっていたそうです。
いつか朝日新聞の「天声人語」を長いこと担当しておられた入江徳郎さんが書いておられましたが、官僚式の国会答弁には一つのパターンがあって、言うことはもう決まっている。「まだ報告は受けてない。事実とすればたいへんだ。さっそく調べて善処する。節{ふし}をつければ歌になる」(笑)。まあ、ぼくらはこのパターンはいやらしいと思いますね。(芳賀綏「日本語の社会学」・金田一春彦他『変わる日本語』講談社 1981.11.30 p.206)「いつか……書いておられましたが」というのは情報源として頼りない話です。どこに書いてあるのだろうと思い、入江徳郎の著書をいくつか見てみましたが、わかりませんでした。「天声人語」に書いたのでしょうか。
井上ひさし『家庭口論』〔1973-1975連載〕中公文庫1981年9版p.49に類句があります。
「たいへんよ! うちの子がまだ小学生だというのに煙草を喫{の}んでいるらしいわ。三人の机の中にこんなにたくさん煙草が隠してあったのよ」入江徳郎の文句をふまえたものでしょうか、他の源流があるのでしょうか。
事実とすれば大変だ、さっそく調べて善処せん、と、わたしは記者会見席上の警視総監の極り文句と同じようなことを呟きながら、子どもらを呼び集め、説教をした。
ご存じのことがおありでしたら、お知らせください。
【911】
Re:この人が作った ## まだ報告は受けてない
Yeemar
- 05/6/23(木) 22:48 -
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> まだ報告は受けてない。事実とすればたいへんだ。さっそく調べて善処する。
「雑考400 第44号」(接続しにくい)によれば、野口悠紀雄『続「超」整理法・時間編』p.145に次のようにあるそうです(当該サイトから孫引き)。
文書に書き、しかも内容を曖昧にするには、かなりの高等技術を要する。官庁作文技術の真髄は、実にこの点に存するのである。−略−この技術のエッセンスをまとめると、次のようになる。1)まだ報告を受けていない。2)事実とすれば大変だ。3)早速調べて、4)善処する −略−
【1057】
Re:この人が作った ##「民間伝承」
岡島昭浩
- 05/9/30(金) 21:28 -
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折口 信夫「古代に於ける言語伝承の推移」http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/card18398.html
所謂民間伝承といふ言葉を、初めて公に使はれたのは、たしか松村武雄さんであつたと思ふ。
http://kotobakai.seesaa.net/article/8260496.html#419
答案を飛ばして採点する話。
> うわさによると、重野老博士は答案を座敷にほうり投げて、自分のすわっているところに近い
>のを六十点とし、それから遠ざかるに従って、だんだん増していかれるそうだといううわさも伝
>っていたが、その真偽のほどはもとより保証しがたい。
重野老博士は重野安繹。
保科孝一『ある国語学者の回想』p19
http://uwazura.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_c948.html