目を引く誤植
岡島昭浩
- 04/6/29(火) 18:41 -
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「誤植?」に続くもの、という位置づけです。
月刊言語の1978-2の「言語圏β」(p125)に『明日のことば』という本が載っていました。よく見ると『明日のことば―東から西への架け橋』斎藤毅著。
そう、『明治のことば』の誤植です。
次号には訂正は載っていないようです。言語圏βは、やや誤植が多いような印象を持っておりますが、これは面白いものでした。
【448】
Re:目を引く誤植
Yeemar
- 04/10/10(日) 0:12 -
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目を引かない誤植ですが、日本ペンクラブの電子文藝館に収められている永井荷風「ADIEU(わかれ)」に
其の後一面、やがて泉水(パツサン)の方へ下るあたりまで、とある「パツサン」(半濁点)は「バツサン」(濁点、bassin)の誤りでしょう。
この電子文藝館は、『新潮名作選 百年の文学』(『新潮』1996年7月号臨時増刊)から多く載せているように見受けられますが(今に全部公開?)、『百年の文学』で「ADIEU」を見てみると、活字、わけてもルビが小さいために「パツサン」(半濁点)か「バツサン」(濁点)かは判読が困難です。しかし凝視しているとどうやら濁点のようです。
すると、電子文藝館の本文は、『百年の文学』のデータをそのまま使っているのではなく、あらためてOCRで読み直しているのではないか、と思われてきます。
【449】
Re:目を引く誤植
Yeemar
- 04/10/10(日) 4:12 -
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最初は北上川の河畔に立って、一帯の地形を確認するところからはじめた。背後に束稲山{たばねしやま}。「たばしねやま」が正解ですが、「束ねし……」と読んでしまったか。「和稲(にきしね)」「荒稲(あらしね)」などの「しね」。
〔五木寛之・みみずくの夜{ヨル}メール98〕(「朝日新聞」2004.06.28 p.21)
【457】
Re:目を引く誤植
岡島昭浩
- 04/10/11(月) 18:00 -
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桑原武夫『第二芸術』(講談社学術文庫版によれば、p34)に、
追記 3の草田男の句は、「咳くヒポクリットベートーヴェンひゞく朝」というのが、誤植されて雑誌に発表されたのであった。なぜそんな誤植が生じたのだろうか。ともかく私の説はこのことによってはくずれない。とあり、見ると(p17)、
3 咳《しわぶ》くとポクリッとベートーヴェンひゞく朝でした。「ヒ」が「と」に間違われ、「ヒポクリット」の「ト」が平仮名になってしまったもののようです。活字を組んだ人が「ヒポクリット」という言葉を知らなかったのでしょうが、「ポクリッと」というのが面白い。「咳をするとベートーヴェンがポクリッとひびく……」、レコードを掛けているのでしょうか、咳をするとその振動がターンテーブルにひびき、鳴っていたベートーヴェンがポクリッと音飛びする……、と読めそうです。
桑原の主張は、周知の通りですが、「私の説はこのことによってはくずれない」だけで終わらせてよいものか、とも思います。p21には、「「咳くとポクリッとベートーヴェンひゞく朝」などというもの欲しげな近代調は草田男以外に見られまいから」とまで言い切っていますし。
【493】
Re:目を引く誤植―それでて
Yeemar
- 04/10/24(日) 9:42 -
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それでて
定メシソノ刹那ニハ七十年来ノ生涯ニ積ミ重ネタ悪事ノ数々ガ走馬燈ノヤウニ次々ト現レルダラウナ、アヽ貴様ハアンナコトモシタ、コンナコトモシタ、ソレデテ楽ニ死ナウナンテ虫ガヨスギル、今苦シムノハ當リ前ダ、「それでゐて」の間違いでしょうか、縮約でしょうか。
(谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」〔1961年発表〕『谷崎潤一郎全集 第十九巻』中央公論社 1982 p.123-124)
【497】
Re:目を引く誤植―それでて
佐藤
- 04/10/24(日) 22:50 -
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▼Yeemarさん:
>「それでゐて」の間違いでしょうか、縮約でしょうか。
縮約ではないでしょうか。青空文庫から。普通にググると現代の用例もあるようですが、これは誤植・タイプミスの可能性があるか。なお、namazuによる検索だと水野仙子の方しかヒットしませんでしたが、何か、私の方にし損ないがあるのか……
【524】
Re:目を引く誤植
佐藤
- 04/11/2(火) 19:18 -
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田中康夫『いまどき真っ当な料理店』(ぴあ 1996)は、ちょっと悩んでしまう本。誤記・誤字が多めな本ですが、韜晦とも見られる表現が横溢するので、誤記・誤字なのか、著者の創意なのか判然としないことがあります。
将又(はたまた)、婦人雑誌(クロワっサン)で四代目(むすこ)夫婦との付き合いを語る木田明利氏(さんだいめ)が当主に当たる洋食の店だからでもありません。(158頁)丸括弧内はすべてルビです(ルビタグが使えないようです)。「クロワっサン」はご愛嬌ですが、「むすこ/さんだいめ」のような振り方をされると、こちらは過敏になる。そして、次のような例で悩むわけです。「群」にしなかったのは何か意図があるのではないか、と。
つまりは、小松川グリーンタウンと名付けられた中高層集合住宅郡を左手に見ながら、右折表示に従って荒川土手沿いの道を目指すのです。(101頁)
【526】
Re:目を引く誤植『いまどき〜』
佐藤
- 04/11/3(水) 19:23 -
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田中康夫『いまどき真っ当な料理店』(ぴあ 1996)からもう一つ。
赤貧洗うが如し日々を誰もが送っていた日本と(189頁)興味深いです。「如き」でいいところですが、「如し」。慣用句なのでいじってはいけないと考えて「如し」にしたようです。ならば「赤貧洗うが如しの日々」とでもした方が落ち着きそう。でも名詞ではなく活用語だとの意識もあってか「日々」を直接した……
活用語で終わる慣用句はむずかしいところがありますね。慣用句として安定するにつれて、かえって活用形を欠けさせたり、表現のバリエーションを乏しくしたりしそうです(最近、どこかで読んだような)。安定化する過程では、個々人で安定・未安定の差が出てきうる。そんな中での現れのひとつが「如し日々」かと思っていますが、どんなものでしょうか。
【529】
Re:目を引く誤植『いまどき〜』 「赤貧洗うが如し...
岡島昭浩
- 04/11/4(木) 9:40 -
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誤用(かと思われるもの)の用例集の、終止形の連体用法であるとか、形容詞語幹+名詞とつながるような例ですね。ただし、これはク活用であり、語幹ではありませんが。
「のべつまくなし」を副詞的に使う場合に、「のべつまくなく」の他に、「のべつまくなしに」としたり、「のべつまくなし」としたりするのを思い出しました。(こちら)
「赤貧洗うが如し日々」は、臨時一語のようなものかも、とも思いました。「〈敵は本能寺にあり〉主義」のような。でも、「日々」はそういう使われ方はしないような来もします、「生活」ならともかく。
【531】
Re:目を引く誤植『いまどき〜』 「赤貧洗うが如し...
Yeemar
- 04/11/5(金) 11:45 -
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> 赤貧洗うが如し日々を誰もが送っていた日本と(189頁)
これは、助動詞「き」の連体形との混同ではないでしょうか。「過ぎ去りし日々」というような言い回しとの混同とみました。助動詞「き」はき・しと活用し、形容詞語尾はし・きと活用し、ちょうど反対なので、まぎれやすいと思います。
・〔タイトル〕やがてくる食糧不足――米に関する限り「民族自決」すべしこと 野坂昭如(『日本の論点'95』文藝春秋 1994.11.10 p.394)というのを見たことがありますが、「すべきこと」ではなく「すべしこと」と書いてあります。野坂氏がこう書いたとは思えないので、編集部で付けたタイトルでしょうか。このような例は多くありそうなのに見つかりませんでした。「洗うが如し日々」も同じような勘違いによるものと思います。
【561】
Re:目を引く誤植『いまどき〜』 「赤貧洗うが如し...
Yeemar
- 04/11/28(日) 15:43 -
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>助動詞「き」はき・しと活用し、形容詞語尾はし・きと活用し、ちょうど反対なので、まぎれやすいと思います。
この好例を1つ思い出しました。浅草のお好み焼きの老舗「染太郎」で、酔っぱらって鉄板に手をついた坂口安吾が、店主が機転をきかせて持ってきてくれた大きな氷のおかげでやけどせずにすんだ。安吾はそれを謝して次のような色紙を書いた。
『テッパンに手をつきて私はこの話を美談として朝日新聞「天声人語」か何かで読んだのです。もちろん、「ヤケドせざりし男」とするのが接続方法としては古式に則っています。
ヤケドせざりき男もあり
昭和29年11月4日
信貴山美人 染太郎さんえ
坂口安吾』
(引用は「ぶらり世事往来帖」2004年01月30日より)
機会があれば「染太郎」で実見したいものです。
【564】
Re:目を引く誤植『いまどき〜』 「赤貧洗うが如し...
佐藤
- 04/12/1(水) 10:59 -
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▼Yeemarさん:
>>助動詞「き」はき・しと活用し、形容詞語尾はし・きと活用し、ちょうど反対なので、まぎれやすいと思います。
>
>この好例を1つ思い出しました。浅草のお好み焼きの老舗「染太郎」で、酔っぱらって鉄板に手をついた坂口安吾が、店主が機転をきかせて持ってきてくれた大きな氷のおかげでやけどせずにすんだ。安吾はそれを謝して次のような色紙を書いた
ご教示、ありがとうございました。どうやら安吾のほか、いろいろな人が出入りしていたようですね(↓)。私も、実見したくなりました。
http://www.yamani-shoji.co.jp/sometaro/page/people%20top.shtm
【565】
Re:目を引く誤植『いまどき〜』 「赤貧洗うが如し...
Yeemar
- 04/12/1(水) 12:33 -
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▼佐藤さん:
>ご教示、ありがとうございました。どうやら安吾のほか、いろいろな人が出入りしていたようですね(↓)。私も、実見したくなりました。
>http://www.yamani-shoji.co.jp/sometaro/page/people%20top.shtm
画像ご教示ありがとうございます。それによれば、先の引用は原文通りではないようですね。
テッパンに手をと読めました。
つきてヤケドせ
ざりき男もあり
昭和二九年十一月四日
安吾
信貴山美人
染太郎さまえ
【576】
Re:目を引く誤植――
Yeemar
- 04/12/8(水) 4:57 -
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1996.07.27 NHK「歌え!ウィーンの森に〜安田姉妹の音楽出会い旅」なる番組があり、その中で、モーツァルトのオルガン・ソロ・ミサ曲が演奏されていました。タイトルは画面いっぱいに
「ミサ・グレヴィス〜アニュエス・デイ〜」
と出ていました。エンドロールにも同様のタイトルが出ました。
故あってこのビデオを見ておりました。この曲名はどういう綴りなのだろうとネットで検索したところ、それらしいものがでてきません。いろいろ見た結果、「Missa Brevis」(K259)の中の「Agnus Dei」ではないかと思います(合唱曲を紹介したChoral Horizonより「Mozart」のページ)。多くのサイトでは「ミサ・ブレヴィス」「アニュス・デイ」とカタカナ表記されています。
おそらく、堂々たる誤記だろうと思います(という話を、放送から何年も経って記すのもへんですが)。
【577】
Re:目を引く誤植――
道浦俊彦
- 04/12/8(水) 16:06 -
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「ミサ・ブレヴィス」「アニュス・デイ」と普通は言いますね。合唱では。
【615】
Re:目を引く誤植
岡島
- 04/12/22(水) 2:59 -
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古賀十二郎『外来語集覧』の、ポルトガル語「ジャパン」の項(p380)、Chipangn, Zipangn, Cympagn, Cinpagn など、uがnになっています。
この背景には、ジパングが、JipangやZipangと書かれることが多いことと通じる――Zipanguなどnguで終わるのは、外来語らしくないという意識があるように思います。
【812】
Re:目を引く誤植
岡島昭浩
- 05/5/1(日) 21:06 -
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松井栄一『出逢った日本語・50万語』小学館2002.12.20の索引ページ、
i, ii, iii, vi, v, vi
となっています。初版第一刷による
【880】
Re:目を引く誤植
Yeemar
- 05/6/7(火) 22:20 -
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上田敏の『海潮音』を復刻本〔日本近代文学館, 1968.09〕で見ると、ヱ゛ルレエヌ(ヴェルレーヌ)の「落葉」は
秋の日のとあります。今のテキストでは「ひたぶるに」になっていますが、初出は単なる誤植と解釈されたものでしょうか。上田敏は東京出身ということですが、ヒとシを混同したわけではないのでしょうか。
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
したぶるに
うら悲し。
新潮文庫版〔昭和四十三年二十刷改版 平成十六年十月五十四刷〕では、仮名遣いは旧仮名遣のままですが、「ヰ゛オロン」は「ヴィオロン」にしてあって、中途半端に直したという感じです。もちろん「したぶるに」ではなく「ひたぶるに」となっています。