今は聞くことが少なくなってしまったとしているのに驚いたことがある。
またp11には、横浜のことをハマというのも「いつの間にかそれも聞かなくなった」としている。
このようなものはどう考えるべきなのだろうか。本当に一旦耳遠くなったものが復活したと考えれば良いのか、あるいは単に個人的に耳にしないようになってしまっただけと考えれば良いのか。これはものによるのだろうが。
たしか『消えた日本語辞典』の中に、ストッキングの「伝線」というのがはいっていて、これは著者が年をとることによってそのような言葉と接する機会が失われたのであろう、と考えたことがあった。いくら戦後、女性と靴下が強くなったとしても、伝線せぬストッキングを販売したのでは商売あがったりであろう。
ところで横浜をハマと呼ぶのは俗語、という感じである。ではロサンジェルスをロスと呼んだり、サンフランシスコをシスコと呼んだりするのはどうなのであろうか。これも俗語、という感じが日本語の中ではしてしまうのだが。ニュースなどで「ロスでは……」などといっているのを聞くと、「ハマでは……」などとはニュースでは言わないだろうにな、と思ってしまう。シスコというのはより一層俗語らしさが強い気がするが、これは後半部を採用しているからなのかな。
【補】
「調理パン」という語についても書く積もりであったが、筆が逸れてしまった。これは私は中学校に行って給食が無くなり、昼食に業者がパンを売りにきているのだが、その折に覚えた言葉であった。
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