辞典には文語「たしかむ」などと載っているが、「たしかめる」「たしかむ」が明治以前にもし無かったとすると、この行為を何と言っていたのであろう。
〈明かにする〉の「あきらむ」は「たしかめる」とは意味が少し違うようだし、よく分らない。
そういえば「確」の字も明治以降になって盛んに使われるようになった、ということを松井利彦氏が書いていらしたように記憶している。松井氏の論を再読しないまま、〈確認するという行為自体が近代的なものなのだ〉というような私好みではない結論にしてしまうのはなんなので、もう少し考える。
語構成から考えてみると、「たしか」は形容動詞の語幹であり、それをマ行の動詞として活用させるのはありそうなことだ。しかし、「〜か」という語尾を持つもので「〜む」「〜める」という形になっているものは、『広辞苑』の逆引では「たしかめる」以外には見当らない(ただ、形容動詞ではない「短い」を〈短くする〉の意味で「みじかめる」というのは載っていて、『日本国語大辞典』によると幕末の用例がある。英和辞書の訳語であって、気になるところである)。
「たしか」という形は古くから有るのだが、それに「〜む」がついた形がないということなのだが。
気になるのは「たしむ」あるいは「たしなむ」ということば。意味は「たしかむ」と似ていないようではあるが、全く無関係とも言えないようで(〈気を付ける〉というような意味もあるようだ)、もっと深く知りたいところである。ついでに言えば、「たしなむ」は〈強く好む〉という意味があったのだが、「お酒をたしなむ」と言うのを聞くと、この意味を思い出して可笑しくなる。
口語から古語を引く辞典は現在は殆ど無いようだが、古作文(「英作文」からの類推)の有った江戸時代・明治時代には作られていた。これでもって「たしかめる」を引いてみれば何か分るかもしれないのだが、手元の『俗語雅調』(弾舜平、明治24)には載っていない。
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