『日本国語大辞典』で引くと、明治ごろの例が載っている。しかし中国の例として『朱子語類』も載せている。『朱子語類』といえば、禪宗の語録類と並んで、新しい中国語を日本にもたらしたものとして知られている。日本でももうちょっと古い用例があってよさそうに思う。
記憶に拠れば、江戸時代の漢文にこの例があった。メモも取ったはずであるが、どこへ行ってしまったのだか。頼春水だったかな。
こうした漢文の中の漢語の用例と言うものは、どれほど日本語の例として使えるのか、という疑問は当然出てくるのであろうが、日本人が使ったのは事実だ。書いてあれば記録しておくに越したことはない。訓点が施してあれば、音読したか訓読したかまで分って、漢語か否かの判定もやりやすくなるのだが。
まあこれは、日本人の書いた漢文が日本文学であるか、とか、じゃあ日本人の書いた英語は日本文学なのかよ、とかいう問題とも絡んでくるのだが。
松井利彦氏は「明確」という語をとりあげた訳だが、これは頼春水の子である頼山陽『日本外史』にあったということだったと思う。
やはり日本漢文の用例をちゃんと集めなければならないと思う。
【関連する記事】