1997年03月18日

【て・で】

 形式を改めることにした。1日に何項目も書くことはなくなってきたので、リスト形式は辞めようと言うことだ。



 『古書通信』を眺めていたら、『奥の細道』の自筆影印に就いて触れてあり、

田一枚植えて立去る柳かな

の句に就いて、
「植えて」の「て」に濁点が付されており(汚れではなく明かに濁点だ、と)、これで「植えで」、つまり「植えないで」の意味であることが明かになった。しかるに影印本の翻字では「植えて」としてある。

というようなことが書いてあった。本当かいなと思って影印本を見てみると、私の目にはやはりこれは汚れか、紙を張り付けてある下の文字が透けて見えているか、という感じである。実際ここは紙を張り付けてある箇所である。
 「連用形+て」「未然形+で」が、上下一二段動詞では、濁点を打っていないと見分けがつかないことに拠る、解釈の揺れはあるわけだが、わざとのものもある。
わが心なぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月を見
、と言ったのは塙保己一とも言うが、それは〈学のある盲人と言えば塙検校〉という思い込みに拠る仮託であろう。為永春水『閑窓瑣談』(日本随筆大成(旧)1-6のp550)によれば、宝永の板鼻検校であるという。前田勇『國語随想/俳諧腰辨當』(錦城出版社1943.2.28)によれば、板津検校であるともいうそうである。



 次は、前田氏も引いているし、『和訓栞』の大綱にも引いてあった笑い話。

庭の雪に我が跡つけて出でつるをとはれにけりと人やみるらむ

これを、
庭の雪に我が跡つけ出でつるをとれにけりと人やみるらむ

とすると、「訪はれにけり」が「飛ばれにけり」となって大層面白い。


 前田氏の著書から、もう一つ挙げると、漱石の『草枕』で、

馬子唄や白髪も染め暮るゝ春


の「で」は濁点のある本とない本があるという。




 明日の送別会は深酒をしないようにしたいものです。
posted by 岡島昭浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 目についたことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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