書を読むに、声をあげて読むがよきや、黙して読むがよろしきやと問ふ人あり。これは各々得失ありて一方に定めてはいひ難しとあったからだ。黙読が音読と張合っているではないか。
『授業編』は関心を持っている書物で、一部を電子化したりもしているのだが、以前の私もこの部分に引かれたようで、第二章からはこの部分だけを入力していた。『江戸時代支那学入門書解題集成』の第三集(汲古書院1975.9)でみると、これは「読書第三則」の冒頭にあった。また、「読書第一則」には、
声を発して誦するを読書と云。声を発せずして読むを看書と云。少しの違はあれども。すべてこれを読書と云。ともあった。
『日本国語大辞典』で「朗読」を引くと、既に唐の李商隠に「朗読する暇がないので黙って視る」というのが載っていた。
漢文を黙読するのであれば、日本文を黙読することもあったのではないかと思えるのですが、江戸時代以前のそういうことを示す例はありますでしょうか。
また、日下部重太郎氏は大変面白い本をいくつか出しています。JIS漢字の選定の際にも参考にされたと聞きました。ただ伝記的な事が全く解りません。ご存じの方はお教え願えれば幸いです。《『国語学大辞典』の『現代国語思潮』の項に1876-1938と。『国語と国文学』にある。》
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関東在住の者です。
日下部重太郎を知っています。
手紙を書いても良いですか?