1997年04月02日

【音読(朗読)・黙読】

 私は、玉上琢弥「物語音読論序説」(『国語国文』s25-12)も読んでいない不勉強な者だが、前田愛『近代読者の成立』の同時代ライブラリー版ぐらいは持っていて、その中の「音読から黙読へ」を眺めてみた。何故かと云うと、日下部重太郎『朗読法精説』(中文館書店 s7.10.25)を見ていたら、江村北海の『授業編』が引用してあって、
書を読むに、声をあげて読むがよきや、黙して読むがよろしきやと問ふ人あり。これは各々得失ありて一方に定めてはいひ難し
とあったからだ。黙読が音読と張合っているではないか。
 『授業編』は関心を持っている書物で、一部を電子化したりもしているのだが、以前の私もこの部分に引かれたようで、第二章からはこの部分だけを入力していた。『江戸時代支那学入門書解題集成』の第三集(汲古書院1975.9)でみると、これは「読書第三則」の冒頭にあった。また、「読書第一則」には、
声を発して誦するを読書と云。声を発せずして読むを看書と云。少しの違はあれども。すべてこれを読書と云。
ともあった。

 『日本国語大辞典』で「朗読」を引くと、既に唐の李商隠に「朗読する暇がないので黙って視る」というのが載っていた。


 漢文を黙読するのであれば、日本文を黙読することもあったのではないかと思えるのですが、江戸時代以前のそういうことを示す例はありますでしょうか。
 また、日下部重太郎氏は大変面白い本をいくつか出しています。JIS漢字の選定の際にも参考にされたと聞きました。ただ伝記的な事が全く解りません。ご存じの方はお教え願えれば幸いです。《『国語学大辞典』『現代国語思潮』の項に1876-1938と。『国語と国文学』にある。》

posted by 岡島昭浩 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 目についたことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
岡島先生、はじめまして。
関東在住の者です。
日下部重太郎を知っています。
手紙を書いても良いですか?
Posted by hanamuguri at 2015年06月10日 14:57
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