- 「ぶちあけた話」竹内均・梅原猛『闘論1古代史への挑戦』徳間文庫p45
- 「うちあけた話」(たしか『ちくま』か『波』か何かの雑誌93〜94年)
がある。後者はメモをとる前に捨ててしまったか子供に破られてしまったか。それはともかく、「ぶつ」にしても、もとは「打つ」を強調したものなのだから、「打明ける」の強調形として「ぶちあける」があってもよい。『日本国語大辞典』には載っていた。「ぶちあけて言うと」というような言い方も載っている。だから、「ぶちあけた話」でよいのであるが、
- 「ぶちまけた話」筒井康隆『歌と饒舌の戦記』新潮文庫p182
というのも、あ、なるほど、と思った。「心の中をぶちまける」という言い方があり、「うちあける」よりも、「ぶっちゃけた話」にふさわしいような気もする。しかし、「まける」という語は何なのか。
方言ではあちこちにあるようだ。「御椀にあける」と同じように使うようである。「水を撒く」などの「まく」という五段動詞と活用を異にする、同源の「まける」という一段動詞と考えればよさそうにも思う。ただし他動詞/自動詞の対立ではない。「あける」からの類推で考えれば、「まく」が時間を掛けているのに対し、「まける」の方は、瞬間的にこぼし入れるような感じがする。「まける」をネイティヴで使っている人の感覚を聞きたいところだ。《後日》《川上蓁「音曲玉淵集の入声と促音」『国語論究6近代語の研究』p45に「ぶち明けた話が[ぶっちゃけた話]と発音されることがある」。1997.9.12追記》
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