(4)小書きにした「や、ゆ、よ、つ」は、タイプ又は印刷の配字の上では一文字分として取り扱うものとし、(注)に示すように、上下の中心に置き、右端を上下の字の線にそろえる。
とある。光村図書の国語教科書などに見える〈右上四分の一〉とは全く違うものだ。手書きと「タイプ又は印刷」という違いは有るが、どうも〈右上四分の一〉の根拠の無さが思われる。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 |
(4)小書きにした「や、ゆ、よ、つ」は、タイプ又は印刷の配字の上では一文字分として取り扱うものとし、(注)に示すように、上下の中心に置き、右端を上下の字の線にそろえる。
〔注意〕次のような語の中の「じ」「ず」は、漢字の音読みでもともと濁っているものであって、上記(1)、(2)のいずれにもあたらず、「じ」「ず」を用いて書く。 例 じめん(地面)/ぬのじ(布地)/ずが(図画)/りゃくず(略図)
6 この仮名遣いは,「ホオ・ホホ(頬)」「テキカク・テッカク(的確)」のような発音にゆれのある語について,その発音をどちらかに決めようとするものではない。
彼(ジョン万次郎)の書いた英語練習帳のWhat time is it now ? の傍らに、「ホッタイモイジルナ」とあるのだ。
この本、単語「男子」の項を見ると、「ボヲヤ」と出ている。(中略)「女子」を見ると、「ゲロ」と書いてあったりして、
安政年間に出た漂流記には「男子をボヲヤ、女子ゲロ」と記してあったそうです。
フハヤ アー ユー ゴエン
太政官記事。第百八十三号○自今公文中総て計算上一倍の呼称を止め、従前の諸規則等に一倍と記載有之分は、二倍と改正候条、此旨布告候事。
但譬ば原金高一円の二倍は二円十倍は十円と計算候儀と可心得事。明治八年十二月二日 太政大臣 三条実美 (原文片仮名)
ミス゛キ゛ヨーサ゛とかいてある。スイギョーザを食べた積りであったのに。
前にも書いたが、西安の小吃(屋台の様なの)で食べる酸湯水餃は本当に美味しかった。ガイドブックなどにも載っている解放路餃子館などで食べるのよりもずっと美味しいのだ。帰国後、日本の餃子の不味さには閉口したものだ。餃子の中身に余計な味を付けすぎなのだ。
肝臓は体内での各種代謝の中心的役割を行う重要な臓器のため、……能力が強いため……症状があらわれません。 したがって常に肝機能検査が必要と考えられるわけでサピン錠は下記効能にすぐれた効果をあらわします。
一学期
聞く態度や話す態度に節度がほしいと思います。
手洗いや準備がおそいために配盆がおそくなることがあります。
二学期
学習時間にもっと元気がほしいと思います。特に体育は力一杯してもらいたいと思います。
仕事がおそいために、人の世話までできにくいようです。体が機敏に動きません。
のろいために完成しないまま終ることがあります。
三学期
学習態度がやはりだらしないようです。度々注意しますが、なかなかなおりません。そのため聞き落しがあり、失敗も何度かありました。
掃除中にぼんやりしていることがあります。
自分の机の中の整頓は余りできません。
五年生の時の担任からはヌルと言われた。動作が緩慢であるからだ。ノロい、というよりもヌルいというのだ。私にとっての最暗黒時代であるこの五年生の時の通信簿は残っていないが、転校する私に対してクラスの人々が書き殴ったノートが残されている。私はこの時の転校はものすごく嬉しかった。終業式の日に転校する人々が教室の前に立っているのをとても羨ましい思いで見ていたのだが、「家から連絡があってお父さんが転勤だ」と言われた。ノートはそんな状況で書かれたものだ。それには、
むこうのがっこうにいってヌルがなおるといいね。
ヌルの競争相手がいなくなってざんねんです
のろま中ののろまなので注意するべし
きびんに動いて先生にすかれてね
さて、娘の教科書だが、「うさぎのむねかざり」の「むねかざり」という語は初めて見たが、『日本国語大辞典』には載っている。
「ちいさなたね」に(p32)、
おまちどうさま
「ぼくのがっこうのこうしょう」の校長先生のお話で、
ほしは、ふつう 五つの とんがりが ありますが、こうしょうは それが 六つ あります。
思い出したのだが、校長先生用の講話見本集のようなものを古書店で見かける。ああいうものがあるということは、多分、推薦書模範文例集とか通知表評価文例集とか言うのもあるのではないかと思う。こちらの方が需要が多そうな気がするし……。でも古書店では見かけないような気がするが何故だろう《通知表用は新刊本の店で見た》。校長用はぱりっとした造本だから売りに出るけど、そうでないのはツブされてしまうのかな。
(道徳の教科書の文章には出典があるものもあるが省略)
援助交際は売春です。
政治献金は賄賂です。という言葉が思い浮かび、ついで、店などに貼ってある、
万引は立派な犯罪です。
立派な行為です。
そうそう、「嘘つきは泥棒の始まり」ってのも、「嘘をついていたらそこから始まっていつか泥棒になってしまうんだよ」という意味だと思っていたのだが、「兄弟は他人の始まり」という言い方もあるように、〈嘘つきは、もう泥棒の仲間に入ってしまっているのだよ〉という意味だ、という解釈がある。
それからもう一つ思い出すのは、
無益な戦争はやめましょう
戦争てえものは、この、無益なものなんですな。そうした、この戦争てえものは、ひとつやめようじゃございませんか。
朝日小学校校歌 岡井慎吾作歌(吉田恒三作曲)
一 昇る朝日と名におへる
学の庭にうち集ひ
つむやかたみに教へ草
のぼる朝日のたゆみなく。
二 のぼる朝日と名におへる
学の庭をふみならし
おふす心の杉はしも
のぼる朝日のいや高く。
(『朝日村誌』大正9.10.15)p17
「作詩」ではなく、勿論「作詞」でもなく、「作歌」であるのも面白かった。
鐵子夫人はもの静かに語る。七十一歳とは思えぬほど若く、顔肌の美しい婦人である。
福岡出身の私にとって、ライオンズはやはり特別な球団である。しかし西鉄ライオンズの最後の優勝の時に二歳だったわけで、小倉球場の近くに住み、応援するようになった小学五年生の時分にはもう黒い霧を経過していて、最弱球団になっていた。外国人選手はポインターとボレスを覚えている。キャッチャーは宮寺、ファーストが高木喬、セカンドはもう基ではなかったか、サードに竹之内がはいっていたか、ショートは菊川か梅田、外野には東田がいた。《小倉球場での開幕試合を見に行った。》
太平洋クラブの初年が私の中学一年にあたる。この頃からラジオのナイター中継をよく聞いたものだ。太平洋クラブからクラウンライターの頃の選手はよく覚えている。高校三年の時の身売りで福岡を去り、埼玉へ行ってしまうと知ったときは物凄いショックであった。受験するのを関東の大学に変えようかと、半分真面目に考えたものであった。しかし、福岡の応援団が西武球団に福岡平和台球場での惜別試合を開いてくれと頼んだのに対して、拒絶した上でもう応援しなくて良いと言った、という話を聞き、私はアンチ西武になったのでありました。真弓・若菜・竹之内・基といった人々がライオンズから去ったのも好都合でした。
で、私はホークスが福岡にくるのと入れ替わりに関西へ移ったのです。……ということはホークスが福岡に行ってもう8年も経つのね。全然強くならない。