1997年03月04日

【「菓子パン」「ハマ」】

 昨日の「菓子パン」といえば、森銑三『明治東京逸聞史1』(平凡社東洋文庫)のp129に、「菓子パン」という言葉を
今は聞くことが少なくなってしまった
としているのに驚いたことがある。
 またp11には、横浜のことをハマというのも「いつの間にかそれも聞かなくなった」としている。
 このようなものはどう考えるべきなのだろうか。本当に一旦耳遠くなったものが復活したと考えれば良いのか、あるいは単に個人的に耳にしないようになってしまっただけと考えれば良いのか。これはものによるのだろうが。



 たしか『消えた日本語辞典』の中に、ストッキングの「伝線」というのがはいっていて、これは著者が年をとることによってそのような言葉と接する機会が失われたのであろう、と考えたことがあった。いくら戦後、女性と靴下が強くなったとしても、伝線せぬストッキングを販売したのでは商売あがったりであろう。


 ところで横浜をハマと呼ぶのは俗語、という感じである。ではロサンジェルスをロスと呼んだり、サンフランシスコをシスコと呼んだりするのはどうなのであろうか。これも俗語、という感じが日本語の中ではしてしまうのだが。ニュースなどで「ロスでは……」などといっているのを聞くと、「ハマでは……」などとはニュースでは言わないだろうにな、と思ってしまう。シスコというのはより一層俗語らしさが強い気がするが、これは後半部を採用しているからなのかな。

【補】
 「調理パン」という語についても書く積もりであったが、筆が逸れてしまった。これは私は中学校に行って給食が無くなり、昼食に業者がパンを売りにきているのだが、その折に覚えた言葉であった。

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1997年03月03日

【ぶっちゃけた2】



 8/24に「ぶっちゃけた話」について書き、「ぶちあけた話」「うちあけた話」「ぶちまけた話」の形をしめした。今日見つけたのは、「〜話」ではないが、「ぶっちゃけた」の面白い表記だ。

 井上ひさし『さそりたち』(文春文庫1982.3.25)のP55。
家や店にいると息がつまる。そこでどっかぶっ裂(ちゃ)けた女と外で遊びたくなる

とある。

 促音のあとで、サ行音がツァ行音、あるいはチャ行音になることはあるわけであるが、これは「ぶっちゃけた」の「ちゃ」をそうした変化によるものと解釈したものであろう。


 同書のP132に出てくる「甘食」という言葉、私は知らなかったのだが、『日本国語大辞典』には載っていて、「甘食パン」の略なのだそうだ。菓子パンと食パンの中間程度の甘さということだ。《現在でもヤマザキパンで売っているようだ》

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1996年11月13日

【じょんのび】

 先日書いた東海限定ビール「でらうま」に関して、新潟限定の「じょんのび」というのがあるという情報を頂いた(地方ビール一覧もお教え下さいました。有難うございます)。この「じょんのび」、新潟の方言だと言うので調べてみる。
 しかし『日本国語大辞典』には載っていない。ここで慌てず『全国方言辞典』を引く。載っている。「のんびり」とか「ゆったり」とか言うのであたりをつけて、『分類方言辞典』を引く。すると「じゅんのび」が載っている。そこで『日国大』で「じゅんのび」を引くと載っていて、訛りとして「じょんのび」が出てくるという次第である。
 『日国大』の方針として、訛りの語形の一々を見出しに立てず、1つに纏めてそこに訛りとして掲げる、というのがある。平凡社の『大辞典』が一々を掲げて見出し語数70万を誇るのに対し、『日国大』では40万というのはこういうところに原因がある(その他『大辞典』は漢字辞典をも兼ねさせようと漢字1字の見出しを多く持つこともあろう)。
 さて、訛語を1つに纏める場合、標準語形があればそれに纏めればよいのだが、「じょんのび」「じゅんのび」「ずんのび」のように新潟・長野あたりの語形で東京語に無い場合、どれに纏めるのか。具体的には、何故「じゅんのび」に集めて、「ずんのび」「じょんのび」を訛形としたのであろうか。
 まず、「じゅんのび」から「ずんのび」へも「じょんのび」へも変化したと考えることが出来る、というのがあろう。「ずんのび」や「じょんのび」を基本の形にした場合は「じゅんのび」を経由しないと他の語形に訛れないのである。
 もう一つ考えたいのは、「じゅん」の音が「じょん」「ずん」に比して日本語の音として馴染んでいる、というのがあるかもしれない。標準語の中に〈拗音+ん〉というのは少ない。
 きゃん、きゅん、きょん
 ぎゃん、ぎゅん、ぎょん
 しゃん、しゅん、しょん
 じゃん、じゅん、じょん
 ちゃん、ちゅん、ちょん
 にゃん、にゅん、にょん
 ひゃん、ひゅん、ひょん
 びゃん、びゅん、びょん
 ぴゃん、ぴゅん、ぴょん
 みゃん、みゅん、みょん
 りゃん、りゅん、りょん
以上の音を持つ語は少ない、ということである。漢語を含めてもそうで、西洋系や近代中国語系の外来語、また擬声語擬態語を除くと殆ど無いと言って良い。
 しかしこのうち、「しゅん・じゅん」だけが例外で、ここには漢語が沢山ある(かわりに「すん・ずん」が少ない。「寸すん」というのは例外的な音なのである)。
 「じょん」「ずん」というのが標準語音らしからぬので「じゅん」を選んだのではないか、というのは考えすぎかな。「のび」は「のんびり」と関連のある語だろうから、「じゅん」にも意味があって欲しい、「じょん」「ずん」にはあまり意味がなさそうだ、ということもあるか。

 小学館の『《日本》方言大辞典』があれば、上記の様に、『日国大』『全国方言辞典』『分類方言辞典』を交互に引くと言うような面倒なことはしなくてもよいのだが、自宅には置いていないのでこういう手順を踏まざるをえなかったのだ。

 平凡社『大辞典』には、「じょんのび」「ずんのび」を載せ、「じゅんのび」が無いようだ。 《「じんのび」の形もある。佐渡などが載っているが、石川県能登でもいうという情報をメールで頂きました。》

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1996年11月12日

【ほっぽりだす/おっぽりだす】

 岩合日出子『アフリカポレポレ』(新潮文庫1990.2.25)のp93に「放(ほ)っぽりだして」、p102に「おっぽりだして」とある。
 「ほっぽりだす」「おっぽりだす」の二形は、今は「ほっぽりだす」の方が主流であろう。しかし語源を考えると、「おっぽりだす」の方が原型かと思える。即ち「追い放り出す」である。「ほっぽりだす」だと「放り放り出す」になってしまう。
 手元の用例で「おっぽりだす」を使っているのは、森鴎外『高瀬舟』、小松左京『終わりなき負債』。
 「ほっぽらかす」と歌っているのは玉置浩二「田園」。これには「おっぽらかす」の形は無いのか。「ほったらかす」の影響で出来たことばなのか。《おっぱめる・ぼっぱめる、おなじ・まっぽなじ》
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1996年11月11日

【新郎新婦】

 鴎外の『青年』に次の様な部分がある。
新人といふのが嫌ひで、わざわざ新しい人と云ってゐるのです。僕がいつか新人と云ふと、新人とは漢語で花娵の事だと云って僕を冷かしたのです。
これを見て思い出したのが、自分の失敗談。まもなく結婚するということらしい人に、「新しい旦那さんによろしく」と言ってしまったのだ。多分言ってしまったのだと思う。相手の反応が過剰に感じられたからだ。「新しい旦那さん」では「古い旦那さん」が居るようではないか。私自身は「新しく旦那さんになる方に」というようなことが言いたかったのである(これでも「古い旦那さん」の存在を感じますかね)。
 「新郎」なら「古い郎」の存在が無くとも使えるわけですが、「新郎」を「新しい男」と訳すわけにはいけませんものね。
 日本語と漢字のずれはやはり面白い。
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1996年11月10日

【横書き再び】

 昨日は名古屋へ行った。名古屋では研究会に参加した訳だが、配られた資料の中に戦前の南洋の地図があった。「昭和十四年四月末日調」というもののようである。これは右横書きで書いてある。殆ど縦に近く右下から左上へ書き上げているものもある。地名を見ていて引っ掛かった。「オバダ」と右から書いてある。場所は比律賓のミンダナオ島。「オバダ」? オノダさんはルバング島だった。オバダは間違えではないか。「ダバオ」だろう? これは「ダバオ」と右から書くべきを左から書いてしまって「オバダ」になってしまった、という、横書きの左右にまつわる間違いだろう。左右の横書きによる読み違いはよくあることだが、書き間違いもあるのだな、と思った次第。ここだけ後で書き足したのか、とも思うが字体は同じ様だ。印刷前の作図の段階で、あとで書き足した、ということもあるだろう。
 昔オバダで今ダバオ、ってことはない。昔からDavaoだし、阿川弘之『山本五十六』にも出てくる。
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【でらうま】

 名古屋で飲んだビールは「でらうま」。「北陸づくり」や「関西風味」よりは思いきったネーミングだ(他の地域のは知らない)。「でら」は「どえらい」「どえりゃー」のようだが、deluxeも加味しているのであろうか。
 10年以上前に、九州で売行きの悪いサッポロビールが九州地区限定と称して「アワーズ」なるビールを売出した。なかなか巧いネーミングだと思ったものだったが《泡ん出づ》、あまり流行らず消えてしまったようだ。ここ数年の地域限定ビールの隆盛(疑似「地ビール」なのだろうか)を見ると、流行らなかった「アワーズ」の事を思い出す私である。
 地域限定と言えば、京都限定の煙草に「雅」というのがあった。れっきとした専売公社の煙草であった。私も喫煙時代、京都に行ったり、あるいは福岡でもタバコセンターのような所を通りかかると、つい購入してしまっていた。ところが先日の「パネルクイズアタック25」で、「たばこ産業株式会社から出ている煙草で漢字1文字の煙草は……」で「峰」という答えを出していた。「雅」は無くなってしまったのであろうか。
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1996年11月09日

【晴れがましい】

 「晴の場で堅苦しくなる(あるいは照れる)」というような意味が古く、「光栄である」というようなプラス評価の意味は新しいかと思って、『日国大』を調べてみたら、プラスの意味も古いもの(中世・近世・近代)が載っている。それなのに、『日本語相談4』の対談上で(文庫では何巻何頁か未調査)、大野晋氏はけしからんというようなことをいっている。大野晋氏が編者の一人である『岩波古語辞典』でも
(1)いかにも晴れの場らしい。また、表立っている。(2)いかにも晴れの場にいるようで、かたくるしい気分である。(3)人目が気になっておもはゆい。
となっていて、(1)はプラス的な意味の様であるが、プラスの方向が違うのか。「嬉しい」気持はないか。『三国』では3版以降に「また、目立って光栄に思うようす」とあり、2版以前にはない。
 プラスの意味は〈復活した〉と見るべきなのだろうか。
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1996年11月08日

【は】

 昨日の「総選挙に棄権」に対して、「総選挙は棄権した」ではいかがか、というメールを頂きました。うーむ、おみごと。「は」とはうまい逃げ方だと思います。
 どうしてハが「逃げ」になるのか。「ハは格を表わさないから」であります。つまり、
  • 私は読んだ。(が+ハ=は)
  • この本は読んだ。(を+ハ=は)
  • 子供には読んでやった。
  • 図書館では読んだ。
  • 最初からは読んでない。
というように、「が・を」にハ(の意味)を加えた場合、「がは」「をは」とはならずに単に「は」となるのです(昔の「をば」は「を+は」であったのでしょうが。また「の+ハ=は」という考え方もあります。「江戸神田の生まれよ!」《「象は鼻が長い」もね。》)
 この「総選挙は棄権した」の「は」が何かというと、「を+ハ」でありましょう。つまり「総選挙を棄権した」と同じ様なものである、と。しかし、「総選挙を棄権した」よりも落ちつきがよいと感じる人が多いのではないでしょうか。
 「消費税廃止致しまして」と、細川首相(当時)が言った時に、〈変な言い方だ〉と感じたのですが、これも「消費税廃止を致しまして」といえば随分落ちつきがよくなります。「棄権した」の場合も「権を棄てる」という、「を」の存在の感覚(語源論ではなく語源意識を言っています)があるので、「総選挙を棄権する」の落ちつきが悪いのではないか、と感じるわけです。(昨日の「烏丸出口を」は「烏丸口を」が正確だったと思います。)

 「ガとハの区別」などと言いますが、「ハの有無」と考える方が良いように思っています。

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1996年11月07日

【棄権】

 選挙で投票する権利を放棄することについては、京大倫理の江口さんの所で議論が行われているが、7日の朝日新聞朝刊、文化欄だから夕刊のある地域では6日の夕刊だろうが、その「'96総選挙再考下」(前田浩次署名記事)で、
総選挙棄権した
としている。この「に」がひっかかる。
 では、どういえば落ちつくのか。
     
  1. 総選挙を棄権する  
  2. 総選挙で棄権する
「を」の場合、「投票を棄権する」という江口さんの所の書き方も参考になるが、「棄権」自体が「権を棄てる」というものなので、やや「お金を借金する」的な言い方に感じる。
 1つの文中に「を」が2つ続けて出てくると落ちつかないものだ。「英語を勉強する」「英語の勉強をする」とは言えても「*英語を勉強をする」と言えないわけだ。そして「烏丸出口を出場して下さい」(京都駅にある)が落ちつかないのも、「出場」に「を」が含まれているから、という気がする。「烏丸出口を出て下さい」なら何の問題もないのだから。
 ともあれ、「総選挙を棄権する」は「総選挙に棄権する」よりもずっとマトモではある。

 「総選挙に投票した」なら許せる気がするが、これも「総選挙で○○党に投票した」と並べてみると落ちつきが悪くなる。「総選挙を投票した」とは言えないな。「総選挙で投票した」これは勿論OK。うん、やはり「総選挙棄権した」でいきましょう。

 「総選挙に参加した」の反対の積りか?

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1996年11月05日

【ほおる】

 雑誌『日本語学』(明治書院)の今月(11月号)の特集は「電子社会のコミュニケーション」。いろいろある中で、野村一夫「個人ホームページの力、電子メールの力―社会学専門ウェッブSOCIUSの経験から―」が、私には一番面白かった。ホームページに向く人と、メーリングリストなどに向く人がいて、「ホームページ更新に向いている人は……古いタイプのコミュニケーションへの志向性が強いといえるかもしれない」というのは、そうかもしれないと思った。BBSに書きこむ場合などはその掲示板の流れがあるし、毎日1回書く、などというのはよほど周りを無視する性格がないと無理だろう。野村氏のページはasahi-net上にあって、http://www.asahi-net.or.jp/~bv6k-nmr/

 言葉の面では、斉藤康己・鷲坂光一「インターネットは電子図書館か?」に出てきた、

たとえリンクが張られても、情報は生きていることに意味があり、ほおっておかれた情報はいずれ死んでリンクが外されてしまう。
の「ほおって」。これは「はふる」であるから、現代仮名遣いでは「ほうる」である。「ほおる」と表記してしまうのは、「通(とお)る」「凍(こお)る」の影響であろうか。「放る」という、宛字っぽいものをヒントにしても「ほうる」と書けそうなのだが。
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1996年11月04日

【再放送】

 せっかく車を買ったので、出無精な私も家族とドライブにでかける。今日はトンネルの入口で「トンネル内ラジオ再放送」という掲示が目についた。高速道路のトンネルなどでは、AMラジオを付けていよ、という掲示があって、「只今トンネル内では工事を行っておりますので云々」という放送が受信されることがあるが、この場合はどういう意味だろうと思った。偶々ラジオを付けていなかったので分らないが、多分次の様なことだろうと思う。〈普通、トンネル内には電波は入ってこないが、このトンネルの場合にはキャッチした電波を、同じ周波数でトンネル内に発信している〉。
 受信した電波を再び発信するから「再放送」と呼んだのだろうが、どうもしっくり来ない。普通にいう「再放送」は、〈時間をおいて再び〉であろう。しかも、電波を出すだけでは「放送」とは言えないような気がする。せいぜい「中継」であろう。
 しかし、「トンネル内ラジオ中継放送」などと書いてあったら、
全国の皆様、こちらは○○トンネル内特設スタジオです。
というようなものを想像してしまう。「トンネル内ラジオ聴取可」とでもしておけば良いか。しかし、高速道路のトンネルの様に緊急放送をラジオ電波に乗せて流す準備があるのなら、また別の表現が望まれる。

 サイホーソーといえば、福岡市東区の筥崎八幡宮・東警察署の近くにあった「再訪荘」という名の下宿屋を思い出す。なかなか良い名である。ついでに思い出すのが、熊本にあったと記憶する「再函荘」。あれ、違ったかな、見当らない。
 そして再春館製薬in熊本である。テレビコマーシャルでもやっていたが、「再春館」は熊本藩の醫療施設の名。そして「再春」は「回春」に通じる。「回春」といえば、現代語では意味が限定されているが、本来は病気から回復する意味であった。「万病回春」などということばもあった。
 言葉関係で「再」といえば、「再突入」の「再」はどういう意味であろう、とか、そちらへ行きそうであるが、行かないのもまあよかろう。

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1996年11月03日

【新聞の楽しみ・多様】

 車を買った。おまけに冬用のタイヤを付けてもらったのだが、納車時、車中に積まれていたタイヤの下に敷かれていた新聞紙が「日刊自動車新聞」という業界紙(「10月29日発行10月30日付」と明記してある。一般の新聞も新聞休刊日のことを考えればこうなのだろう。「本日は新聞休刊日だから明日の新聞は休む」など。)。このような珍しいものは滅多にお目にかかれないので、一面右上の紙名のところを切り抜くべく、畳んで部屋に置いていたら、妻が物を包むのに使ってしまっていた。あわてて救出すると、大事な部分は残っていた。よかったよかった。でも、専門用語とかで面白いのがないかと捜す楽しみが減ってしまった。
 残った中から強いて捜せば「多様な汚れ」。「多様な」というのはプラス的意味、よい評価を与える場合に使われることが多いように思い、だからこそこの表現が目についたわけであるが、こういう風にマイナス評価でも使うことがあるのだという発見。「多様な苦労」「多様な困難」「多様な失策」「多様な故障」。うーむ、私はやはりプラス評価の方が落ちつきそうだ。
 また、この新聞で面白く思ったのは、地方版が載っていること。全国版と九州版・東北版・関東版・近畿版などが一つの中に入っているのだ。


【多】(翌日追記)
 昨日の話題、本来なら、「多様」はともかく「多彩」はプラス評価を伴う、「多大」はマイナス評価っぽい(多大な損失・多大な迷惑)、幾多もマイナスかな? などと続けるべきだったのがしりすぼみに終わってしまった。
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1996年11月02日

【おもねる】

 書店の文庫本の新刊コーナーを見ていて、河出文庫を手にして裏表紙の概要を見ると、「おもねて」と書いてあった。これは伝統的には「おもねって」とあるべきである。つまり動詞「おもねる」は本来はラ行五段活用な訳だが、ナ行下一段活用に変化している訳である。
一段活用の「ナ行」というのはあまり関係ない。「ね」とエ段であるから下一段活用と誤解され得るのだ。下一段とラ行五段とを比較してみれば共通するのは終止連体形と仮定形である。「おもねず・おもねらず」「おもねて・おもねって」「おもねます・おもねります」「おもねる・おもねる」「おもねれば・おもねれば」「おもねろ・おもねれ」
『三省堂国語辞典』では二版から「下一段にも」としてある。「辞書はかがみである」と『三国』の序文にある。現実をありのままにうつす「鏡」と、規範としての「鑑」である。「鑑」としての態度は、「〜は誤り」という記述が示すのであろう。
「おもねる」の下一段には「誤り」とは記されていない。「〜にも」とあるだけである。
「〜は誤り」と「〜にも・〜とも」の間には何もないのか。「〜のような言い方は不快に思う人も多い」などの記述があってもよいのではないか。

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1996年11月01日

【ポチ袋】

 京都書院から文庫サイズで紋様や色など、いろいろと面白そうな本が出ている。カラー印刷にしてはお手頃なお値段、という感じである。その中に「ポチ袋」があった。
 祝儀袋や子供に与えるお年玉を入れる袋の関西での言い方である。福井でも見かけたが、滋賀県を本拠地とする平和堂においてである。『日国大』を見ると、関西だけでなく西日本にもうすこし広がりを見せているようであるが、「ポチ」に御祝儀の意味が有るという。「新発意シンポチ」から連想して、「気持ちです」の意味で「発意」としたという、洒落言葉的語源を想起したが、実際のところはどうなのだろう。パ行音で始まる言葉なんて外来語か擬声語でなければ、上を省略したとか(若者言葉の「パシリ」)、ハ行かバ行音を冗談ぽく言ったのが始まりとか、そんなことでもなければありそうにない。

 そういえば、京都で売っている不祝儀の袋、黒と白じゃないのですよね。黄色と白です。最初見たときには驚きました。祝儀の赤と白、それから他地方に持って行く為の不祝儀の黒と白、更に黄色と白が置いてあるから、一体何に使うものだろうか、と考えてしまったものです。
 地方差ついでに、結納のこと。福井県は名古屋以上に結婚関係にお金を掛けるところで、結納には専門の業者が居るようです。ところがそういう業者が居ないところではどんな業種の人が結納を扱っているのか。例えば九州福岡ではお茶屋さん。「お茶屋さん」と言っても「揚屋」「置屋」といった色街のそれではなく、teaを売っているお茶屋さんです。これは江戸時代からそうであったことが文献に残っています。紙屋が扱う地方も有る、と聞きました。こういった地域差を知りたいと、『日本民俗地図』を見てみたのですが、あまり調査項目が多くなくてがっかりしました。



【ポチ】
 先日の記事で触れた『ぽち袋』を店頭で手に取ってみた。〈ポチは上方語で小さい物の義〉などと書いてある。なるほど。……今日はアルコールが入っていてとても眠い。



【ぽち】(続き)
 mailで「単に小さいだけではなくて可愛らしい感じ」とのご指摘を頂いた。そうでした。たしかに本の中にも「小さくて可愛らしい」と書いてあったのだ。昨日は眠くて駄目だった。お許し下さい。
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1996年09月30日

【句読点】

 よろづや談義(藤間さん)とふと感じたことなどの書き殴り(江口さん)が、横書きの句読点について問題にしていらっしゃる。
 まず、『公用文作成の要領』(昭和27年4月4日内閣閣甲第16号依命通知で、昭和56年10月1日に変更されたものらしい。電子ブックプレーヤーに付いてくる8cmCD-romの三省堂『用字用語辞典』による。)では、
(公用文は)なるべく広い範囲にわたって左横書きとする。
として、
句読点は、横書きでは、「,」および「。」を用いる。
としている。

 文部省『くぎり符號の使ひ方〔句讀法〕(案)』(昭和21.3)では、「主として横書きに用ひるもの」として、
一、ピリオドは、ローマ字文では終止符として用ひるが、横書きの漢字交じりかな文では、普通には、ピリオドの代りにマルをうつ。二、テン又はナカテンの代りに、コンマ又はセミコロンを適当に用ひる。
(原文縦書)
としている。
 「普通には」とあるが、実態はどうだったのだろうか。
 『横書きするなら左から』という、昭和14.5.26に出た本がある。「国語協会横書問題研究委員会著」となっている。国語協会の会長は近衛文麿。この書の中で句読点については、
、。,.などの句讀點や%!?などの記號に至つては,右から書いたのでは,先づ絶望に近い。
とするだけで何も触れない。で、実際にはご覧の通り「,。」である。論ずるまでもない事だったのだろうか。



 私は横書きの本はあまり持っていないが、横書き雑誌の『日本音声学協会会報』を見ると、当初「、。」で筆者によって「,。」になることもあったのが、第39号(S10.12)から、「,。」になっているようである。編輯後記に、

表紙もつけ,組方も多少改めました。
とあるのはそのことであろうか。
 神保格・常深千里『国語発音/アクセント辞典』(厚生閣S7.11.14)の「例言・解説」も「,。」


 日本における句読法の歴史は大変なので省略。ただ、江戸時代に「.」や白抜きの「、」も有ったことは書いておこう。


 日本語の横書きの歴史だが、昔のものに見える右横書きは、〈1字詰め縦書き〉と解されるもの。単に日本語を横にするのには困難だったらしく、英和対訳辞書などでも、英語は横書きなのに、日本語は縦書きというものもあった。日本語の縦書きに英語を交えるときに横に寝せるのと、同じといえば同じ。〈2字詰め縦書き〉というせまくるしいのもある。この辺については、惣郷正明『日本語開化物語』(朝日選書1988.8.20)のp163〜「横植、正植、誤植」「縦書き、横書き再説」「数学書の組み方」「傍聴筆記、記憶術、速記」(もと『言語生活』370,371,392,395)にも見える。文章だけで書いてあって分りにくいので、同氏『目で見る明治の辞書』(辞典協会1989.1.20)を眺めると、36頁あたりに記述がある。ただ残念ながら左縦書きなどの写真はない。いろは引きの『万国新語大辞典』のことが6頁に書いてあった。

 右からの横書きについては、佐藤貴裕さんの気になる言葉参照。


 車の右横に見える右横書きに関しては、見坊豪紀・稲垣吉彦・武藤康史『[89年版]ことばのくずかご』(筑摩書房1989.7.25)の66頁、あるいは「[新]ことばのくずかご」第57回(『ちくま』89-1)に、毎日新聞1988.11.5からの情報として、

(道路運送)法発足時、走行中読みやすいとの理由から、進行方向に向けて表示するよう指導を受けました。
とある。『日本国語大辞典』によると道路運送法制定は昭和26年とのこと。《村上春樹が気にしているらしい》
後日

《その後、屋名池誠『横書き登場』岩波新書が出ている。》
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1996年09月29日

【もって】

昨夜のハードディスクの事故。今日は残ったファイルの救出にかかる。コピーしようとするとハングアップしたりして最悪。随分諦めてからフォーマットすると、まぁフォーマットの速いこと。あっと言うまに終るのが悲しかった。


 前から気になっていた『VOW』であるが、昨日古本屋で安く売っていた『vow2』(JICC出版局1989.7.20)を、初めて買った。
 昔『言語生活』という雑誌に「カメラの散歩」というコーナーがあり、面白い言葉を記した看板などを写真に収めて楽しむコーナーがあったのだが、その過激なのが『VOW』といってよかろう。単なる誤植もあるし、言葉の問題だけでなく別のものも入る訳だが。

 その41頁に、

シンナーを缶に
入れ吸いもつて町内を歩
若者がふえてゐます、

とあり、

この「吸いもつて」っていうの方言か。

とコメントしている。大阪の門真警察署の管内で貼られていたものの様であるが、確かに関西では「〜ながら」というのを「〜もって」と言うようである。
 わたしの場合、これを知ったのは、京都府立大学文学部のトイレに貼ってあった紙によってである。

小便は水を流し
もってして下さい

わたしはこれを見たとき、

貴殿のものは貴殿が思っているほどは長くないのでもう少し近付いて用を足されたし。

というのを思い出した。つまり「持って」用を足しなさい、ということだと思ったのだ。そうしないとこぼれるよ。「もって」の前で改行しているのも罪である。
 近付いてみると、落書きで「なにこれ?」と書いてあり、更に横に別筆で「京都方言で流しながらの意味」と書いてある。
 「もって」という語形は東京語にもあり、文章にも出る。これも気付かれにくい方言なのかも知れない。
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1996年09月28日

【レジ袋】


困った。macのファイルがドドーンと消えてしまった。ノートン先生でも助けられないのだそうだ。バックアップを取ってフォーマットせよ、というのだが、バックアップを取りたくても消えてしまっているのだ。ああ、どうしよう。とりあえず今残っているのだけでもやらないと。しくしく。えんえん。

 福井市は十一月からのゴミ袋半透明化に伴い、その説明書が配られ、ゴミの分別の仕方や入れる袋などが示されている。この場合はブンベツとよむようだが、ついフンベツ回収と言ってしまう小生である。福井に住んで一年になるが、ゴミの分別の仕方を目にしたのは初めての事である。「分別しましょう」といううたい文句だけは毎月の広報などでよく見ているのだが、何が燃えるごみで何が燃えないごみかの基準は示されたことが無かったのである。おそらく分別収集を開始した際には示されたのであろうが、私の様な外来者はそんなことは知らない。
 前に住んでいた大津市、また、その前に住んでいた滋賀郡志賀町では、住民票を移した際に「ごみカレンダー」を手渡された。さすがベッドタウンだけに転出入なれしている、と言えようか。

 そういえば福井市では三歳未満の児童の医療費補助制度がある。ところがこれを全然情宣していない。この「情宣」も気になる言葉だ。学生運動用語? 左翼系用語? 我が家では、かかりつけの小児科をかえてから、そこで初めて教えて貰ったのだ。そういえばそんな新聞記事を読んだことはあったが、所得制限などあるのだろうと思っていたのだ。
 前に住んでいた大津市では二歳未満を補助していたのだが、やはり転入の際にそのような書類をもらい、県内の病院ではそれを見せれば払う必要がなかったのであった。
 ともかく福井市も転入者にやさしく、またきちんと広報活動を行って欲しいものだ。情報公開制度の検討もよいが、住民の請求が無くてもこういう情報は公開しなければなるまい。


 愚痴はこれぐらいにして言葉の話題。この広報の中で「レジ袋」という言い方が見える。スーパーやコンビニのレジで使われる袋を指して言っているのであろうが、この言い方は初めて気付いた。
 私自身は「ポリ袋」と呼んでいた。時折「ビニール袋」といってしまうこともあったが、透明で軟らかい感じのがビニール袋で、白などの色付きで硬い感じのがポリ袋、と思っている。
 関西に住んでいた時に「ナイロン袋」という言い方を知った。京都で聞いたものだが、どの程度の広がりを持つ言い方なのだろうか。《神戸小学生殺人事件の時に、「不審な男」が「ナイロン袋」を持っていたと言っている人がいた。》

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1996年09月27日

【うっとおしい】

 9.27朝日新聞のテレビ欄(島崎今日子)に「うっとおしい」とあった。《wwwページ上でも盛んに目にする。》
 これは現代仮名遣いでは「うっとうしい」となるべきものである。『朝日新聞の用語の手びき』には無い。
 「なるべきものである」で説明終り、とはならない。「現代仮名遣い」に、

オ列の仮名に「う」を添える。

という本則があり、例外としてある、
次のような語は,オ列の仮名に「お」を添えて書く。

の中に「うっとうしい」が入っていないから。これでも説明終りにはしたくない。


 この「うっとうしい」、語源としては漢語の「鬱陶」に遡る。これを和化して形容詞にしたものである。歴史的仮名遣いでは「うつたうしい」となる。漢語が形容詞になるものとしては他に「執念」を「しふねし」としたものなどがあるが、外来語を形容詞化した「ナウい」などをも思い起す。「うっとうらしい」という形もあったようだ。ともあれ、歴史的仮名遣いで「たう」と書かれるものが、現代仮名遣いで「とう」と書かれるのは当たり前である。まだ続く。


 普通、オ列の長音について仮名遣いを間違える場合、例外を忘れて本則につく、すなわち「とうり」「こうろぎ」「こうる」という間違いが殆どである。しかるに「うっとおしい」という間違いを頻繁に目にするのは何故だろう。


 「類推」であろう。「いとおしい」「まちどおしい」からのと言ってもよいが、これでは「お」であることの積極的な支えにはならない。「くるおしい」などは、「お」であることの支えになるだろう。こういう語と関連のある言葉だと思えば、「うっとおしい」と書かれやすいのではなかろうか。

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1996年09月26日

【いろは歌】

 いろは歌は普通の読み方は七五調である。
   いろはにほへと ちりぬるを
   わかよたれそ  つねならむ
   うゐのおくやま けふこえて
   あさきゆめみし ゑひもせす
 私自身はこれを「小川の水もさらさらと〜」という歌の節に合わせて覚えたのだが、「炭坑節」でも「黒田節」でも「はるのうららの隅田川」でも、なんでもいけるのが七五調である。意味もこれで通じるように出来ている。
 ところが昔、獅子てんや・瀬戸わんやの漫才の中で《てんやわんやではなく、いとしこいしらしい。》、

   いろはにほへと
   ちりぬるをわか
   よたれそつねな
   らむうゐのおく
   やまけふこえて
   あさきゆめみし
   ゑひもせす
というのを聞いて、変った言い方があるもんだと思ったことがあった。しかし日本語の歴史を勉強してから、これは「常のいろは」という唱えかたで、意味が分る方は「根本のいろは」という唱えかたであることを知った。「常」というのだから、この〈てんやわんや方式〉のほうがかつては普通だったわけであろう。『仮名手本忠臣蔵』の「仮名手本」も四十七という義士の数(無理やりあわせた)と、「常のいろは」の各行末尾の「とかなくてしす」を「咎無くて死す」と読ませると言うのを合せたもののようである。暗号こじつけ本の一つ、篠原央憲『いろは歌の謎』(カッパブックス1976.2.29)で、〈「いろは歌」の謎に挑んだ学者たち〉の一人に大石内蔵助が入っていたのが面白かった。

 ところが、「いろは歌」の区切り方はこれだけではなかった。三宅武郎「アイウエオといろはのアクセント」『音声学協会会報』22(1931.4.30)によると、他の切り方もある。題名の様にアクセントを問題にしているのであるが、ここではそれは無視する。

 ヨタレソツネ、ナラムウイノ、オクヤマケ、フコエテ

というのが、七つ区切りに次いで古いもの。

 いろはに ほへと  ちりぬる おわか
 よたれ そつね  ならむ ういの
 おくやま  けふ こえて
 あさき ゆめみし  えひも せす ん


これが広く通じているもの、とのこと。
 てんやわんやの漫才は、「いろはのイ」というように言ってくれ、と言われた人が「すずき」という名を伝えるのに「いろはに……ゑひもせすのス」「いろはに……ゑひもせすのスに濁点」という調子で言ってへとへとに成る、というものであった。
 この「いろはのイ」というのを、私は〈「朝日のア」「いろはのイ」「上野のう」「英語のエ」「大阪のオ」……〉というものだと思っていたのだが、そうではないのかもしれない、と思えるものを今日見つけた。
 『文字と闘ふ』(大阪毎日新聞社1940.10.10)という本で、『校正の研究』を改訂したものなのだが、その中に、
仮名の音を説明するのには、いろは順で、たとへば、「を」なら「をわかのを」といふふうに説明するのがいい。

というのが出てきたのである。
かういふ説明の際の「いろは」の区切り方は、つぎのとほりである。

「いろはに」「ほへと」「ちりぬる」「をわか」「よたれ」「そつね」「ならむ」「うゐのおく」「やまけ」「ふこえて」「あさき」「ゆめみし」「ゑひも」「せすん」

これも違う区切り方だ。
pangram(うえだたみおさん)》
いろは歌(画像・東京大学理学部の松原さん)》

先日実施の、「いっつもかっつも」アンケート。本州方面から「知らない」の答えが。高知の方は「使う」。


《てんや・わんやの漫才が本当に最後まで77で言っていたのか自身が無くなる。ビデオやテープで確認したいものだ。でも漫才のテープなんて落語に比べたら随分少ないだろう。》
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