1996年09月25日

【キリキリ舞】

 「テンテコ舞」と同じ様な「忙しい」意味しか辞書にはないようだが、相手をギュウギュウに参らせてしまう(あるいは参ってしまう)ような意味でも使われるのではなかろうか。
 私の誤解か。いや、野球中継なんかで使っていそうな気がする。

  • 山本リンダ「きりきり舞」 きりきり舞であなたの人生さえも狂わせ
     忙しくさせてるのか。
  • ピンクレディー「サウスポー」
     連日の登板で忙しいのか。
  • タイガース さよなら僕の美少女よ、きりきり舞の美少女よ
     忙しいのかな
  • ハウンドドッグ 浮気なあの子はパレットキャット。きりきり舞さ
     浮気に忙しいのか。


どうも煮えきらず。
後日


先日実施の、「いっつもかっつも」アンケート。やはり本州方面から「知らない」の答えが。四国の方が「使う」と。
昨日の山崎豊子は有吉佐和子の間違い。佐藤貴裕さん有難う。
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1996年09月24日

【あらげる】


 9.22朝日新聞に「あらげる」が見える。書評欄の「味読乱読」(桜井哲夫氏)である。
ただ一度だけ呂燕卿は、声をあらげた
「あらげる」は「あららげる」の間違いであるとよく言われる。『朝日新聞の用語の手びき』(1989.1.20の21刷による)にも、誤りとしてある。社外原稿だからそのまま出したのだろう。
 しかしそもそも何故このような間違いの形が出来たのであろうか。



 音の面から、「らら」と二つ続いたから一方が落ちた、という説明が有る。國廣哲彌『日本語誤用・慣用小辞典』(講談社現代新書1991.3.20)でもhaplologyという術語を出して説明している。


 語構成的に見た場合、「あららげる」は「荒い」の語幹「あら」が「らげる」についたものではなく、「あら」に「ら」のついた「あらら」に「げる」が付いたと考えられる。「やわい」の語感「やわ」+「ら」で「やわら」「やわらげる」、「たいらげる」「たいら」の場合は「たいい」という形容詞はないが、「たいらか」という形もある所から、おなじ「ら」であろうか。
 「やわら」「たいら」という言葉は使うのに、「あらら」という言葉は殆ど使われない。一方、「ひろげる」という、形容詞語幹に直接「げる」のついた形がある。これに類推すれば「あらげる」はすぐに出来上がる。


 表記の面からも説明可能である。送り仮名というものはもともと「捨て仮名」とも言い、漢字のオマケであった。つまり「荒」は「あらい」という意味なのであるが、音声化する際に「あら」「あらい」「あらく」「あらければ」「あらかったら」などなどさまざまな形をとる。一々の場合においてどういう音であるのかを示す働きを、傍訓《フリガナ》と共に果すのが「捨て仮名」である。この「捨て仮名」の捨て方はさまざまであって、「アラシ」を現わすのに、「荒」「荒シ」「荒ラシ」、さらに凄いのに「荒アラシ」(全訓捨て仮名)というものまである。
 「荒らげる」とある場合、現在の様に送り仮名が規則化していれば〈「あららげる」と読まねばならぬ〉ということになるのだが、そうでなければ「あららげる」とも「あらげる」とも読めるのである。「あららげる」という言葉を知っている人は「あららげる」と読むであろうが、知らない人はどう読んで良いのか分らない。


 愚按ずるに、「あららげる」に対する「あらげる」は、以上の要素がいろいろと絡まり合った、複合変化(あるいは複合誤用)ではなかろうか。『複合不況』という本がはやった時に、山崎豊子《有吉佐和子の間違い》『複合汚染』からの新造語であるといわれもしたが《『複合不況』の序文にそう取れるように書いていた》、「複合〜」という言い方は「複合脱線」など、原因が複数想定され、それらがあいまって起こった場合に使われる言葉であったと思う。



 送り仮名を規則化すると、〈どう音声化するのか〉ということは示しやすくなるのだが、漢字の「訓」が〈意味〉であることが忘れられてしまいやすいようである。「働」は、「はたら」という字である、と主張する人も出てくる。「はたらく」という字でしょう、と言うと、〈「はたらく」の「はたら」だ〉と。漢字の表音文字化か。しかしこういう主張をする人に限って同訓異字の使い分けにはやかましかったりするから問題はややこしい。
《「あららげる」は『言葉に関する問答集』p618にあり》



一昨日実施の、「いっつもかっつも」アンケート。やはり本州方面から「知らない」の答えが。九州以外で使う人はいらっしゃらないでしょうか。
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1996年09月23日

【しる】


 一昨日、サ変動詞が「ず」に続く形を「しず」にしている鈴木三重吉のことを書いたが、今日古い雑誌を見ていたら、橘正一「鈴木三重吉の方言文学」『国語研究』4-12,1936.12)という論文が出てきた。三重吉は、童話作家になる以前の、初期作品中に広島方言を多用しているようである。特に療養のために滞在した能美島に取材した作品に方言が出てくるようで、橘氏によると、方言を多用したものはこの頃(明治38年ごろ)としては珍しいものらしい。『坊ちゃん』『破戒』もまだ出ぬ頃であったと、橘氏は書いている。

 橘氏が纏めた三重吉の方言の中に敬語法がある。「お帰る」「お出でる」と並んで「おしる」がある。「お帰りた」「おなりた」「お言ひた」「お忘れた」というのも載っている。
いけんのう。どうおしる
『おみつさん』という作品の中で使われたものだそうである。
 三重吉の方言ではサ変動詞はかなり一段化していたものであったかと思えるが、それでも、訳注に「しず」を使うと言うのには驚かされる。
 童話など子供向けの文章に気になる言葉が多いと言うのを読んだことがあり(山田兄弟だったか、はたまた丸谷才一であったか、あるいは別人か)、拙者もそう思うのだが、逆にだからこそ面白いことばも多いのだ。三重吉の童話を読んでみたくなった。


昨日実施の、「いっつもかっつも」アンケート。やはり本州方面から「知らない」の答えが。
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1996年09月22日

【いつもいつも・いっつもかっつも】

 新明解のファンの人は三省堂の『ぶっくれっと』を定期講読した方が良い、いますぐに。今ならまだ、山田忠雄の喜寿記念文集『壽藏録』(1993.8)を手に入れられるかもしれないからである。題名は生前の自墓を意味する「寿蔵」によるそうだ。

 郵便振替(00160-5-54300)へ500円を送る、すると最新号が送られてくるであろう。そこには「ぶっくれっと」の読者に『壽藏録』を送料600円のみで分けてくれると書いてあるはずである。《もう終っています。1997.5》
 勿論私は早速、郵便小為替で600円を送った。いつも郵便局に行くのがとても面倒な私なのだが、妻がたまたま郵便局にゆく用事があったのをつかまえて頼んだのだ。
 送られてきた『壽藏録』の中に「類韻添詞の辯」があった。「夕焼け小焼け」「根掘り葉掘り」など、後半にあまり意味のない言葉がつくことを問題にしていいるのである。
 山田忠雄氏も「方言に多く見える」と書いているが、表題の「いっつもかっつも」、私にとっては普通の言葉なのだが、辞書類に見えぬ。辞書類に載りにくい言葉だろうとも思うのだが、たしか以前、吉町義雄氏が、九州という注記を付けてどこかに記録していたような気がするのだ。《『博多っ子純情』にもあった。》
 どうでしょう、お使いになるでしょうか。

使う
聞いたことはある(他地方のものとしてではなく)
知らない


北海道
東北
関東
中部
近畿

中国
四国
九州


先日の、「二四六八十」の読み方アンケート、とりあえずの結果です。


山形 ニノシノロノヤノト/ニーシーローヤートー
埼玉 ニノシノロノヤノト
茨城 ニーシーローヤート
千葉 ニノシノロノヤノト/ニーシーローヤートー
石川 ニーシーロクヤノトオ/ニーシーローヤートオ
高知 ニノシノロノヤノト
不明 ニーシーローヤートー/ニノシノロノヤノト
《新潟 ニーシーローヤート/ニノシノロノヤノト》

京都 ニーシーローハート
福岡 ニーシーローハート
不明(kt.rim.or.jpの方) ニノシノロノハノト 《千葉の方でした》

高知の方のヤが例外となるため、全くの東西対立にはなりませんが、九州で育った私にとって、特に東の方で、ヤの勢力がこんなに強いとは知りませんでした。福岡の回答者は私ではない別の人です。
《千葉の方で、ハ系の方と、ヤ系の方の両方がいらっしゃいました。》
ニーシーロ、ここまでは漢語系です。トーは和語です(とを)。なかを取り持つ8が漢語系となるか和語系となるかの争いなわけです。


あと、リズムやイントネーションについて言及して下さった方もありました。これも気になる問題ではあります。

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1996年09月21日

【しず】


 佐藤貴裕さんの気になることばの「再動詞化」の中で、「しず」と有るのをみて思い出したのは、鈴木三重吉『綴方読本』である。角川文庫の形で持っているのだが、何故か見当らない。豊田正子『綴方教室』しか出てこない。

 子供の作文と言うのは面白いもので、かなり方言が混入したりしている。それに編者が註を付ける訳だが、「せんと」だったか、そういった意味のことばに付けられた註が「しずに」であった。
 鈴木三重吉は広島県の生まれ。
 「する」は変格活用と言われるだけ有って変格的で、その変格ぶりは、古代語から今に向っても衰えるどころか、ますます激しくなっているといってもよい。サ変のことを考慮に入れると現代語の活用は未然形をもう1つ(意志形の他に)立てなければならないのだ。「される」「させる」の「さ」、「しない」の「し」、この二つである。
 これに文語の「ず」接続形(「ん」接続形と同じとは限らない)が入り込んでくると話は更に複雑になる。未然形にもうひとつ「せ」を加えねばならない。
 サ変は一段化に向えるのだろうか。「しられる」はサ変動詞の一部の語だけだし。


 ともかく、子供の作文は方言研究の材料を提供してくれるものだと思う。『赤い鳥』や綴方の雑誌(タイトル失念『綴方学級』だったか。複刻版が出てる《『綴方生活』であった》)などざっと眺めたいな、と思いつつ、やっていない。


 それにつけても惜しまれるのは、私の小学生の頃の日記が紛失したことである。8年ほど前までは有ったのである。京都への引越しの前後に消えてしまったようだ。

このへんではスケート乗りのことをツーツ‐取りというみたいです。
《自転車に乗るときに左足をペダルにかけて数歩こいでから右足を浮かせて乗る乗り方を言っている。》なんていうことが書いてあったりして、私の方言への関心は小学生の頃、転校続きだったことと関係が有るのかな、などと思うなど、結構面白いものだった。そういう意識して書いた方言記事の他にも思わず出た方言などもあったと思うのだが。

 また一年生ごろから六年生ごろまで、切れ続きに付けていて、言語発達もうかがえるものだったのだ。翻刻してもいいんじゃないか、と思っていたのだが、実家に帰って捜しても見当らず無くなってしまったことが確定したようだ。ほんとに残念。《出て来た。》
 早稲田の『国語学研究と資料』で、こどもの書いたもの(『天才えりちゃん〜』とかいうの。なんとか龍之介)を分析する、という序論が載っていたのだが、その後どうなったのだろう。
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1996年09月20日

【数詞・よんほん】(「二四六八十」の関連話題)

 数詞については、大阪外大の田野村忠温さんが纏められたものがある(和泉書院の『いずみ』に簡単なのがあった)のだが、なかなかに興味深い問題である。

 四(シ・ヨ・ヨン・ヨッ)、七(シチ・ナナ)、九(ク・キュウ)、十(ジュウ・ジッ・ジュッ)
 関西では7時をナナジ、7月をナナガツと読むことが多いなど地域差もある。あと、助数詞との繋がり具合も面白い。3階のサンガイ/サンカイは知られているが、福井では4本をヨンホンでなくヨンボンと読む。
 共通語の場合、3本がサンボンなのに何故4本はヨンホンなのか、と考えてみる。3杯4杯・3遍4遍も同じことである。サンは漢語だが、ヨンは和語だから、というのが一つ考えられる。では「何本ナンボン」はどうか。これとて「ナニ」という和語である。ナンホンに成らぬのは何故か。
 5〜6年前に、山口でヨンボンという、という情報と共に、何故共通語ではヨンホンなのか、と問われた。その時は、ヨホンという言い方が有ったからではないか、と答えた。今でも基本的にその考えでよかろうかと思っている。
 「しの字嫌い」で「し」の代りに言われるのは「よ」であろう。今でもヨニン・ヨネン《・ヨジカン》という時には使う。ところが、ヨンという言い方が出来る。ニー、ゴー、というふうに他(イチ、サン、ロク、シチ、ハチ)に併せて2拍で呼びたいという欲求の現われであろう。クよりキュウが優勢になったのも同じような理由か。ヨーでなくヨンに成ったのは、「ヨッつ」という時の「ヨッ」の影響が有るのではなかろうか。《「よっつ/むっつ/やっつ」の促音がどうして挿入されたかも考えねばならぬ。》促音ッと撥音ンが関係深いことはマッスグ・マッコウ・マッパダカ/マンナカ・マンマルで知られよう。ヨネン・ヨニンがなぜヨンネン・ヨンニンに成らなかったのかはまた別に考えなければなるまいが、ヨホンはヨンホンとなった。
 ヨンが成立した頃には既に、後の音を濁音化する力を撥音ンが持たなくなっていたのではなかろうか。それでヨンホンはヨンボンに変らなかった。サンボンは元のサンボンのままである。3階がサンガイよりサンカイが優勢になったのは、ンが後を濁らせる力が弱まったからだろうが、サンボンはサンボンのまま。この違いは何故だろう。

 3分4分はサンプンヨンプン。3編4編。3発4発。こういったのは、サン・ヨンがフン・ヘン・ハツにくっついた。サンのンもヨンのンも同じことで濁音化する力はないのだが、ンの後のハ行音は、漢字二字が1語化する場合にはパ行音になるのが現代語である。それでサンプンヨンプンになった。このあたりの説明はかなりはしょってある。
 「何ナニ」がナンに成ったのは結構古いんですね。もともとニというのがンに成りやすいですし。それでナンは3サンと同様、後を濁らせる力が有った。


 まずは田野村さんのを読んでみないといけませんが。《いずみ・奈良大学紀要》

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1996年09月19日

【仲間外れ・すばらしい】

 ある1群の中から仲間外れを選び出す、これはなんと難しいことであろうか。とほほ日記では、

うまい、おそろしい、すごい、すばらしい、ひどい

という5語の中から、連用形が程度の甚だしさを意味しない、つまり「うまく大きい」と言えないことから、「うまい」を仲間外れとみなした。これは日本語教育関係の書に依るらしい。

 しかしなぁ、この角度から見ればあれが仲間外れ、またこの角度から見ると今度はあれが仲間外れ。仲間外れにしようと思うと、幾らでも理由は付けられる。まるで「いじめ」のようなものである。

  • 「おそろしい」が仲間外れ
    これだけ「私は〜が−−」と言えますね。

    • 私は日記界がおそろしい。 ○
    • 私は日記界がうまい。 ×
    • 私は日記界がすごい。 ×
    • 私は日記界がすばらしい。 ×
    • 私は日記界がひどい。 ×

    あとの4つは「〜と思う」を付けないとおかしいですね。非文ですね。
    これは日本語教育の世界でも問題になりそうだが。

  • 「ひどい」が仲間外れ。
    これだけ、漢語起源です。あとは全部和語ですね。「素晴らしい」の「素」ですか? これは宛字です。漢語では有りません。
  • 「すごい」が仲間外れ。
    「すごい」は「えらい」と同様、終止形と同じ形で副詞的に使えますね。「すごいキモチイイ」「えらい高い」なんて。「ひどい苦しい」ですか、言いますか? 私はまだ聞いてませんね。
  • 「すばらしい」が仲間外れ?
    これが実は難しい。この言葉よく分らないのだ。元は「みすぼらしい」とも関係の有る言葉で、わるい意味で使ったらしい。「すぼる」「すばる」という動詞とも関係が有りそうだ。これらの動詞は〈すぼまる〉〈あつまる〉というような意味で、プレアデス星団の昴(すばる)はここから来ている。
    この「すばらしい」だけ、わるい意味から良い意味になった、とでもしておこうかと思ったが、「すごい」もそうだし。
    そうだ、『大漢和辞典』の字訓索引に載っていないのは「すばらしい」だけ、ってのはどう? 「ひどい」には「酷」が載っている。意外なのは「おそろしい」に宛てられている字は「甚」だけ。隣に「おそれる」があるからいいけど。

    本当は、『講座日本語の語彙』の中に「すばらしい」が有る筈なのでそれを見ないと行けないのだが、本棚を眺め渡しても、箱のお尻のオレンジ色が6冊しかない。語誌の巻が見当らない。《見つかったのだが、「すてき」について書いてあって、「すばらしい」がおまけに出てくるだけだった。》
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1996年09月18日

【一万円から】

 「一万円からお預りします」という言い方が話題になる。『月刊言語』10月号の投稿欄でも取り上げられている。
 私自身はこの言い方を耳にした時、「一万円からのお釣りをお渡しするべく、お預りします」という意味なのだろうと思っていた。ところが問題はそう簡単ではなかった。
 というのは「一万円からのお釣り」である。『方言文法全国地図』(を見た記憶と簡単なメモ)によると、第三十図「1万円で(お願いします)」において、「で」ではなく、「から」を使うのは九州地区である。「一万円でお釣りがくる」の地図は無いが、京都に於て私の発した「一万円から有りますか?」は奇異な言回しとされた。「一万円からお釣りが有りますか?」のつもりである。言わんとする所は「一万円から千円を引いたお釣りが有りますか?」ということなのだ。だから「から」を使う。「一万円からで有りますか?」「一万円からでお釣りが有りますか?」と、いうことも出来る。その時はショックで考えることが出来なかったのだが、これらの言い方も他の地方では奇とされるのであろうか。
 「ちょうどお預りします」という言い方もよく問題になる。「預ったら返せ」と言いたくなるのだが、これが定着すると「お釣を渡すから待っててね」ということを示す為に「から」を付けて、「一万円からお預りします」というようになったのかもしれない。

 ROYALというファミレスのチェーン店は本社が福岡にある。ここから広がった言い方であるとすれば面白いのだが。



方言文法全国地図の30はこちら。
http://www2.kokken.go.jp/hogen/outline/gaj/30ep.jpg
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1996年09月17日

【アポロ】

 車の方向指示器のことをアポロと妻が呼ぶ、また妻の母が呼ぶ。熊本県北部では結構言うらしい。そんなの聞いたことないし、辞書にも載っていないが、と思っていたら、吉他児『光る壁画』新潮文庫p135にあった。
車が道を曲る時に突き出される矢印の形をしたアポロ方向指示器にも、豆電球が内部におさめられていて、夜間に赤く光る。

現在のものとはどうやら形が違いそうだ。時代背景は昭和20年代。この小説が書かれたのは昭和55年頃のようだが。《カーナビの商品名としてアポロなんとかいうのがあるそうだ。1997.6.2追記》
 専門用語や商品名などの外来語が突然方言に採用されることもあるようだが、この場合はどうなのだろうか。
 黒板消し(黒板ふき)のことをラーフルと言うのとか、小型肥後守をボンナイフと言うのとか。


本日、頭痛につきこれまで。
寝てしまってたのだが、目覚めたので。頭痛はややおさまりつつある。3:50


先日の、「二四六八十」の読み方アンケート、まだのかたは是非お願いします。なんとなく、8が、西日本の「ハ」に対して、東日本で「ヤ」という傾向がありそうに思うのですが、まだ分りません。
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1996年09月16日

【腰巻と帯】

 書評雑誌『ダ・ヴィンチ』10月号の「今月の腰巻大賞」、『笑犬樓よりの眺望』の帯惹句を書いた新潮社の佐々木勉氏は大学の後輩。お目出とう。


 さて、本の帯のことを「腰巻」と呼ぶのは何時ごろから有るのだろう。私の感じとしては、昔「腰巻大賞」のようなことをやっていたのは『面白半分』か何か、ともかくそのころ(昭和50年代前半)からか、と思っていたのだが、『新明解』初版にあった。昭和47年である。さらに、『日国大』(昭和48年)にもあって、小回りのきかない大型辞書にも載っているのであるから、結構古い言い方なのだろうか。しかし旧『明解国語辞典』(S27)や『三省堂国語辞典』初版(S35)には無いし《2版も》、大型辞典でも戦前の平凡社『大辞典』(S10)に無い。

 しかしそもそも本に帯を付けるのはいつから有るのだろう。近代の書誌学を書いた本を調べると載っているのだろうが、今手元にはない。起源的には、新聞などを郵送する際に真ん中あたりにちょいと紙を巻いてそこに住所などを書く、あれ(「帯紙」とか「帯封」というらしいが)であろう。また本を買った際に袋に入れたりカバーをしたりするのでなく、細い紙を巻きつけて輪ゴムで止めたりすることがあったが、そんな物が起源なのだろう。
 今本棚を見渡してみると、昭和十年代の文庫本に帯付きの物があるようだ。あと、古本屋の目録などを見て行けばいろいろ分るかもしれないが大変だ。


 ピチッと止めてあると「帯」と呼ぶにふさわしいが、挟み込んであるだけではどこか外れそうで不安感がある。また中央部にあるのであれば「帯」と呼ぶにふさわしいが、帯広告は本の下部にある。
 こうした所から「腰巻」の名が出たのであろうか。この場合の「腰巻」は古語辞典などに載っているようなものではなく、婦人が着物の下に付けていたあれであろう。そうすると、パラフィン紙の下に巻いてある物が最も腰巻らしいと言えそうではある。透けて見えるのは違うが。

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1996年09月15日

【いろは順】

 昭和十年八月五日発行の『萬國新語大辭典』(英文大阪毎日学習号編輯局)という本が有る。これがなんと〈いろは順〉なのである。
 〈いろは〉と〈外来語〉、まるで水と油・天守閣とエレベータ・アタック25熟年大会とキンキキッズ《丁度そういう問題が出た》のようだが、こういう本が〈いろは順〉で出される所に、通俗辞書における〈いろは順〉の根強さを感じるのである。普通の国語辞典に比べて新語辞典が通俗的であることは、『現代用語の基礎知識』『イミダス』『智恵蔵』の姿を思い起せばわかる。

 この『萬國新語大辭典』『英語から生まれた現代語の辞典』大正13年(昭和5年増補)をさらに増補したものということだが、随分大きくなっている。『広辞苑』とまではいかないが、『角川外来語辞典』ぐらいのかさはありそうである。と言っても紙の質が違うのでページ数はそんなにまで多くは無い。しかし外来語辞典としてかなりの分量であることは間違い無く、片仮名びきの英和辞典と言ってもいいくらいの感じである。《後日
 荒川惣兵衛『角川外来語辞典』は、角川版を引くよりも、戦前のものを引いた方が情報量が多い。『角川外来語辞典』は数ある外来語辞典の中で、外来語の歴史が分る唯一のものといってもよいのだが(楳垣実『外来語辞典』(東京堂)も時代を注記してはいるが出典が無い)、荒川の戦前版は出典注記がより詳しいのだ。



 さて、そういった新語辞典のような通俗辞書までもが五十音順となってしまうと、いろは順などはせいぜい“紋様集”とか“町づくし”とかいった趣味的なものだけに見られるようになってしまったように見える。しかし、意外なところに〈いろは〉の残骸が残っているのである。それは〈いろは「順」〉とは呼べないものであるが、国語辞典の見返しなどに見られる〈いろは索引〉である。


 い 47 ろ 1078 は 795 に 758 ほ 919 へ 910 と 703
 ち 632 り 1066 ぬ 773 る 1073 を 1100 わ 1081 か 163
 よ 1048 た 581 れ 1074 そ 565 つ 657 ね 778 な 735……
《これは『言海』の「いろは索引」です。》
<

といったようなもので、五十音順に並べられた項目を、いろはで捜す為の「索引」なのだろうが、これで捜せるわけが無い。一字目の索引は有っても二字目以降の索引などは無い、つまり「はと」を引こうと「は795頁」を開けたは良いが、「はと」を引く為には「は」の項を最初からずっと見て行くしかないのだから。
 このように何の役にも立たないと思われる「いろは索引」が、実は随分遅くまで残っている。大手出版社から出されたものではない、通俗国語辞書にである。今まで目にしたものの中で一番新しいものは、なんと、近く昭和50年代に売られていた辞書についていたものである。《国語研究会『ペン字入:和英併用/机上最新辞典』S43.10.31初版S55.10.10,23版、中山久四郎『和英併用:ペン字入/模範常用辞典』新国語研究会S55.1.20初版》現在売られているものには店頭で見る限りついて無いようであるが、ひょっとしたら有るかもしれない、という気もする。普通に辞書を使う場合には、凡例などはあまり見ることがないし、通俗辞書であるから個性がなく他の追随をする。無反省に載せてしまうのではないか。あたらしい〈いろは索引〉を見掛けられたら是非御一報を。
 「売られていた」と書いて「発行」とか「印刷」とか書かなかったのは、こうした通俗国語辞書が、貼りつけ刊記やカバー刊記を使っていることが多いからである。つまり古い辞書から古い刊記(ほんの少しだけ糊がついている)を剥がして新しい刊記を貼りつけたり、古いカバーを剥いてカバーをかけたりすれば発行印刷日は新しくなるわけである。


昨日の、「二四六八十」の読み方アンケート、まだのかたは是非お願いします。「ニノシノロノヤノト」という私の知らなかった言い方を教えて頂きましたが、まだお答えが少なくて寂しいのでゆっくり待っています。
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1996年09月14日

【二四六八十】

 2つずつ数を数えるとき、つまり2,4,6,8,10であるが、これをなんと発音するのか。これは九九をどのように発音して来たか、ということと共に気になる問題である。実際の読まれ方が書き取られることが大変少ないと考えられるからである。人々がどのように言っているのかを観察するしか手はない。
 あるひとが、「ニーシーロンパント」と言っているのを耳にした。これは初耳であった。福井出身・在住の60歳程度の女性の口から出たものである。
 熊本出身の吾妻に聞いて見ると、「ニーシーロッパット」ということで、これも私は使わない形である。
 これ以外に、形が有るのか。どういう形を使っている人が多いのか知りたいと思うのです。そこで、これを読んでいらっしゃる方にアンケートをお願いいたしたく存じます。
 お使いの形を選んで送って下されば幸いです。「24」と「68」と「10」に分けてあります。それぞれを選んで下さい。
ニーシー
ニノシノ

ニーシノ
ニーヨン


ローハー
ローヤー
ロッパッ
ロンパン
ロノハノ
ロノヤノ (追加しました)

ロンポヤイテ
ロクハチ


ジュ(ー)
ト(ー)
your e-mail address:
ご出身県:

何時までも受け付けます。一応の結果は9.22
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1996年09月13日

【山田忠雄『私の語誌』・こだわり】

 注文していたものが届いた。「山田氏の文を集めた本」と先日書いたが、書き下ろしのようだ。校正中に亡くなったということらしい。もっと多くの語を取り上げているのかと思ったら、二冊で四語である(関連する語もあるが)。
 第一巻「他山の石」は、表題の他に「快挙」「風潮」をとりあげる。
 第二巻「私のこだわり」は、「こだわり」に〈こだわりにこだわった〉もの。よくいわれる、〈もともとはマイナスの意味であったのだが、プラスの意味で使われるようになった〉という見方に対して、〈マイナスの用法は第二義であり、第三義であるプラスの意味をのみ異端視するのはおかしい〉と、プラスの意味に不快感を示す江国滋・大岡信・俵万智をケチョンケチョンにけなす。
 一般書における「もともと」などということばは、どうせ〈私がことばを覚えた頃〉というような意味で使っているのであるから、そんなに目くじらを立てずともよいのでは、と思うのだが、ここが山田忠雄氏のエネルギーの強さであろう。



 山田氏は第一巻の冒頭で、〈「語誌」を標榜しているのに「語史」に過ぎない物が多い〉として、「語誌」たらんことを目指すとしている。この場合の「誌」は〈「史」に通ず〉、というようなものではなく、共時的に書き留めるわけだ。
 語源を説くだけで意味が分ったような気になっている人々に対しては、現代での意味を突きつけて、どうだ、と言えるわけであるが、次に気になるのは〈いつごろから意味が変ったのか〉ということである。「語誌」と「語史」は別だといっても、江戸時代の用例が挙げてあればそれ以降の歴史を知りたくなるのが人情である。
 意味変化に不快感を示したり、誤用であるといったりする人がいるということの跡づけが欲しい。何時ごろ〈プラスの意味〉が使われるようになったのか。何時ごろ(誰によって)〈おかしい〉と言われ始めたのか。これらが知りたい。こういった関心の持ち方は、新野直哉氏の諸論(“役不足”の「誤用」について『国語学』175など。「何が悲しくて」でも触れた。)に近い。新野氏は新聞・雑誌・漫画を漁り、日本語随筆書を博捜し、近過去のことばの動きを探っている。


 山田氏の挙げる用例は殆どが1980年以降のものであるが、ただ一つ1967年の用例、『時代別国語辞典』の推薦文(竹内理三)、

資料の解釈につとめ、文字の解釈にこだわるを軽んずる風潮が
というのは、いわゆるプラスの例であろう。結構古い。
 日本語随筆書には索引が付いていないものが多くて困る。またこれらを多く揃えることも困難である。新野氏にリストを作って貰いたいものである。出来れば総合語彙索引を付けて、などといったら余りに大変だろうか。



 芳賀綏『失語の時代』(1976.1.20教育出版)「こだわらぬ発言」は、意味の違いがあるのか、単なる態度の問題なのかわからない。
 『月刊ことば』1979-10の「ことばのパトロール」▼カタログ世代の「モノに凝り、モノにこだわる世代」は、「こだわる」に着目したものか。出典は『朝日ジャーナル』8/3号での中部博の発言。

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1996年09月12日

【「日国大」】

 『日本国語大辞典』の略称。
 佐藤貴裕さんの気になることばでも取り上げているが、「にっこく」と略されることもあるらしい。こういう略語は、別個に発生しても同じ形をとって仕舞うことがあるので伝播したとかいうのは難しいのだが、九州大学の場合(といっても国語学国文学研究室に限るのだが)、「日国大」という省略の仕方は、金沢大学から九大の院に来た高山倫明さんに依ってもたらされた、という説がある。
 説の当否はさておき、略称は面白い。最近の若者言葉でも略語が多いと言われるが、その特徴は〈漢字にとらわれない〉ということであって(キムタクとかキヨブタとかカテキョとか)、頭漢字による略語と言うのは広くあるように思う。《よく考えると昔からシミキンなど、漢字にとらわれない略し方はあった。》
 しかし国文関係の基本図書で考えると、「日国大」のほかには頭を一字ずつ取って言ったのは思い出せない。「大漢和(辞典)」「国書(総目録)」「(日本古典文学)大系」「(日本古典文学)全集」「時代別」……。「日国大」に馴染まぬ人が「大学の名前みたいだ」とおっしゃるのはむべなるかな。
 「日国」にしても「国」一字が「国語辞典」を表わすというのはなかなかすごい。たしか農協が集ってできた団体名に「農」字が入っていないことにびっくりした記憶があるのだが、それに近いものがある(この「ものがある」がこんな風に使われるのはいつからだろい)。「三省堂国語辞典」を「三国」と呼び、「新明解国語辞典」を「新明国」と呼ぶらしいのだが、私は「新明解」と呼んできた(赤瀬川氏は「新解」と呼ぶわけだ。「新解国語辞典」というのは別にあるのだが)。しかしこれらは研究室では使わない呼び方だった。「大日本国語辞典」を「大日国」と呼んだ記憶も無い。
 平凡社の「大辞典」は「大辞典」だ。そういえば先日、元の26冊のスタイルに戻して複製するという案内がきた。平凡社は何を考えているのか。26冊を13冊にし、さらに拡大ルーペをつけて2冊にした努力を放棄するというのか。ウサギ小屋に26冊は酷である。それに今時茶の間に百科事典は似合わぬ。国語辞典とて同じ事だ。電子化を目指すべきだ。あの四角いルーペはなかなか便利である。私の場合、辞書は外箱をとっぱらっているんで大辞典の箱も無いのだが、そうするとルーペ入れの場所が無い。しかし形が四角のお陰で引出しにもうまく収り、小さくもないので見つけやすい。「小学館古語辞典」の下敷状平面ルーペは無くなったが、平凡社のルーペは外枠を失いつつもちゃんとある。井上ひさし氏が愛用されるのも最もである。古本屋の目録などで「ルーペ付き」などと書いてあるが、ルーペが欠けてたりすると結構安い値段で手に入る。また13冊本なども、〈昔の百科事典〉といったような数千円という値段の事もある。この度の平凡社の20数万円(30数万だっけ《350,000円なり》)というのはあまりなお値段であると思う。
 だらだらと書いているがもう少し。辞典の使い方を教えるのはなかなか難しい。「あまり信用しちゃいけないんだよ」ということを強調しすぎると、「引きませんでした」などとなるし、「多くの辞書を引きなさい」というと、引くのに精一杯で、「で、どういうふうに纏めるの」と聞いたら、その場で「えーっとー」と考え始めたり、あるいは芋辞書ばかりを引いてくるので、あの辞書は?と聞くと難しそうに書いていて分らなかったから載せなかった、古いものだから信用できない、などなど。うーむ。古いことを調べるのになんで古いものが信用できないの?




これに関連していいたいこともあるが、本日はこれまで。
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1996年09月11日

【女性名のアクセント】

 NHKのドラマ新銀河を見ていて「おや?」と思った。メイシュという名の中国の女の子の名(美雪と書くようだ)が、平板に発音されていたからである。
 日本の女性名は殆どが二拍か三拍である。東京式アクセントでは二拍の名の場合はほぼ例外無く頭高に発音されるであろう。あい・あき・あみ・あや・いく・いよ・うの・えま・えみ・かな・かよ……
 三拍の場合は頭高か平板になるであろう。
頭高になるのは「か・こ・な」

  • はるか・あすか
  • けいこ・ようこ・じゅんこ・えつこ……
  • はるな・あきな

平板になるのは、「え・よ・み」で終る場合、それに動詞の連用形・終止形によるものなど。

  • はるえ・なつえ・あきえ・ふゆえ・みずえ……
  • いくよ・くるよ・ももよ・ともよ……
  • なおみ・かずみ・あゆみ・さよみ・きよみ・しおみ……
  • かおり・しおり・さおり……
  • しのぶ・かおる……
  • (その他)ちさと・ちひろ……

「みなみ」などが例外的に頭高で発音されるが、これは普通名詞とは違うアクセントにしたいという思いに拠るものであろうか。
 揺れるのが「き」。「みゆき・なつき」は平板だが、「みずき・はるき」は頭高になりそう。「の」はどうだろう。「芳野」などは頭高で読みそうだが、「琴乃」は平板かな? 「さ」も「ありさ」は頭高で「なぎさ」は平板。渚は普通名詞と同じアクセントだから先程の「みなみ」の説明はまずいか。……
 さてこれまでは日本人の女性名だったが、中国人の名は男女にかかわらず頭高で読むのが習慣づいているように思う。姓名を続けて三文字の場合には名の一拍目まで高くてあとは下がるという感じである。原語のアクセントにはとらわれないのである。
 私が平板アクセントを奇異に感じたのは、外国人の名前を平板に読んでいると感じたためかもしれぬが、最初は中国の名だとは気付かず、聞取りにくい名だ、と思ったのである。
 聞慣れない名前などはやはり頭高に呼ぶのが聞く方としては安心するのではないか。それで平板で呼んだのが私の耳にとまったのであろう。言っている方は慣れているのかもしれないし、原語のアクセントを残しているのかもしれない。言い慣れると平板化するというのは、よく言われる「カレシ」を平板に呼ぶなどを想起する。
 ありさ・なぎさも言い馴染みの程度に拠る差か。そういえばナオミという名は巧く帰化しているがもとは外来語の筈である。アクセントは変化したのかな。


 どうも纏まらず。
佐藤さんの「〜丸」
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1996年09月10日

【越(地名の略記)】

 以前、福井新聞(8月24日であったか)で、ベトナム人の事を「越人」と略してあった。「越南」を「越」と略すとは。《8月27日には、ブラジルを「伯」としており、国名の漢字表記が好きな新聞である。》
 福井も「越」だから親近感があるのかな。そういえば武生・鯖江などをいう、「南越」というのがあった。また山の方は「奥越(おくえつ)」、若狭とあわせて「若越(じゃくえつ)」、加賀と共に「加越」、美濃へ向う鉄道の越美(えつみ)北線(美濃から越前へ向う路線は越美南線だった)などもあって、これらは「越前」を「越」と略した訳だ。近江とも接しているが、江越などは聞かないように思う。江若はあるが。越後の方でも「中越」などという言い方があって、「越後」を「越」と略している。越中はどうだろう。


 「福井」も「福」と略される。「福井大学」は一般に「福大」と呼ばれ、福岡大学の略称と同じである。福島大学も多分「福大」なのであろう。
 ところが、書類などを見ると、文部省では福井大学を「井大」と略すらしい。福岡大学は私立だから別口かもしれぬが、福島大学は「福大」にしなければ島根大と衝突してしまう。島根大を「根大」にするという逃げもありはするが。
 それにしても同表記衝突から逃れられないのは東北大学であろう。東大も北大も別にある。まさか東北大が「北大」で北海道大が「海大」とか「道大」ってことはなかろう。東北大の地元仙台では「東大」と呼び、東京大学を「帝大」と呼んで区別する、ということを、柴田武氏がどこかに書いていたが、今でもそうなのか? 東北を一字で表わす「艮」を使う手もありそうだが、鬼門の様であまり良い字ではなかろう。
 地元での呼び方はともかく文部省が何と略しているのか気にはなる。しかし全国立大が「〈漢字一字〉大」になる訳でもなかろう。「〜〜教育大」「〜〜医科大」などは、略しようがあるまい。



 大学名はさておき、一字になった漢字をどう読むかも面白い。元の地名の読みに引きずられるか、別の読み方に変るか、である。例えば「博多チョンガー」の略称「博チョン」は「ハカチョン」か「ハクチョン」か、富山を「富」と略した場合、その読みはト? フ? トミ? (岐阜大は「岐大」と略すのでしょうか。その場合読み方はギダイ? キダイ?)《佐藤さんのコメント
 〈別の読み方〉というのも、その漢字の常用の音というわけではなく、地名用の音がある場合もあるようだ。「京」をケイと呼ぶなどそうだろう。東京も京都も「京」と略されるとケイと読まれることが多い。


 「来〜」「訪〜」に入る文字も面白い。




眠い……


同志あらわる。佐藤貴裕さんの気になることば
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1996年09月09日

【切る】


 《書き殴りの》江口さんが、レジメを「切る」という言い方を気にしておられる。
 私は「レジュメを作る」というだろうが、「切る」というのは、「原紙を切る」「ガリを切る」という言い方から出てきたのだろう。切り離さなくて傷つけるだけでも「切る」と言える。
いてて、指を切っちゃった。

 というのを聞いて、指が転がっている様子を想像する人は少なく、普通は指の皮に切れ目が入る程度を思い浮べるであろう。そういう意味で「原紙を切る」というのだろう。そこから印刷物をつくることを「切る」というようになったものか。


 「レジメ・レジュメ」は〈要旨・summary〉の意味であって、〈プリント・刷物〉の意味ではない、と聞くので、自分の作る〈資料の羅列で全然纏まりがない〉ような印刷物をレジュメと呼ぶのが恥かしくて、何時もなんと呼ぶべきか迷う。プリントというのは小中学生に戻った感じがするし、刷り物では老人語だ。ハンドアウトっていうのはちょっと自分には似合わない。間違ってテイクアウトって言ってしまいそうだし……。まあ、お持ち帰り願う訳だが。

 しかし英語・仏語でも刷り物の意味があるのだとも聞く。本当の所はどうなのだろうか。


 江口さんの「ベルを打つ」という言い方も要チェック。
 「DA・YO・NE」だったか、ラップの歌詞でこう言っているのを聞いて《字幕を読んで、だな》、なるほどね、と思ったのだが、もう定着しているのでしょうか。
  電話をかける。
  電報を打つ。
というのが伝統的にあるわけだが、ポケベルは電報に近いという訳なのだろう。ただ、方言では「電話を打つ」という所もあるらしい。中国語では「打電話」だが、ポケベルはなんていうのだろうか。


 「かける」というのも多義だ。四年ほど前の朝の幼児番組(TBS系?)で「かけるの意味は」とかいう歌があった。




このページはなんとか更新していますが、mailが書けません。無礼をお許し下さい。
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1996年09月08日

【赤門】

 昨日は金沢に行ったのだが、数年前まで金沢大学のあった旧金沢城の門を見て、次の話を思い出した。
金沢大学の門は、前田家の門である。東京大学の門(赤門)は、前田家の江戸藩邸の門である。すると、東京大学は金沢大学の東京分校ではあるまいか。


 なかなか面白い話である。そういえば私の出身校は、高校も大学も分校としてスタートしたようである。京都大学の九州分校が出来るについては、福岡と熊本で綱引きがあったようで、『新聞集成明治編年史』の10巻から11巻などを見ても「多分熊本なるべし」とあったのが、「福岡か熊本」となり、結局福岡になったというのがわかる。
 それはさておき、表題の「赤門」だが、これには〈西洋紙の一種〉というような意味がある。東大で使われていたのかな、と思ってしまうが、そうではないようだ。『机上便覧』(昭和5.2.20図書出版学用品販売株式会社)に、
アカモン(赤門) 英国製の上等西洋紙、赤い門の商標があった処からいふ

とある。バリカンの語源がなかなか分らなかったのが、古いバリカンを見せて貰うと、そこに社名としてバリカン&マールという社名が書いてあって、語源がとけた、という話を思い出す。


講談社文庫の黄色で出ていた楳垣実『外来語』は絶版なのだろうが、学術文庫には入らないのだろうか。そういえば、新村出の『語源をさぐる』は元旺文社文庫なのだが、講談社の学術文庫ではなくて文芸文庫にはいったのでちょっとびっくり。学術文庫は古い所があまりはいらなくなったような気がする。新しいものを取込むのに忙しいのか。角川書店の菊地康人『敬語』は早くも学術文庫入りだそうだ。
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1996年09月07日

【西瓜】

 ちゃんとした人が書いた本でも、時々おかしな事が書いてあることがある。杉本つとむ『「宛字」の語源辞典』(日本実業出版社1987.4.30)に、

(「西瓜」の)西は、麻雀の東南西北(トンナンシャーペイ)の“西”と同じで中国語音のシャーがスイと訛ったもの

とある。
「桑港」を書いた時に、「西スイ」という音を書いた。「シイ」でなくて「スイ」である。現在の北京音などは「シイ」と書きたくなるような音であるが、江戸時代の日本人が聞いた中国音はすこし違っていた。「喜」のような日本漢字音でキと呼ばれるものは当時もシイであったのだが《これはちょっと間違い。当時はヒイで、シイで写されるのは随分後。明治の資料ではシイ。》、「西」のようなものはsiというような音(siはピンインのようなスーじゃなくて素直にスィと読む)であった。これは「尖団」の区別と言われるもので、現在でも京劇などでは是を区別して発音すべし、と教えられるのだと言う。このsiスィを写したものがsuiスイとなったものであろう。


 ところが、「桑港」の『日本語の大疑問』にはもっとすごい説明があった。「唐音のスイ」としたのはご立派。しかし、

日本へは唐の時代に渡来したので唐音のスイカが正しい。
などとある。唐音の「唐」は王朝の名ではなく、中国一般を指す名称なのであって、唐音とは、鎌倉時代に曹洞・臨濟によって渡来した中世唐音と、江戸時代に黄檗によって渡来した近世唐音があるのであって、唐の時代の唐音なんてあるものか。漢音も漢の時代ではなく、中国一般の呼び方。
 なお、中世唐音・近世唐音を、「唐音・宋音」と呼び分けることもあるが、これは逆に「宋音・唐音」と呼ぶ人もあってややこしいので、中世唐音・近世唐音と呼ぶのがよかろう。



 しかし、麻雀で言う「西シャー」という読みも気には成る《出久根達郎『無明の蝶』講談社文庫p145に「西(シヤ)」という用例あり。》。中国でそんなふうに言う地方があるのか、はたまた日本人が勝手に中国語もどきを作ったのか。《英語の問題かも。》
 実はそういうエセ中国語と言うのは江戸時代からあることはあるのだ。従来の漢字の読みから中国語を推定する訳だが、もちろん嘘も多い。東トウがトンだからというので、唐タンもトンにしてしまったりする。『和唐珍解』にホウトンチンケイなどという読みが付されるが、ちょっと怪しいのである。まぁエセ英語のチュートレールとか、スワルトバートルなんていうのよりはマシですが。

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1996年09月06日

【姓名判断】

 姓名判断について調べている。といっても、子供が出来たとか、街角に座って稼ごうとか、そういう訳ではない。歴史的な面を調べているのだ。ひょっとしたら社会学とかそっちの方でやっている人が居ないかな、とも思うのだが、まあ自分が好きで調べているのだから構わない。でも先行研究があれば知りたい。
 古本屋で安く売っている姓名判断関係の本を見たら買っていたのだが、安いのは皆新しいのばかり。古いのはなぜか結構お高い。易学の本なんかと一緒にならんでいて高いのである。

 クズ本ばかり集っても仕方ないし、狭い部屋にはかさばるし、殆どが漢字の画数によるものなので(音によるのが興味がある。特に漢字音によるもの)あまり面白くなくて、最近はあまり買っていない。
 今日もそういう本を入れた段ボール箱をひっくりかえしていたら、板垣英憲『姓名と日本人「悪魔ちゃん」の問いかけ』(DHC、1994.5.7)というのが出てきた。これはひどい本だった。週刊誌以下の便乗本である。あまりにひどかったので、買ってすぐに挟んであった葉書にいろいろ書いて出したのだが、いちばん唖然としたのは新島襄のくだりである。
「悪魔ちゃん騒動」のさなか、あるテレビ番組で新島襄をとりあげていた。

といい、それを元に書いているようで、ここからもいい加減な本であることが伺えるのだが、
新島の祖母が「しめた」といって、「四五三太」と名づけたのだという。……神前に掛ける「四五三縄(しめなわ)」にちなんでこの文字を使ったといういわれ……

で、まず驚かせる。「七五三太」「七五三縄」の間違である。しかしここまでなら、誤植かな、で済む。次の行に行って読者の目を飛出させるのである。
「四五六太」は……

「四五六太」は鍵括弧つきで計11回登場する。索引にもそう出ている。


 「七五三」が何故「しめ」か、という熟字訓の問題は、今回はお預け。

 「香具師」が「やし」なのは何故か、ということが火の車研究日記に書いてある。こういう、熟字訓で漢字の数より仮名の数が少ない、というのは確かに現在はあまり多くないようだ。万葉の頃なら「馬声」イ「蜂音」ブ「石花」セとかいろいろあるのだけれども。「五十嵐」が「イ[ガカ]ラシ」というのは知られていても、「五十」でイというのはあまり一般的ではないし。



 長くなってしまうからやめます。明日は研究発表(「韻鏡と姓名判断」)。逃避もこれまで。印刷せねば。しかし明日の更新は可能か。遅れるのは確か。帰ったまま寝てしまうか。しかし公的多忙はこれで終る訳ではないのだ。
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