1996年09月05日

【させていただく】

 9月4日の朝日新聞天声人語で話題にしている。
 「させていただく」の資料は、以前、ここに集めておいた。上方説、商人ことば説の他に、浄土真宗ことば説もあって(司馬遼太郎など)面白い。また「教会用語」というのはキリスト教を指しているのかわからないが、そんな説もある。

 数年前の朝日新聞東京版で取り上げたというのを調べてみたら、1993.3.12であった。「いま東京語とは」という連載をやっていたらしい。
 読売新聞の「東京ことば」でも取り上げていたのだが(1987.12.15)、これは本になっている(読売新聞社会部『東京ことば』読売新聞社 1988.6.20)。やはり関西起源説。ただし、関西で「させてもらう」が共通語の影響で「させていただく」となり、それを関東が受入れたのではないか、という大石初太郎説。
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1996年09月04日

【烏丸丸太町】

 これを、京都の事を全く知らない人が見たら、「烏がまるまる太る町」と思うかもしれない。京都の事を知っている人にとっては今更説明するまでも無いが、烏丸通りと丸太町通りが交差するところが「烏丸丸太町」である。
 烏丸通りは京都の中心部を南北に突き抜ける道路、丸太町通りは、京都御苑(「京都御所」周辺の緑地部分を含めてこう呼ぶらしい)の南を東西に走る道路である。
 烏丸通りと丸太町通りの場合には「烏丸丸太町」、烏丸通りと四条通りの場合には「四条烏丸」となる。つまり、南北の通りを先に言うとか、東西の通りを先に言うとかが決っている訳ではなく、通りの名に序列があるようなのである。
 地元の人は自然に覚えるのだろうが、余所者としては整理したくなる。京都に住んでいる内にやってみたいと思っていたのだが、とうとう出来なかった。
 手元の地図で見てみる。四条が強いのではないかと予想していたのだが、「西大路四条」で、あっさり敗退。西大路は常に上に来るようだ。

 対応する東大路は、東山通の変え名を持ち(北大路と北山通りは別物なのに)、これもなかなか下には来ない。四条と東大路の対決は「祇園」という地名になり勝負なし?
 今のところの結果を纏めると、

     
  1. 西大路
     
  2. 四条・東大路
     
  3. 烏丸
     
  4. 七条
     
  5. 河原町・堀川・西洞院
     
  6. 五条
     
  7. 千本
     
  8. 三条・北大路・今出川・丸太町
     
  9. 大宮
     
  10. 中立売


手元の地図ではせいぜいこんなところか。
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1996年09月03日

【桑港】

 サンフランシスコをなぜこう書くのか、ということについて、以前NHKの『日本人の質問』で取り上げられていた。「桑方西斯哥」という字を宛てたのが、略されて「桑港」と書かれた、というような説明のしかたで、「桑方西斯哥」は「ソーホーシスコ」と読み、音で漢字を宛てたと説明していた。えらくいい加減な説明だが、まあ時間の限られたテレビ番組だから仕方あるまい、と思っていた。しかし、古本屋で入手した、村石利夫『日本語の大疑問』(にちぶん文庫1995.1.25(但しカバー刊記))p172を見て呆れた。


当時の日本人にはソーホーシスコとしか聞えなかったので、桑方西斯哥港と六文字の漢字で発音どおりに音訳した。

などと書いてある。
 中国語を少しでも齧ったことのある人であれば、この説明のいい加減さは分るであろう。「桑方西斯哥」を北京音で読むと、サンファンシースーコーのような音になる。この音訳をしたのが、日本人であるのか中国人であるのかは知らないが(『宛字外来語辞典』という、地名人名を含めた外国語に漢字を宛てた用例集が、柏書房から出ていて持っているのだがどこに行ってしまったのか見当らない《同辞典は日本の用例しか集めていないようだ》)、どちらであっても不都合はない。
 江戸時代の中国語テキストなどに付されている読み仮名を見ると「桑サン」「方フワン」「西スイ」「斯スウ」「哥コヲ」というようなものがある。このような音(近世唐音)を利用して、日本人が字を宛てることも可能である。
 また、北京音では、桑方はsangfangとng音で、SanFranのn音に合わないが、南方音ではngとnの区別がきちんとしていない方言音もあって、中国人がこの字を宛てた可能性もある。
 これを、なぜ「ソーホーシスコとしか聞えない」などと言えるのであろうか。しかも「港」まで入れた六字でソーホーシスコと読むような書きぶりである。とんでもない本があったものだ。書物を信用してはならん、ということを教えるテキストにはなりそうである。今後も「目についたことば」のネタに困ったらこの本を開くこととしよう。いくらでも突っ込める箇所が転がっていそうである。
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1996年08月29日

【楢と舞茸】

 「楢(なら)」を「樽(たる)」と誤植することはよくありそうなことだが、「樽の原生林」というのには、樽がずらりと山を埋めている様子が目に浮び、笑ってしまった。福井県和泉村の「昇龍まいたけ」の広告である。
 元あのねのねの清水国明はこの村出身だそうで談話を載せている。この村は岐阜県に接していて、言語的に見ても、アクセント体系が京都式ではなく東京式である。あのねのねというと何と無く関西系アクセントで話していたような気がするのだが、気の所為だったか、大学時代に習得したのか。
 それはさておき、その談話の中で語られる「運よく捜しあてた人はうれしさのあまり舞って喜んだといわれ、それが名の由来になった舞茸」という語源説は、以前も耳にしたことがあるが、ちょっと怪しそうである。『今昔物語集』(28巻28話)に載っている話は、笑い茸の様に、心ならずも舞い、笑ってしまう、というようなものである。「其より後此の茸を舞茸と云ふなりけり」とあるが、それを現在の舞茸に結び付け、しかも、見つけた嬉しさで舞い踊ってしまう、とするのはどうであろうか。
 『今昔物語集』の岩波文学古典大系本の註(山田孝雄・山田忠雄・山田英雄・山田俊雄)には、今普通に云う所のマイタケを
層層相重なれる形状が舞える状に似ている故名づけられしという。食べられるが美味くない由

としている。「新解」ファンが喜びそうであるが、これは説話中の舞茸がとても美味なものとして書かれているので、こちらの方ではないこと示したいのであろう。



 そういえば三省堂から山田忠雄氏の文を集めた『私の語誌』二冊が出るようだが、三省堂が「あの新解さんの絶筆」というような宣伝をしていてちょっとびっくりした。でも、お陰で(?)一冊2900円とこの手の本にしては安目の値段設定は助かる。《後日

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1996年08月28日

【江戸の共通語】

 『週刊文春』8月29日号に、謡曲共通語のはなしがでているという情報を頂き、購入した。この話は、例えば、司馬遼太郎の小説「王城の護衛者」で、

左兵衛の会津なまりがひどすぎて理解にくるしむ、というのである。左兵衛はやむなく、謡曲の文語を藉りて朗々と声を張りあげた。

などという話である。
 『週刊文春』では、上前淳一郎「読むクスリ」634に「江戸の共通語」と題してこの話が載っていた。「日本能楽会員で観世流能楽師範の中森昌三さん」の談話の様である。この人はこの話題が好きらしく今までにもこのことに触れているのを3ヶ所で見た。ここに引用してある。
 中森氏は、
津軽の殿様と薩摩の殿様が出会って話をした。……お互いに通じるのは、謡曲の言葉以外なかったはずです。

と言っているようだが、それはすこし言い過ぎであろう。殿様は江戸生まれの江戸育ちであることが殆どであろう。藩邸の中で、お国ことばが使われることもあったろうが、江戸詰めの武士たちは、他藩の武士たちと話が通じなかったはずもなく、逆にお国言葉を知らないことも多かった。江戸詰めの久留米藩士が初めて久留米へ行き、久留米周辺の方言を書き留めた『はまおぎ』という書があるのだが《ここ》、これなどは明らかに江戸人(江戸語ネイティヴ)の目で九州弁を見ている。江戸に居た武士たちの共通語が存在していたであろうということは間違いない。

 ただし、ずっと国元にいた人々が、幕末のころの動乱で出会い、会話を成立させねばならない状況になった時に、どのような言葉を使おうとしたのか、となると確かに謡曲の存在が気になる。
 〈吃音者でも謡曲にのせるとどもらない〉というのが、狂言「どもり」などにあって知られており、「なまり」と「どもり」の区別がはっきりしない時代にあっては、〈なまりを克服するには謡曲で〉というのが想起された可能性は充分にある。
 詳しくは、これを見ていただければ、と。既に読んで頂いていた方には贅弁でした。
 なお、ここにのせてある以外のもので、この話に言及したものをご存じの方はお教え願えれば幸いです。噂で聞いた場合にはどのような人から聞いたのか、など。
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1996年08月27日

【アナウンスの息継ぎ】

 『パネルクイズ・アタック25』の出題アナウンサー、というのだろうか、「問題を読み上げます相馬ひろみです」《「差上げます」だった》は、読み上げが下手だと思う。アクセントがおかしいのはまあ仕方ないとは思うが、東京アクセントを基本としているのだろうから、なるべくそれに従って欲しい。「濃塩酸と濃硫酸」をどちらも平板アクセントで読むものだから、「農園産と農場産」かと思ってしまった。「塩酸・硫酸」は平板でよいのだが、複合語になると、「ノーエ'ンサンとノーリュ'ーサン」(「'」が下がり目)と読むべきではないか。最近多い〈平板化〉の一環(専門家アクセント)かもしれないが、複合語にまでそれが及ぶと切れ目が分りにくくなる。
 それから、読み上げが毎週の様におかしいのは、息継ぎの場所。これはNHKのアナウンサーでも随分下手なのが居るし、アナウンス業界全体のレベルも高いとは思えないのだが、クイズの様な短い文を変な所で切らないでほしい。
次の、漢字2字の熟語は……

を、
次の漢字、2字の熟語は……


などとのたまう。聞いている方は頭が混乱してしまう。解答者がかわいそうである。クイズ研のようなところならそういう癖も考慮に入れて練習しているかもしれないが。
 強くいうべき所を弱くいい、どうでもいい部分を強くいうことも有る。これも放送業界全体のレベルは低く、原稿を用意して喋る場合にはそうなるのは仕方ない部分もあるかもしれないが、ちゃんと読んで欲しい。
 パネルクイズの以前の読み上げ人、豊嶋みゆきさんはもっとうまかったと思うのだが。
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1996年08月26日

【子供の言葉】

 本日、愚息の誕生日である。2歳になった。ようやく言葉がはっきりしてきたのだが、3音節以上は負担が大きいらしく、2音節化して発音することも多い。その省エネは仮名レベルで説明可能な省略のしかたもあるし(車をクマなど)、ローマ字レベルで説明可能なものも多い(自転車をジェンシャなど)。しかし、ローマ字レベルで説明できないものもあり、〈弁別素性(弁別的特徴)〉(distinctive feature)にまで分析すれば説明可能となる。

 例えばトマトをパトという。

 t      o m    ato
 舌・無声破裂音  唇・鼻音
 ×   ○  × ○ ×
 [     p      ]

つまり、tから無声破裂音という素性を、mから唇音という素性を得て、pという音になる。

 ○花火(ハナビ)をハミという。

 ha n    a b        i
    舌・鼻音   唇・有声破裂音
    × ○  × ○   ×
   [    m         ]

nとbをかき混ぜてmになるのである。
《最近では長い単語も言えるようになってはきたが、「タベル」を「パエル」と言ったりもしている。タの破裂音とベの唇音とでパになるわけだ。10/11》


いやぁ、音韻論って本当に素晴らしいですね。


 また以前、ある子供(小学生)から、


クルマというよりもブーブーという方が長いのに、どうして長い方が子供言葉なのか。

というようなことを聞かれたことがある。いや、多分私に問うたのではなく、他の大人に聞いていたのを耳に挟んだのであったのだと思う。
 先程、3音節が辛くて2音節化する、と書いたが、この場合の音節は、音声学的に見て一纏まりとなる、アン・アッ・アー・アイなどを1音節と見るものである。アンを「ア・ン」と2音節と数えるやり方もあるが、混乱してしまうのでこれは2拍と呼ぶ(2モーラとも)。
 クルマは3音節、ブーブーは2音節である。長いとはいえない。ではイヌとワンワンではどうか。ともに2音節である。しかし発音の際の負担を考えると、ワンワンの場合には同じワンを繰り返せば良いだけなので、その分楽である。
 わが息子も、3音節ではあるが繰り返しがあるシュッポッポ・ポンチッチを、ちゃんと(ではないが)発音している。《繰り返す、というのは音節単位でなくとも良い。母音は違っていても同じ子音を二度使うのは、異なる子音を使うのよりも楽なようである。》
 ブーブー・ワンワンが幼児語となっているのは、故なしとしないのである。




<pre>を使ったけど、うまく揃いませんでした。等幅って本当に等幅なのかな。
《1byte文字と2byte文字の比が1:2ではない由、お教え頂きました。》
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1996年08月25日

【ポイント】

 よろずや談義に、パーセンテージの上下/比較を表わすときに用いられる「ポイント」についての指摘がある。確かに引き算や足し算をして単位が替わるというのはおかしい。高校で物理Iを習ったときに、〈求めるべき単位を考えれば、何を掛けたり割ったりすれば良いのかが大旨わかる〉ということを教えられ、大いに感心した記憶があるが、そういう常識をゆるがして貰いたくないものである。
 佐藤和之「図表・グラフを書く」(雑誌『日本語学/臨時増刊/ハンドブック論文レポートの書き方』1994.5.20明治書院)によれば、
マスコミで常用されるポイントの根拠は総務庁統計審議会情報処理部会の報告に拠っている。昭和五六年一月に出された『統計に係る用語及び表記方法』には、「百分率で表わされた二つ以上の統計比率について、相互の大きさの単位を表わす場合は、原則として『ポイント』を用いる」(百分率の比較−ポイント)とまとめている。

とのことである。お上の御墨付であったか。しかし妙なものに御墨付を与えたものだ、という気がする。

 なお、「ポイント」のこの意味は、『新明解』では第4版(1989)から載り、『三国』では第3版(1982)ですでに載せられている(2版は不所持)。
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1996年08月24日

【ぶっちゃけた話】

この元の形はなんだろう。書記形とでも言うか。『三国』では、「ぶちあける」からとしているが、「ぶちあける」は立項していない。これまで目にしたものとしては、

  • 「ぶちあけた話」竹内均・梅原猛『闘論1古代史への挑戦』徳間文庫p45
  • 「うちあけた話」(たしか『ちくま』『波』か何かの雑誌93〜94年)

がある。後者はメモをとる前に捨ててしまったか子供に破られてしまったか。それはともかく、「ぶつ」にしても、もとは「打つ」を強調したものなのだから、「打明ける」の強調形として「ぶちあける」があってもよい。『日本国語大辞典』には載っていた。「ぶちあけて言うと」というような言い方も載っている。だから、「ぶちあけた話」でよいのであるが、
  • 「ぶちまけた話」筒井康隆『歌と饒舌の戦記』新潮文庫p182

というのも、あ、なるほど、と思った。「心の中をぶちまける」という言い方があり、「うちあける」よりも、「ぶっちゃけた話」にふさわしいような気もする。しかし、「まける」という語は何なのか。
 方言ではあちこちにあるようだ。「御椀にあける」と同じように使うようである。「水を撒く」などの「まく」という五段動詞と活用を異にする、同源の「まける」という一段動詞と考えればよさそうにも思う。ただし他動詞/自動詞の対立ではない。「あける」からの類推で考えれば、「まく」が時間を掛けているのに対し、「まける」の方は、瞬間的にこぼし入れるような感じがする。「まける」をネイティヴで使っている人の感覚を聞きたいところだ。《後日》《川上蓁「音曲玉淵集の入声と促音」『国語論究6近代語の研究』p45に「ぶち明けた話が[ぶっちゃけた話]と発音されることがある」。1997.9.12追記》
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1996年08月23日

【チャリンコ】

 自転車をチャリンコと呼ぶのも、朝鮮語のチャジョンゴ(「自轉車」の朝鮮漢字音。「車」にはシャの他にコのような音もある。《ジテンコというのは立派な音読みである》)というのを、語源俗解(チリンチリンというべルの音に引きつける)したのではないかと考えていたら、同じようなことが真田信二『日本語のバリエーション』(アルク1989.2.17)p17に書いてあった。私自身は1985年以前ぐらいにふと思ったのであったが、真田氏の記述には、井上史雄「新方言辞典稿」を『東京外国語大学論集』47号(1993)で見た時に気付いたものである。
 鈴木豊「俗語使用の広がり―「チャリンコ」を例として―」(『文京女子短期大学英語英文学科紀要』26(1993.12))という論文がある。鈴木氏は1974年に初めて耳にした、ということで、よく覚えているものだと感心するが、『国語年鑑』によると鈴木氏は1958年の生まれであるから、高校入学の頃に聞いたのではなかろうか。私は何時が初耳だったか全く思い出せないが、74年よりは後の事になりそうである。
 『現代日本語用例全集』では79年が初出になっている(『言語生活』の「耳」)が、同年発売の、さだまさし「木根川橋」(LP『夢供養』所収)の「チャリンコ」は、私は違和感を感じた記憶はなく、既に耳に馴染んでいたと思う。
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【独壇場と土壇場】

 先日、独擅場が独壇場に変わるについて、「ひとり舞台」という語との関連もあるのでは、と書いたが、同様の考え方が、すでに吉沢典男『どこかおかしい日本語』(ゴマブックス1985.10.20)に書いてあった。自分の考えと同じことを既に別の人が思いついているのに気付いた時、くやしい場合と嬉しく思う場合、あるいは単に「ああやっぱり皆そう思うのね」と思う場合があるように思う。この「独壇場」の場合は第三のケース。
 「土壇場」と関連づける人もいたりして……。「土壇」というのは、死刑をする場所の事らしいけど、ドダンじゃないのは何故? とか、何故バが付いたの? とかいろいろ面白そうな言葉ではある。
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1996年08月22日

【コンビニのコの字も無い】

 昨日も触れた新野直哉氏「十年早い・何が悲しくて」(『日本語学』1993-6「特集/近・現代語の語源」)であるが、その注として、國廣哲彌氏(講談社現代新書『日本語誤用・慣用小辞典』の著者)のいう「枠組慣用句」の一例として、この
「AのBの字もない」〈Aの存在の全面否定〉(Aは単語、BはAの最初の音節
をあげる。

 ここで「最初の文字」でなく「最初の音節」としたのは、さすが新野氏である。新野氏はその証拠を挙げてはおられないが、

ティラミスのティの字も聞かん

という言い方を、1993.9の「逸見のその時何が」というテレビ番組の最終回で、上岡龍太郎がしていた事を記しておきたい。但し、より用心深く言うならば「音節」よりも「拍」か。「音節」であれば「コンビニのコンの字も」と解される恐れがあるから。
 こういった枠組みの慣用句は確かに辞書に載せにくいし、電子データがあっても用例は捜しにくい。私も手元にこれ以上の用例は無い。



 これと似た言い方というべきなのか、限定されない使い方、というべきなのかは難しいが、「AのB」〈Aのごく一部〉(Aは単語、BはAの最初のn音節(n=>1))というのがある。こちらの方が古いかもしれない。分かりやすい例を示せば、

エロキューションの「エ」程度の考慮(『国語文化講座』4(昭和16)p299)
というのがある。やや古めの用例としては、小栗風葉『青春』(明治38)の「統一のト」というのがある。
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1996年08月21日

【何が悲しくて】

 一昨日『日本語学』1993-6「特集/近・現代語の語源」を取り上げた。その中に、新野直哉氏「何が悲しくて」がある。「何の因果で・どんな理由があって」というような意味の慣用句に関する考察である。

 「何が悲しゅうて」というウ音便形もあることから、新野氏はこの慣用句が関西方言に由来するものである可能性を考える。
 新野氏は近過去から現代に至る幅広い文献から用例を拾い集めてくる、平成の見坊豪紀とも言える人であるが、この「何が悲しくて」に関しては、1988年に遡っているだけである。
 以下に掲げる用例は、筒井康隆・田辺聖子と、いずれも関西系の作家である。

  • 1968筒井康隆『筒井順慶』角川文庫p34(1970『欠陥大百科』の漫画p161も同様)
    何が悲しゅて文学や、ああ文学や文学や、

  • 1984筒井康隆『虚航船団』新潮文庫p8
    何が悲しくて自分がそのように猥褻(わいせつ)とも言える恰好(かっこう)をしなくてはならないのか」

  • 1986筒井康隆「おもての行列なんじゃいな」『原始人』文春文庫p72
    「何をあなた、貴族の令嬢が煙草屋の伜のところへなど何が悲しゅうて嫁に来る」

  • 1986筒井康隆『歌と饒舌の戦記』新潮文庫p214
    何が悲しゅうて3-7564(みなごろし)なんちうバスに乗らなあかんねん」

  • 1972田辺聖子「おちょろ舟」(『中年の目にも涙』文庫p91)
    何が悲しくて女房と一年中くっついていなければならんのだ」


 年代は一応1968年まで遡れた。もっと古い用例があるのではないかとも思え、また、関西ではずっと以前から言われている言葉であるようにも思うがどうなのだろうか。
《筒井康隆「乖離」『文學界』1997-3)にも。村上春樹『はいほー』。佐藤亜紀『陽気な黙示録』
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1996年08月20日

【カメのジステンバー】

 サザンの歌を口遊んでいて「う〜こよい、カメのジステンバー」と歌い、我ながら可笑しかった。もともと「セプテンバー」を「ジステンバー」と替えて歌うことが好きで、太田裕美「九月の雨」や竹内まりや「セプテンバー」を歌うときは思わずそのように歌ってしまうのだが、サザンのこの歌はぴったりであった。
 「ぴったりと言ったってジステンバーは犬の病気で亀は関係ないだろう」と思う人もあろうが、ピンと来ている人もあろう。カメは明治語では〈洋犬〉を意味する。NHKテレビの『日本人の質問』で取り上げられたこともあるが、この時は説明が少し不足だったように思う。また諸書に取り上げられることもあるが、中途半端な説明も多い。

  • Come説 『言海』,柳田国男「方言と昔」,『大日本国語辞典』,浅野信『俗語の考察』,日下部重太郎『国語の趣味と常識』
  • Come me説 森銑三『明治東京逸聞史1』(平凡社東洋文庫)11頁
  • Come in説 石井研堂『明治事物起源』

というような説があるが、やはり下の説が妥当であろう。

  • Come here説 楳垣実『外来語辞典』(東京堂),同氏「国語に及ぼした英語の影響」,あらかわそおべえ『外来語辞典』(角川書店),亀井孝他『日本語の歴史6』(平凡社)《新村出》

なぜ「come here」からカメが生まれるのか。〈異分析〉である。「come here」を「カメや」と聞いたのである。「ノラや」という具合にである。これが一番説得力がある。『日本語の歴史6』では〈横浜で洋犬のことを「カメヤ」と呼ぶ〉と書いているが、「カメ」である。

 異分析といえば、「弁慶がな、がいな、ぎなたを」というのを想起するが、これはいつ頃から言われているのであろうか。『日本国語大辞典』の「ぎなたよみ」のところには、徳冨蘆花『思出の記』が載せられている。もっと古いものが有るのだろうと思うが。
なぎなた読みの部屋()》
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1996年08月19日

【自分】

 14日の朝日新聞天声人語で、高校野球選手の「自分は……」に触れ、旧軍用語を連想すると書いていたが、19日の天声人語では読者からの投稿によって陸軍用語らしいとしている。
 14日の天声人語にもあるように、「自分」を一人称に用いるのは何も軍隊が考え出したわけではない。詳しいことは遠藤好英氏「自分」(『講座日本語の語彙』明治書院)に譲るとして、ここでは二人称の「自分」について書く。

 所謂「再帰代名詞」の類が二人称に転ずることは「おのれ」のようにあることで、「自分」が二人称として使われるのも、充分ありうることである。これは現在は主に関西で使われることが知られている言葉で、杉浦勝氏「自分」(『日本語学』1993-6「特集/近・現代語の語源」)で考証している(杉浦氏の「杉」、JIS補助漢字3501の[木久])。
 以前、杉浦氏と話したときに、九州でも二人称で使うところがあったと思うが、と言ったのだが、「九州は一人称の筈」と聞いてくれなかった。私もその時はきちんとした情報を持っていなかったので反論できなかったのだが、今年の三月末に九州での研究会に参加した際に文証を得た。
 熊日新聞1996.4.1の「新生面」(天声人語に当る)に次の様にある。
「ジンな、どっから来たつや」。三十数年前、県外から熊本市内の中学校に転校してきた筆者は、熊本弁で相手を「ジブン」とか「ジン」と呼ぶのに大層驚いた。

《その後、杉浦氏にお会いしたところ、杉浦氏も別ルートで熊本での使用をご存じであった。御仁ゴジンのジンが先に有って、それを語源俗解して「ジブン」とした可能性もあるとのお考えであった。》
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1996年08月18日

【福井新聞・『新解さんの謎』書評】

 用例の出典を捜し出そうとしている読者もいるそうで、頼もしいことである。是非発表してほしい。「『新明解国語辞典』を語る〈下〉」(『三省堂ぶっくれっと84』1990.1.1)で山田忠雄氏曰く、
驚いたのは『新明解』の例文だけで、文章を作った人がいた。……なんか知らんけどね、つなぎ合せて。……よく覚えてないけれども、なんか見たよ。
いろんな人がいるものである。
 文法研究の作例でも面白い文を作る人がいる。登場人物名が皆その人の周りに実在する人物であるという、やや内輪受け的なものもあるが、有名なところでは、
  • 象は鼻が長い。
  • 僕はウナギだ。


がある。山田忠雄の父、山田孝雄にもたまに面白い例があることは先日ここに書いておいた。
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【朝日新聞・列島ダイジェスト(香川)「世界最狭の海峡」】

 「最狭」は初めて見た語で辞書にはないだろうと思ったが、『三省堂国語辞典』に載っている。さすが見坊豪紀氏。そこで『現代語用例全集』を見ると、72年の用例が載っている。
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【24時】

 テレビ番組欄に「〜24時」という番組が時折載る。例えば「警視庁24時」とか「緊急病棟24時」などである。この24時は夜の零時を意味するのではなく、24時間丸一日を意味しているようである。なぜこんな言い方をするのだろう。まぁ元々は時間と時刻は、はっきりと区別されていたわけではないのだろうし、「四六時中」「二六時中」はOKなのだから気にする必要はないのかもしれないが、やはり気になる。
 時間の言い方といえば、九州方言だという「7時前5分」を思い出す。私はこれが九州方言だということをずっと知らなかった。なんだか専門用語みたいではないか。「7時5分前」という方がなんとなく鄙びた言い方のように思える。それに「7時5分前」というと〈7時3〜4分ごろ〉をも指す多義の言い方である。つい「7時前5分」を擁護してしまう九州人の私だ。
  特集・ことばの問題 随想 十時前五分 柴田武 教育と医学16-1 1968年1月
というのは未見だが、多分このことを話題にした文章だと思う。

 下関の梅光女学院大学大学の紀要に載っていた関門言語地図でも取り上げていたが、山口県にはほんの少ししか進出していないようだった。
 一般的な本では、
  日本語倶楽部編『【方言】の不思議 面白すぎる雑学知識 同じ日本語なのになぜこんなに違うのか?!』青春BEST文庫 青春出版社 1993.1.5発行
にも取り上げられていた。
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1996年08月17日

【こどもの言葉】

 子供は時々わけの分からぬ言葉を口にする。それが家庭内で定着することがある。長女が一歳半の頃、座ることを「オワッシュ」と言っていた。椅子に座らせてほしいときなどに「オワッシュ・オワッシュ」と叫ぶのである。いつしか我々も「はいオワッシュ」と言いながら座らせていた。
 いつしかその言葉も使わぬようになった頃、今は長男が二歳前で、同じような言語発達状況である。椅子に登りながら「オイッシュ・オイッシュ」と叫んでいる。なるほど、娘の言っていた「オワッシュ」の語源が今漸く解けたという感じである。oiが[owa]のようになるのはまるでフランス語のようだ。フランス語の場合は[owe]を経由していたのであるが。
 娘の残した謎の言葉に「ジュババ」というのがある。中国の外語学院に住んでいたときに階下のBennionさんのドアの前を通るときに必ずのように口にしていた言葉である。私の仮説としては、引越してすぐの頃にドアの前に貼っていた表札のような紙を私と妻が覗き込んで、「えーっと、ジョージ、ベン……ベニオン」と読んだのを娘が「ジュババ」と覚えたのだ、というのであるが、妻は今一つ納得していない。

 しかし、これらの話はまるで「トンデモ語源本」のようだ。これに朝鮮語などをからめて、萬葉集を解読すればよいわけだ。
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1996年08月16日

【近代・現代・当代、近代野球】

 内田慶市さん野原康宏さん『マックで中国語』ひつじ書房1996.7.15)が届いた。いろいろと知らないことが書いてありとても参考になった。

 さてことばである。p156に「現代・当代の小説」とある。この「当代」は日本語では、「当代随一」などとは使われるが、中国語でのように厳密な使われ方はしていない。中国では「現代」の次に「当代」が来て、解放後のことを指すらしい。(台湾の方はどうなのだろう。)
 考えてみれば日本では、近代と現代の境界を第二次大戦に置き使い分けているのであろうが、それでも「近代」の方が使用範囲が広そうだ。特に複合語を作るのは「近代」が多い。
 そこで思い出したのが「近代野球」である。山田俊雄『詞林閑話』(角川書店1987.7.5)に、「近代野球」と題する章が有り、「元捕手元監督のNという御仁」の使う「近代野球」が「腑に落ちなかった」とする。Nは勿論、現ヤクルト監督の野村克也氏である。ちなみに私は「悲しい色やね」という歌の「大阪ベイブルース」という部分を聞くと〈南海ホークスの野村選手〉を思い出す。子供の頃読んだ野球の本に「日本のベーブルース」と書いてあったのが記憶に残っているからだ。
 さて山田俊雄氏は、「近代映画」という雑誌名にも言及し、「近代」は映画・野球「そのものの本来の属性の重要な側面である」とする。たしかにそうであろう。しかしどんなに新しいものでも「近代化」はする。「近代パソコン」などという言い方が有るのかどうかは知らないが、「古代のパソコン」というような言い方は見たことが有る(「太古」だったか)。
 野球もどんどん技術向上で新しくなっている。それを反映した言い方が「近代野球」であろう。これは何も野村監督の造語ではない。昭和31.3.30発行のその名もズバリ『近代野球―技術と見方―という本が「河出新書写真篇」の一冊として出されている。そこには、
近代野球――という言葉であらわされるものがあるとすれば、すなわち、そのスピード感と変化が、いっそう合理的になっていってそれがいかにも現代人の感覚にマッチしている、という意味合いからいわれはじめた言葉に違いない。
とある。

 しかし昭和31年で驚いてはいけなかった。古書目録をみていて、昭和14年『近代野球戦術』鈴木惣太郎著なる本があることが分かった。「近代戦」などという言葉の影響かもしれぬが随分早いものである。「現代野球」はたまた「当代野球」はまだ現われぬのであろうか。《「現代野球」あるそうです。》
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