2005年10月17日

つい読んでしまっていた

【32】
つい読んでしまっていた
 岡島昭浩
 - 04/4/29(木) 12:18 -
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「つい読んでしまう」
を継承するものです。

学部生時代に大学院の受験勉強をしていた時には、「てにをは義慣鈔」を「てにをは義憤鈔」だと思っていました。なんだか義憤にかられて書いた書だと思ったわけです。
院生になり、序文を読んで、この「義慣」が古今集真名序の「語近人耳、義慣神明」によるものだと書いてあることにより、間違いに気付いたのでした。

外題学問ではいかん、ということですね。

真名序は、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pinewell/waka/kokin/k_manajo.html
ここにありましたが、他にもありそうに思います。
ただ、古今集の歌だけとかは多くても、真名序はあまりなさそう。
(国文学研究資料館にはありますが、自由なデータではないので)



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読み方が分からない漢字表記の語 #

【91】
読み方が分からない漢字表記の語 #
 Yeemar
 - 04/5/21(金) 6:31 -
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読み方が分からない漢字表記の語
の続きです。
鹿児島の芋焼酎の逸品アサヒ(日當山{ひなたやま}醸造)は朝日の如くさわやかに≠フ心でつくる。県産のさつまいも「黄金千貫」を霧島山系の湧水で仕込み、常圧蒸留。芋香ほのかな美味。(『週刊新潮』2004.05.06・13 p.129)
「いもか」だろうと思いますが、分かりません。「うこう」ではなさそうです。

「香」は造語成分になれば「芳香」「薫香」のように「コウ」の読みで使われますが、「か」はあり得るものでしょうか。たとえば、イチゴの香りは「いちごか」(苺香)と言って分かるか。こういう場合は一語化せずに「イチゴの香り」というはず。「いもの香り」は「いもの香り」というしかないと思いますが、ウェブ上ではまま使われています(100件程度)。

「臭」は「シュウ」の読みで「カルキ臭」「学者臭」などとさかんに語を作ります。しかしこれは悪いにおいのほう。「香」に同様の造語力はなさそう。



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若い人のことば #

【285】
若い人のことば #
 Yeemar
 - 04/8/8(日) 15:31 -
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若い人のことば
を継承するものです。

■なるほどですね
最近、たてつづけに耳にしました。職種の異なる男性と女性から。どちらも推定20代後半〜30代。うなずくときに「ああ、なるほどですねー」「なるほどですね、なるほどですね」と言う。

「ですね」は間投助詞的な語です。「だからですね、もう少しですね、はっきりとですね、回答をですね、しなければですね」と、文節のおわりなら何でもつきます。ところが、感動詞にはつかない。「はいですね、わかりました」「よしですね、やりましょう」などとは言わない。なぜなら、感動詞と間投助詞とは役目がほぼ同じだから、感動詞に屋上屋を架すようにして間投助詞をつける必要はない。

ところで、「なるほど」は感動詞です。感動詞に間投助詞的な語がついている。それで注意を引くのでしょう。似たような例として「あのですね」「ええとですね」があります。これもむかしはへんだったのでしょう。



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この人が作った ##

【82】
この人が作った ##
 Yeemar
 - 04/5/19(水) 16:54 -
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この人が作ったの続き。
わたしが作ったの姉妹編。
肩がこる」という表現を初めて使ったのはだれか。
答え、夏目漱石。
「門」に「指で圧して見ると、頸と肩の継目の少し脊中へ寄った局部が、石の様に凝っていた」。
ちなみに、この「肩がこる」という表現は昭和になって庶民に広まったと言われる。〔以上要約〕
(NHK「ためしてガッテン・指圧!3つのお願い」2004.05.18 深夜2:35放送=2004.05.12の再放送)
これはクイズで、「森鴎外・夏目漱石・樋口一葉・二葉亭四迷」の中から選ぶのでした。おそらく『日本国語大辞典』の用例にあるところから、このようなクイズができたのでしょうが、『日本国語大辞典』の使い方を間違っているというべきものです。



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近刊『日本語源大辞典』(小学館)

【641】
近刊『日本語源大辞典』(小学館)
 岡島昭浩
 - 05/1/6(木) 2:44 -
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2月25日ごろ刊行予定。定価6000円+税。A5判 1282ページ。ISBN 4-09-501181-5
「日本語の語源に関する古来の諸説を集大成した日本最大の語源辞典」で、「約6000語をおさめる」とのこと。



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みなれないヘビが横たわっている

【1067】
みなれないヘビが横たわっている
 みさお
 - 05/10/7(金) 6:50 -
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各地で大型のへびが発見されるニュースが続いています。「みなれないヘビが横たわっていると市民が通報」とめざましテレビ(フジテレビ、10月8日午前6:35ころ)のニュースで報じていました。
でも「みなれないヘビ」って変な気がしました。発見されたのはニシキヘビ。見慣れないというか「動物園でしかみたこともないようなヘビ」というのが実際のところだと思うのですが、「みなれない」ってどの程度の「みなれなさ」に使用したらよいのでしょうか?



【1068】
Re:みなれないヘビが横たわっている
 道浦俊彦
 - 05/10/7(金) 8:13 -
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たしかに・・・。
「見慣れない〜」は、その「もの」や「動物」自体は「見慣れているもの」(たとえば犬や猫、人間、自動車など)だが、こと、固有のその「もの」に限ると、特徴などから「見た覚えがない、見慣れない」というふうに使うのでしょう。
だから「見慣れない犬、ネコ人、クルマ」などはOKです。

ところが、「ヘビ」はふだんから身の回りでごく普通に眼にするものではない(都会ににおいては)だけに、「見慣れない」は使えないのではないでしょうか?

一方「見たこともない」は、これまでの人生において視覚的に経験したことがない、ということで、「見たこともない犬、ネコ、クルマ」は、それまでに見たことがある犬やネコやクルマの概念を越えているということでしょう。
この場合の「ヘビ」も、動物園では見たことがあっても、街中での概念は超えているということであれば「見たこともないヘビ」と使えるのではないでしょうか。



【1069】
10月7日の間違いでした
 みさお
 - 05/10/7(金) 17:42 -
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10月8日と書きましたが7日(金)の誤りです。
訂正いたします。


ひとり旅

【1056】
ひとり旅
 道浦俊彦
 - 05/9/29(木) 22:06 -
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マラソンでトップ独走することや、転じてプロ野球などリーグ戦で他チームを圧倒的に引き離してトップをゆくこと、逆に引き離されて最下位をゆくことを、

「ひとり旅」

という表現を耳にしますが、なぜ「旅」なのでしょうか?
マラソンは「道行き」なので「旅」、野球の場合はペナントレースがリーグ戦で長いので、「旅」のように感じられるから?などとも考えられますが。

いつごろからこのような言い方をするようになったのでしょうか?



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「しか…ない」

【1058】
「しか…ない」
 MM
 - 05/10/1(土) 15:35 -
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はじめまして。検索で漂着しましてから興味深く読ませていただいております。

いきなりの質問で恐縮ですが、以下の二つの文章の違いが気になっています。

「わかる人にしかわからない」
「わからない人にはわからない」

両者の意味するところは同じだと言ってよいと思うのですが、
それぞれの述語の「わからない」は文法的にも同じなのでしょうか?
また、前者の「主語」は何だと考えればよいのでしょうか?



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幼貝

【1062】
幼貝
 道浦俊彦
 - 05/10/3(月) 18:41 -
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9月23日朝日新聞のサイトで、
「北海道厚岸町の特産かき”カキえもん”の『幼貝』が暑さにやられた」
という記事が載っていました。「稚貝」は「チガイ」で種苗にあたるそうですが、この「幼貝」はなんと読むのでしょうか?「ようがい」?それとも「ようばい」でしょうか?


こがわ(小川)

【1054】
こがわ(小川)
 Yeemar
 - 05/9/28(水) 20:44 -
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金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌 中』(講談社文庫)p.50所収、「故郷を離るる歌」(吉丸一昌訳詞、大正2年)の2番に「小鮒{こぶな}釣りし小川{こがわ}よ、柳の土手よ。」という歌詞があり、解説に
第二節の第二行「小川」に「こがは」と仮名が振ってあるのは不審。「をがは」の間違いではないか。一般には「をがは」と読まれていた。
とあります。こういう箇所は金田一氏が書いたのではないでしょうか。

ところで、『国定読本』巻三(第1期2年上、1904〈明治37〉年から使用)には「コガハ」という唱歌が載っており、
イヘ ノ マヘ ヲバ
ナガレル コガハ。
とあります。「こがは」は間違いではなさそうです。

そう思って『日本国語大辞典』を見ると、当然というか、「こがわ」は載っていました。日葡辞書や、この読本のこの歌の直前の文章などが出ています。唱歌の解説文の「間違いではないか」というのは、軽い気持ちで書いたのでしょうか。



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ぽち #

【1053】
ぽち #
 Yeemar
 - 05/9/28(水) 20:18 -
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ぽち
の続きです。

故團伊玖磨氏が健在のころ、テレビ(1997年)で「かめかめ、来い来い、まま食わしょ」という歌があることを口頭で紹介していました。それはいったい何の歌なのか、分かりませんでした。

『小学唱歌』(明治25年3月12日印行、3月14日出板)には、「ゑのころ」という歌が載っており、
ゑのころ
こいこい
ままくは
せう
とあります(『日本教科書大系 近代編5 唱歌』)。

作曲は伊沢修二で、「童謡 同人改作」とあります。伊沢修二が詞をいじっているのかどうか、わかりません。「かめかめ」が「ゑのころ」になったのか、その逆か、「かめかめ・ゑのころ」に共通祖先があるのか。


真逆

【1050】
真逆
 道浦俊彦
 - 05/9/27(火) 23:00 -
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「真逆」という言葉は、まだ辞書には載っていないのではないかと思いますが、いつごろ、どういうところから発生したのでしょうか?
議論や会議で相手の発言を封じつつ、注目を集めて発言機会を得るための言葉のように思うのですが。単に「逆」と言うよりも強調しているわけですよね。評論家の宮崎哲弥さんあたりが使っているような気がしますが。どうでしょうか?



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ぜんぜん大丈夫? #

【1049】
ぜんぜん大丈夫? #
 Yeemar
 - 05/9/20(火) 2:00 -
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ぜんぜん大丈夫?
の続きです。

「全然」のあとには、むかしから、肯定も否定も来ることが出来た、というのは今や定説であろうと思います。放送などでも耳にします。最近では、「全然可愛い」は、単なる肯定ではないということも指摘されています。つまり、「あなたは自分では可愛くないと思うかもしれないが、そんなことは全然ない、可愛いのである」という語感、いわば、広義の否定表現に変わりないというわけです。

研究上、なぞとされているのは、昔から肯定・否定形の両方があるにもかかわらず、なぜ「全然〜肯定」の形が批判の対象になったのか、ということ、また、批判されるようになったのはいつごろからか、ということであろうと思います。これについては、いくつか説が出されているものの、まだ霧がはれたとは行かないようです。

それに関連して――石坂洋次郎『青い山脈』〔1947年発表〕に、こういう部分があります(手元の新潮文庫 昭和43年1月47刷改版 昭和62年10月87刷では p.292)。
全然同意ですな」
 沼田は変な軍隊用語で、ポカンと気が抜けたように答えた。
石坂洋次郎は、「全然同意」というこの言い方に、1947年当時、「変な」という語感、かつまた、「軍隊用語」だという認識を持っていたことが分かります。おもしろい例だと思います。


「ぬ」と「ない」

【1021】
「ぬ」と「ない」
 Yeemar
 - 05/9/5(月) 12:04 -
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本棚の筒井康隆『旅のラゴス』(新潮文庫)を久し振りに手にとってみると、1箇所、ページに折り目がついていました。何のつもりで折ったのだっけと思ってよく読むと、
城壁はほんの二間余の高さしかなく上部の幅も三、四尺であり石火箭が設置されると通行不能になるという不便な代物{しろもの}で、半日の守備さえおぼつかぬように見えた。(p.77)
とありました。

「おぼつかぬ」「やるせぬ」等、「ぬ」「ない」の混乱の例を集めたスレッドがあったような気がしましたが、ありませんでしたので、新設しました。

「かたじけぬ」の幽霊例はこちらに書きました。「かたじけぬ」は、ウェブでは若干の例が拾われますが、まだ放送や活字では出会いません。



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タモリのジャポニカロゴス 第3弾

【1047】
タモリのジャポニカロゴス 第3弾
 NISHIO
 - 05/9/17(土) 3:51 -
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1月・4月に続く、第3弾です。
タモリのジャポニカロゴス
 2005年9月21日(水) 19:00〜21:09 フジテレビ系
 →http://www.fujitv.co.jp/b_hp/japonica/
(続いて21:15〜22:24は「トリビアの泉スペシャル」、微妙に拡大版)

また、来月から深夜枠のレギュラー番組になるそうです。
2005年10月11日(火)スタート 毎週火曜23:00〜23:30
 →http://www.fujitv.co.jp/tokuhen/05aut_new/b_hp/logos.html
 →http://www.ktv.co.jp/autumn2005/va_tu2300.html

フジテレビ深夜黄金伝説」に新たな1ページが書き加わるか!?
仲谷昇教授の「カノッサの屈辱」、近藤サトアナウンサーの「音楽の正体」などが
印象に残っています。「たほいや」はほとんど見ず。


水菓子

【881】
水菓子
 道浦俊彦
 - 05/6/9(木) 12:35 -
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本来は「果物」のことを指す「水菓子」ですが、最近は「水羊羹」などのお菓子にも使われているので、 それは誤用・・・とされていますが、
先日行った京都の「京菓子資料館」にあった、江戸時代の『御蒸菓子図案帳』という本に、

「御水菓子」

という項目があるのを見つけました。そこには「定家餅」「水仙粽」といったお菓子がイラストとともに載っていました。
とすると、江戸時代から、水羊羹のような菓子のことを「水菓子」と呼んでいたのではないでしょうか?専門用語としてかもしれませんが。
少なくとも「果物」ではない和菓子のことを「水菓子」と呼ぶことはあった、ということですね。

こうなると、あながち「誤用」とは言えないのではないでしょうか?
いかがでしょうか??



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自転車を漕ぐ

【1030】
自転車を漕ぐ
 Yeemar
 - 05/9/11(日) 19:11 -
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自転車を漕ぐという言い方がおかしいという子を詠んだ短歌。その子は「自転車」は「乗る」とか「運転する」とかいうわけでしょうか。
自転車を漕ぐといふ歌句{かく}を子らわらふ辞書を示せばこれをしも嗤{わら}ふ
〔『含紅集』の「昭和三十三年」の章、『日本詩人全集29』(新潮社)p.41による〕




【1033】
Re:自転車を漕ぐ
 NISHIO
 - 05/9/12(月) 6:27 -
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▼Yeemarさん:
>「自転車」は「乗る」とか「運転する」とかいうわけでしょうか。


より厳密には、「自転車に乗ってペダルを漕ぐ」でしょうね。

自転車を舟と同じく「漕ぐ」というに至った経緯に興味があります。
ペダルを櫓に見立てたのか、乗ったまま人力(脚力)で推進する共通点からか。
そういえばブランコも「漕ぐ」といいます。

# 名古屋あたりでは「けったくる」。



【1034】
Re:自転車を漕ぐ
 岡島昭浩
 - 05/9/12(月) 14:03 -
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名古屋で自転車を「ケッタ」というのが理解できない、というような質問から学生さんから出て、次のように答えた記録が、たまたま残っていました。

Q:名古屋の自転車:ケッタ。「蹴る」と自転車が結びつかない。
A:自転車を「こぐ」行為は、船を漕ぐのとは全く違う動きですが、自転車が出来るまではなかった動作を、〈乗り物を前に進める〉という共通点から、「こぐ」という動詞を使って表しているわけでしょう。それに対して「ける」は、〈足を使ってものを前に進める〉という共通点で、その動詞を採用したのでしょう。「自転車をふむ」と言っている地方もあったかと思います。(なお、日本に入ってきた自転車は、足で地面を蹴って進むもの(ドライジーネ)ではなく、ペダルが付いていたものだったと思われます。佐野裕二『自転車の文化史』中公文庫)


「自転車をふむ」は、今調べると次のページにありました。熊本日日新聞に載ったそうです。http://www1.ocn.ne.jp/~haibis/douwa.htm
五分ほど行くと、あのいやな上り坂にさしかかりました。自転車をふむのはつらいので、そこだけは歩いて進みます。




【1035】
Re:自転車を漕ぐ
 NISHIO
 - 05/9/13(火) 4:21 -
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▼岡島昭浩さん:
>自転車が出来るまではなかった動作を、〈乗り物を前に進める〉という共通点から、「こぐ」という動詞を使って表しているわけでしょう。


御教示ありがとうございます。なるほど納得できました。

日本に初めて入ってきた自転車の推進方式は、「自転車文化センター」のサイトの図版や説明には明記されていません。

>「自転車をふむ」は、今調べると次のページにありました。


「自転車をふむ」はまさか存在しないだろうと思っていました。意外です。
  ○櫓を漕ぐ ⇔ ○ペダルを漕ぐ ⇔ ○ペダルを踏む
  ○舟を漕ぐ ⇔ ○自転車を漕ぐ ⇔ △自転車を踏む

漢字表記の「自転車を踏む」は、84件ほど見つかりました。
中にこんなのもありました。札幌方言「こぐ」の標準語訳が「踏む」だそうで…。
http://sapporo.client.jp/kotoba/k.htm
リンク先が開けないので、キャッシュから拾って引用します。
こぐ
【意味】(1)踏み分ける (2)踏む
【用例】(1)雪をこいでこ。 (2)自転車をこぐ。
【標準語訳】(1)雪を踏み分けて行きましょう。 (2)自転車を踏む。
【解説】「こぐ」も「投げる」と同様に、言葉が広い意味で用いられるようになった例の一つである。本来、「こぐ」は「漕ぐ」で舟を漕ぐものであっただろう。その海をまっすぐに進む様子から「雪を漕ぐ」用例が生まれたものだろうか。「雪漕ぎ」といった名詞もある。同様の使い方は、青森、秋田、岩手、宮城、新潟などでもみられる。




【1038】
Re:自転車を漕ぐ
 岡島昭浩
 - 05/9/13(火) 10:19 -
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ブランコのことを考えると、〈体の動きで、乗り物を動かす〉と言ったことでしょうか。

「踏む」については、「ける」の意味で「ふむ」を使う方言もあり(柴田武『生きている日本語』など)、それとの関連も考えねばなりますまいが、「自転車をふむ」は、もっと広そうですね。

明治には、「自転車を駆る」という言い方もあったようです。これは「馬を駆る」からの転用でしょう。
もし自転車を駆り、または扁舟に棹さして、遠近の地方を探《さぐ》らば、さらにいっそう懐古《かいこ》の情を動かすに足るものあらん
『田園都市と日本人』講談社学術文庫p300

〔明治27年2月17日 東京日日〕
 第三回自転車郊遊 日本輪友会にては、明十八日を期して、亀井戸、本下川、向島等の各地へ自転車を駈り、会員の観梅野乗りを試むる由にて、当日午前十時までに神田区錦町の吉村方に待ち合わする予定なりと。
『明治ニュース事典5』毎日コミュニケーションズ



【1039】
自転車を……
 岡島昭浩
 - 05/9/13(火) 11:19 -
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これは、東京でしょう。ちょっとびっくり。
恋人どうしなのだろうか、楽しげに語らいながら自転車を踏む若い二人が、われわれの車を追い抜いていった。
(星新一「生活維持省」『ボッコちゃん』)
父親の星一は福島出身だったと思いますが。


 新たに気になったこと。

自転車に乗らずに、自転車と共に歩くことを、「自転車を押す」とも「自転車を引く」ともいう。体の横に置いて共に進行するわけですから、押すとも引くとも言えそうです。私の意識ではハンドル部分を押すように動かしているように思いますが、軽めの自転車であれば引くこともあるようにも思います。

牛馬は押すものではなく引くものですから、それとの連想もありそうです。



【1040】
Re:自転車を「ころがす」
 Yeemar
 - 05/9/13(火) 20:16 -
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冒頭発言の歌集『含紅集』はだれの作か、このスレッドに記すのを忘れました。吉野秀雄です。

▼岡島昭浩さん:
>自転車に乗らずに、自転車と共に歩くことを、「自転車を押す」とも「自転車を引く」ともいう。


私は「自転車をころがす」と言います。

ところが、周囲に聞いてみると、「ころがす」というのは「のる」ということであって、「単車をころがす」といえば「単車に乗る」ということだそうです。

私が日本語を習ったのは主に母からですから、母に電話して確認してみますと、「自転車をころがす」というのは、自転車と共に歩くことであると、自信を持って言明していました。父は、自転車に乗ることであろうと言いました。父は香川県出身、母は埼玉県出身であります。



【1042】
Re:自転車を漕ぐ
 UEJ
 - 05/9/13(火) 23:05 -
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> 本来、「こぐ」は「漕ぐ」で舟を漕ぐものであっただろう。
> その海をまっすぐに進む様子から「雪を漕ぐ」用例が生まれたものだろうか。
> 「雪漕ぎ」といった名詞もある。


山用語で「藪漕ぎ(やぶこぎ)」というのもあります(広辞苑にも載っていた!)。
これなどまさに「藪の海を進む」という感じが出ている言葉ですね。



【1043】
Re:自転車を「ころがす」
 岡島昭浩
 - 05/9/15(木) 0:42 -
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▼Yeemarさん:
>ところが、周囲に聞いてみると、「ころがす」というのは「のる」ということであって、「単車をころがす」といえば「単車に乗る」ということだそうです。


「チャリンコ転がして行った」と、さだまさしが「木根川橋」で歌っていましたね。
これは、乗って行くのだろうと理解していました。

自転車はそれしか知りませんが、車ならあります。

『現代日本語用例集』に「車を転がす」があるようなのですが、行方不明。

新潮のCD-rom関係では、井上ひさし『下駄の上の卵』「院長なぞ東京まで車をころがしてたっぷり別れを惜しむことができたのだからまだいい。」、曾野綾子『太郎物語』「お父さんは、これから、うちまで車を転がして帰るという大事業が残ってる」

他に、
高樹のぶ子『百年の預言』 第172回 解かれる謎(32)「真賀木は女の指示どおりに、車を転がして来たのだ。」

宮部みゆき『我らが隣人の犯罪』文春文庫
p168 車を転がして遠出する

といったところ。

新明解の五版で、
〔広義では、自動車を運転することや、物事を ひとまず先へ進めることをも指す。例、「車を転がして来る/一転がし転がしておいて」〕
とあるんですね。



【1045】
Re:自転車を漕ぐ
 道浦俊彦
 - 05/9/15(木) 10:02 -
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関連ですが、以前「平成ことば事情1178」で、「自転車を押す・引く」と題して、こんなの書きました。
*************************************
新聞用語懇談会放送分科会でご一緒させていただいているS放送のIさんから質問のメールがきました。
「先日ローカルニュースで自転車の人がひき逃げされる事件がありました。その原稿で、『被害者は路側帯を、自転車を引いて歩いていたところ』という表現があったのですが、『自転車は「引く」ではなく「押す」ではないか?』という疑問が出ました。重さで判断して『オートバイは「押す」、自転車は「引く」』という人もいました。自転車の場合はどちらなんでしょうか?」
というものでした。ははあ、なるほど。私は個人的には「自転車を押す」ですね。「引く」とは言わないな。とりあえず、いつものようにインターネット検索のgoogleで調べました。
「自転車を押す」=759件
「自転車を引く」=  98件       (2003年5月13日調べ)
で、やはり私と同じ感覚の方の方が多いようです。7:1くらいで「押す」人の方が多いようです。
「自転車を引く」を使っている人を見てみると(全部ではないですが)、長野県、山梨県の人が使っているようです。もしかしたら方言かも?
NHK放送文化研究所の塩田さんにメールしたところ、
「個人的な感覚としては、上り坂でこげなくなった自転車には『押す』を使う気がする。『引く』は『押す』よりも、『力を込めて』というニュアンスがないように感じる。私としては『自転車を引く』は言わないと思う」
というメールが返ってきました。
他のもの、例えば、「大八車」は「引く」ですね。「手押し車」は、文字どおり「押す」です。そこから考えると、自転車のハンドルとその人の位置関係が問題になってくるのではないでしょうか。ハンドルより前にいれば「引く」、ハンドルより後ろにいれば「押す」。これでどうでしょうか?普通はハンドルより後ろにいるでしょうから、「押す」を使う人の方が多いのではないでしょうか。「引く」を使う人は、位置は関係なしに、「動力としての人」が、自分だけでは動かない自転車を「牽引」している、というふうに考えているのではないでしょうか。
皆さん、ご意見お待ちしていまーす!!
2003/5/18


我事におゐて

【1044】
我事におゐて
 Yeemar
 - 05/9/15(木) 2:52 -
----
宮本武蔵が書き残した箇条書きの文章「独行道」の中に
「一 我事におゐて後悔をせす」
という一箇条があります(熊本県立美術館蔵、正保2年、こちらで画像検索可能)。

これは、岩波文庫『五輪書』の「独行道」(p.165)では「我{われ}事におゐて後悔をせず。」とルビが振られています。

私は「我{わが}事において」と読むべきものではないかと思います。つまり、「自分のことに関しては後悔しない(他人のことについては、ああもすればよかったろうに、と同情することはあるかもしれないが)」という意味になります。

もし「われ」と読むとすれば、これは主語ということになりますが、他の条には「我」という主語がないのに、この条だけにあるというのはへんです。それに、「ことにおいて」という言い方が不自然です。「われ、何ごとにおいても後悔せず」ならわかるのですが。「われ」と読むことには、何か理由があるのか、わかりません。

ネットでは、「我、事において」と書いている人(「われ」派)と、「我が事において」と書いている人(「わが」派)といます。


「放香」システム

【1023】
「放香」システム
 みさお
 - 05/9/8(木) 22:08 -
----
http://www.asahi.com/culture/update/0903/002.html
映画館でチョコの匂いが出る機械とのこと。
放香という言葉がなにかあまりよいイメージを抱けないのは
なぜでしょうか?放というのが投げ出すとか放つという意味
があるからでしょうか、なにかこう、香りがただようという
イメージが表現されていないからでしょうか?



【1026】
Re:「放香」システム
 岡島昭浩
 - 05/9/10(土) 11:46 -
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▼みさおさん:
>放香という言葉がなにかあまりよいイメージを抱けないのは
>なぜでしょうか?


放尿・放屁はもとより、放言・放蕩・放漫・放埒など、悪いイメージの語が想起されるからではないでしょうか。放物線の「放物」のように、悪くない意味で、意図的に放るものもありますが、「放−」の多くは、意図せず出てしまう、という意味で使われているように思います。「放射」も元々は悪くないイメージだったのでしょうが、放射能などから、やはりこれも悪いイメージを持ってしまいそうです。



【1027】
Re:「放香」システム
 道浦俊彦
 - 05/9/10(土) 16:34 -
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「放課後」の「放課」には悪いイメージはありませんが、「放火」には悪いイメージがありますね。(イメージと言うか、そのものが、悪いのですが。)
祇園祭の「放下鉾」の「放下」には特に悪いイメージはありません。



【1028】
Re:「放香」システム
 Yeemar
 - 05/9/11(日) 11:42 -
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私は、「はなつ」ということばをいい匂いににも使えるのか、もしかすると、「悪臭をはなつ」のように悪い場合により多く使うのかもしれない、それで「放香」にみさおさんが違和感をお持ちになったのではないか、と問題設定しました。

しかし、そうでもないようです。手元のデータを見てみると、いい匂い・悪い匂いがほぼ半々でありました。

放送の「放」は悪い感じはしません。

私は「放香」ということばについてはっきりした好悪のイメージを持ちませんが、いかにも日本製漢語という気はします。中国語では、「芳香を放つ」は「散発芳香」だそうですが(小学館日中辞典)、それならば「散香システム」でもよいかもしれません。

注・元の記事:
この放香システムを扱う企画・販売会社は今後、映画のほか展示会やイベントでの有力な演出手法として売り込んでいくという。
〔映像に合わせチョコの香り 映画館に「放香」システム〕(「asahi.com」2005.09.03.08:01)




【1032】
Re:「放香」システム
 NISHIO
 - 05/9/12(月) 0:40 -
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▼Yeemarさん:

>私は「放香」ということばについてはっきりした好悪のイメージを持ちませんが、いかにも日本製漢語という気はします。中国語では、「芳香を放つ」は「散発芳香」だそうですが(小学館日中辞典)、それならば「散香システム」でもよいかもしれません。


Googleで "放香" を検索すると、日本語のページは件の「放香」システムと神戸の茶商「放香堂」が大半、その他が数件。
あとは中国語(簡体字・繁体字)のページばかりです。中国語で「放香」はどういう意味なのでしょう。「放香屁」というのもあります。『大漢和辞典』の「放」の項にも「放香」は見当たりません。気になります。

「芳香を放つ」ものといえばトイレなどの芳香剤が思い浮かびます。最近は消臭剤ばかりで芳香剤は数点しかありませんが、パッケージの説明は「発散させます」「漂わせます」「広がります」など。「放つ」という言葉はありませんでした。

「香りを放つ」「放香」に代えて、ほんのり漂わせるようすにふさわしい語はないでしょうか。
「散香(さんこう)」はキリスト教の儀式にあるようです。「散香(さんか)」は森博嗣の小説に登場する戦闘機の名前…。


余談ですが、こちらはインターネット経由で遠隔制御できる「調香器」。
http://www.ntt.com/release/2005NEWS/0005/0523.html
『OCNブロードバンドコンテンツに連動した「香り配信サービス」の実用化開始について』


疑わしい語源説の出所

【657】
疑わしい語源説の出所
 Yeemar
 - 05/1/10(月) 14:16 -
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旧会議室に語源のスレッドは少なからずありますが、ここではとりわけ
 「しかと」「くだらない」語源説の出所
 「しかと」「くだらない」語源説の出所 #
と関連し、疑わしい語源説がどこから来たか(または現在どこで言われているか)についての話をしたいと思います。

別スレッドで田島さんご紹介の「新春! 日本語で遊ぼう ココリコのお笑いコトバの大語源」の「ぎょっとする」「へべれけ」とも関連します。

ことばについての伝説」にも関連しますが、ここでは語源説にしぼります。

ちなみに、旧会議室では語源に関し「がめる」「たわけ」「ださい」「ずばぬける」「ちゃら」「ぼったくり・ぼる」「むし(虫)」「ことぶき」「エッチ」「ばったもの」「(鼻を)かむ」「こけし」「みいはあ〔ミーハー〕」などが話題になっています(これで全部に非ず)。



【658】
Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ)
 Yeemar
 - 05/1/10(月) 14:19 -
----
「かわりばんこ」の語源は何か?

――このような疑問を、私はまったく抱いたことがありませんでした。ほとんど疑問の余地がないように思われます。

「こ」は接尾語でしょう。互いに取り替えることを「取り替えっこ」、互いに追いかけることを「追いかけっこ」、互いに恨むことを「恨みっこ(なし)」と言います。それと同じく、互いに順番を替わることを「替わり番こ」というのでしょう(辞書を見ると「こ」は「事」の略であるようです)。

もっとも、「番」は名詞で、「追いかける」「取り替える」などの動詞に「こ」がつくのとは異なっています。その点について探求の余地があるとはいえ、母語話者ならば「かわりばんこ」の「こ」と「取り替えっこ」の「こ」は「同じだろうな」と自然に意識しこそすれ、「ばんこ」の意味が分からぬ、という方向には行かないはずです(語構成は「かわり番+こ」であって、「かわり+番こ」ではないでしょう)。

ところが、ウェブを見ると、「かわりばんこ」の「ばんこ」は、たたら製鉄の「番子」からといいます。
・タタラ製鉄〔略〕の労働者の事を「バンコ」(番子とも書く)と言っていたのだ。ここから転じて、交代で何かをする「かわりばんこ」という言葉が生まれたのだ。(オジサンのへや>雑学の小部屋>かわりばんこ
・このたたらを踏む人は「番子(ばんこ)」と呼ばれ、交替制で三昼夜にわたり連続送風する過酷な労働だったそうです。これを語源に交替で何かをする時の「かわりばんこ(代わり番子)」という言葉が生まれたといわれています。(国土交通省中国地方整備局 中国幹線道路調査事務所 調査課 MichiMag ちょっといい噺{はなし}(PDFファイル))
・ ふいごを踏んで風を送る送り手のことを番子(ばんご)〔ママ〕と言ったが、30分も踏むと疲れてしまうので代わる代わる行った。ここから「かわりばんこ」という言葉ができたという。(自転車・峠おやじ>TOURING REPORT>出雲の旅(2003.5.27)6〔島根県飯石郡吉田村「鉄の歴史博物館」のビデオ説明によるか〕)
また、昨年の大晦日に放送のテレビ朝日「コドモのギモン2」でも、「かわりばんこって何だろう?」という疑問が取り上げられています。「かわりばんこ」は「たたら製鉄の労働者から来ている!」という結論になってはいないだろうかとおそれます。

番組をご覧になった方はおられますか。



【665】
Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ)
 skid
 - 05/1/11(火) 23:58 -
----
▼Yeemarさん:
>「かわりばんこ」の語源は何か?
>また、昨年の大晦日に放送のテレビ朝日「コドモのギモン2」でも、「かわりばんこって何だろう?」という疑問が取り上げられています。「かわりばんこ」は「たたら製鉄の労働者から来ている!」という結論になってはいないだろうかとおそれます。
>番組をご覧になった方はおられますか。


見ました。
たたら製鉄の労働による説でした。



【668】
Re:へべれけ
 益山 健
 - 05/1/12(水) 10:31 -
----
「へべれけ」の語源説は木村鷹太郎「希臘羅馬神話」に由来するとのことです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~windharp/v2_07.htm



【669】
Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ)
 Yeemar
 - 05/1/12(水) 10:32 -
----
▼skidさん:
>見ました。
>たたら製鉄の労働による説でした。


やはりそうでしたか。ありがとうございます。

「語源の根拠はどうでもいい」という考え方が流行しているのでしょうか。もっとも、「このような民間語源がある」という紹介の仕方であれば、がぜん、情報の価値は高まります。「学問的には疑わしいが、人々の間に広まっている説である」という情報は、これはこれで貴重なものです(さればこそ、私もここに書きつけておきたいのです)。

先の、『新春! 日本語で遊ぼう ココリコのお笑いコトバの大語源』のリンクが誤っていました。ただしくはこちらです。

「ココリコ」にしろ「コドモのギモン」にしろ、アナウンサーが何らかの保留、エクスキューズをつけて謙虚に紹介したのなら、私も納得します。

私はごく素朴に「ぎょっ」も「へべれけ」も擬態語だろうと思います。「ぎゃっと驚く」「べろべろに酔う」とも関連があるでしょう。しかし、中国の楽器や女神ヘーベと無関係という証拠を出せ、と言われると困ります。

skidさん、田島さん、よろしければ番組のまとめ方(保留の有無など)はどんなふうだったか、お聞かせいただければと思います。



【670】
Re:へべれけ
 Yeemar
 - 05/1/12(水) 10:43 -
----
▼益山 健さん:
>「へべれけ」の語源説は木村鷹太郎「希臘羅馬神話」に由来するとのことです。
>http://www2s.biglobe.ne.jp/~windharp/v2_07.htm


ちょっと離れたブランチ(こちら)で私は「「べろべろに酔う」とも関連があるでしょう」と不用意なことを書きましたが、上記からのリンク先のmassangeana氏の「「へばる・へたばる」などとの関係をまず考える方が生産的ではないか」との説はごもっともと思います。



【707】
Re:疑わしい語源説の出所 ズボン
 岡島昭浩
 - 05/1/28(金) 1:37 -
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1/26の「トリビアの泉」で、ズボンの語源が、「ズボンと入るから」であると放送されたそうです。コメントしたのは服飾関係の人ということでした。

説の出所は『言泉』とのこと。みてみましたら、
ずぼん 洋袴【名】『幕末の頃、幕臣大久保誠知といふ人のこれを穿けば、ずぽんと足のはいるとて言ひ初めたる語なりといふ』 洋服の下部。足に穿つもの。形、股引に似たり
とありました。「といふ」を、「はい、確かに」とは言えましょうかね。

『ことばの泉』には、その説はありませんでした。(初版21版)</p>
ずぼん [名] 【英語】 洋服の一部分にて、足に穿つもの。形、ももひきに似たり
と、英語にされています。
『ことばの泉 補遺』にもありません。

『大言海』などの、フランス語のjupon説は、服飾業界では否定されているということでした。



【713】
Re:疑わしい語源説の出所 ズボン
 NISHIO
 - 05/1/31(月) 1:18 -
----
▼岡島昭浩さん:
>『大言海』などの、フランス語のjupon説は、服飾業界では否定されているということでした。


手もとの語源薀蓄本と古い服飾用語辞典はいずれもjupon説を採っています。2000年に服飾用語辞典の新版が出ていますが、そちらは確認していません。

実用服飾用語辞典 増補版』(山口好文編、文化出版局、昭和52年7月25日)
ズボン
 フランス語のジュポン(jupon)がなまってできた外来語で英語のトラウザーズ(trousers)。腰回りと二本の脚部をもつ外衣の総称。スラックス、パンタロン、ニッカーボッカーズ、トランクス、パンツなどがこれに属する。

生活のことば語源読本』(杉本つとむ著、雄山閣出版、昭和52年8月15日)
〈ズボン〉
――これはフランス語の jupon <ジュポン> 語源的には女性のペチコートと同じ下につけるもので、明治に出版された『洋装読本』にも〈此ジュポンとは下袴とか腰巻の意味である〉と解説されている。いわば、今の〈ズボン下〉に相当するのが、ジュポンだったわけだ。

暮らしのことば語源辞典』(山口佳紀編、講談社、1998年5月25日)
ズボン
 下半身にはく二股に分かれた洋服。語源はフランス語の jupon だが、このジュポンとは女性用の腰から下のスリップ、つまりペチコートのことである。jupon の語源はアラビア語の djubba であり、これは男性が身にまとうゆったりした衣服のこと。
 ズボンは幕末の頃から用いられているが、漢字表記は「洋袴・細袴・股袴・下袴・袴服・穿袴・短袴・服筒・下服」などさまざま。(佐々木文彦)

『大辞林』と『新辞林』は両方を挙げていますが断定はしていません。
ズボン
〔(フランス) jupon からか〕
 主に男子の衣服で、両足を別々に包む形で下半身にはくもの。スラックス・パンタロンなどの総称。〔明治時代には「洋袴・段袋(だんぶくろ)」ともいった。語源は幕臣大久保誠知が「ずぼんと足がはいる」といったことに由来するとの説もある〕)

根拠を挙げてjupon説を否定しているのは下記の一篇だけでした。

新装版 事物起源辞典(衣食住編)
(朝倉治彦・安藤菊二・樋口秀雄・丸山信、東京堂出版、2001年9月20日)
ズボン
 男子の洋服で下半身にはくもの。江戸時代の末、洋式調練の行なわれたころ、西洋風の軍服のズボンをまねた陣股引、のちに細袴、俗に「だんぶくろ」と称するものをはいた。これを、ズボンと足がはいるからズボンだと、幕臣の大久保誠知があだ名をつけたことからこの称呼ができた(落合直文編『ことばのいずみ』)。文久以降明治元年ごろまで、この段袋服は一着白銀二分、仕立に一日半費やしたといわれる。明治三年の海軍下等士官以下の軍服の達しにも「水夫ハ紺ヘル胴服黒ヘルヅボンの事」とあるように、称呼が用いられたが、政府の公文書では、その後久しく袴の字を用い、陸軍などはズボン下のことを「袴下<こした>」と称していたことは周知のとおりである。しかし、戦後、制服に関する規定にも正式にズボンとしるすようになった。明治二年ころの都々逸の中に、「絆纏股引着た勇<いさみ>より卒着<ちよつき>ヅボンの好男<いろおとこ>」と、すでにうたわれている。ところが、明治四年一〇月東京茅場町の柳屋洋服店の広告に、「奇なり妙なり世間の洋服、頭に普魯西<プロシヤ>の帽子をかぶり、足に仏蘭西<フランス>の沓を穿き、筒袖(上衣)は英吉利<イギリス>海軍の装ひ、股引<ダンブクロ(ズボン)>は亜米利加<アメリカ>陸軍の礼服……」と、当時の洋服姿の異様さを皮肉っている。ズボンということばが定着するのは三〇年代になってからではないかと思われ、またフランス語のジュポン(jupon)の転化だという説があるが、ジュポンは婦人の下ばきであるから、それを武士ともあろう者が軍服の名称に用いるわけがない。またフランスから教官がきて、フランス風の軍服を着た伝習隊ができたのは慶応三年で、ズボンの俗称はそれ以前から行なわれていた。第一、当時フランス婦人の来朝はきわめて少なく、横須賀軍港構築のためにきていた技術団の夫人ぐらいなものであったから、ジュポンの名も実物も知る機会はなかったはずである。幕末フランス語入門書には、この訳はなく、明治四年長崎の好樹堂訳、上海版の『和仏辞典』に、はじめて「jupon」の語が出てくるが、訳は「下着」となっている。
 【参考】「日本洋服沿革史」(『被服文化」62号)昭35・4




【714】
Re:疑わしい語源説の出所 ズボン
 岡島昭浩
 - 05/1/31(月) 23:58 -
----
▼NISHIOさん:
>根拠を挙げてjupon説を否定しているのは下記の一篇だけでした。
>
>『新装版 事物起源辞典(衣食住編)』


有り難うございます。トリビアの情報のソースは、恐らくこれでしょうね。

出演打診があったという、ある人からの情報では、スタッフは『ことばのいずみ』に典拠がある、と言っていたそうですから。実際には『言泉』なのに。

今度は、「チョッキは、ちょっと着るからチョッキ」などが登場したりしないことを望みたいです。



【795】
Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ)
 skid
 - 05/4/14(木) 1:44 -
----
テレビ朝日「マシューTV」の「なまり亭」とかいうコーナーで、金田一秀穂先生が「ばんこ」はポルトガル語とおっしゃっていました。
踏み台のことをいう「ばんこ」とは、英語で「ベンチ」なんだそうです。



【796】
Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ)
 道浦俊彦
 - 05/4/14(木) 10:54 -
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▼skidさん:
>テレビ朝日「マシューTV」の「なまり亭」とかいうコーナーで、金田一秀穂先生が「ばんこ」はポルトガル語とおっしゃっていました。
>踏み台のことをいう「ばんこ」とは、英語で「ベンチ」なんだそうです。


踏み台のことをいう「ばんこ」はポルトガル語起源で、英語の「ベンチ」のことだというのは、そうだと思います。北原白秋の「柳川風俗詩」(多田武彦作曲の男声合唱組曲にもなっていますが)の中にも「バンコ」は出てきます。九州の方言にも取り入れられているのではないでしょうか。
ただ、それと「かわりばんこ」が関係あるのかどうかはわかりません。「代わり番こ」で「こ」は、接尾語的なのだと、私は思っていました。



【798】
Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ)
 skid
 - 05/4/17(日) 5:04 -
----
話が逸れますけれど、サルティンバンコは

  中世のイタリア語で「ベンチを飛び越える」という意味。
  総称は「大道芸人」。

だったんですね。



【818】
Re:疑わしい語源説の出所(むごい)
 Yeemar
 - 05/5/9(月) 6:51 -
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べつに転職しようというわけではありませんが、ひやかしで「毎日キャリアナビ」というサイトにある「適性診断」の中の「言語能力(仕事の基礎的能力診断)」というのを試みました。自分の言語能力はどれくらいか?

テストは、次々に現れる文章を読んで、後の設問から「筆者の主張に一致しているもの」「そうでないもの」を選ぶというものです。

ところが、その第1問の文章の冒頭にこうあったのでおどろきました。
 ムゴイという言葉に興味をもって語源を調べた。やっぱりそうである。モンゴイという言葉、蒙古人のような、という語源をもつ。
 元々、日本人は他の民族に比べ、美的感受性において優れ、残酷さにおいて劣るところがある。最近の遺跡の発掘でも、縄文人と弥生人の戦いの規模は小さかったようだ。静かに同化と棲み分けが行われていったようだ。南米における征服とは違っている。
 意外に思う人が多いだろうが、カリスマには「人を残酷に扱う性質」が共通してみられる。ムゴイ仕打ちを平気でするのである。
〔*以下略。HTMLで書かれていないらしく、コピーアンドペーストができません。〕
「むごい」の語源について「やっぱりそうである」とあっさりへんな結論を下しているので、急に読む気が失せました。「元々、日本人は……」という類型化に首をかしげたり、「残酷さにおいて劣る」などというおかしな表現にいちいち立ち止まって考えたりしているうちに、持ち時間を消費してしまいました。

診断結果は「読解力はあるものの、理解するのが遅い」ということでした。



【988】
Re:疑わしい語源説の出所(くだらない)
 Yeemar
 - 05/8/7(日) 21:59 -
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> 「しかと」「くだらない」語源説の出所
> 「しかと」「くだらない」語源説の出所 #
>と関連し、


その「くだらない」ですが、司馬遼太郎『菜の花の沖〔新装版〕(一)』(文春文庫)〔単行本は1982年刊〕p.305に以下のようにあります。
 江戸という都市の致命的な欠点は、その後背地である関東の商品生産力が弱いことであった。
 これに対し、上方および瀬戸内海沿岸の商品生産力が高度に発達していたため、江戸としてはあらゆる高価な商品は上方から仰がねばならなかった。しかも最初は陸路を人馬でごく少量運ばれていたこともあって、上方からくだってくるものは貴重とされた。
「くだり物」
 というのは貴重なもの、上等なものという語感で、明治後の舶来品というイメージに相応していた。これに対し関東の地のものは「くだらない」としていやしまれた。これらの「くだりもの」が、やがて菱垣船の発達とともに大いに上方から運ばれることになる。
司馬氏のことですから相当調べた上の記述と思われますが、何を参考にした記述でしょうか。



【1029】
Re:疑わしい語源説の出所(強羅)
 Yeemar
 - 05/9/11(日) 19:04 -
----
出所というわけではありませんが、地名の「強羅」の語源説が「故事附けにして〔も〕ややおもしろし」という吉野秀雄の以下の短歌を知りました。
強羅{がうら}の地名がgo roundの訛{なま}りとは故事附{こじつ}けにしてややおもしろし(箱根の歌)
〔『含紅集』の「昭和三十二年」の章、『日本詩人全集29』(新潮社)p.41による〕




【1031】
Re:疑わしい語源説の出所(強羅)
 Yeemar
 - 05/9/11(日) 19:11 -
----
正誤
×「昭和三十二年」の章
○「昭和三十三年」の章




▼疑わしい語源説の出所 Yeemar 05/1/10(月) 14:16
   ┣Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ) Yeemar 05/1/10(月) 14:19
   ┃  ┗Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ) skid 05/1/11(火) 23:58
   ┃     ┗Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ) Yeemar 05/1/12(水) 10:32
   ┃        ┗Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ) skid 05/4/14(木) 1:44
   ┃           ┗Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ) 道浦俊彦 05/4/14(木) 10:54
   ┃              ┗Re:疑わしい語源説の出所(かわりばんこ) skid 05/4/17(日) 5:04
   ┣Re:へべれけ 益山 健 05/1/12(水) 10:31
   ┃  ┗Re:へべれけ Yeemar 05/1/12(水) 10:43
   ┣Re:疑わしい語源説の出所 ズボン 岡島昭浩 05/1/28(金) 1:37
   ┃  ┗Re:疑わしい語源説の出所 ズボン NISHIO 05/1/31(月) 1:18
   ┃     ┗Re:疑わしい語源説の出所 ズボン 岡島昭浩 05/1/31(月) 23:58
   ┣Re:疑わしい語源説の出所(むごい) Yeemar 05/5/9(月) 6:51
   ┣Re:疑わしい語源説の出所(くだらない) Yeemar 05/8/7(日) 21:59
   ┗Re:疑わしい語源説の出所(強羅) Yeemar 05/9/11(日) 19:04
      ┗Re:疑わしい語源説の出所(強羅) Yeemar 05/9/11(日) 19:11
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