【659】 起承転結「糸屋の娘は目で殺す」 岡島昭浩 - 05/1/10(月) 18:14 -----
起承転結の例として挙げられる
○○○○糸屋の娘
姉は十六妹は十四
諸国(諸)大名は弓矢で殺す
糸屋の娘は眼で殺す
というのがありますが、これは、頼山陽が説明したと言われることがよくあります。
近藤春雄『中国学芸大事典』(大修館書店)の「起承転結」では頼山陽のみを載せますが、同氏『日本漢学大事典』の「京都三条糸屋の娘」の項では、頼山陽と梁川星巌をあげ、星巌は「京都三条糸屋の娘」、山陽は「大阪本町糸屋の娘」と言ったとしています。参考文献として簡野道明『唐詩選詳説』p693・塩谷温『唐詩三百首新釈』p37を挙げていますから、どちらかが星巌で、どちらかが山陽なのでしょう。
この伝説を記録したものは、かなり多く、web上にも見られます。書籍上でもそうですが、頼山陽は、作ったことになっていたり、例として引いたことになっていたり、さまざまですし、詩句にも小異があり、「伝説」にふさわしいものです。
辞典類では上記の他に、皓星社『隠語大辞典』の「眼で殺す」の項によって、『かくし言葉の字引』(1929)に、めでころす【眼で殺す】:美女が色眼をつかつて男子を悩殺することをいふ。頼山陽が門弟に詩句の起承転結の作法を教ゆる為めに作つたと伝へられて居る文句に、「大阪本町糸屋の娘、姉は二十一妹は二十歳、諸国大名は刀で殺す、娘二人は眼で殺す」といふのがある。〔情事語〕
とあることが分かります。
松下大三郎『標準日本口語法』(p326)に、
諸國諸大名は刀で殺す絲屋娘は目で殺す、どうも此の結句が巧いて。
という例があることをついでに書いておきます。文末の「て」の例です。
加藤咄堂「青年指導と雄弁」(文部省社会教育局『話法と朗読法』昭和10.7.25)には、この起承転結を或詩人が
京の三條の絲屋の娘、姉は十八妹は十五
諸国大名は刀で殺す、絲屋娘は目で殺す
初めの「京の三條の絲屋の娘」これが起で、それを承けて「姉は十八妹は十五」パツと転じて「諸国大名は刀で殺す」これがどう結ばれるかと思ふと「絲屋娘は目で殺す」かういふのが起承転結であります。
とあります。
宮崎来城『漢詩自在/作詩術』(明治36.7.1初版。大正2.12.15の四版による)p275-276には、次のようにあります。
頼山陽は初学の徒に結句法を示すに今様を以てしたことが有るさうな
大阪本町の絲屋の娘
絲屋の娘で筆を起した、此れ起句、
姉が十六妹は十四
而かも其娘は姉妹で有る、齡は十六と十四で有るといふことを述べて上句を承けた、此れ承句、
諸国諸大名は刀で斬るが
絲屋の娘に何の関係もない諸侯【「諸候」とあるを訂正】のことを出した、此れ転句、
いと屋の娘は目で殺す
絲屋の娘はの五字を出して、起句、承句を顧み、目で殺すに四字を出して転句を顧み、以て全編を収束した、此れ結句。
彼の読孟甞君伝といひ、此今様といひ、ともに絶句の起承転結法を学ぶの捷逕としては殊に宜しい。
乗附春海『古今各体/作詩軌範終』明治26年3月27日 穎才新誌社には、次のように。
起句 君をはじめて見る時は
承句 千代も経ぬべし姫小松
転句 御前のいけのかめ岡に
結句 鶴社群れ居て遊ぶめれ
(中略)
又頼山陽翁か初学者に絶句法を示すには此の今様を以てすと云ふ
起句 大坂本町糸屋のむすめ
承句 姉は十六いもとは十四
転句 諸国諸大名は刀で斬るが
絶句 いと屋の娘は眼で殺す
是れ絶句作法の捷徑ならん。第三句に実事を述ぶべきは前に載する古人の論を見て悟るべし。
ちなみに、この前にある 赤蜻蜒羽を切ったら唐辛
是れ其殺風景にして味無し。之を前後して
唐辛羽を着けたら赤蜻蜒
と云へば雅味自ら存せり。故に意を取捨し言を前後するに因て雅俗も亦自ら分る者なり。又連歌師流の言に「山畠助兵衛」と云へば尋常農人の如く聞ゆ。之を顛倒して「畠山兵衞助」と云へば舘持の一人の名の如し。
とあるのも面白いところです。三十年ほど前に、あのねのねが歌った「赤とんぼ」で、「赤とんぼ羽を取ったらあぶらむし」というのがありましたが、「羽を取ったら唐辛子」だろう、と思った記憶(理屈ではなく言葉として)があります。
さて、この伝説は頼山陽に近づくことが出来るのでしょうか(数日後に続く)。
【674】 Re:起承転結「糸屋の娘は目で殺す」 岡島昭浩 - 05/1/13(木) 2:36 -----
中央公論社の『随筆百花苑』第2巻「在臆話記」第四集巻六に、山陽後兵児の詩の、眉斧開剖壮士腸。此語は、南品の流行俚歌にて、薩士は刀で殺し、吾妻女は目で殺すと唄ひたる也。
と見えます(p149)。
「在臆話記」は、江戸時代のことについて書いていますが、明治40年頃の筆のようです。
さて、この「後兵児の詩」は「後兵児謡」で、蕉杉如雪不愛塵 長袖緩帯学都人
怪来健児語言好 一操南音官長嗔
蜂黄落 蝶粉褪 倡優巧 鉄剣鈍
以馬換妾髀生肉 眉斧開剖壮士腸
というものです(岩波文庫『頼山陽詩抄』ではp101)。
美人の眉が壮士の腸を開剖する、というのですね。薩摩の俚謡「吾妻女は目で殺す」を頼山陽が翻案して漢訳したらこれになった、というのでしょうか。
この伝説と山陽とが、すこし違う方面で関わりを持っている記録でした。
なお、「南音」と、薩摩言葉について触れているのも、興味を引きます。