2001年11月27日

「肉」の訓読み(道浦俊彦)


「肉」という漢字の読みは「にく」ですよね。これは「音読み」なんですが、では訓読みは何か?と思って漢和辞典をみると、「訓読み」は「なし」となっているのです。
しかし、意味としての読みには、「しし」というのがあります。「太りじし」とか。「しし」で国語辞書を引くと「肉・宍」という漢字があててあります。「しし」は「肉」の訓読みではないのでしょうか?
なぜ「訓読み」のところに載っていないのでしょうか?



梅崎光 さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 27日 火曜日 18:38:20)


ご覧になった漢和辞典は何でしょうか? その辞典の編集方針として例えば、「常用漢字の音訓にないものは字訓の欄に掲出しない」ということがあるのかもしれません。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 27日 火曜日 18:57:09)


「角川新字源」(1989)です。
漢語はカタカナで、和語はひらがなで見出しを立てている「新潮現代国語辞典」によると「ニク」と「しし」で見出しになっています。
「やまとことば=訓」と考えてよいのでしょうか?



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 27日 火曜日 23:23:38)


関連することを道浦さんにメールで申し上げたのですが、「やまとことば」はあくまでも「純粋の日本語」という意味です。たとえば、「びしびし」なんていうのも「やまとことば」には違いありません。

一方、「訓」は、ある漢字をやまとことばでよんだものです。「訓」は、背後に漢字があって成立する概念です。

もっともゆるい意味での「訓」は、とにかく漢字をやまとことばでよんだものであれば「訓」となります。たとえば「千年万歳」を「いつまでも」とよんだ場合、これも「訓」です。「翻訳」と考えたほうが適切かもしれません。

そうやって漢字にやまとことばをあてる中で、たとえば「万」という字はいつでも「よろず」とよむ、というような習慣ができれば、これは“固定訓”ということになります。「肉」ならば「しし」とか「ししむら」とかが“固定訓”でしょう。

戦後になると、「当用漢字音訓表」、「常用漢字表」を経て、学校で教える“常用訓”が定まりました。それによれば、「万」の“常用訓”はない、「肉」の“常用訓”もない、ということになります。しかし、それは学校の中だけの話で、一般に「太り肉」などと使う以上は、やはり「しし」は「肉」という漢字の“固定訓”のひとつといってよいでしょう。



新字源 さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 29日 木曜日 14:36:25)


凡例
十三 字訓 「常用漢字表」に示された訓にかぎって、「常用漢字表」掲出の順により、親字の下方に太字で掲げた。……
十五 意味 ……3熟している訓があるときは、それをまず掲げ、その訓の下に展開順で意味をまとめるようにした。4熟している訓は、太字(送りがなの部分は細字)で示し、その下の()内に歴史的かなづかいによる表記を掲げた。

音訓索引
一「常用漢字表」に掲げられた漢字のうち、その音訓が認められているものには▲印、認められていないものには▼印を付した。
しし
▼肉 八一五
 獅 六四七

本文
意味[一](1)にく。み(身)(ア)しし。鳥獣の切ったにく。……
(「しし」は太字)



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 30日 金曜日 7:34:22)


Yeemarさん、新字源さん、ありがとうございます。謎は解決しました。
凡例は目を通したのですが。このように再掲していただくと、良くわかりました。
ずらーっと書かれていると、よくわからなかったです。(あまり漢和辞典を引くことがないので)今後は漢和辞典にもう少し親しもうかと思います。

ところで「角川大字源」では、「にく」は音読みと訓読みの両方に載っているそうですが、「音読み」が「訓」と認識されることで、「訓読み」になることもあるのでしょうか。
「訓読み」は「翻訳」とYeemarさんはおっしゃいましたが、たとえば、漱石のように漢字にルビを振った「当て字」でも「訓」とよんでいいのでしょうか?
極端な話、坪内逍遥の「當世書生気質」の中にある「甲地乙地」にふったルビ「あっちこっち」とか、「四円だけゲットしたのさ」の「ゲット」のあとに(得領)と書かれているところにふったルビ「てにいれる」なども「訓」なのでしょうか?
こういった場合のルビは「訓」ですか?
(もちろん、音読みに振られたルビは音読みですが)
・・・なんか、わからなくなってきました・・・。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 01日 土曜日 20:57:38)


道浦さんは2つの点について書かれていますが、まず1点目。

あて字イコール「訓」ということにはなりません。

まず、あて字とは、そのことばの意味に関係のない漢字をあてることです。たとえば、漱石の文章では、魚のサンマが「三馬(さんま)」と書かれています。これは、「さんま」というやまとことばがまずあり、そこに意味の上では無関係ながら「サン」「マ」の音をもつ漢字をあてた「あて字」です。同様に、「なつかし」を「夏借」と書く場合、「なつかし」というやまとことばがまずあって、意味の上では関係がないものの「なつ」「かし」という訓をもつ漢字をあてた「あて字」ということになります。あて字には、音を利用したあて字もあれば、訓を利用したあて字もあるわけです。

他方、「秋刀魚」を「さんま」とよむようなものも、「あて字」と言うことがあります。しかし、魚のサンマをあらわす漢語の「秋刀魚」を、同じ意味のやまとことばで翻訳してよんでいるわけですから、「さんま」は「秋刀魚」の「訓」(2字以上の熟字をよむ訓のことを特に「熟字訓」という)だとはいえますが、厳密には「あて字」ではないでしょう。同様に、「甲地乙地」を「あっちこっち」、「甲事乙事」を「それやこれや」、「看官」を「みるひと」とよむのも「訓」の例ですが、必ずしも「あて字」ではないでしょう。「大田道灌」を「にはかあめ」とよむのも、やや苦しいけれど「訓」には違いありません。“固定訓”かどうかについては、議論があると思います。

岩波文庫『当世書生気質』で、「得領」は「甲地乙地」の次の行に出てきますが、「てにいれる」のルビは省略された模様です。そう振られているならば、「訓」ということになります。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 01日 土曜日 20:59:17)


次に、道浦さんの2点目。

字書によっては、「肉」の「音」を「ニク」とし、かつまた「訓」にも「にく」を認めるという行き方はありうるでしょう。

「肉」ということばは、生活に密着した結果、漢語の意識が薄れ、和語に準ずると編者はみたのでしょう。同様のことばとしては、「菊(きく)」、「絵(え)」、「幕(まく)」、「象(ぞう)」などが考えられます。ちなみに、『大字源』では、これらのよみを音にも訓にも挙げてあります。

図書寮本「日本書紀」では、「僧」を「ホウシ」とよんでいます。もちろん「法師」のことですが、「僧」の「訓」のように考えられたのでしょう。

その「訓」が本当にやまとことばかどうかは、分かりにくいものもあります。「馬」の訓「うま」は、「馬」の音「マ」に由来するのではないかと言われます。「梅」の訓「うめ」は、「梅」の音「メ」か、それとも「烏梅」の音かと言われます。「筆」の訓「ふで」は、「ふみて(文手)」が語源ならばやまとことばですが、「筆」の音「ヒツ」の転(金沢庄三郎説)ならば、音に由来する「訓」ということになります。

「訓」が、必ずしも「やまとことば」でなくても良いということになると、定義があいまいになることは否めません。1986年に行われたシンポジウムで橋本万太郎氏は

私は提案したい。漢字語根によって新しい言葉をつくったら、カタカナ音訳語をその漢字のルビとして使ったらどうだろう。〔略〕たとえば「高技」と書いてハイ・テクと読む。こういう「訓」はすでに始まっている。
(朝日新聞 1986.05.27 p.17)
と発言しています。英語由来でも、そのよみが固定すれば「訓」といえるのかもしれません。

妄言多謝。乞御批正。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 03日 月曜日 18:14:11)


Yeemarさん、幅広い視点からありがとうございます。
11月30日金曜日に兵庫県三木市で小学一年生の男の子が誘拐され、22時間ぶりに無事保護される事件がありましたが、この男のこの名前が「ないと」というものでした。漢字は「騎士」と書きます。これは「訓」でしょうか?「王」と書いて「キング」とルビをふったり、「女王」で「クイーン」なんてのも当然ありますよね。
橋本万太郎さんによると「訓」と認めて良いということでしょうか。
しかし、従来の「訓」とは、明らかに違うので「新訓」とかなんとか名づけてはどうでしょうか?「新」に「ニュー」とルビふったりして・・・。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 03日 月曜日 20:18:03)


「零」を多くの人は「ゼロ」とよむのではないでしょうか。これも道浦さんのいわれる“新訓”でしょうか?



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 06日 木曜日 8:46:02)


そうですねえ。
「あて字用例辞典」(杉本つとむ編・雄山閣出版1994)に「<あて字>概説」という論文(?)が載っていました。
それによると、日本の漢語は、
(A)中国からの借用・転成
(B)創作漢字語
に分けられ、このうち(A)の中国からの借用・転成は、
@広義のあて字
A狭義のあて字
に分けられ、さらにA狭義のあて字は
(a)借義法と
(b)借音法
(c)借義・借音混用法
の3つに分かれる。
一方、(B)創作漢字語は、
(イ)新造語
(ロ)翻訳による仮借の音訳語
(ハ)日本語に漢字をあててつくる
の3つと、一部は、
(ニ)A狭義のあて字
も含む、といった図式が出ていました。
また、「山女」を「アケビ」と読んだ場合、古くは義訓・義読の術語を用いた、と記してありました。
広辞苑で「義訓」を引くと、二つめの意味で、
「漢字の用字法の一。漢字本来の字義に基づく正訓に対し、「寒(ふゆ)」「黄変(もみつ)」のように語の意義に合わせて漢字をあてるもの」とありました。
これかな?



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 12月 06日 木曜日 17:17:52)


杉本博士とYeemarなにがしは師弟関係にあるのではないかといううわさもちらほら……。Yeemarなにがしは師説を曲げているかな?


posted by 岡島昭浩 at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年11月18日

ナマ大阪弁の採録(前田年昭)


小松英雄先生の新刊
  『日本語の歴史 青信号はなぜアオなのか』2001年10月、笠間書院
に、実際の日本語話者の発音をとらえるときに、頭にこびりついた規範的な
仮名表記がじゃまをするという話がでてきて、肯いています。

  「熟睡」はジュクスイであるが、「成熟」はセージクになる。「新宿」、
  「原宿」、「三宿」などを振り仮名どおりに発音する人は、東京の生活に
  なじんでいない。

この立場からいうと、ナマ大阪弁をうまくとらえた作品に最近、出会いました。
  『モーニング』(講談社)連載の「ちゃぶだいケンタ」(作者・うめ)
です。

  よーし インジャンや/イーンジャーン
  めずらし……/はじめて見たわ
  死んどんのとちゃうか?

など、瀬戸内晴美や谷崎、最近のものでは青木雄二などとくらべてもうまいな
とおもいました(ATOKも次のバージョンで関西弁対応にするとか)。



posted by 岡島昭浩 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年11月15日

「ここはどこ、私はだれ」(Yeemar)

別スレッドからの分岐です。

「ここはどこ、私はだれ」ということばの出典は?

「電通オンライン」の「広告景気年表」によれば、1984年の流行語とのことです。

1984年のニュースと流行(広告デザイナーの抽出し)」には、〈「世界まるごとHOWマッチ」でビートたけしが司会の大橋巨泉に責められた際にとぼけた文句〉とありますが、既存のフレーズを念頭に置いた発言でしょうか。

「タイム・トラベラー」出典説について。「続タイム・トラベラー」(1972年)の一部を録音されていた方のページによれば、「ここは…?」「どうやって、私、ここへ?」「私は… 誰なの?」「ここは、どこなの?」などのセリフはあったようです。

私が文字で見たのは、ずいぶん遅れて、たしか以下の1986年の文章だったように記憶します。

 ココハドコ、ワタシハダレ的心境を楽しんでいた利奈も、周囲の日本人が消えてしまうと、心細くなった。
(小林信彦『極東セレナーデ(上)』新潮文庫 p.115=1986-1987年「朝日新聞」連載)


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 11月 15日 木曜日 12:00:30)

発展形の「ここはだれ、わたしはどこ」というのが流行ったこともありました。


posted by 岡島昭浩 at 11:48| Comment(1) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年11月04日

こんな説がある――あるいは携帯談義(Yeemar)

会話の中で、ある大学生いわく――

「携帯でメールを打ってると、文章を要約する力がつくんですね」
「えっ?! そんな説があるの? どこで読みました?」
「授業で、先生が」
「先生がおっしゃってたの? それは、大学の先生? それとも高校の時の?」
「大学の。表現研究の時間に」
「それは、どういう授業ですか」
「作文を書いたりとか」
「要約力って、むだな修飾語をはぶいたりして、もとの長い文章を短い簡潔なものに縮める力のことだよね」
「だと思います」
「たしかに、携帯メールには字数制限があって、長い文章は書けませんね。でも、だからといって、それがただちに要約力に結びつくとは思えないし、そういう説を読んだことも聞いたこともないな」
「でも、そう言ってました」
「その先生は、『携帯メールを使っていると、要約力がつく、かもね』とおっしゃったのではないの?」
「いや、『要約力がつくと言われている』と言いました」
「その根拠についてはおっしゃっていませんでしたか?」
「よく覚えてません」
「うーん」

携帯メールについて、学問的な立場から論じたものとしては、雑誌「日本語学」2001.09「特集 ケータイ・メール」ぐらいしか存じませんが、目を通したところ、「要約力」うんぬんの話は出ていないようでした。

メールで短い文章ばかり打っていると、それはたしかに短い文章で意思疎通することには熟達するでしょう。「おひるなにたべた?」「うどんだよ〜ん」といったように。おそらく、携帯メールで交わされる文章の大半はこのたぐいでしょう。そのようなやりとりは文章の要約力に直結するものでしょうか。

単に、一語文、二語文の会話が常態化するというだけではないでしょうか。

携帯メールをお使いの方で、経験的に「携帯メールは要約力の訓練になる」とお感じになったり、また、そのような説をお聞きになった方はいらっしゃいますでしょうか。お教えいただければ幸いです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 11月 05日 月曜日 12:56:09)

日常的に使っていますが、全然「要約力」がついたとは思いません。キーを打ち込むのが早くはなったと思います。ただ、中には、短い文しか返して来ない人もいます。あれは要約しているんでしょうかね?


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 11月 05日 月曜日 12:57:04)

日常的に使っていますが、全然「要約力」がついたとは思いません。キーを打ち込むのが早くはなったと思います。ただ、中には、短い文しか返して来ない人もいます。あれは要約しているんでしょうかね?文を短くするのに、省略語を使ったり、絵文字を使ったりというのはあるようですが、それも「要約」にはいるんでしょうか?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 11月 08日 木曜日 21:28:12)

道浦さん、ありがとうございます。

絵文字といえば、川崎市宮前区のNEC中央研究所が、単語を絵文字に変換する携帯電話用ソフトの開発を進めていると、「朝日新聞」夕刊、2001.01.13 p.1に載っています。写真を見ると、あたかも「サザエさんうちあけ話」のように――という比喩は長谷川町子ファンにしか分かりませんが――、絵を格助詞や接続詞でつないでいます。

こうなると、行き着く先は、絵による会話ということになるのでしょうか。

* * *

かねこっちさんより、ご自身が卒業された高校が作っているサイトの掲示板のことを教えていただきました。

掲示板は複数あり、卒業年度の違う方々が、世代ごとにそれぞれの掲示板に集まって、同窓会の相談などをしていらっしゃいます。ずっと前に卒業された世代の集まる掲示板では、字数制限と戦いつつも長い文章がやりとりされています。一方、卒業したての若い世代の集まる掲示板では、ひとことふたこと、2行3行と行った書き込みが飛び交っているようです。携帯電話でアクセスしているのでしょうか?


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 11月 08日 木曜日 23:22:11)

私は、Pメール(phs同士のやりとりで使うもので、カタカナのみ。普通のメールよりも送料が安い)を打つとき、電報を思い出します。
20ジツク。ムカエコウ
のような感じで。
電報を打つと文章力が上がる、というような説もあれば関連するかもしれません。

>「サザエさんうちあけ話」のように――という比喩は長谷川町子ファンにしか分かりませんが
藤田保幸ファンにもわかるかな。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 26日 月曜日 08:42:59)

携帯談義のスレッドですから、顔文字の話を書き付けます。

古紙回収に出すつもりの「文藝春秋」2002.03 p.85に、「春」という題の大塚寅彦の短歌連作。

  絵文字もて泳ぐ少女かぴちぴちとけふのメールの中には<゜)))彡

「<゜)))彡」には「さかな」とルビが振られています。

原文縦書き。「彡」は90度回転していないため、「さかな」のフォルムが崩れてしまっています。ルビが振られている以上は、「絵文字」が「文字」として使われているわけです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 26日 月曜日 08:44:52)

「さかな」の顔文字がめずらしいというのではなく、短歌に使われているのがめずらしいと思ったのです。


新会議室へ

posted by 岡島昭浩 at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年10月29日

こんなに昔から


 なんとなく思っていたのよりも随分昔からあるのだな、と思ったことを書きます。

 音声学協会会報の古いのをみていましたら、その20号(1930.9.30)の「文献一覧」に、「チャイナはいいがシナはなぜいけない。」(那賀王霞、東京日日9月11日)というのがありました。



佐藤 さんからのコメント

( Date: 2001年 10月 30日 火曜日 0:25:31)


其許こそ療治加へて其後人の中にて口をも利なさるべく候。其訳と申は、
拙者の物言をろれつが廻らぬと御笑ひなさるゝ事、夫が其元の病ひなり。
おしへて遣すべし。呂律が分らぬと申さるべく候。
  (案本胆助『江戸愚俗徒然噺』(天保頃成立)。三田村
   鳶魚校訂『未刊随筆百種』第七巻、中央公論社、1977)


posted by 岡島昭浩 at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年10月28日

LとD(道浦俊彦)


ローマ数字で、5は「 V」、10は「 X」、100は「 C」 、1000は「 M」というふうに書きますが、50を「L」と書くのはなぜなんでしょうか?また500を「D]と書くのはなぜなんでしょうか?

私見では、5を「V」と書くのは「10=X」の半分なので、「X]の上半分を表記した、と読んだことがあります。そこから考えると、「100=C」の「C」を半分に切ったら、下半分が「L」に見えるから「50=L」なのでは?と思うのですが。
しかし、「500=D」が分かりません。1000は「M」の代わりに「cIc(右側cの逆さま文字)」という表記も使われるみたいなので、その右半分だけを取ったら、「I」と「cの逆さま文字」をくっつけて「D」に見えるからではないか?とも思うのですが、いかがでしょうか?
そのあたり、ローマ数字の事情に詳しい方、ご教示願います。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 10月 28日 日曜日 20:21:46)


小駒勝美さんが触れておられますね。



漢数字とローマ数字



石猫 さんからのコメント

( Date: 2001年 10月 28日 日曜日 21:14:07)


ローマ数字については、以下のような由来があるようです。
(「はじめてのラテン語」(大西英文、講談社現代新書)より)
50を示す「L」以降は、全てギリシャの表記法が由来だそうです。
(1)「L」(50)は、ギリシャ文字「Χ」(カイ、アルファベットの「X」とほぼ同じ形)の異体字が変化したもの
(2)「C」(100)は、同じくギリシャ文字の「Θ」(シータ、英語の"th"の発音記号のような文字)の変化したもの
(3)「M」(1000)は、同様にギリシャ文字の「Φ」(ファイ、文字の形は道浦様の記載どおり)の異体字の変形(この変形はラテン語で1000をあらわす語"mille"に引きずられたものだそうです)
(4)「D」(500)は、道浦様の書かれたとおり、「Φ」の右半分
ということだそうです。
なぜギリシャか、というのが気になりましたが、イタリア半島南部を支配していたのがギリシャで、大きな数の表記法はギリシャから輸入されたもののようです。



豊島正之 さんからのコメント

( Date: 2001年 10月 28日 日曜日 21:36:48)


>cIc(右側cの逆さま文字)」という表記も使われるみたいなので、
>その右半分だけを取ったら、「I」と「cの逆さま文字」をくっつけて
>「D」に見えるからではないか?

御明察。
より正確に言えば、元はギリシャのハルキス(Chalcis)でΦ(ファイ)が
1000を表し、それが「cIc(右側cの逆さま文字)」となり、右半分
が500、更にそれが「D」と認識される様になった、との事です。
Lもハルキスの数字由来で、ラテンアルファベットとは無関係との事。

以上、下記よりの受け売り
Dilke,O.A.W(1987) Mathematics and measurement(British Museum) p.15

翻訳はオズワルド・ディルク著「失われた文字を読む〈9〉数学と計測 大英博物館双書」
として学芸書林から出ている様ですが、未見。



豊島正之 さんからのコメント

( Date: 2001年 10月 28日 日曜日 21:38:36)


重複失礼。
しかし、微妙に異説ですね。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 10月 29日 月曜日 1:19:36)


皆さんさっそくのご意見、ご教示ありがとうございました。
ギリシャの影響ですか。
「はじめてのラテン語」は確か、我が家の本棚に有ったはずですので、見てみます。石猫さんのおっしゃるイタリア半島南部はギリシャが支配していた、というあたりは歴史の本を調べてみるとして、もしそうであるなら、つまりローマには大きな数字がなかったのに、ギリシャから大きな数字が入ってきたとするならば、ギリシャとローマの通貨単位の差(為替格差)があったのではないでしょうか?ギリシャのお金の方が価値があったので、 それをローマの通貨に替えるのに、大きな数字がローマ側に必要となったけど、ローマ数字にその大きさがなかったので、ギリシャ文字を借りたのではないか?なーんて思い浮かべたのですが。いかがでしょうか?


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2001年10月26日

32キロ四方(道浦俊彦)


「ビンラディンは、アフガニスタン国内の32キロ四方にいることがわかった」という文脈での「32キロ四方」というのは、私は、
「一辺が32キロの正方形」
だと考えるのですが、周囲にいろいろ聞いてみると、
「半径32キロの円の圏内」
「直径32キロの円の圏内」
あるいは、
「一辺が8キロ、周囲が32キロの正方形の圏内」
など、数種類の答えが出るのです。もしかしたら若い人の間に「四方」が「正方形」ではなく「四方八方」という意味が広がっているのでしょうか?
皆さんはどうお考えでしょう?



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 10月 26日 金曜日 21:44:58)


次の例は、ある一点を中心とした半径5キロ圏内と言う意味のようですね。

明け方に彼の家のまわり 5キロ四方
いちめんの砂漠になる 人は死に絶える
(谷山浩子〔1956生〕作詞「不眠の力」〔1991発表〕)
「〜四方」についての私の感覚も、これに近いようです。私も若い人でしょうか。
 畳敷きの真ン中には、一メートル四方ほどの木製の火鉢が置いてあり、母は黄色いドーランを取り出して私にお化粧をはじめる。
(高峰秀子〔1924生〕『私の渡世日記』朝日文庫)
これは1辺が1メートルの四角の火鉢なのでしょう。

「2センチ四方の切手」というと、たしかに1辺が2センチという気がします。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 10月 28日 日曜日 17:02:54)


確かに「32キロメートルというのが一辺」というのは、日常生活の感覚ではないのですが、一辺の大きさが大きすぎると、「四方」の持つ意味が「一辺」から「半径」あるいは「直径」に変ってしまうのはやはり、ヘンな感じがするんですが。どうでしょうか。
一辺が一メートルの長火鉢はあり得るのでは?火鉢というより、「炉端」ですな。「炉」。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 20日 火曜日 3:01:53)


2001.11.19 NHK「ニュース10」で秋元千明記者がアフガニスタン情勢の解説の中で

80キロ四方、これは山手線の内側ぐらいですけれども……(取意)
と言っていました。これは一辺が9キロ程度という意味なのでしょう。一辺が80キロの四角形というわけではないのでしょう。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 20日 火曜日 18:12:35)


私も間違えたのですが、昨日(19日)の新聞報道のビンラディンのいる範囲というのは、「○○四方」ではなく、「80平方キロ」と出ていたのではないでしょうか?ちなみに、もとは 「30平方マイル」と言ったのを、各社、概算で「80平方キロ」にしたり、「78平方キロ」にしたりしていたようです。
ちなみに、
(朝日)30平方マイル(約77平方キロ)
(読売)約77平方キロ
(産経)約80平方キロ
(日経)78平方キロ
毎日は記事が見つかりませんでした。
読売は「これは東京・山手線の内側約70平方キロのほぼ相当する広さ。」と書いています。

で、前回は「20マイル四方」と発表したのを「キロメートル」に換算して、「32キロ四方」と言っていたようです。
これだと、面積(平方キロ)にすると、32×32=1024平方キロとなり、今回(約77平方キロ)は前回の13分の1まで、ビンラディンの居場所を狭めて特定していることになります。
こういう比較をやらないと駄目なんですけどね。メディアとしては。
分かりやすさという意味では。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 20日 火曜日 22:43:11)


NHKの秋元記者の発言は、私の聞き違いでなければ、彼の言い間違いでしょうか。(私は、「四方」と聞き、こちらのスレッドのことを思い出しました。)

なるほど、ビンラディンの居場所と推測される範囲が急に狭まったのですね。道浦さんのご解説で分かりました。



佐藤 さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 20日 火曜日 23:51:58)


>NHKの秋元記者の発言は、私の聞き違いでなければ、彼の言い間違いでしょうか

Yeemarさんが聞いたように、私にも聞こえました。一瞬、耳を疑ったことです。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 11月 22日 木曜日 7:23:19)


私は、そのNHKの放送を見て(聞いて)いないので、難とも言えませんが、その秋元記者が、言い間違えたのかもしれませんね。
でも「四方」と言ったのであれば、なにか勘違いをしていた可能が高いですね。


posted by 岡島昭浩 at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年10月23日

後知恵


 肝心の時に出てこないで、後になって出て来たものを書きます。

 今回の国語学会の発表で、釘貫亨さんの「『呵刈葭』論争における上田秋成の依拠学説 ── 礪波今道『喉音用字考』をめぐって ──」というのがありました。

 私は学会の準備の合間に、この『喉音用字考』のマイクロフィルムの焼き付けを捜し出すことだけは出来ました。質疑応答時にも申しましたが、それを入れてある封筒に、「礪波今道、喉音用字考、安永7」と書いた他に「秋成関連(静舎随筆)・MNにも」と走り書きがしてありました。

 「秋成関連」と書いたのは、冒頭に「静舎随筆」が引用してあったからと思われ、これは飯倉洋一氏の「『呵刈葭』上篇と宗武・宇万伎の「仮字問答」」(文献探究15号1985.2.25)を読んでいたから覚えていたものです。
それで、学会までに文献探究を読んでおこうと思いながらも、とうとう読む暇を作れなかったのです。研究室に居ない時に思い出したりはしたのですが。

 で、今日、ようやく見ました。「静舎随筆」は加藤宇万伎のもので、田安宗武との間に「仮字問答」があり、それを宇万伎が書き留めた、というものでした。今、読み返して見ると、この飯倉さんの論文は、私が「半濁音名義考」(『筑紫語学論叢』風間書房2001)を書く時にも参照せねばならぬ論文であったと思いました。私が『呵刈葭』をちゃんと読まなかった、ということになります。

しかし「軽重名義考」を書くのは難しそうです。「本朝軽重名義考」でも難しそうだし、「近世軽重名義考」は中途半端だし。

それにしてもこの紙焼きを作ったのは九大に居たころ(感熱のロールペーパーでわかる)、それを入れた封筒は府立大のもの、ですが、我ながらもっとサクサク勉強せねばならない、と思ったことでした。



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2001年 10月 25日 木曜日 15:04:41)


 学会が終わったので、長い間指導していなかった院生がようやく私の部屋にやって来た。

 日本語教育をやっていると思っていたのが、いつの間にか鞍替えして、国語学に近づいて来ていてびっくり。そんなことなら、もっと早くに指導出来ていたろうに、と思う。

 新しげなオノマトペをやりたいのだという。

 それだったら、出たばかりの日本語研究会の論集の山口仲美氏の論文を読まなくちゃね。
 ただ、実際の言語変化と、筆録者の態度変化とを峻別するのが難しそうだね。つまり2-30年前だったら活字になりそうにもなかったオノマトペが大手を振って活字になることがありそうだということ。
 臨時オノマトペもよくあるよね。臨時一語って知ってる? それと同じように臨時オノマトペってのも考えないといけないよね。既存のオノマトペを変形して作ったり(ズドーン→チュドーンとか)、オノマトペではない既存の語をオノマトペみたいにして使ったり(漫画で目にした「さわさわ」は擬声語のさわさわからではなく「触る」からきているのだろうと思う)、いろんな作りかたが有るようだけれど、その作りかたみたいなのをさぐらないといけないとは思うんだけど。
 え? あるの? 月刊言語の八月号の特集? ほう「臨時オノマトペ」なんてことばもちゃんと使ってんのね。そりゃ失礼しました。まずはその参考文献を手に入れないとね。学会のとき注文した? えらいね。こっちの方は、図書館の相互利用ということになりそうだね。



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 27日 日曜日 19:01:28)


新聞のテレビ欄によると、今日のNHK「日本人の質問」で、「太宰治の“津軽”から生まれた雪の名曲とは」というのがあるようだが、答えは新沼謙二の「津軽恋女」だろう。
月刊『日本語学』の2002年1月号、佐々木瑞枝「雪の世界へ」によれば、作詞は久仁京介とのこと(この引用では「とか」が抜けているような気がします。)

「津軽」には「東奥年鑑より」と書いてあるのですが、これが何の本かは知りません。

  津軽の雪
   こな雪
   つぶ雪
   わた雪
   みづ雪
   かた雪
   ざらめ雪
   こほり雪



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2002年 1月 28日 月曜日 14:36:08)


 昨夜のNHKは、やはり予想通りでしたが、「原案/永井俊一」というのがあったんですね。

 なお、東奥年鑑は東奥日報の出した年鑑ということでした。何年度版とか、そういうことは言ってませんでした。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 22日 金曜日 11:17:29)

 謡曲と共通語関連の話題です。ここに補うべきなのを怠けております。


まず、飯間さんより、時枝誠記『国語学原論』にあり、とのご教示を頂きながら、まだ補っていないことを告白いたします。


山崎昶『知的情報検索の技術』講談社ブルーバックス(昭和57.7.20)という意外な文献にありました。193-140ページ。


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2001年10月21日

やることなすこと(畠中敏彦)


スポーツ番組で、解説者がよく
「『やることなすこと』ことごとく裏目に出ますね」と言います。

1)この「やる」「なす」は、英語の「Do]の同義語と思われますが、違うので  しょうか?
2)同義語だとすれば、並べるのはおかしいのでは?。それとも強調するためでしょうか?
3)あるいは、私の聞き違い(把握違い)?

どなたかお教え下さい。


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2001年10月15日

横転と横倒し(道浦俊彦)

京都府舞鶴市で空気充てん式の高さ6メートルの滑り台が倒れて、こども10人がケガをするという事故が先週の土曜日にありました。このニュースで、新聞の見出しは「滑り台横転」となっていたのですが、私の語感では、「横転」は動いているものが横に転がった場合で、動かないものや、ある程度の高さのある物が横に倒れた場合は「横倒し」ではないか、と思うのですが、皆様、いかがでしょうか?


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 16日 火曜日 4:09:53)

ごめんなさい!!初歩的なミスを・・・。タイトルと発言者の欄を逆に書いてしまいました・・。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 16日 火曜日 12:14:56)

 一応、治しました。若干の不都合は残りますが(最近の発言など)、いずれ解消されることと思います。


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2001年10月09日

パーティー・ジョーク(自作)(Yeemar)

これは「ことば会議室」にふさわしい投稿なのでしょうか。
まあ、「だじゃれ」などのスレッドもあることですし……

大胆な犯人
 街中のビルにある店舗で、爆弾が炸裂する事件があった。
 事件当時、店には多くの客と従業員がいた。犯人は客をよそおって店内に入り、椅子にどっかと腰掛けると、鞄から部品を取り出して、ゆうゆうと爆弾を組み立てた。あまっさえ、それを片手で高々と掲げ、従業員によく見えるように大きく振ったりした。それでも、犯人の行為をとがめる従業員はいなかった。
 なにせ、レストランだったもので。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 10日 水曜日 11:17:13)

 うーむ。

 これは、レストランで傍若無人に振る舞う客への怒りか、注文しようと従業員に手を振って見せても気付いてくれぬ怒りかを表しているように読んでしまいますが、誤読でしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 10日 水曜日 15:47:09)

後者のほうです。なかなか気づいてもらえず淋しい思いをしていたときにふと浮かんだ小話で。改良の余地ありですね。

それにしても、小話ふうのものが頭に浮かぶというのは、1年に1度もないことですので、後が続きません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 30日 火曜日 11:29:05)

そも、何をもってパーティー・ジョークというのか、分からないままに。

年寄りに言うせりふ
 まだ若い友人同士AとBとの会話。
「おれ、最近ウォーキングを始めたんだ」
「そりゃまた年寄りじみた趣味だね」
「言うに事欠いて年寄りじみたと来たね。もっとほかに言うことばはないのか。健康的でいいねえ、とか何とか」
「あー、えーと、いつまでもかくしゃくとして達者そうだね」

別スレッド「いわゆる「寒いギャグ」を論ず」との話題的関連性はあるかもしれません。


posted by 岡島昭浩 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年10月03日

女性自身(道浦俊彦)

下ネタで恐縮です。女性器を婉曲にいうことばとしての「女性自身」の語源をご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか?ちなみに雑誌の「女性自身」(光文社)は昭和33年(1958年)10月の創刊だそうです。また、確か作家の故・山口瞳さんが「男性自身」というコラムを「週刊新潮」上で連載されていたような。「男性」と「女性」のどちらが「語源」なのでしょうか?よろしくお願いします。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 28日 日曜日 12:15:43)

おたずねのものではなく、雑誌名の方ですが、久保田孝『ネーミング』(オリオン社 S39.3.20)の211ページによりますと、

ユニークなネーミングでいこうと編集部一同でブレーンストーミングをした。その結果きわめて独特な《女性自身》が新誌名に決定した。このネーミングには、ロンドンの婦人週刊誌《ウーマンズ・オウン》がヒントになっている。
ということで、元ネタがあったわけです。

ついでにいえば、OL(オフィスレディー)の言い方を、BG(ビジネスガール)から換えた雑誌は『女性自身』であったのですね。(『60年代ことばのくずかご』参照)


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 28日 日曜日 16:48:31)

米川明彦編『日本俗語大辞典』も語源には触れていませんね。
柴田千秋編『性語辞典』(河出書房新社、1998年)には、

じょせいじしん【女性自身】 女陰。同名の週刊誌名のもじり。一九六〇年代後半俗語。女自信。女性そのもの。⇒主婦の友

とあります。帯に「古今のあらゆる文献から用例を大量に採取」とうたっていますが、この語は残念ながら用例がありません。
ちなみに、関連語の「主婦の友」は女性自身の対語。同名の月刊誌名のもじりとだそうです。

その昔、ふつうの人が口にできる新しい呼び名を公募していたのは、週刊『女性自身』ではなかったでしょうか(記憶が曖昧)。NHK教育テレビでも議論していたようです。
みんなが上野千鶴子女史のようになればよいのでしょうが…。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 28日 日曜日 18:32:40)

源氏鶏太『女性自身』(1961)という小説もあるんですね。

光文社刊、ということは……
『女性自身』に昭和三十五年六月二十二日号より翌年三月七日号まで「小説・女性自身」を連載、ということです。

なお、
ウーマンズオウンは、アメリカにもあるんですね。(いつからのかは分かりませんが)
英国の方のは、ここに見えるのがわかりました。

Woman's own(USA)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 29日 月曜日 09:56:21)

岡島さん、NISHIOさん、ありがとうございます!ということは海外の雑誌をヒントに光文社が名づけた「女性自身」が、その後「隠語」にも使われていったということでしょうかね。ちなみに「JJ」は「女性・自身」の頭文字から命名されたそうですね。


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2001年09月26日

認識と認知の違い(sachi)

はじめまして。
今、「認知・認識」について調べているのですが、どう違うのかが分からないのですが・・・国語辞典等では調べてみたのですが、書いてある内容は両方とも同じなんです・・・良かったら、教えてください。お願い致します。
o_sacchi@hotmail.com


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 26日 水曜日 11:25:24)

「認知」「認識」ということばは、心理学、哲学、法律学、そして言語学など、学問分野によって定義が違うのではないかと思います。確実なことについては、それぞれの分野の辞典をご覧になることをお勧めします。

言語学での定義については、『言語学大辞典 第6巻 術語編』(三省堂)が参考になるのではないでしょうか。

そういう難しいことではなく、ふつうに使う「認知」「認識」の違いをお知りになりたいということでしたら、できるだけたくさん例文を作って意味を比べてみることが役に立ちます。「認知」「認識」はどういう場合に使うか(例、「茶髪は近年世の中に認知されてきた」「うちの会社は環境問題についての認識が甘い」)、また、それぞれ互いに入れ替えて言うことができるか、といったことを比較検討すると、意味の違いが分かってきます。


sachi さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 26日 水曜日 14:20:22)

ありがとうございます。
言語学大辞典も見てみます。

たしかに、心理学・哲学・・・分野によっては違いました。

助かりました。ありがとうございます。


通行人 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 27日 木曜日 7:14:49)

言語学上はYeemarさん↑がおっしゃることに、お任せするといたしまして、
私の経験上、理解していることを書かせてもらいますと、

【認識】・・・単に「ある状況・事実などを正確に把握していること」
【認知】・・・「ある状況・事実などを正確に把握していること」は認識と同じですが、その状況・事実などににつき肯定・納得が伴っていること。

ではないでしょうか。
結局、Yeemarさんと同じ言い回しになってしまいましたが...。


sachi さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 27日 木曜日 9:43:35)

ありがとうございます。

教育者にとって「認知」「認識」って・・・


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2001年09月21日

読み方が分からない漢字表記の語(Yeemar)

読み方が分からない漢字表記の語は「絶不調」以外にもありまして――

大苦労

 今朝、天気にさそわれて植木屋にいき、スイカの鉢植えを買った。丈が1メートル弱くらい、小さな実の一つついた立派なやつで、歩いて10分の道のりを、大苦労して持って帰った。セールになっていたのだが、それでも3000円した。(江国香織『落下する夕方』〔1996.11発表〕角川文庫 1999.06.25 p.88)
真逆
少年はそれから、学校の裏門近くに置いてあった自転車で最寄りのJRの駅に向かった。現場近くには有名な豊川稲荷があり、それにあやかって、付近の街路には開運通り、町には幸町などのおめでたいネーミングが付されている。開運とも幸とも真逆の罪を犯した少年は、宵闇{よいやみ}せまるそらの通りを全速力で逃走した。(AERA 2000.08.14-21 p.34)
前者は「おおくろう」か「だいくろう」か。後者は「しんぎゃく」なのでしょうか。


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 21日 金曜日 22:45:17)

Scudelia Electro の「1999」という曲の歌詞が「真逆に働く可逆の科学を
学ぼう」で始まっており, 「まぎゃく」でないと語呂合わせにならなくな
ります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 22日 土曜日 19:07:19)

「1999」というからにはそのころの歌なのでしょうね(歌詞を示しているホームページもありますね)。

「まぎゃく」というと俗語的な語感がありますが、「AERA」の硬派記事で出てきたので、ふつうのことばなのだろうか、どうなのだろうかと思いました。

まさか「まさか」ではないとは思いました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 25日 木曜日 11:59:04)

若者ことばなのでしょうか。

雰囲気真逆〔まぎゃく〕じゃねえか。〔コンビ「号泣」の漫才〕(NHK「爆笑オンエアバトル」 2001.10.14 00:35)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 25日 木曜日 12:03:28)

福井県にて拾ったことばです。

旧豊かさ指標≠ナ本県〔福井県〕は一位でしたが、表面に出ない不満は京金族≠ニなったり、低い人口増加率として現れました。〔大野市 南部弘晃〕(福井新聞 2001.10.22 p.19)
「京都、金沢」に買い物に出かけ、地元にお金を落とさない族ということと思われます。説明なしで書いてあるからには、県民ならば読んで分かることばなのでしょう。

「けいきん族」ではなく、「オレたちきょうきん族」という語呂合わせだと思いました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 13日 水曜日 22:13:24)

養生

街を歩いていると「芝生養生中につき立入禁止」などと書いてあります。具体的には東京・外苑西通りの西麻布あたりで見たような気がします(詳しくはメモをし忘れました)。これは「ようじょう」でいいのだろうかと疑問が湧きました。

すると佐藤貴裕さん「気になることば」の「養生」、「現場の「養生」」以下に、人間以外について使われる「養生」について詳述がありました。岐阜大では「芝生養生につき」とある由です。『広辞苑』にも、コンクリートや植物を「養生(ようじょう」する用法が記されています。

しかし、こんにち「養生」といえば最も一般的には人間が摂生するという意味で用いられるはずで、「芝生を養生」「テープで養生」というと「なにがしかの可笑しみがともなう」ほどに違和感があるのも事実です。

こういう場合、もしかして読み方を変えて使われてはいないか。「ようせい」などと。

――ということを、つねづねぼんやり考えていましたら、たまたま、「リフォームネット」の「用語集・や」に「ようじょう」「ようせい」を分けて書いてあるのに行き当たりました。

「ようじょう」は

仕上がった部分に傷や汚れがついたり、雨がかかったりしないよう、ビニールシートや紙、ベニヤ板などで覆って保護する事。
であり、また「ようせい」は
モルタルやコンクリートを十分に硬化させ、良好な性質を発揮ささせるため、セメントの水和反応に必要な水分を確保し、また補給し、かつ適切な温度条件に保つこと。
です。字はどちらも「養生」です。そして、「はぐくみそだてる」意は「ようせい」のほうの読みで表しているように思われます。

「芝生養生中」も、「ようせい」と読まれている可能性はないでしょうか。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 14日 木曜日 03:58:17)

 問題提起、ありがとうございました。
 字音の種類によって意味を振り分けるのはよくあることなので、ヨウジョウ/ヨウセイで使い分ける可能性は考えられますね。仮に、現代、園芸・農業関係でヨウジョウと読んでいたとしても、将来、ヨウセイと読む可能性はあることにもなるでしょう。
 一方では、同一の用字・概念が、分野によって読み方を異にすることもありますね(例:口腔。医学ではコウクウ、音声学ではコウコウ)。だから、「芝生養生」が、ヨウジョウと読まれても別段不思議ではない、との理屈は成立します。
 園芸・農業関係のもので読みが分かる例が出てこないと、なかなか先に進みづらいようにも思います。
  ↓

毎日中学生新聞 5月8日(木)。「芝生(しぼう/しばふ)」も面白いですね。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 14日 木曜日 04:30:34)

建築用語集で、コンクリート関係についてヨウジョウと使っている(らしい)ところがありました。本当のところはどうなのか、気になりますね。あるいは、会社によってヨウジョウ一つで済ませたり、ヨウセイ/ヨウジョウで使い分けたり、といったことがあるかもしれませんね。

建築用語目次。(五十音が行単位で平仮名・片仮名を使い分けているのも興味深い)


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 14日 木曜日 04:44:42)

眠れないので、Googleで簡単な調査を。コンクリートのことが書かれていて、養生をヨウジョウと読むか、ヨウセイと読むかが分かればと期待してのことです。
・「コンクリート ようじょう 養生」だと 約97件
・「コンクリート ようせい 養生」だと 約6件
リンク先に行ってみないとわからない部分もありますし、漢字の読みを示すこと自体、なんらかの意図(善意にせよ、悪意(?)にせよ)が反映されているわけで、必ずしも自然な言語使用ではないかもしれませんね。この数字はあくまで参考として。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 14日 木曜日 06:33:00)

かながきの例のご提示ありがとうございます。もう今の時間はお眠みでしょうか。私は今起床しました。

ことば足らずであったかもしれませんので、少々補足いたします。

> 「芝生養生中」も、「ようせい」と読まれている可能性はないでしょうか。

これは「コンクリ」「芝生」の場合は人間の場合と区別して「ようせい」と読むのがふつうではないか、ということではなく、「ようせい」と言っている人が(表面に現れないにせよ)存外多いかもしれない、という程度のニュアンスとご理解ください。

私個人が初めて注意札の現物を見たときの状況を描写しますと、まず、ごく素朴に「芝生のようせい」とよんでしまいました。それから、「まてよ、『ようじょう』か。こういう所にも『ようじょう』を使うのだろうか」という疑問がわきました。辞書類を見ると「養生」に「コンクリの育成・保護」等の意味もあるので、「ようじょう」で問題もないことはすぐにわかったのですが、心にひっかかっていました。

すると、今度たまたま、「ようじょう」「ようせい」とよみ分けている例にぶつかり、「ほらほら、『ようせい』のよみが成立しているではないか」と面白く思いました。この分ではさだめし芝生の場合も、と思ったのです。

そして、そこから先には進んでいないという現状です。

なお、「Google」の「ようせい」6件というのは、先に示した例のほかは、「きょうようせい」(供用性)のよみの一部がひっかかったもののようで、実質「ようせい」のよみを示している上記のページはまれな1例ということになるようです。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 14日 木曜日 12:24:52)

>、「ようせい」と言っている人が(表面に現れないにせよ)存外多いかもしれない、という程度のニュアンスとご理解ください。

 はい。可能性としては十分にありうると思っていますのでご安心ください。ただ、今の段階でヨウセイがどれほど確認できるかはおさえておきたかった、ということはありました。そうした方向が、例示したことも重なりあって、ちょっと強調されてしまったかもしれませんね。
 別の可能性として、別語のつもりでヨウセイの読みを提示したのにもかかわらず、「養生」とヨウジョウとの結びつき(一種の定訓?)の強さに押し切られ、受入れられていない、ということもあるかもしれませんね
(ちょっと「兄弟(キョウダイ/ケイテイ)」風です)。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 14日 木曜日 14:41:40)

「芝生養生中」を「ようせいちゅう」と読むのは無理かなとも思ったのですが、いや、やはりそう読む人もいそうだという気が本当にしてきました。というのは――

「Google」では「芝生 ようせい」(「コンクリート ようせい」)で検索してもそれらしいものは出てきません。しかし、
  「"芝生養成"」約40件
  「芝生養成」約3,420件
  (「"コンクリート養成"」約30件)
  (「コンクリート養成」約30件)
という検索結果が出ました。

これらは、「しばふようせい」のつもりで書かれたものと推測されます。「芝生養生(ようじょう)」とは別個に「芝生養成(ようせい)」の語があるにすぎないとみることもできますが、書き手が「養生」のつもりで「ようせい」と入力し、結果的に「養成」と変換されてそのまま決定されたとも考えられます。

今年はななななんと『芝生養成中』が強化されちゃって」と書いた人は、実際には「芝生養生中」という立て札を見たのではないかという想像も湧きます。

なお、人間の健康についていう場合、「養生」を「『ようじょう』ではなく『ようせい』と読む」とあえて断って使っている向きもあるようです。ウェブでざっと見ただけなので詳しいことは分かりませんが、ある特別の療法を実践する人々などは、そのような使い方をしているようです。こうなると、人間の場合も「ようせい」に限らないわけです。

どんな場合も「ようせい」と読むならば、読みで意味を区別することはできませんね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 14日 木曜日 14:44:24)

正誤

× こうなると、人間の場合も「ようせい」に限らないわけです。
○ こうなると、人間の場合も「ようじょう」に限らないわけです。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 14日 木曜日 21:05:09)

 「芝生養成」で検索するのはうまいですね。先に「仮に、現代、園芸・農業関係でヨウジョウと読んでいたとしても、将来、ヨウセイと読む可能性はある」と書きましたが、現代でもすでにありそうだとの証拠をお教えいただき、ありがとうございました。他人の現在は自分の未来ですね(=言語伝播が己が身に及んでいない、と言いたいだけです)。

>ある特別の療法を実践する人々などは、そのような使い方をしているようです。こうなると、人間の場合も「ようせい」(「ようじょう」に改む)に限らないわけです。

 なるほど。ただ、この例は敢えて言っている、誤読でないところが面白いですね(先に「別語のつもりでヨウセイの読みを提示した」と書きましたが、実はちらっと目についた漢方関係のページが念頭にありました。同じところを見たのかもしれませんね)。ただ、同じヨウセイでも、依拠したものが漢籍だからという確信があってヨウセイと読んでいるのかもしれませんね(未確認)。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 15日 金曜日 16:53:45)

佐藤さん、大阪府高槻市にも「芝生町(しぼうちょう)」というのがありますよ。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 04日 火曜日 19:57:39)

上記「養生中」の実例を挙げていませんでしたので、実例を添えておきます。

お願い!!
入らないで
芝生養生中です。
葛西臨海公園で、2003.10.18採集。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 04日 火曜日 20:02:46)

> 実例を挙げていませんでしたので

これは、「町での実例」ということです。ずっと上に

> 東京・外苑西通りの西麻布あたりで見たような気がします(詳しくはメモをし忘れました)

と示すのみで、町での実例を示していなかったので補足したのです。


新会議室に続く

posted by 岡島昭浩 at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ティ・ディ

 「ビン・ラディン」とも関わることなのですが、「ティ」はさまざまな読まれ方をします。

「ティラミス」というときの「ティ」は[ti]に近い、「ベルディ」の「ディ」は[di]というよりも[di:]に近い。(長音になるのは語末だけと考えてよいのか)
 [tei]を表す時に「テイ」ではなく、「ティ」と書かれることもよくあります。今年の十一月頃に行われる野球のOBリーグに、名古屋エイティデイザーズというのがありますが、「エイティディザーズ」という表記もあります(当初はこのほうをよく目にしました)。「やっとかめ」(八十日目)でeigty-daysersなのでしょう。最初のティが[ti]で、次の「ディ」が[dei]だったらなかなか面白いのですが。

「エンターテイナー」「エンターテナー」を「エンターティナー」と言ったら変だとされますが、なかなか難しいものであります。
固有名詞といいますか、施設名でどう読んで欲しいのか分からないのが有ったりします。

ああ、例を忘れてしまいました。

ともあれ、「ティ」と書いて「ティー」のように読むことを許す背景には「テイ」と割って、2拍分読むことがあることと関連するのか否か。
「トウ」と「トゥ」で考えれば、「トゥ」は「トゥー」とは読まれそうに無いですね。

まとまらないままに、ラディン問題に触発されて。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 25日 火曜日 10:21:24)

>固有名詞といいますか、施設名でどう読んで欲しいのか分からないのが有ったり
>します。
>ああ、例を忘れてしまいました。

「ディケアセンター」の中には「デイケア」と読んでほしいものが多いのでは
ないかと思っています。

Google: ディケアセンター


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 01日 月曜日 15:55:11)

「ディズニーシー」も、「デズニー」と発音する人も多いですし、「シー」は本来「スィー」でしょうし。
「お年寄りは発音できない」という一般の声もありますが、若い頃には発音できていた人もお年寄りになると、発音できなくなるのでしょうか?
「ファストフード」も耳で聞く限り、まず100%「ファーストフード」ですし、「マネジャー」も、まず「マネージャー」と言ってますね。
とりとめなくなって、すみません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 01日 月曜日 19:09:18)

「ディズニーシー」については道浦さんも書かれていますね。

また、こんなものもあります。

ディズニーシーの開園宣言をしていた人(たぶん社長さん)が「ディズニ〔4字傍点〕ーシー」と言わず「でずに〔3字傍点〕ーシー」と言っていたのが印象的だった。あと大和田獏もそう言い続けていた。そういう人は無理に「でずにー、いいねえ」と媚びる必要はないと思う。〔堀井憲一郎・ホリイのずんずん調査〕(週刊文春 2001.09.20 p.63)


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 02日 火曜日 10:16:36)

 村上春樹のエッセイに、タクシーの運転手たちが「でず方面」とか言っているのを聞いて「出洲」のような地名を思い付いていたが、実は「ディズニーランド」のことであった、というのがありました。


高山知明 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 10日 水曜日 12:48:13)

9月25日後藤さん:
>「ディケアセンター」の中には「デイケア」と読んでほしいものが多いのでは
>ないかと思っています。

同じような例です。
近所(金沢)にV10というスポーツクラブがあって、仮名で「ヴィテン」と書か
れています。ヴィ(ビ)ではなく、ブ-イと発音されるようです。
 ただし、この場合は、あえてわざとこのような書き方を選んでいるのかも
かもしれません(直接尋ねてみればよいのですが、憶測ですみません)。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 10日 水曜日 13:31:02)

>「トゥ」は「トゥー」とは読まれそうに無い

と書きましたが、「トウ」の場合、「トゥー」と「トー」と「ト-ウ」の三様があるような気がして来ました。ある、というのは甚だ曖昧な書き方ですが、書いた人の意識と読み手の両方を含んでいます。

思ったきっかけは教育実習を見に行って、魯迅「故郷」の授業を見たこと。竹内好訳です。ルントウという人物が出て来ますが、授業者はルントーと読んでいます。
漢字は「閏土」ですね確か。「土」にトウの読みを与えているわけです。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 10日 水曜日 18:16:05)

「トゥシューズ」と「トウシューズ」が拮抗しているのは、意外でした。「トゥー
シューズ」も随分健闘しています。一ページに混在している例もあります。
「トウ」と書いて[tu]と読んだり、「トゥ」と書いて[tou]と読んだりもするので
しょうか。
kensaku.jp
「トウシューズ」 983
「トゥシューズ」 1119
「トゥーシューズ」160
Google
「トウシューズ」 1420
「トゥシューズ」 1330
「トゥーシューズ」222

Google:トウシューズ トゥシューズ トゥーシューズ


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 10日 水曜日 18:20:55)

上のリンク先での「一ページ内の混在」は別々の投稿者によるものでした。
ただ、表記にかかわらず、読む人は自分なりの読み方をしている可能性はあります。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 11日 木曜日 1:35:17)

もう10年以上昔、リクルートコスモス社が株を政官界に譲渡するために使っていたトンネル会社のひとつに、「ドウ・ベスト」という会社がありました。

当時の新聞から。

 リクルート問題で新たに一枚の人名表が現れた。共産党が発表したもので、九人の名前がある。社会党の方は、氏名を伏せて同様の資料を公表した。
 リクルートコスモス社の未公開株を、ドウ・ベスト社経由で手に入れたとされる人々である。
〔天声人語〕(「朝日新聞」1988.10.12 p.1)
これは、「ドーベスト」と発音するのかと思いましたが、テレビのニュースでは「ドゥーベスト」と言っていました(たとえば1988.12.06 NHK「ニュースTODAY」清水善郎記者)

国会中継では、「ドーベスト」という議員もいました(今、手許に資料なし)。

今、ウェブで調べてみても、この名はほとんど検出されません。歴史に埋もれてしまった社名と思われます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 11日 木曜日 2:00:04)

上に「ニュースTODAY」という番組名を記しましたが、このような文章も。

NHKが「ニュース・トゥデー」という報道番組をはじめましたが、この「トゥ」という音節もあたらしい音ですね。「ディ」という音節もすでに日本人のものになっているのですから、いっそ「トゥディ」にすればいいのに。このへんがNHKの芋ッポイところでしょうか。
〔井上ひさし〕(『日本語相談 二』朝日新聞社 1990.01.25 p.124-125)
たしか当時、新聞発表等では「ニュース・トゥデー」となっていたのです。実際のタイトルは「ニュースTODAY」でした。

そうだとしても、「トゥディ」では /tudi/ ということになってしまいはしないか、と思いました。「トゥデイ」の誤植か、それにしては「「ディ」という音節も」と書いてあって、これは /di/ を意味しているらしい、井上氏は「tuday」を /tudi/ と発音する人なのか、といぶかしんだことでした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 11日 木曜日 2:03:10)

正誤訂正

×井上氏は「tuday」を
○井上氏は「today」を

失礼しました。


高山知明 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 11日 木曜日 9:53:01)

「ティ、ディ」と条件は同じではありませんが、
次のような例はいかがでしょうか?

 ウィーク、ハイウェー、ウェット、ウオーク・マン(あるいは「オ」は小書きされているる?)、等々

カタカナの大書きと小書きとの微妙な交錯という点で、無関係ではなさそうに思います。


高山知明 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 11日 木曜日 9:57:39)

それにしても、「ディケア」「デイケア」に対し、
どうして「デーケア」をあまり見ないのでしょう?
こちらのほうが、親しみが持てそうな感じがしなくもないのに・・・


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 11日 木曜日 17:26:14)

 そういえば安い飛行機会社エア・ドゥというのもあったと思って見てみると、AirDOとしか書いていませんね。そういえば会社名には片仮名しか使えないのでしたでしょうか。NTTも「エヌ・ティ・ティ」であったような気がします。

 フランス語の123もアンドートロワという人が居そうですね。安藤徒労という洒落がありますが、ここにもありました。

AIRDO


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 11日 木曜日 17:30:38)

 ややこしいことに名古屋エイティデイザーズの表記は80D'sersであるらしい。

 デービー問題を思い出して、見て見ると、関連話題ですね。忘れていました。

チーム紹介


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 11日 木曜日 17:55:02)

 高山さんの書かれたことですが、「ハイウェ」と書いた例があると全く重なって来ると思い、検索してどっきりしたのがこのページ。ハイウェイスターと書いて後から中黒を打ったことによる誤植ですね。

で落ち着いて、「ハイウェ」があって「ハイウェー」がないページを検索すると、「ハイウェ−」と長音表記を間違ったものに混じって、いくつかありました。

googleで「ハイウェ」があって「ハイウェー」がないページ


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 11日 木曜日 19:05:08)

トヨタ自動車の販売店「トョペット」はどう発音するかと、時々思います。

「ははは、たしかに発音できない!」と笑うのは「語源探偵団」。ほかに「ラィラック」「バャリース」(Bireley's)「JRかもっ」の例を載せます。

「森永ハイクラウン」ではなかったかと記憶しますが、「ハィ」の表記を採った商品名もありました。

高松市の私鉄の駅にかつて(今も?)掲げられていた自動車学校の広告看板には「パワーステァリング」と書かれていましたっけ。


石猫 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 12日 金曜日 2:12:49)

Yeemar様の挙げられた例の逆のケースが、「キヤノン」でしょうか。
文字通りに発音してはいけない好例ですが、巷では「表記を間違えてはいけない」例としてよく取り上げられています。


石猫 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 12日 金曜日 2:16:43)

思い出しましたが、確か会社などの登記(商業登記)には、アルファベットは使えなかったはずです。
登記簿上の名称を正式名称、とするならば、結果として「漢字を用いない外国語の会社名については、正式名称にはカタカナしか使えない」ということになります。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 12日 金曜日 7:54:25)

「KDD」と「DDI」が一緒になった会社「KDDI」は、「株式会社ディーディーアイ」が登録社名です。以前の「DDI」の正式社名は「第二電電株式会社」登録社名でした。


高山知明 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 12日 金曜日 10:37:14)

AirDOだと、英語の動詞doとHOKKAIDOのDOとの引っ掛けが、ぱっとわかりますが、エア・ドゥだと、そういう連想がはたらきそうにありませんね。
ドゥは、やっぱり外来語仕様で、和語漢語の喚起力はないということでしょうか。
 外来語だったら、後藤さんが触れた「トウシューズ」のように、トゥ(ドゥ)でも「ト-ウ」とも読める余地があるのに。

 それともう一つ、話は変わりますが、「キヨーレオピン」。これも読み方がすぐにわかりませんでした。いや、どっちでしたっけ?


高山知明 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 12日 金曜日 10:45:04)

先ほどのメール、不正確でわかりにくいですね。次のように訂正します。

 外来語だったら、後藤さんが触れた「トゥシューズ」のように、トゥ(ドゥ)と書 かれていても、tu(du)ではなくto:(do:)と読める余地があるのに。

以上、すみません。  


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 23日 火曜日 15:12:08)

 忘れていました。久しぶりに題名一覧を見て発見。

トゥ


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 12月 06日 木曜日 19:01:50)

「デゥ」という表記を目にしました。

同じころ、ラムズフェルド国防長官の机上に偵察衛星からの写真が届いた。夜間赤外線写真を含めて100枚以上。分析の結果、ビンラディン氏の組織が持つ基地はいずれも無人と化したことが判明した。
 うち、1枚は訓練基地「デゥランタ・キャンプ」を写していた。兵舎は粗末な造り。テントのようなものも見えた。
(「サンデー毎日」2001.10.07 p.24)
これは「デ-ウ」と発音されるのでしょう、日本語では。というより、そうとしか読みようがないのでは。

別スレッドでUEJさんが触れられていた、/dju/ を「ドュ」と表記せず「デュ」と表記する理由は?――「ド」を構成する母音[o]よりも「デ」の母音[e]のほうが、舌の位置(前舌)、唇の形(まるめない)の点で、/ju/の子音の発音[j]に、より似ているから。

/du/を「デゥ」と表記せず「ドゥ」と表記する理由は?――「デ」を構成する母音[e]よりも「ド」の母音[o]のほうが、舌の位置(奥舌)、唇の形(まるめを伴う)の点で、より[u]に近いから。

という説明であたっているでしょうか。


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2001年 12月 07日 金曜日 5:15:06)

英語記事だとおおむね Darunta とつづられているようですが,
どう発音するんでしょうね。

Afghanistan - Darunta Camp Complex


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 12月 18日 火曜日 16:15:36)

「地元民」を「ジモティ」と言われていましたが、全国方言友の会編「みんなの方言講座」(双葉社1994,8,1)では「ジモチー」という表記をしていました。初耳です。ジモチー。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 07日 月曜日 22:42:46)

向田邦子さんは、〈電気通信学校卒の叩き上げ〉の男性が「テー」と発音することを小説に書いています。

 ピーテーエーだのダンスパーテエと発音すると、馬鹿にした顔をする息子や娘もいなかった。庄治は電気通信学校卒の叩き上げである。
(向田邦子「だらだら坂」『思い出トランプ』〔1980.12発表〕新潮文庫 1983.05.25発行 p.32)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 07日 月曜日 22:54:42)

玩具メーカーの「バンダイ」から出ている「おやじかるた」というのがあります。いわゆる「おやじ」の生態を五・七・五の川柳調に読み札にしているものですが、その中に、
「ローマ字の 読み方 特に ”D”弱い」
というのがありました。
絵札には、おやじが
「そこのホテルのデナーでさー」
としゃべっている様子が描かれています。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 08日 火曜日 16:55:53)

高島俊男著「漢字と日本人」(文春新書・2001,10,20)の104ページで、

「近代の日本人が西洋語になじむにつれてミルクホールとかアイスキャンデーとかハンストとかパンストとか和製洋語をつくったのとおなじである」


とあり、「近代の日本人」が(「アイスキャンディー」ではなく)「アイスキャンデー」と言ったのか、高島さん(1937年生まれ)が「アイスキャンデー」と言ったのかは、はっきりとはわかりませんが(たぶん近代日本人が言った。)、そういう記述がありました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 08日 火曜日 16:55:58)

高島俊男著「漢字と日本人」(文春新書・2001,10,20)の104ページで、

「近代の日本人が西洋語になじむにつれてミルクホールとかアイスキャンデーとかハンストとかパンストとか和製洋語をつくったのとおなじである」


とあり、「近代の日本人」が(「アイスキャンディー」ではなく)「アイスキャンデー」と言ったのか、高島さん(1937年生まれ)が「アイスキャンデー」と言ったのかは、はっきりとはわかりませんが(たぶん近代日本人が言った。)、そういう記述がありました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 08日 火曜日 16:57:10)

すみません、2度、載せてしまいました。ごめんなさい。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 09日 水曜日 0:53:23)

去年、北海道の釧路に行った時にバスの窓から見つけたお店の看板に、

「デスカウントショップ」

と書いてありました。扱っている品物は、時計、カメラ、麻雀用品、貴金属、電化製品、エレキギター(!)、ゲームソフト(格安)、靴修理、コニカカラーの現像。
そのお店の4軒となりにあった店の看板には、

「ディスカウントSHOP」

ただし、この店のドアの所には
「売店舗」
と書いてありました。釧路では「デスカウント」が「ディスカウント」に勝ったようです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 08月 10日 土曜日 13:54:57)

司馬遼太郎氏は、「PTA」を土佐では「ピーチーエー」というと証言しています。「ティー」を「チー」というのは、べつに高知の方言だけの特質ではないと思いますが、どうなのでしょう。

また、山形では拗音を使わない(これは乱暴)という井上ひさし氏の発言から、では山形では「PTA」を「ピーチーエー」と言ってもいいわけだ、と結論するのもちょっと飛躍しています。

ともあれ、めずらしい発言なので記しておきます。

 司馬〔遼太郎〕 ズーズー弁はなにがどうなっているんですか。
 井上〔ひさし〕 ジとズですね。山形県知事がチズになって、地図がチジになる。ジとズの区別がつかないんです。
 司馬 それさえマスターすれば、ある程度の成績がとれるんですね。
 井上 あとは摩擦音を多くして、拗音は使わない。牛乳はギーニーだし、汽車はキサ。拗音は中国から入ってきていますが、ここには入ってこなかったようです。
 司馬 中国語を学ぶとか、面倒くさいことをしなくても、山形まで来たら暮らしていける。PTAをピーチーエーと言ったってべつにいいんだから。東京の人は格好が悪いと思うでしょうが、土佐の人もピーチーエーです。ティーパーティーは、チーパーチー。よほどのインテリでも昔はそうでした。
(週刊朝日 2001.11.09 p.159-160)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 11日 月曜日 20:13:32)

 徳島で泊まったホテルの名は「アバァンティ」(アルファベット表記はAVANTI)。落ち着かない表記だと思っていたら、部屋の壁に掛かっていた写真の説明に「ハンガリィー」。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 12日 火曜日 10:49:54)

ハハハハ・・・。でも徳島の方の発音(無声化のない)に忠実に表記するとそうなるのかもしれませんね。英語とは別の発音の文字化と考えたら、不思議はないのかも。(我ながら、なんと寛容な。)


すぴか さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 13日 水曜日 01:27:53)

職業柄、アルファベットを記号としてよく使います。Dを(ディー)と発音するとB(ビー)と聞き間違えやすいので「デー」と発音します。習慣とは恐ろしいものでつい日常会話でも「デー」と発音してしまい、オバサンぽいなぁと赤面することしばしば・・・建築業界にはそういう人、多いです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 00:46:52)

 徳島の「竹ちくわ」は「馬から落馬」問題だけではなく、こちらへも関連する話題をくれました。『徳島専科』という観光パンフに、

もともと、ちくわの穴には竹が入っていたのです。
このあたりまえのことを、徳島の竹ちくわ(地元ではチッカまたはチックワァ発音する)で体験してください。
とありました。「チックヮ」もしくわ「チックァ」ぐらいだろうと思うのですが、「チックワァ」では、「chikku-wa:」とでも読みそうです。

なお、デー問題は論じていたのでした。

デービー


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 16日 土曜日 00:50:05)

 上記、「なお、デー問題は論じていたのでした。」は、「なお、デー問題は以下で論じていたのでした。 」としたつもりでした。
どうも最近ブラウザとIMEの相性が悪いのか、一文節分が消えてしまうことが多く、それを防ぐために毎回エンターキーを押さねばならないのです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 11月 24日 日曜日 21:48:17)

上に挙げた「バャリース」は、「言語生活」1967年に報告されています。

会社への出勤途上、ある喫茶店の店頭に、「バャリース」と大きく書いた看板が出ています。一体、この「ャ」はどういうふうに読ませようとしているのであろうか。恐らく原語の Bireley's を忠実に表わそうとしたものでしょうが……。
(気をつけてみますと、広告文はすべて、「バャリース オレンヂ」となっています)
(東京都中野区 小泉滉さん)
(「言語生活」1967.04掲載=佐竹秀雄編『言語生活の目』筑摩書房 1989.07.20 p.267)
余談ですが、「バャリース オレンヂ」をGoogleで検索したところ、「バャリース オレン」がいくつも引っかかってきます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 05日 金曜日 18:33:38)

バライテーに富んだにく〜い味
肉野菜定食\830
「ラーメン珍珍珍」中野坂上店の店頭に。2003.09.05採集。通りがかりに見つけてメモしました。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 06日 土曜日 05:54:32)

「ティ・ディ」ではないのですが、30年以上前に親戚のおばあさんが「ファンタ」(炭酸飲料)を「ハンタ」「アンタ」と言っていました。
また、王貞治選手を育てた荒川博氏か野球解説で「ハール」と言っていたのを思い出します。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 13日 月曜日 15:26:09)

2003.10.07、新宿区内の大久保通りに停車中のトラックの腹に

軽貨物便
カーゴ ハィヤー
〓{フリーダイヤルの記号}0120-47-****
CARGO HIRE
とありました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 13日 月曜日 15:27:31)

上は間違いでした。失礼しました。正しくは

軽貨物便
カーゴ ハィヤー
CARGO HIRE
〓{フリーダイヤルの記号}0120-47-****


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 17:02:16)

長野市内の看板

ホテル ホゥルス志賀高原
Hotel Khuls Shigakogen
「ホゥルス」はどう読めばいいのか。調べるとモンゴル語で「竹」のことだといいます。


posted by 岡島昭浩 at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年09月20日

近代小説の為の良い辞典を教えてください。(4230)

中国人の友人が、明治の小説を読む為の辞典を探しています。古語辞典ですと明治以前の言葉が多く適切とおもえません。なにか良い辞書がありませんか?ご教示ください。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 20日 木曜日 15:04:06)

『新潮現代国語辞典』はいかがでしょうか。机上辞典としては比較的多い約8万語を収録、とりわけ明治以来の作家の文章を多く用例として引いています。よく似たのに『新潮国語辞典』もあって、これは古語辞典を兼ねています。


posted by 岡島昭浩 at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年09月17日

肉骨粉

 昨夜のNHKスペシャルで、狂牛病の問題を取り上げていて、おそろしくなったのですが、ここではことばの問題。
 「肉骨粉」を、「にっこっぷん」と発音している人と、「にくこっぷん」と発音している人が居るように思いました。メインの人が「にっこっぷん」、ナレーターが「にくこっぷん」でしたか。

 「肉骨」の「粉」であれば、「にっこつふん」であるのかな、と思います。「肉の入った骨粉」であれば、「にくこっぷん」であるのかな、と思います。「にっこっぷん」は、そのどちらでもあろうとする読み方のように思います。

 「経産婦」が「けいさんふ」ではなく「けいさんぷ」と読まれるのは、「産婦」ということばがあるからだと思われますが、「肉骨粉」にも同じような事情が考えられるのか。

 また「にっこっぷん」という、促音入り音節の連続については、「赤血球・白血球」のことが思い起こされます。辞書に載る形、と言いますか、「丁寧な発音」では避けられるのではないか、というものです。それで「にくこっぷん」の言い方も出来たのか。

 などと、考えてしまいます。

 狂牛病のことはもちろん恐ろしいのですが、ことばも気になる私です。

赤血球・白血球


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 17日 月曜日 23:23:45)

現在米国在住のため、「肉骨粉」という単語の発音を耳で聞いたことはなく、
ニュースサイトで漢字を見るだけなのですが、頭の中では「にくこつふん」と読んでいました。
「にっこっぷん」と聞くとNHKの子供向け番組を思い出してしまいます。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 18日 火曜日 10:36:57)

最初、原稿にはカタカナで「ニクコックン」と書いてありました。商品名だと思ってました。放送直前に「コックンではなくコップン」と訂正がありました。広辞苑をひくと、「骨粉」は「コップン」の見出しで出ています。本番では「ニクコップン、肉や骨の粉」と注釈を付けて読みました。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 18日 火曜日 11:49:50)

 その後、ローカルニュース(NHK)で、「にくこっぷん」という振りがなつきのものを見ました。

 やはり「骨粉」ということばがあるので、「肉+骨粉」と捉えられ、「にくこっぷん」となるのでしょう。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 19日 水曜日 16:49:16)

「ふ」か「ぷ」かということでは関連すると思いまして、こちらに投稿します。

これでまた、「歳末売り上げは絶不調か」と青ざめる業者もいたが、〔堺屋太一・今日とちがう明日〕(週刊朝日 2000.01.28 p.40)
「絶不調」、もともとは「絶好調」の反対語としてたわむれに言われ始めたものと思います。「盛り上がる」に対する「盛り下がる」の類でしょう。そのうち、普通の文章でも使われるようになるかもしれません。

検索エンジンで見ると「ぜっふちょう」のほうが「ぜっぷちょう」よりもやや人気があるかにみうけられます。

機械的に考えると、促音のあとなので「不」は「プ」となりそうなところ。禅問答の「一不審もて参る」はイップシンと発音するはずです。私が「絶不調」を読むとすれば「ゼップチョウ」。

しかし、否定の接辞であることを表示する機能を損なわないようにしようとすると、「ゼッフチョウ」もありでしょうか。

まてよと思い「ぜつふちょう」を検索すると、これもあります。

どうも、読めないことばのひとつです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 19日 水曜日 18:28:38)

関西人は無声化が出来ないので、「ぜつふちょう」とい人が多いのではないでしょうか?促音が苦手なのです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 20日 木曜日 15:39:15)

道浦さんが原稿などで「絶不調」を読まれるとすれば、どうお読みになるでしょうか。
俗語的なものの読みは、用語懇談会といったようなところでも取り上げないでしょうね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 21日 金曜日 16:57:23)

「ぜっふちょう」ですね。
用語懇談会では、俗語の使用は、「排除」「お叱り」の対象になっても、「おすすめ」の対象になることは、まずありません。まあ、若者後に理解を示す委員の方もいないことはないのですが。
ちょうど、今、その会議から帰ってきたところですが、「ウサマ・ビン・ラディン」の話や「稲垣メンバー」の話も出ましたよ。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 21日 金曜日 17:28:25)

ありがとうございます。「ぜっふちょう」ですね。
実は、私の使っているFEP「ATOK11」でも「ぜっふちょう」で登録されているようなのです。
世の流れがもし「ぜっふちょう」だとすると、やはり否定の接辞としての「不」の語形表示機能を損ないたくないという心理からでしょうか。
「促音+ハ行」という連続は珍しいですね。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 12月 06日 木曜日 12:32:49)

 そもそも「絶好調」は、「絶・好調」であるのか、「絶好・調」であるのか。どちらでしょう。(あるいは「絶好の好調」であるのか……先日の国語学会での接ぎ木語を適用)

 私は「絶・好調」であるのが「絶好」に引かれることもあり、ゼッコウチョウとなっていると思っていたのです。「絶不調」は「絶不」なんて言葉はないし、ゼツフチョウと読みます。ゼッフチョウというのは、敢えてゼッコウチョウから離れないように心掛けた言い方だと思っていました。

 ところで、このページを開いたのは、「稲垣メンバー」にコメントしようと思ったからです。サッチーは逮捕された途端、「野村社長」になりましたね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 12月 06日 木曜日 15:10:53)

あれっ?野村容疑者になっていませんか?


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 12月 06日 木曜日 16:20:45)

 昨日のNHKニュースでは野村サチヨ社長と言っていたことがありました。最初、のむらさちおって誰だっけなァと思ったことでした。


posted by 岡島昭浩 at 13:46| Comment(1) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年09月12日

満足に与えなかった(道浦俊彦)

幼児虐待のニュースで
「食事を満足に与えなかった」
という文章が出てきましたが、私の語感では、「満足に」に呼応するのは「与えなかった」ではなく「与えられなかった」だと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか?「与えなかった」にするなら「十分に」の方がいいと思いますが。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 13日 木曜日 3:00:35)

満足には文字通り「満ち足りる」という意味以外に、純粋に「十分に」の意味もあります。
例えば「挨拶も満足にできない」(広辞苑)、「料理も満足にできない」(国語大辞典)。
そう考えると「食事を満足に与えなかった」は問題ない表現ですが、
なにせ対象が「食事」だけに「満ち足りる」の意味と関連付けて違和感を感じるのでしょうね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 14日 金曜日 4:29:32)

おそらく、「与える」「与えられる」という「やりもらい」の動詞に関しては、どちらが主語なのか、ということと、それに伴って「満足に」という「満足」の主語は、与える方なのか、与えられる方なのか、ということで、それがクロスすると気持ち悪いと感じる私のようなものが出てくるということなのではないでしょうか?
「満足にできる・できない」にはまったく違和感ありません。
「十分に」という意味は、二つ目の意味なので、 本来の「満足」の意味を感じ取ってしまうような気がします。


posted by 岡島昭浩 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年09月11日

質問です。(tomm)

私は現在大学の4年生です。卒業研究で、調べ物をしているのですが、なかなか見つからないのでお尋ねします。
日本語の単語を肯定的なものと否定的なものに分けたようなリストみたいなものを知っていらっしゃる方がいたら教えていただけませんか?どんなものでも結構です。
よろしくお願いします。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 11日 火曜日 15:25:55)

tommさんは具体的にどういうテーマを取り上げていらっしゃいますか。それによって、用いる資料も変わってくると思います。

限られた範囲のことばを、何かの目印によって分けた研究はあります。たとえば、一部の形容詞については、国立国語研究所『形容詞の意味・用法の記述的研究』(秀英出版)p.185以下で

 「すばらしい、りっぱな……」などを「いいこと」
 「くだらない、きたない……」などを「わるいこと」
 「おおい、ちいさい……」などを中立的

と分けています。一見あたりまえの結果ですが、「どういう目印を使えば、どのように分けることができるか」というのが、研究のしどころです。上の場合は、「すばらしい、いい(絵だ)」というように、「いい」を一緒に使えるか、それとも「わるい」を一緒に使えるかを目印として分けています。


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2001年09月10日

最寄り(もよりん)

 「最寄りの節は」とか「最寄りの際は」というのは使っていいんでしょうか。

 「お寄りの・・・」の間違いじゃないかと思うんですが。


通行人 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 10日 月曜日 23:28:05)

最寄りとは、物理的・場所的に近い状態を言い、「最寄りの節は」「最寄りの際は」は、
適切な表現ではないと思われます。
あえて表現するとすれば、「最寄りにおいでの節(際)は」となるのではないでしょうか。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 11日 火曜日 9:00:50)

そんな言い方する人が居るの?と驚いてgoogleで検索してみました。
「最寄りの節は」:0件
「最寄りの際は」:14件
「最寄りの時は」:2件
「最寄の節は」:0件
「最寄の際は」:20件
「最寄の時は」:0件
少ないですが、使われているんですね。

最寄の際は


posted by 岡島昭浩 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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