2001年09月03日

秋雨(道浦俊彦)

シトシト降る「秋雨」の季節になりました。
さてこの「秋雨」、「あきさめ」と読みますが、なぜ「あきあめ」でなく「あきさめ」なのでしょうか?
「さめ」と読む「雨」には、このほか「春雨」「氷雨」「小雨」「村雨」などがありますが、音韻的に「さ」に変る理由があるのでしょうか?

雨の降り方に関しては、しとしとと降る雨に「さめ」が使われているように思います。あまり「豪雨」に「さめ」はないのではないでしょうか?
そこから考えると、もtもとは「小」と書いて「さ」と読む「さ」が、この言葉の間に挟まっていて、「秋小雨(あきさあめ)」だったのが約(つづ)まって「あきさめ」になったのではないか?
秋と春の雨は、あまり豪雨ではありませんし、それに比べると豪雨だったりする「夏」の雨や、「小」というイメージよりは「重」というイメージの「冬」の雨は「さめ」に適さないのかもしれません。

そうすると、「小雨(こさめ)」はもともと「小小雨」になってしまって
「こさあめ」→「こさめ」になったのか?それは重複しているのでは?ということですが、これは「御御御付け(おみおつけ)」のようなものなのでしょうか?

皆様のお知恵を拝借したいと思います。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 11:03:28)

御参照いただければ幸いです。

「三朝」


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 13:58:15)

佐藤さま。
拝見しました。確かに私も「はるさめ」ということばが最初にあって、それに「春雨」という字をあてたのではないか?という風にも考えました。「たたき」→「三和土」のように。
しかし「雨」ということばにとらわれていると、「その考え方もどうかなあ・・・」という風に思ってしまうのです。
どうなんでしょうかねえ。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 14:12:18)

同僚のH氏の意見。
「沖つ白波」の「つ」にあたるものが、「春つ雨」とあって、「はるつあめ」。その「つあ」が「さ」に変わって「はるつぁめ」→「はるさめ」になったのではないか?
ということなんですが。本人は「かなり自信あり」という思い付きです。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 16:43:41)

 「みささ」のような地名とは違って、「はるさめ」の場合は、文字をあてる以前であろうが、「はる」「あめ」との関係を考えざるをえず、

 paru same
 paru s ame
いずれかを想定せねばなりますまい。

後者の場合、「s」が何か、と考えた時、御同僚Hさんのお考えでは「つ」との関連を考える、ということになるわけですね。
前者の場合は「雨」が「same」という音だったと考えるわけですね。sameが、複合語の後ろではなく、頭に来た場合に、なぜ「s」が落ちる(落ちた)のかを考えねばなりません。「鮫」はsameのままなのに、何故「雨」は「same」ではなく、ameになったのか、ということです。佐藤さんが御言及の亀井孝氏の考えでは、鮫の語頭子音と、雨の語頭子音は違っていた、ということではなかったかと思います。
例えば、鮫はs2ame、雨はs1ame(春雨はparu-s1ame、春鮫はparu-s2ame?)。 
後、語頭のs1が脱落するが、語中のs1は残る。s2は脱落しない。
 鮫はs2ame、雨はame(春雨はparu-s1ame)
「s1」と「s2」の区別が無くなる。
 鮫はsame、雨はame(春雨はparu-same)

「s1」「s2」のいずれかが「s」で、いずれかが「ts」であったかもしれません。


なお、雨の他の例としては、「くましね」という言葉が、「くま・いね」ということであろうと思われるものがあります。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 03日 月曜日 18:24:35)

>「s1」「s2」のいずれかが「s」で、いずれかが「ts」であったかもしれません。

可能性としてはありえますね。なんと柔軟な頭! 敬服。確認は困難?
あるいは、「s1」「s2」は、音価ではなくアクセントの差を考える手もあるか。

鮫 平安 ●● (上上。日国2)
雨 平安来○●○(平平軽。アメ。下線は1拍分。日国2)
稲 平安・鎌倉 ○●(平上。イネ。日国2)

もちろん、奈良時代アクセントが平安時代のアクセントと大きく異ならない
という前提でのこと。それ以前は、やはり確認困難。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 04日 火曜日 14:17:34)

母音が続くのを避けて「s」が入るという説ですが、それだと「大雨」が「おおさめ」とならずに「おおあめ」で、「にわか雨」が「にわかさめ」にならない・・・など理由の説明ができないのではないでしょうか。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 04日 火曜日 14:48:49)

「おおあめ」「にはかあめ」は比較的新しいことばです。母音連続が許される時代に出来たものと見なされるわけです。

「あきさめ」は比較的新しいようですが、これは「はるさめ」に類推しての言葉と考えられます。


母音連続が許されなかった時代に、母音連続を避ける方法として一般的なのは、母音の融合でした。「ながあめ」が「ながめ」になるような。
もし、same→ameを考えるのなら、
 はるさめ時代
 ながめ時代
 おおあめ時代
と変遷したと考えないといけませんかね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 05日 水曜日 20:31:56)

倉嶋厚「雨のことば辞典」(講談社2000・9)に「細雨(さいう)」のことを古語で「さあめ」と言うとありました。「日本国語大辞典」で「さあめ」をひくと「小雨(さあめ)」で出ていて「(”さ”は接頭語)雨。さめ。」とあります。「さあめ」は「さめ」なのですね。そうすると、「あめ」が先にあって「さめ」は後の時代、ということになりませんでしょうか?
やはり、「秋小雨(あきさあめ)」→「秋雨(あきさめ)」なのではないでしょうか?
そもそも「天」(てん・あめ)から降るから「雨(あめ)」なのでは?
(なんで”雨=てん”でなかったか?「てん」は漢語で「あめ」は和語だから?)
「?」だらけですね。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 05日 水曜日 23:06:05)

確かに「さめ」には「しとしと降る雨」というイメージを持っています。
でも辞書を引くと
 ひさめ【大雨・甚雨】:ひどく降る雨。おお雨。皇極紀「―ふり雷(いかずち)なる」(広辞苑)
なんて語もあったりします。
# 普段は使わない言葉ですが。「ひさめ」といえば「氷雨」ですよね。
私の頭の中では「さめざめと」という副詞の影響で「さめ」=「小雨」というイメージが出来ているような気がします。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 05日 水曜日 23:15:25)

UEJさん、そうなのです、「大雨(ひさめ)」なんですよね。また「村雨」「叢雨」(むらさめ)も激しく降る雨のようだし。
しかし、「日本国語大辞典・第二版」で「こさあめ」というのもあって、これは「こさめの変化した語」と出ています。「さあめ」はたんに「雨」で「さ」は接頭語。その「さ」の意味は、必ずしも「細かい」とか「しとしと」ではないんですが、「さぎり」「さみどり」「さおとめ」など字はそれぞれですが、なんとなくイメージがありますね。
ちなみに「雨のことば辞典」では「〜アメ」が100語に対して、「〜サメ」は15語しかありませんでした。


高山知明 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 06日 木曜日 11:49:34)

久しぶりに立ち寄ってみました。
稲(イネとシネ)などの存在も指摘されていますね。

いま、山口佳紀『古代日本語文法の成立の研究』(有精堂)を見てみたら、
サ行だけでなく、他の子音の例もあげられていますね。
(第一章・第二節「語頭子音の脱落」)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 06日 木曜日 18:29:50)

高山さん、「サ行」以外にはどんなものがあるのでしょうか?
語頭子音は、ほかにもあるのですか?「サメ」「シネ」以外に。よろしければお教え下さい。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 07日 金曜日 16:32:27)

高山さん、どうも有難うございます。

関連部分の、例のみを抜き出します。


カ行
うまこり うま+おり(味織)

サ行(雨・稲の他)
かたしは かた+いは(堅磐)
みそこなはす み+おこなはす(見行)

タ行
こころつごく こころ+うごく(心動)

ナ行
なにも な+いも(汝妹)
にひなへ にひ+あへ(新饗)


例だけでは、なんですから、この本を是非とも手にとってご覧ください。


高山知明 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 11日 火曜日 15:26:31)

道浦様、岡島様
例示(手間)を省いてしまって、済みませんでした。

サ行子音については、岡島さんのコメントにもありましたが、文献以前
の日本語では異なる二つの単位に分かれるかもしれないとの推定がある
わけですが、サ行以外の場合はどうなのでしょうかねえ。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 11日 火曜日 15:57:16)

菅野洋一・仁平道明「古今歌ことば辞典」(新潮選書)に「秋雨」が載っていました。
万葉集以来「秋の雨」の語形で使い、「秋雨」は十三世紀頃成立の順徳院の「八雲御抄」に「(藤原)光忠があきさめなどいへるたぐひはをかしき事なり」と非難しているためか、幕末(安政3年)の井上文雄「調鶴集」に「しめじめと秋雨そそぐ芭蕉葉の破れし影にこほろぎの鳴く」に現れるぐらいだそうです。
また室町時代の一条兼良「連歌初学抄」に「春さめ、秋さめ、小さめ」を連歌の用語としてあげているそうです。
つまり「春雨(はるさめ)」が先にありき、ですね。


OG3 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 17日 月曜日 11:44:18)

大野晋先生が,「丸谷才一の日本語相談」(朝日文芸文庫版)176ページに雨は「アマ」が本来形であると書いておいでです.
とすると,same, ame, ama の関係はどう考えれば良いのでしょう(話を混乱させるだけみたいな書込みで失礼).


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 17日 月曜日 13:16:17)

 amaを本来の形であると考える立場は、複合語の前に立つものを本来の姿と考えるものですね。「ama-」というようなものと、「ame$」というものを比べた時、後者を「ama-i$」と考えた方がよかろうと。つまり、後ろに何も続かない時には「-i」というようなものをくっつける、ということです。

 これに対して、ame,sameの話は複合語の後ろに来る場合の話です。A雨Bというような複合語があれば、「A-sama-B」というようなものを考えねばならないのでしょうが、とりあえず「A-sama-i」、としておけば、両説を併存することが出来ます。

 「ame」が露出形、「ama」が被覆形と呼ばれます。後ろがむき出しになっているか、別の語によって覆われているか、ということによる命名です。先日、書こうと思ったのですが、それに準えて、「same」を被覆形、「ame」が露出形、と呼ぶことも出来るわけです。こちらは、語の頭がむき出しか否か、という観点ですが。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 17日 月曜日 13:19:33)

 どうも、中途半端な書き方で済みません。

 「sama」という形はないけれども、「-same」を「-sama-i」と考えることでよいだろう、ということでした。

 S挿入説の場合には、「-s-ama-i」となるわけです。


OG3 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 19日 水曜日 10:59:55)

「本来形」とは,複合語の問題とは無関係にその語自体の元々の形だと思っていたのですが,素人の速断であったようですね.
上のご説明からは,same は s + ame → same という流れで見るほうが自然に思えてきました.


posted by 岡島昭浩 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年08月29日

「たわけ」の語源は?(きっすきっす)

時代劇で「この、たわけ者」とか言う台詞を聞くと、
たわけ とは、「戯け」?「田分け」?なの?現在の使われ方は
前者だと思うんですが、後者の意味もあったりするのでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 30日 木曜日 1:22:13)

楳垣実氏の『語源随筆・猫も杓子も』(創拓社)p.152〜によれば、たとえば『古事記』に

木梨之軽太子……其の伊呂妹、軽太郎女にたはけ〔不倫の婚姻をして=岩波文庫〕歌したまはく、
と出ているような、タハク(タワク)という動詞が名詞化されたものに違いないということです。

今の「タワムレル」の「タワ」と関係のあることばのようですね。もとはみだらな行いをするもの(淫奔な者)を指してタワケと言ったらしいです。

楳垣博士は「田分け」についてはまったく言及していません。後の世では、分家または遺産相続で、田を分け与えることを「田分」と言ったそうですが、「ばか」の意味の「タワケ」とは関係ないのでしょうね。

私は子どものころ、和歌森太郎氏監修の子ども向け『日本の歴史』で、「田分はたわけ」という語源説を読んだのですが、「タハク」のほうが納得しやすいと思います。


posted by 岡島昭浩 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年08月28日

同名異人・同名同人……(Yeemar)

「陳述とは何者?」などの論文によって日本語の文法論をリードしてきた国語学者・芳賀綏氏が、じつはテレビによく登場する政治学者と同一人物らしいことに思い至ったとき(*注1)、私はひっくり返らんばかりに驚きました。

それはたとえば、高名なロシア文学者が、じつは一昔前ジャイアンツの投手としてならしていたとか(*注2)、近代日本の文法論の基礎をつくった国語学者が、じつは民放の夕方のお笑い番組で座布団を配っている(*注3)とかいうことを聞かされたときに相当する驚きでした。

セゾングループ創設者の堤清二氏が、じつは作家・詩人の辻井喬氏であったことを知ったときも、これほどは驚きませんでした。

日本語の系統などを論じて名高い服部四郎氏の著書を読みつつ、つい「青い山脈」「東京ブギウギ」といった服部メロディーを口ずさんでしまう人が万一いるとすれば、それは心のどこかで服部良一氏と混同しているのかもしれません。

丸善の雑誌「学鐙」と学燈社の雑誌「学燈」も紛らわしい。青土社の「ユリイカ」(ギリシャ語)と大修館書店の「しにか」(ラテン語)もよく混同します。

恥ずかしい話です。


*注1 きょうのことです。まだ信じられません。
*注2 小林信彦氏のギャグ。江川卓(たく)氏と江川卓(すぐる)氏。
*注3 山田孝雄(よしお)と山田隆夫さん。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 28日 火曜日 23:26:55)

 山田孝雄は演歌の作詞もしていますね。これもたぶん「やまだたかお」と読むのでしょう。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 28日 火曜日 23:59:12)

佐藤亮一氏の話は、有名すぎますか?
・方言学者 東京女子大
・翻訳家 東奥日報
・新潮社社長(物故) 産経新聞


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 11:52:39)

>小林信彦氏のギャグ。江川卓(たく)氏と江川卓(すぐる)氏。

ジャイアンツもロシア文学も原と江川でした。
小林信彦のパロディに「広島の山本浩二と元ジャイアンツの山本功児の区別もつかない人が
書いた」と大まじめな批判をやって恥をかいたのは「大リーグ評論家」にして「政治学者」
の池井優氏。

昔、音楽評論家あらえびすが銭形平次の野村胡堂と同一人物と知ったときは驚きました。
ややこしいのは、作曲家服部公一は服部良一の息子かとおもえばこちらは無関係で、息子は
服部克久であるという。

ややこしくはないけれど、びっくりした憶えがあるのが、中国史の植村清二が直木三十五の
実弟であること、星のはなしをよく読んだ野尻抱影の実弟が大佛次郎であること、などです。

有名なんでしょうが、「本の雑誌」の目黒考二と評論家(?)北上二郎が同一人物というのを
しばらく知りませんでした。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 15:42:00)

築島裕氏も。同名同人。この話をはじめて聞いたとき、やっぱり衝撃でした。
鉄道きっぷ博物館


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 21:47:24)

驚くことばかりで……

山田孝雄氏は、「昭和枯れすすき」などの作詞家でしたか。「♪貧しさに負けた……」

服部公一氏は良一氏の息子だとばかり思っていました。

築島裕氏。これも卒倒ものですね。そういえば、以前どなたかに伺ったか、拝見したかという記憶もあります。今まで忘れていたのは、あまりのことに意識下に抑圧されていたのではないかと思います。

筒井康隆氏は、俳優の筒井道隆さんとの関係を問われて閉口したとか。政治家の筒井信隆氏(民主党)とも無関係。もっとも、筒井氏の父君(嘉隆氏)もご兄弟もすべて「―隆」というお名前だそうです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 22:00:07)

>筒井氏の父君(嘉隆氏)も……

これでは分かりませんね。「筒井康隆氏の夫君(嘉隆氏)も……」です。

筒井康隆『笑犬楼よりの眺望』(新潮文庫) p.399に「「筒井道隆」は息子に非ず」という文章あり。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 22:01:10)

上記、訂正の訂正(^ ^;)

×夫君 ○父君


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 30日 木曜日 8:47:28)

同名異人ではなく、同姓異人、しかも手前味噌な話ですが、よく、「歌人の道浦母都子(もとこ)さんは、お姉さんですか?御親戚ですか?」と聞かれますが、まったく血縁関係などはありません。
一度御本人にお会いした時に、その話をしましたら、むこうも「読売テレビのアナウンサーの道浦さんって、御親戚?」と聞かれていたそうです。山田、田中といった名字に比べると「道浦」は珍しいためか、姓が同じというだけで、そういうふうに思われるようです。

また、今朝出ていた小泉総理の写真集を撮影したカメラマンの方は、鴨志田孝一さんという人でしたが、漫画家の西原理恵子さんの御主人の名字も鴨志田さんでカメラマン。同一人物かな?と思ったのですが、これはどうも違うようです。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 31日 金曜日 14:47:10)

服部良一の蘇州夜曲・・・といった話題は歌謡史にも精通していらっしゃる
Yeemarさまにおまかせすべきかもしれませんが・・・。
「蘇州夜曲」、小生は渡辺はま子が歌っていたものとばかり思っていましたが、
映画「支那の夜」の主題歌「蘇州夜曲」を歌ったのは李香蘭なんだそうですね。
渡辺はま子はレコードのほうでヒットしたそうで。

「李香蘭とは山口淑子さんのことだよ」といって若い方から「誰?両方知らない」
と言われたことがありますが、劇団四季の『李香蘭』で若い人にも随分知られる
ようになったようです。
劇団四季『李香蘭』の原作となった「李香蘭-私の半生」の共著者として山口淑子氏
と名を連ね、ノンフィクション「満洲、少国民の戦記」などの著書もあるジャーナ
リスト藤原作弥氏が現日本銀行の副総裁であるというのもビックリしました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 31日 金曜日 16:35:49)

鴨志田さんといえば、山本直樹「極めてかもしだ」に出てくる主要人物が興津要といいます。この漫画をじっくり読んだことはないのですが、興津要なる人物が早大で近世文学を講じているシーンは出てこなかったように記憶します。ちなみに山本直樹氏は早大卒の由。

かねこっちさんの言われるようには私は歌謡史には精通していないのですが……。自分が手帳に入れて肌身離さず持っていた愛らしく悩ましいプロマイドの女優が、いつしかおそろしい政治家となって自分たちに苛政を強い、圧迫を加えるということがあるとすれば、一種の悪夢でしょうか。山口議員はそういうことはなかったでしょうし、扇千景大臣もそういうことはなさらないと信じますが。


豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 31日 金曜日 19:29:52)

>築島裕氏も。同名同人。この話をはじめて聞いたとき、やっぱり衝撃でした。

(旧版)「国語学辞典」(東京堂)に「切符」の立項がある(p.239下段)のは
割と有名な話では…


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 31日 金曜日 21:09:36)

>(旧版)「国語学辞典」(東京堂)に「切符」の立項がある
>(p.239下段)のは割と有名な話では…

そんなことが…… おっ、おおっ! 立項されている!
御教示、感謝!


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 31日 金曜日 23:28:51)

 鉄道関係で言えば、こちらも同名同人ですね。何冊かありますが1冊だけあげておきます。

 思い返せば、小生、大学2年の十月、教養部から初めて文学部に上がり、国語学国文学研究室で進学式があったとき、「近世文学の中野三敏先生は長沢規矩也先生がお亡くなりになったのでご欠席です」と説明があり、書誌学などということを全く知らなかった私は、「なんで漢和辞典を編纂しているような人のお葬式に近世文学の先生が駆けつけるのだろう」と思ったことでした。

長沢規矩也「国鉄を叱る」


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 01日 土曜日 2:49:57)

堀淳一さん。
地図研究家・エッセイスト
鉄道ライター
国文学研究者。後輩。

なお、鉄道ライターの堀淳一さんの著書『消えた鉄道を歩く−廃線跡の楽しみ』(講談社文庫)の「6 ナローの残影を追って 井笠鉄道跡」は、鏡味明克氏ほかと廃線跡をたどった記事です。写真あり。(122ページ)


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 01日 土曜日 3:53:59)

「地図研究家・エッセイスト」と「鉄道ライター」は同名同人ですね。失礼。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 05日 水曜日 19:58:03)

築島裕著『鉄道きっぷ博物館』、興味おさえがたく購入しました。


旅情をさそうエッセイ風の読み物と期待して読んだ読者は裏切られるでしょう。中身は、書誌学的な厳密さで、(主として昭和期の)「切符の様式の変遷」が語られています。

 すなわち、「一般式」(おもてに「…より…ゆき」、「…から…ゆき」と記載)、「矢印式」(→、近時の▼)、「両矢式」(←→、以前には――)、「地図式」、「金額式」(何円区間とあるもの。「…から何円区間ゆき」「→何円区間」なども)などのデザインが、歴史的にどう移り変わってきたかということを、著者は丹念に跡づけてゆきます。

 「別に、どういうデザインでも大差ないのでは?」と、思わず疑問をいだいてしまった人は、この本を読む資格はないとえます。


厳密な研究書といった趣の本ですが、著者の人柄を伺わせるところもあります。

 たとえば、新駅開業時の「0001」番の切符を集めようとする話。榛名ロープウェイの榛名富士山頂駅で、入場券を下さいと頼んだところ、(駅員に)いらないからそのまま入場していいと言われた。記念にするから是非と言ったら、奥の戸棚の中から「0001」番を出して来て売ってくれた。開業後何年か経つのに棚ざらしになっていたらしい。(p.47)

 車掌が車内で発行する「Dサイズ」というちょっと細長の切符がある。これが、昭和41年、一般の金額式の乗車券として臨時的に使われたことがある。「Dサイズが切断もされずに、そのまま旅客の手に渡ったのは、恐らくこれが最初であって、当時、切符マニアとしては狂喜したものである。発行されたのは渋谷・新大久保・四ツ谷など、幾つかの駅だけで、聞き伝えてわざわざ買いに出かけた記憶がある」。(p.115)


切符にはミスプリントのものも往々にしてあるようで、「間違いの切符」という8ページの章があります。「分倍河原」を「分信河原」、「京都」を「京部」、「金山橋」を「金山崎」、「土気」を「士気」、「土浦」を「士浦」、「蘆花公園」を「慮花公園」、「末広町」を「未広町」、「湯河原」を「湯ヶ原」(手書き)、その他「下車前途効無」、「下車前途無行」なども。


最後に「ことばのくずかご」ふうにいくつか。
国鉄線と社線(p.15)私鉄線のこと?
池袋駅のように硬券を窓口で売っている駅(p.19)厚紙の切符?
なお、軟券については、(p.28)自動販売機などで使われるぺらぺらの切符?


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 18日 火曜日 10:14:57)

 読売巨人軍の新人捕手(22歳)は、今から40年ほど前に、NHKの会長をしていたのかと思いましたが、捕手は阿部慎之助、会長は阿部眞之助でした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 14日 月曜日 21:01:59)

近代文学研究者の前田愛について調べようとインターネットを検索していた年若の友人、いくら調べても1983年生まれのアイドルの顔写真しか出てこず、ついに途中で調べものを放り出したりとしか云ふ。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 15日 火曜日 17:31:10)

Googleで「前田愛」「近代読者の成立」で検索したら134件出てきました。


イメ検 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 15日 火曜日 18:04:00)

前田愛先生のクシャクシャ頭の顔写真をイメージ検索で探すのは大変そう。「樋口一葉の世界」の表紙なら出てきたが。http://images.google.co.jp/images?q=%E5%89%8D%E7%94%B0%E6%84%9B&svnum=10&hl=ja&lr=&ie=UTF-8&oe=UTF-8&start=20&sa=N


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 09日 水曜日 20:49:09)

吉川潮(作家、演芸に詳しい)、吉岡忍(作家、『墜落の夏』で講談社ノンフィクション賞)、吉田司(ルポライター、ミナマタなど取材)各氏の区別がつきません。ご本人たちには失礼なことです。

ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』(集英社新書)、『9・11―アメリカに報復する資格はない!』(文春文庫)などの読者は、著者が言語学者であることを知らずに、または、知っていても「副業でことばの評論でもやってるのかな」という程度に思いつつ読んでいる場合もあるのではないでしょうか。いうまでもなく、20世紀を代表する文法学者であります。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 09日 水曜日 22:05:29)

 安藤正次という名を持つのは、国語学者だけではなかった。戦国時代にもいたのです。
二人とも出ているページを下に。

赤堀又次郎という武人も居るんですね。

安藤


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 14日 月曜日 09:47:00)

 我々の分野では、森重敏氏といえば「もりしげ さとし」ですが、心理学者で主に幼児児童関係の著書が多い森重敏氏は「もり しげとし」。
「同名」ではなく「同表記」ですが。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 19日 火曜日 00:42:37)

 長澤規矩也氏がお亡くなりになったのは、昭和55年11月21日であったので、上記の「進学式」は勘違いでした。これは、「初めて参加した卒論構想発表会」とすべきでした。


posted by 岡島昭浩 at 20:28| Comment(1) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三和土(道浦俊彦)

「三和土」と書いて「たたき」と読みます。日本の伝統的な家屋の中にあった土間の部分。
これを辞書の見出しで引くと「叩き」とか「敲き」とかは載っていますが、「三和土」の見出しはなく(広辞苑、新明解)、意味の説明の中に「三和土とも書く」とあります。
一体、なぜ「たたき」のことを「三和土」という当て字にするようになったのでしょうか?ご教示下さい!よろしくお願いします。


小駒勝美 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 28日 火曜日 18:37:00)

漢語大詞典によれば、「三和土」は「即三合土」とでていました。
「三合土」の項目には「石灰、粘土、沙三者混合而成的建築材料。」とありました。
「広辞苑」の「たたき」の項には「たたきつち」の略、とあり、「たたきつち」の項には「石灰、赤土、砂利などに苦塩(にがり)を混ぜ」とありますから「三合土」と日本の「たたき」は同じ物のようです。
三種の材料を合わせて作るから、ということではないでしょうか。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 28日 火曜日 23:08:55)

Bookshelf 2(小学館国語辞典)より引用です。
| (「たたきつち(叩土)」の略。三種の材料をまぜるところから「三和土」とも書く)
| 赤土、石灰、砂利などににがりをまぜ、水でねってたたき固めた土間。現代ではセメントで固めた所もいう。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 28日 火曜日 23:28:26)

 そういえば、コンクリートは「混凝土」と書くほかに「混和土」とも書きませんでしたっけ。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 7:49:59)

「暮らしのことば語源辞典」(山口佳紀・講談社)によると、「土・石・石灰の三つを混ぜ合わせることから・・・」とありました。そのほか、インターネットでは「赤土・石灰・砂利などに、にがりを混ぜて・・・」
「建築用語辞典」では「岩石の風化した可溶性けい酸、アルミナに富む土。消石灰を加え水と練れば硬化する」。
「三つを和える土」という材料を漢字で表し、「たたいて固める」という作り方を「音」で示しているのですね。
「小麦粉卵」と書いて「まぜやき」と読んで、意味は「ホットケーキ」とか。バラバラですねえ。
それにしてもこれで「たたき」と「読め!」という方が無理があるのでは?
「莫大小」と書いて「メリヤス」と読むのと同じようなことでしょうか。
「大・小莫(な)し」=中間=ひざまでの靴下=medias
新聞やテレビ、インターネットといった「メディア」と同じ語源だとは。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 8:35:17)

メリヤスは「伸び縮みする」→「大も小も兼ねる」という意味で
「莫大小」ではありませんでしたっけ?


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 9:25:28)

UEJさん、、「伸び縮みした」のは、舶来の「ひざまでの靴下」で、結局「その素材をさす」ようになったのではないですか?
「莫大小」は「大も小も兼ねる」という意味ですか。本来(メリヤスという当て字でなければ)「大小莫(なし)」とよむのではないですか? どうでしょう??
いずれにせよ、原義は、「中間」「真ん中」ですよね。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 11:03:26)

私の記憶に残っていたのはこの本でした。

矢崎源九郎著「日本の外来語」p.62
| 「莫大小」という漢字をあてたのは、なかなか愉快で、
| 大きくも小さくもなくて伸縮自在というところからだろう。

いろいろ説はあると思いますが、日本語の「メリヤス」は靴下というよりもその素材を指すところから、
その語源まで辿って「中間」の意味で「莫大小」と名付けた、
というのはちょっと考えにくいような気がしますが、いかがでしょう。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 29日 水曜日 12:11:49)

>材料を漢字で表し、……作り方を「音」で示しているのですね。

ことばが有って、さあこれにどんな漢字をあてよう、と思う、漢語で対応しそうなものがあれば、それをあてる、なければ漢字を組み合わせて作っちゃう、というのが、あります。

また一方で、漢字・漢語があるんだけど、これに当る訓は無いかいな、と探すこともあります。漢語で当る訓がない場合、むりやり1字ずつにばらして読んでしまう、ということもあります。また別の字や語で説明しているのを流用する場合もあります。

たたき・三和土の場合はどちらでしょう。『大漢和』で「三和土」を引くと、「敲土」というのが見えます。もし、中国の本に「三和土は敲土なり」みたいなことが書いてあれば後者なのだが、と思って、『大漢和』で「敲土」を引いて見ましたが、どうやらこれは日本の文字列のようです。

 たたきの歴史を調べて見なければわかりませんが、「たたき」より「たたきつち」という方が古そうで、「三和土」を「たたきつち」と読んだものもあるかもしれませんね。(といっても、「三和」が「たたき」に当る、と言っているわけではありません、念のため)

 それから、漢字の文字列について調べるときは、国語辞典ではなく、漢字の辞典を引いた方がよいかと思います。

>それにしてもこれで「たたき」と「読め!」という方が無理があるのでは?
「読みに無理がある」という言い方には、さまざまなレベルが有って、単に馴染みがない、とか、これは最初に漢字列とことばを結び付けたものが大いなる誤解をしでかした、とか、ですね。
「読め」というのもさまざまなレベルがありますかね。

#自分で、何を書いているのか分からなくなりました。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 30日 木曜日 8:55:47)

漱石は「三四郎」で「和土」とかいて「たたき」と読ませているようです。
UEJさん、伸び縮みするところから「莫大小」の字をあてたというのはおっしゃるとおりでしょう。
私は、「お城の絵を描いてある箱に入ったカステラを指差して、これは何かと聞いたところ、お城のことを聞かれたと思ったポルトガル人がカステーラと答えたため、そのお菓子はカステラになった」という類の、本来の外国語が指すものと、外来語が意味したところのずれの話で、「中間(ひざ)までの靴下」というのが出てきたということを書いたのですが。


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2001年08月24日

大蔵省の隠語(Yeemar)

谷村裕(大正5年生、昭和13年大蔵省入省)『ずいひつ大蔵省の隠語』(日本経済新聞社、1974)

同書は、全編にわたり隠語についてのうんちくを傾けた書物かと思いきや、必ずしもそうではありません……というよりは、直接それを扱っているのはp.29まで。

というわけで、語の一覧もすぐ作れました。語義をいちいち注記することは簡単なのですが、それをすると著作権を侵すおそれがあることに思い至り、見出し語一覧のみにとどめておきます。なぞのことばの一覧だけでは欲求不満を持たれる方がいられるかもしれませんが。

和語・漢語をカタカナで書いてあるところはひらがなに直します。語種が分からないものはとりあえずひらがなにしておきました。(検索の便のため)

〔著者が旧制高校で知った隠語〕
・だいへん〔代返〕
・ろうべん〔蝋勉〕
・りょうう〔寮雨〕
・卑下する
・消耗する

〔海軍の隠語〕
・ビーシー〔BC〕
・コーペル
・ヘル談

〔証券界〕
・押し目買い
・なんぴん売り上がり
・ちょうちんをつける
・下駄をはく
・その話はまるになりました

〔官庁一般共通〕
・うちむしょう〔内務省〕
・そとむしょう〔外務省〕
・A
・B
・MOF
・MITI
・中二階
・兼勅
・さらかん〔監理官〕
・くだかん〔管理官〕
・俸給のわたり
・肩たたき
・大三元人事
・大スーシー人事
・みんかん
・あんかん

・こくたい〔国会対策委員会〕
・せいちょう〔政務調査会〕
・ぶっとく〔物価問題等に関する特別委員会〕
・あがる
・あげる
・お経を読む

〔大蔵省〕
・ざいけん〔財政研究会〕
・勧進帳を読む
・とらクラ〔虎の門クラブ〕
・かがみをつける
・往復
・いっぽんづかい〔一本使い〕

〈電報用語略語表〉
・一ヲイ〔大蔵大臣〕
・三ヲア〔造幣局〕
・一シイコ〔視察の予定〕
・一ツニ〔都合により中止する〕
例、大蔵大臣の造幣局視察の予定は、都合により中止する=一ヲイノ三ヲア一シイコ ハ一ツニ

・師団
・連隊
・副官
・副々官
・警報発令中
・警報解除
・三段表
・皆増皆減
・補助うら
・推計
・ぶっそう〔物騒〕
・L事項
・逆L
・まるぜん〔マル前〕
・ぜんつう〔前通〕
・善通寺
・まるひょう〔マル標〕
・まるこう〔マル公〕
・マルチョイ
・ひこう〔非公〕
・すきま
・そうとつ〔総突合〕
・ぴったしパンツ御名算
・ふんどし
・じゃばら〔蛇腹〕
・うちだし
・おさまり
・ぶつけてみる
・内示
・ブリッジ
・まえたおし、かたすかし
・あなうめ
・けあげる
・めりこみ、めりこまし
・たたく
・なめる
・あしきり〔足切り〕
・あたまうち〔頭打ち〕
・おちぼひろい〔落ち穂ひろい〕
・すりあわせ〔すり合わせ〕
・れいあんしつ〔霊安室〕
・たこべや
・もうちょう〔盲腸〕
・さんがい〔三階〕
・財投まわし
・ひこくせき〔被告席〕
・うたれる〔打たれる〕

・しぶり〔仕振り〕
・よこならび〔横並び〕
・よこめ〔横目〕
・軒並権衡
・垂口封印
・商工庶業
・民部
・うわや〔上屋、warehouse〕
・エプロン
・おつなか〔乙仲〕
・カスブロ〔customs broker〕
・ステベ〔stevedore〕
・ギャング〔gang〕
・こがしら〔小頭〕
・サーチ
・さわて〔沢手〕
・さなした〔さな下〕
・せどり〔瀬取り〕
・かいちょう〔開庁〕
・そうあげ〔総揚げ〕
・でっぱつ〔出発、departure〕
・でばん〔devanningなどから〕
・デクラ〔declaration〕
・ちゃっか船〔着火船〕
・はいつけ〔配付〕
・バンカー
・フリプラ〔free pratique〕
・みずきり〔水切り〕
・しき〔船倉の底面〕
・たっぱ〔高さ〕
・ばいき〔袋物〕
・はらきり
・ひなだん

・ねた
・たれこみ
・がさ
・ビーもの
・やく、ねた
・ぺー、こな、しろ、なこ
・ぽん、しゃぶ、冷たいやつ
・あさ、はっぱ、ちゃお、ぐりん
・もひ、一号
・なま、くろ
・やき、人参
・キロ板
・ちゃん金
・わらじ、ぱいぱん
・むすこ
・むすめ
・白い顔
・赤い顔
・南京虫
・いし
・しろ、ホワイト
・いろいし
・おび、二十一条
・ラテックス、テヤー〔latex tare〕
・まえじゃくをとる〔前尺をとる〕
・エンプレス
・ビーピー〔BP、Befre Permit〕
・りんじかいちょう〔臨時開庁〕
・はとばがらす〔波止場烏〕


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 24日 金曜日 19:22:06)

この本と収録語のいくつかについては、「毎日新聞」1995.04.25 p.2の「近聞遠見」で岩見隆夫氏が触れています。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 24日 金曜日 23:28:01)

 『ことばのくずかご』の中で、「ピッタシパンツ御名算」「前倒し」「わたり」について、この書が引用されていますね。


石猫 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 25日 土曜日 1:33:34)

上にはありませんでしたが、「きりしろ」というのもあります。
(意味:最終段階では削られることもありうるがあえて盛り込まれる内容)
今は概算要求の時期ですから私のまわりでもこのような隠語が飛び交っております。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 25日 土曜日 23:28:13)

要求側の「きりしろ」を受ける側から言ったのがさしずめ「ブッソウ」でしょうか?

〔上略〕ブッソウというのがある。〔大蔵省の予算編成作業で〕推計の上ではアウト〔枠外〕にしているが、要求が強くてあるいは〔予算を〕取られるかもしれない事項のことで、漢字で書くと物騒だが、それがL欄に記載されているので別名L事項ともいう。(同書 p.14)


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2001年08月03日

猛暑と酷暑(畠中敏彦)

友人の暑中見舞いのハガキで

「連日の猛暑、いや酷暑・・・」とありました。

酷暑の方が、猛暑より暑さの程度が大きい意味で書いた
と思いますが、両者に差異があるのでしょうか。

また、極暑は、文字からこの2者より上と思われますが。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 03日 金曜日 7:44:06)

今朝(8月3日)の日経新聞に、「ここ数年増えた、最高気温が35度を越える日を”酷暑日”と呼ぶ関係者が増えた」とありました。(ん?「増えた」が2回出てきて、文章としてはまずいですね。でも、そう書いてありました。)
”猛暑”は、もっと前からあったのでしょうね。
ちなみに、最高気温が30度以上の日が「真夏日」、最低気温が25度以上の日は「熱帯夜」。
そのうち、最高気温が35度以上の日を「熱帯日」とか「熱帯昼」とかいうようになるかも?(もう「酷暑日」で定着しているのかな?)


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 03日 金曜日 12:54:29)

 最高気温25度以上の夏日、同じく30度以上の真夏日は、最低気温0度以下の冬日、最高気温0度以下の真冬日に対応した名前だと思いますが、真夏日か日常化して、最高気温35度以上の日を呼ぶ名称が求められていました。

私は7-8年前から(京都の夏を経験してから)私的に「ド夏日」と呼んでいましたが、「酷暑日」というのは、2-3年前に気象庁なりが決めたものではなかったのでしょうか。ようやく決めたか、しかしぱっとしない名だな、と思った記憶があります。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 8月 03日 金曜日 13:03:13)

 ここには、載っていないですね。2000.3現在。

気象庁・予報用語


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2001年07月27日

将棋倒し(道浦俊彦)

兵庫県明石市で起きた、花火大会での圧死事故で、日本将棋連盟から「将棋倒しという表現はやめて欲しい」という要望が出されてすぐ、産経新聞(と日経新聞)をのぞいて、この表現が姿を消しました。
こういった、「イメージの悪い比喩表現」に関して、使わない方が本当にいいのでしょうか?皆さんのお考えはいかがでしょうか?
(例)「お灸をすえる」「すし詰め」なども


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 27日 金曜日 13:46:51)

では「ドミノ倒し」だったら…、Lotusから苦情が来るかな?

Lotus Dominoのページ


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2001年07月24日

間髪・綺羅星・幽明境

 中日新聞2001.7.8(日)の書評欄に「幽明境の世界」とあり、おや、と思いました。大場みな子『ヤダーシュカ ミーチャ』(講談社)の書評(与那覇恵子)です。
 本文を読むと、「『夢かうつつか、うつつとも夢とも知れず』語られていく……まさに幽明境の世界である」とありまして、どうやら幽・明の狭間のことを幽明境とよんでいるのでありましょうか。

 「綺羅星の如く」が「綺羅星」という言葉をうみ、「間髪を入れず」が「間髪」と思われるように、「幽明、境(界)を異にする」も「幽明境」という言葉をうむのでしょうか。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 24日 火曜日 10:48:30)

市王寺幻想「幽明境をなす」
シュテファン・フッソング アコーディオン・リサイタル「幽明境にふみまどう」
文献目録「幽明境イメージ」


「幽明界」ということばは中国語にあるのかな。
googleで「打出幽明界」というのが出ます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 24日 火曜日 13:34:51)

『日本国語大辞典』の「きら-ぼし」の最古例、「*車屋本謡曲・鉢木(1545頃)「のぼり集まるつはもの、きらほしのごとく祗候せり」」は実際の清濁はどうでしょうか。濁点が記載されている例は浄瑠璃・文武五人男(1694)。昭和天皇即位のニュースフィルム(1928.11.10)では

殿上の各段には文武の顕官キラボシのごとく並んで陛下の出御をお待ち申し上げています。
となっていました。音声で確認できる古い例ではないでしょうか。


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 25日 水曜日 2:28:28)

中国語の例は, 閻魔に呼ばれた孫悟空が, あの世とこの世の間にある壁みたいなのを壊して帰っていった, というようなことではないでしょうか。
西遊記なら原文にあたって... と読んでいったけど, タイタニックと閻魔のノートパソコンがでてきたところであきらめました ^^;


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 25日 水曜日 14:49:29)

「幽冥界」は「吾輩は猫である」、小栗虫太郎「人外魔境」にあるんですね(大辞林にも)。

ゼームスなどに云わせると副意識下の幽冥界(ゆうめいかい)と僕が存在している現実界が一種の因果法によって互に感応(かんのう)したんだろう。(「吾輩は猫である」)

そこは、天はひくく垂れ雲が地を這(は)い、なんと幽冥(ゆうめい)の荒涼たるよと叫んだバイロンの地獄さながらの景である。(「人外魔境」天母峰)
いずれも「青空文庫」より引用。

「幽冥界」(=冥界)と、「幽明、界を異にす」との混淆として、名詞「幽明界」が生まれる可能性を思います。一方、「幽冥界」の同義語として「*幽冥境」があって、そこから「幽明境」というルートもありうるかと思いますが、「幽冥境」は見つけていません。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 25日 水曜日 15:37:41)

 ああ、「幽冥界」! 見落としていました。「幽明境」で辞書を引いた時には、「ゆうめいかい」は思い出せなかったのですが、ここの会議室に「かんぱつ・きらぼし・ゆうめいきょう」という題名で書こう、と思っているうちに、「かんぱつ・きらぼし・ゆうめいかい」と唱えている自分に気付き、「幽明界」だけ探したのでした。

 goo大辞林も、「幽明」と、漢字で引いたから出てこないわけです。


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 25日 水曜日 19:30:41)

中国語の例も「幽明界」かもしれません。
もとネタ(西遊記第三回) には「牌上有三个大字,乃“幽冥界”。」とありました。

第三回 四海千山皆拱伏 九幽十類尽除名


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 25日 水曜日 19:30:55)

中国語の例も「幽冥界」かもしれません。
もとネタ(西遊記第三回) には「牌上有三个大字,乃“幽冥界”。」とありました。

第三回 四海千山皆拱伏 九幽十類尽除名


posted by 岡島昭浩 at 10:31| Comment(1) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年07月11日

黒一点、白一点(道浦俊彦)

男性の中に女性が一人という状態をさして「紅一点」といいますが、その逆の女性の中に男が一人を、さて「黒一点」というのでしょうか、「白一点」と言うのでしょうか?
三省堂国語辞典、新明解国語辞典、広辞苑には載っていません。YAHOOやインフォシークでは、「黒」が8〜9割、「白」が1〜2割というふうな割合でした。
紅白歌合戦では男性は白組です。
みなさんはどちらを使われますか?


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 12日 木曜日 3:29:55)

ふつう緑一点ではないのですか?


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 12日 木曜日 12:18:58)

「ふつう」のありようが難しいと思います。

本来のところに戻れば、緑の中の紅一点ですから、逆は緑一点、となるのでしょうが、凡夫の中にいい男が一人居ても「紅一点」とは言わない現状を考えると、紅が女である、と捉えられ、では男性は? となると、黒か白かということになるのでしょう。

赤にたいするものとして、マイナスイメージを持つ場合は黒、プラス若しくは中間的なイメージで白、ということになるような気がします。

「女性陣に囲まれた黒一点です」というと謙遜している感じがしますが、「白一点です」というとなんだか自慢しているような、色男ぶっているような気がしてしまいますが、道浦さんはいかがでしょうか。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 12日 木曜日 13:59:14)

私も「黒一点」だと思ったのですが。「白一点だと、白髪頭の老人が一人というイメージ」という人もいました。
そもそも「紅一点」という言葉が生まれた時代に、「女性の中に男が一人」という状況は、「大奥」など以外にはあまり考えられなかったので、こういった言葉(黒一点」などというものがなかったのではないでしょうか?
小学生の頃(昭和40年代)、「おんなの中に、おーとこがひーとり!」などと歌って、はやしたりしましたが。

益山さんの「緑一点」は、もしかして、麻雀からの連想ですか?
「緑一色」。


たいのじ さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 12日 木曜日 14:08:35)

単に「万緑叢中紅一点」の逆ってことでしょ?


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 12日 木曜日 14:32:24)

 道浦さんが、たいのじさんのコメントのようなことを考慮に入れていられないようなのはちょっと残念ですが(Yahoo大辞林にも載っていますよ)、「紅一点」といえば女性ひとりのことと定着したのはいつ頃なのかを知りたいですね。

そんな大奥の時代のことではないと思いますよ。近代でも女性ではない「紅一点」がありますね。(日本国語大辞典参照)。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 13日 金曜日 8:06:28)

たいのじさんのコメントのようなことを考慮に入れていたかというと、まあほとんど入れてなかったでしょう。なんかそういうのがあったような気がするなあ・・・程度で。「麻雀」というのはまあ、そんなのなかったっけ?という程度の思いつきで。すみません。

しかし、日本国語大辞典でも、本来の意味(?)の用例で一番新しいのは1920年代だし、周囲の若い人に聞いてみても、「紅一点」の意味は「男性の中に女性が一人」の意味しか知りません。
「広辞苑」も「唯一つ異彩を放つもの。転じて、多くの男性の中にただ一人の女性がいること」とあります。
(「転じ」た意味の方が、良く使われているのでは?)

「ただ一つ異彩を放つもの」という意味であれば、「女性の中に男性が一人」の場合にも「紅一点」を使えそうなものですが、実際には使われていないでしょう。今や転義の「紅一点」の方が主流なのではないでしょうか?

それから、「緑一点」という言葉は実際に使われていた(いる)のでしょうか?

それに、元の意味の「唯一つ異彩を放つもの」の逆の意味ならば「ありふれて異彩を放たないもの」という意味になりますが、その場合に「緑一点」としても、「緑の中に緑一点」なのか、「紅の中に緑一点なのか」がわかりません。色が逆ならば「紅の中に緑一点」ですが、それだと、元の意味の「逆」=「ありふれている」にはなりません。やはり「唯一つ異彩を放つ」からです。
「緑の中に緑が一点」では目立たなくて「ありふれている」という、「本来の意味の逆」になりますが、そうなると今度は、「男性の中の唯一人の女」的な、「多くの女性の中に男が一人」という意味にはなりません。

そもそも「紅一点」の転義がいつごろ生まれたのか?岡島さんがおっしゃるように、知りたいところですね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 1月 07日 月曜日 22:36:06)

向田邦子さんは、「黒一点」を使っています。

 女がひとりで小料理屋に入り、カウンターに坐ってお銚子を頼むのは、ひとりで外国旅行に出掛けるぐらいの度胸がいる。
 そう言ったら、男がひとりでお汁粉屋に入り、満員の女客の中の黒一点としてあんみつ{4字傍点}を注文する時の度胸と同じだよと反論されてしまった。
(向田邦子『無名仮名人名簿』〔1980年発表〕文春文庫 1983.08.25 第1刷 p.65)
男を表す場合、私にとっても「黒一点」が一番理解しやすい表現です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 21日 土曜日 02:28:48)

目を隣の国に転ずると、韓国では「『男がひとり』のことを『青一点』と言います。『紅一点』は同じです」という証言を、留学生の人からもらいました。奥が深いですね。


益山 健 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 21日 土曜日 04:16:48)

その場合の「青」は何色なのでしょうか。みどりではないのでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 21日 土曜日 15:56:04)

それはうっかり聞き漏らしました。「緑一点」でなく、あえて「青一点」としてあるところから、てっきりブルーを頭に描いていました。

「白砂青松」などというところをみると、もともと漢語の「青」は、ブルーも表すし、グリーンも表すのでしょうね。(と思いますが、どうでしょうか)

朝鮮語(固有語)では、青と緑の区別はそもそもないそうです。すると、朝鮮語として用いられた漢字語の「青一点」は、なおさら、グリーンの意味で用いられやすくなっていかもしれません。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 09:16:26)

広辞苑(電子辞書版)で「青」の字を引くと、
| 会意。「生」(=草の芽ばえ)+「丼」(=井戸の中の清水)。草の芽や清水のような色の意。
| 「生」「丼」の一方を音符とする説もある。
とあります。
日本語でも青と緑の区別は本来無かったわけですよね。

「みどりの黒髪」とはどんな髪か?


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 10:17:33)

笑福亭鶴光師の落語のマクラに登場した、六代目笑福亭松鶴晩年の逸話ですが、
ある日突然松鶴師匠に「アオのマジック買うてこい」と命じられた弟子の一人
が「青」のマジックインキを買ってくると「ドアホ、これはアイやないか」と
としかりつけられた、で、今度はいますこし薄い色を買ってくると「これはソラ
色やないか、ドアホ」といって師匠は納得しない。しかたなく、売っている色を
みんな買ってきて差し出すと「あるやないか、ドアホ」といって手に取ったのが
緑色のマジックインキであった、というお話。

マジックインキの緑を「アオ」といった松鶴師匠が、色の呼称においてなにかの
伝統の中にあったのか、あるいは、視力減退などの個人的要因を抱えていたのか
は、その噺では判然としませんでした。
ただ、ちょっと前の人までは、たとえば信号機のあの色を「青」といわれても
不思議には思わなかったのではないでしょうか。
ちなみに六代目は大正7年生まれだそうです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 18:35:38)

かねこっちさんの話を読んで思い出しました。黄色をもアオと呼ぶという話ですが。

常見純一氏の調査による沖縄本島北部西海岸地方の挿話が紹介されている。お婆さんが息子の嫁に、「オール(青色)のタオルを取っておくれ」と言った。「そんなタオルはありません」「そこにあるオールのタオルだょ」。お婆さんの指したタオルは、常見氏には鮮かな黄のタオルに見えたとのことである。

佐竹昭広『万葉集抜書』「意味変化について」(『言語生活』204が初出とのことですが、どうやらこの部分は言語生活にはないようです)

また柴田武『生きている方言』の挿話も紹介されています。これは講談社学術文庫の『生きている日本語』では101-103ペ−ジ。

秋田の近藤国一氏が勤め先の学校から自宅に使いを出して、「机の上のアオイ表紙の本をこの人に渡してくれ」とメモしたものを持たせたら、当時七十何歳かだった母親から届いたのは、表紙の黄色い本だったという話を聞いた。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 18:44:20)

 信号機の色ですが、あれは地方によって、また作られた時期(また納入業者)によって色の違いがあるようです。青信号の色をJISで定めるということはしていないわけですね。
 高校の修学旅行の時に名古屋で見た信号の青さに驚きました。それまで九州で見ていた信号の色はもっと緑が強かったので、名古屋でみた信号があまりに青々していたので驚いたのです。アオ信号だからミドリじゃ変だ、という理窟言いが、大都会名古屋には居て、そうなったのだろうか、と高校生心に思ったのを覚えています。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 19:44:39)

信号の色は、昔グリーンで、徐々にブルーに近いグリーンに代わってきているようです。

〔緑信号を青信号と呼ぶ人が多いため〕そこで警察庁は47年、法律に出てくる「緑信号」ということばを「青信号」に変えるとともに、73年からは、信号機を取り換えたり、新設したりする時に、実際の色も「緑」から「青色と呼べるような緑色」に変えてきた。(朝日新聞夕刊 1989.11.29)
名古屋などでは早く取り替えが進んだということでしょうか。

なぜ緑信号を「アオ」というのか、あるとき(郁)という記者が疑問に思って「朝日新聞」夕刊 1993.10.7 に「緑信号と日本人」という文章を書いています。今これをデータベースで検索しても出てきませんが、こうあります。

古来、日本での色は春の青、夏の赤、秋の白、冬の黒の四色で代表されていたという。そこで、アオは青から緑まで広い範囲を表現したのだろうか?
 さらに、気象も影響しているようだ。日本は湿度が高い。その湿度が遠くのものを青く見せてしまう効果がある。水蒸気を多く含んだ大気中を通過する光は、より散乱され、青い色調を帯びたものになる。遠い山が青く見えるのはそのためなのだ。
これを読んで私は「何か、違う」と感じました。「クロ・シロ・アカ・アオが日本語の基本色彩語彙であるのはそのとおりだが、『青春・朱夏・白秋・玄冬』という考え方は中国のものであって日本のものではない、また、グリーンが水蒸気によってブルーに見えるからグリーンを『アオ』と呼ぶという発想は、グリーンとブルーを区別する人間のものであって、古代の日本語ではグリーンとブルーを区別しなかった、佐竹昭広さんという人の論文があるからお読みなさい」というようなことを、うらなくも投書した覚えがあります。その後、続編がまた夕刊に載りましたが、佐竹氏の論とは関係のない話が書いてあり、がっかりしました。これも今データベースで探しても出てきませんでした。


skid さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 22日 日曜日 20:41:21)

安全の象徴的な色としては緑色だから、青色の信号はちょっといただけない感じがしています。
しかし、黄色もアオというとは知りませんでした。
黄色と青色を混ぜると緑色になることとは関係ないのでしょうね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 23日 月曜日 00:46:08)

 警察庁の意図的なことだとは知りませんでした。私の名古屋への修学流行は1977年のことでした。でも、今でも地域差はあるように思います(気のせいかなぁ)。

 上記、黄色の挿話は、佐竹昭広『古語雑談』岩波新書にもありました。

 また黄色は、アオではなく、アカととらえられることもあったようです。青い蜜柑が赤く色づく。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2002年 12月 24日 火曜日 01:28:32)

金田一春彦『ことばの博物誌』文藝春秋1966(後の文庫『ことばの歳時記』)の4月23日の項(文庫では140ページ)「菜の花」に秋田・岩手県境の話が載っています。

「菜の花」ということばには黄色のイメージが強く焼きついている。ところが、秋田県・岩手県の境あたりに行くと、「菜の花がまっさおに咲いてうづぐすいなっス」など、土地の人が言うのを耳にする。菜の花が青いといっても、別に土地の人たちが色盲だからではない。これは国語学者佐竹昭広氏によると、昔、アオということばは今よりももっと広い意味に使われて青のほかに緑・黄なども含まれ、はっきりしない中途半端な色という意味を持っていたその名残りだという。
とあります。佐竹氏もこれには注意していて「秋田県鹿角地方には、黄色を「あおい」という習慣がある(大里武八郎「鹿角方言考」)。黄の概念に弱かった民族的伝統は、こんなかたちでも名残を留めているのだ」と書いています(「意味変化について」――前に岡島さんが引用された直前の部分です)。金田一氏は、それとは別個に現地で「菜の花がまっさおに……」を聞いたものでしょうか?


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 18日 土曜日 00:46:50)

そういえば、浅黄と浅葱は混同されて、黄色なのか水色なのかよくわかりません。
さっき、「積ん読」本の山から小松英雄著『日本語の歴史──青信号はなぜアオなのか』(笠間書院、2001年)を見つけました。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 18日 土曜日 01:47:18)

北原保雄『青葉は青いか』大修館書店、というのもありますね。もっともこれは全編その話題ではなく、表題作がある、ということですが。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 18日 土曜日 02:29:14)

柴田武『語彙論の方法』(三省堂、1988)p.79以下にも「色彩語彙の体系」という節があり、詳述されています。

また、鈴木孝夫『日本語と外国語』(岩波新書、1990)は、言語によって虹がいくつの色に分かれるかとか、フランスでは茶色のタクシーをオレンジというとかいった、たいへん興味深い内容が記されています。

今、小松氏の本をぱらぱら確認したところでは、柴田・鈴木氏の論には言及がないようです。佐竹氏には言及がありますね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 01月 17日 金曜日 21:44:30)

 小松氏は、鈴木氏の論を無視したのですね。たしか名前を出さずに批判していた記憶があります。『徒然草抜書』の中だったように思います。文庫化の際の加筆部分であったか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 02月 17日 月曜日 07:46:29)

福田恆存氏の文章です。1956(昭和31)年7、8月「知性」に発表されたとのことです。ここで触れられている「朝日新聞」の金田一春彦氏の文章を読んでみたいものと思います。

 最近、朝日新聞紙上である教師が「みどり」を「あを」といふ日本人の色彩感覚を軽蔑してゐましたが、それにたいして金田一さんは、といつても京助さんのはうではなく、春彦さんのはうが、反対意見をだしてをりました。なるほど「みどり」と「あを」とを混同し、一語に二色をこめるのはよくないかもしれぬが、それは言語の分析能力からのみ見た考へかたで、言語にはその分析能力と同時に綜合能力があり、それにしたがへば、「みどり」と「あを」の二色を「あを」の一語で代表させるのもいゝといふのです。その例として「黒靴」にたいする「赤靴」と映画の「赤い靴」では異るし、「赤土」「白土」の赤・白は「赤旗」「白旗」とは異るといつてをりました。私は卓見だと思ひます。
 「青い麦」「青畳」「青信号」といつても、私たちはそれをけつしてブルーと混同してはをりません。このばあひの「青」は「麦」「畳」「信号」と照応し、それとの結合の場において、はつきり緑と理解されるのです。日本人色盲説とは無関係です。逆に、言葉といふものは、ある一定の場が成立してゐなければ、ほとんど理解できぬといへませう。「米国最初の水爆投下実験」といふ新聞の見だしにしても、この「最初の」が水爆実験にかゝるのか、飛行機からの投下にかゝるのか、これは言葉からだけでは判断できないのです。
(福田恆存「金田一老のかなづかひ論を憐れむ」『国語国字教育史料総覧』国語教育研究会 p.500-501)
引用文中の漢字については、検索の便宜を考えて、福田氏の意に反するようですが、新字体にしてあります。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 04日 火曜日 06:08:50)

話が「青信号」にそれたままですが、柴田武著『面白くてためになる日本語常識』(三笠書房、知的生きかた文庫)にも載っていました。
この本は、『日本語を考える』(博文館新社)を加筆・再編集したものです。
見出しは、“「青信号」のくせに、なぜ「緑色」をしいるの?”。

   英語では、交通信号の色は red と green である。日本語では、赤と
  青である。以前、小中学校の図工の先生たちが信号の色を赤と青でいう
  のは図工教育をそこなうから、赤と緑に言葉を変える運動を起こした。
  それに対して、新聞の読者欄で活発な議論があり、国語検定教科書でも
  赤と緑を採用したものがあった。

「小中学校の図工の先生」というのは甚だ不審ですが、信号の色を変えるより「青信号」を「緑信号」に言い換える方向へ行こうとしたことがあったようです。
それから、“赤・青・白・黒──すべての色はこの「四色」のどれかには入る!”には「青=黄」について書いてあります。

   そのキセイレイには二種類あって、羽に白がまじっているのと黄がま
  じっているのとがある。正式の和名では、前者をハク(白)セキレイ、
  後者をキ(黄)セキレイという。
   ところで、糸魚川と地続きの長野県北安曇郡では、この二種をシラシ
  ゲ、アオシゲといい分ける。シラが「白」というのはわかるが、青とは
  何か。この場合、青は「黄色」のことである。
   岐阜県飛騨で黄菊のことを青菊という。同じ飛騨に、おなかが黄色い
  青バチがいるという(鏡味明克氏の報告)。国立国語研究所の『日本言
  語地図』で菜の花の色をたずねているが、青森県の津軽に「菜の花は青
  色」というところがある。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 03月 03日 月曜日 11:38:08)

訂正です。
誤……“「青信号」のくせに、なぜ「緑色」をしいるの?”
正……“「青信号」のくせに、なぜ「緑色」をしているの?”

キーボードが親指シフトかな入力のせいか、キーを速く打つとときおり反応が遅くて文字がとんでしまいます。

誤……“赤・青・白・黒──すべての色はこの「四色」のどれかには入る!”
正……“赤・青・白・黒──すべての色はこの「四色」のどれかに入る!”


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 29日 火曜日 15:20:01)

アルクの「日本語何でも質問箱」の「語彙・意味」の中に、「日本では「青」と「緑」の区別があいまいなのはなぜ?」というのが載っています。要点は、

1. 古代日本語の「あを」は一般には「黒と白の間」とされている
2. 狭く見ても現代語の「藍、緑、青」をカバー
3. 「みどり」は「あを」より指し示す範囲が狭かった
4. 「緑信号」は規則を改正して「青信号」と言うようになった
1と2との関係の説明がわかりにくいようです。「黒と白の間」のモノトーンだけが「アヲ」ではなく、鮮やかな「アカ」に対して、漠然とした色の総称が「アヲ」であると佐竹昭広氏は述べたものと理解しています。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 29日 火曜日 15:59:49)

今西 浩子『青の系譜 古事記から宮沢賢治まで』(横浜市立大学叢書 6)
東信堂 2002.12

という、国語学者による本が出ているようですが、どんな本でしょうね。


面独斎 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 30日 水曜日 07:30:40)

とりあえず、目次だけ……。

今西浩子『青の系譜――古事記から宮沢賢治まで――』(横浜市立大学叢書6、東信堂、2002.12.20)

序章 色と色の概念
第1章 青の系譜
 第1節 白馬の節会
 第2節 アヲという色
 第3節 アヲの呪術性
 第4節 アヲの地名
 第5節 「みどりご」と「みどりの黒髪」
 第6節 「きいろ」を「あお」と言う地方
第2章 アヲとミドリの言語史
 第1節 上代のアヲとミドリ
 第2節 中古のアヲとミドリ
     1 八代集の場合
     2 中古仮名文学の場合
     3 中古歴史物語の場合
 第3節 中世前期のアヲとミドリ
     1 説話の場合
     2 軍記物語の場合
     3 中世歴史物語の場合
     4 中世随筆の場合
 第4節 中世後期のアヲとミドリ
     1 お伽草子の場合
     2 謡曲・狂言の場合
     3 連歌の場合
     4 中世歌謡の場合
 第5節 結語
第3章 アオ・ミドリの漢字
    1 「青」について
    2 「緑」について
    3 「蒼」について
    4 「碧」について
    5 「翠」について
第4章 近代文学作品の中のアオ・ミドリ
終章 青は藍より出て……

追記
あとがき


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 30日 水曜日 08:24:51)

面独斎さん、ありがとうございます。やはり、ここでの話題に関連した本ですね。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2003年 04月 30日 水曜日 15:36:04)

菅原都々子の「月がとっても青いから」というのはどんなもんなんでしょうか(w


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 25日 日曜日 10:54:30)

長谷川町子『サザエさん』33(朝日新聞社)p.122にはこうあります。

(1)(先生が黒板に信号の絵を描く)
(2)先生「これから青{あお}といわずにミドリとよびましょう」
(3)カツオ(学芸会の練習で馬役に向かって)「ミドリよ」
(4)先生(駆け出て)「塩原多助{しおばらたすけ}は「アオ」でいいんだきみ!!」
この巻は「昭和41年7月から12月分までを収録しました」。つまり1966年の話ですが、何かこれにちなむできごとがあったのでしょうか。上のコメントで引用した

> そこで警察庁は47年、法律に出てくる「緑信号」ということばを「青信号」に変えるとともに、73年からは、信号機を取り換えたり、

と関係があるのかどうか。

「月がとっても青いから」は英語でいえば「pale」ですね。顔・月のアオを表すところでは中国語の「蒼」にどんぴしゃりという感じがします。英語の場合、顔色は名詞では「pale white」なのか「pale blue」なのか(前者かな?)。

がしかし、「蒼」はまた「鬱蒼」などというのですから、木々のアオも表すところでは「pale」と異なりそうです。また、現代中国語で「顔色が青くなる」は「発青」とか「蒼白」とかいうそうですから、「青」もpaleな顔色を表しうるわけです。

朝鮮語は、小学館『朝鮮語辞典』によれば、「プルダ」が「総称的表現で,空色,緑色,藍あい色も含む.基本的には青と緑の区別はしない」。また「パラッタ」は「(くっきりと鮮やかに)青い,非常に青い」。「恐ろしさのあまり顔が青くなった」は、「パラッタ」のほうに含まれています(が、おそらく「プルダ」でもいいのでしょう)。

ロシア語は、『改訂新版 博友社ロシア語辞典』の説明によれば、「синий」(シニー)は「(黒味をおびて)青い,こん色の,あい色の」。シアンの色ということか。「紺碧の空」「青い海」などに使われるほか「(皮膚がひどく青ざめたため)青黒い」の意味も。名詞「синева」(シニヴァー)は「空/水の青」などに使用。もっと薄いのは「голубой」(ガルボイ)で「空色の」。名詞は「голубизна」(ガルビズナー)で「空色,淡青色」。濃・淡の青を総称する言い方はないか? 「pale」にあたる語はまず「бледный」(ブリエドヌイ)で、「青白い,赤みのない」「生気のない,死んだような,生彩のない」。名詞は「бледность」(ブリエドナスチ)で「蒼白」「生彩のないこと」。他方、「green」に近いと思われる「зелёный」(ズィリョーヌイ)には「緑色の,青々とした,草色の」のほか「顔色の悪い,青ざめた」「植物の,野菜の,樹木の」「熟していない,青い」「未熟な,くちばしの黄色い」とあり、「green」とも微妙に違う模様。名詞「зелень」(ズィエリニ)は「緑色,青々とした色」「青草,草木,植物,緑の樹木」「青物,野菜」。


さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 16:42:24)

僕も黒と赤のイメージが強いです。
トイレの表示やランドセルの色が皆赤と黒なことからかなと思うのですが…
(ランドセルは最近変わってきましたね(^^))

"月がとっても青いから"という本があるのですね。
僕は岐阜県民なんですが、中日新聞で北村想さんが"月が照っても青いから"というコラム(エッセイ?)を書いておられて面白いです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 29日 木曜日 01:34:27)

「月がとっても青いから」は書名ではなく歌の題です、と書こうとして念のためamazon.co.jpを確かめると、菅原都々子さんについて書いたそのような本がでているのですね。知りませんでした。

この機会に、清水みのる作詞のこの歌詞をチェックしておきましょう:

*「夢をいとしく 抱きしめて」(2番)
「抱きしめる」にかかる連用修飾語は「ぎゅっと」「しっかり」「力一杯」「固く」「強く」など情態性をあらわすものばかりで、「いとしい」など情意性をあらわすものは異色。そこに詩情が出てくるのでしょう。

*「もう今日かぎり 逢えぬとも/想い出は 捨てずに/君と誓った 並木道」(3番)
「逢えぬとも」は「逢えずとも」が正解でしょう。接続のあやまりというわけ。

余談でした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 16日 火曜日 04:18:11)

「黒一点」についての記述です。柴田武『知っているようで知らない日本語 2』ごま書房 1987.12.20 p.22「紅一点」に

 どこの大学でも、文学部は女子学生が圧倒的に多くなり、男子学生は“黒一点”になりがちだという。この“黒一点”は、「紅一点」に対して作られた言葉であることは言うまでもない。〔略。紅一点の〕もとの意味は、“多くの同じようなものの中で、一つだけ異彩を放つもの”ということだ。だから、大勢の女性の中に、一人だけ地味でさえない男が加わっていれば、その男を「紅一点」といっても、けっして間違いではないわけだが……。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 25日 木曜日 09:13:11)

新村出『語源をさぐる』講談社文芸文庫 p.45以下「青空」に、

この空のアオは、時に緑とも歌や文にはよまれている。greenではないblueであり、詳しくいえばsky blueであるけれども、西洋のgreenにしても緑にしても必ずしも最初からgreenを表現したかどうかは、きまっていない。西洋のgreenあるいはgru¨nはしばらくおき、日本の緑は、もとはミズミズしいという言葉であって、漢字をあてるならば、淡という字があたる。
……
 さてそのアサギ色とは普通これもまた混同されがちであるが、一方では浅黄色と書かれ、また別に浅葱色とも書かれる。〔一茶の句などでは空を形容してアサギ色というが〕空のアサギは、第一に文字が示すアサギ色であって〔つまり空のことではなく「浅葱」の文字の通り葱などの色であって、ということか〕、日本の国語の歴史の上ではその方がより古い。ネギの色をキイロと称し、また根を尊重するからネギなどと称したが、古くはネブカのネギ、また同類の野菜を一般に概称してキといった。このキの色の薄いところから、アサギという色彩名ができたわけである。
ほか、色彩についての記述さまざま。この文章はもとは『語源をさぐる(1)』昭和26年3月刊、岡書院に載ったもののようです。


かねこっち さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 25日 木曜日 11:17:24)

英語に blue moon という言葉があるようです。
「長い間」という意味だそうです。
使い方がよくわかりませんが、辞書(ジーニアス英和辞典)には
once in a blue moon で、ときたま;めったに[ほとんど]ノしない(hardly)
などとあります。

「ブルームーン」でネットを検索しますと

>ひと月のうちに満月が2回あるとき、2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶ

などという記述がありました。
「めったにないこと」であるからなのでしょうか。
「月がとっても青いから」の作詞者清水みのるさんが「blue moon 」を意識して作詞
したかどうかはわかりません。

そういえば、ブルース・ウィリスが主演するドラマに「こちらブルームーン探偵社」というのが
ありました。
この社名などは、英語を母語とする人はどのように感じるのでしょう。

http://www.astroarts.co.jp/news/2001/12/27nao509/index-j.shtml


UEJ さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 25日 木曜日 12:30:20)

とりあえず辞書より引用。

ランダムハウスより

blue moon
【1】青い月:高層大気の微粒子によって起こる現象.
【2】《話》長い間.

英辞郎より

blue moon
ブルームーン、娼家、赤線地帯、非常な長期間


新会議室「色をあらわすことば」

posted by 岡島昭浩 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年07月07日

「ハワユー」「ハワユー」(Yeemar)


恩師かつてアメリカに渡りたまいし時、ホテルのメードに「ハウアーユー」と言われ、とっさのことで、ついおうむ返しに「ハウアーユー」と返されたそうです。日本語で「こんにちは」「こんにちは」とあいさつを交わす感覚だったということですが、「はたしてあれは正しかったのかね。アイム・ファインとか何とか、言うべきじゃないのかな、ああいうときは」。

「別によろしいんじゃないでしょうか。中学で習う『アイム・ファイン・サンキュー、エンジュー?』というあいさつは今どき使われていない、と聞いたことがあるような気がするようなないような」
「君の意見はいつも頼りないね」

「ハウアーユー」「ハウアーユー」というあいさつは、英語圏であり得るのでしょうか。



UEJ さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 08日 日曜日 23:28:07)


現在米国コロラド州在住ですが、「ハウアーユー」「ハウアーユー」とのやりとりは聞いたことがありません。
また、返答としての「fine」もあまり聞きません。
私個人の印象としては「I'm fine」と言うと「私はいつも通りだ、ほっといてくれ」
といった冷たいニュアンスになってしまうような気がします。
「fine」の代わりに「good!」とか「very well!」という返答が帰ってきます。
「And you?」も使わない、代わりに「How about you?」です。
でも国によって、あるいは州によっても多少違うでしょう。
米国では一応中西部の英語が標準英語(テレビとかで使う英語)に最も近いらしいですが。

それにしても学校で習う英語が正しいとは限らないですね。
「してはいけない」は「may not」ではなく「must not」を使いなさい、
「may not」は「する必要が無い」の意味だ、と習いましたが
家の近所には
「Trucks may not use XXX Pkwy(XXX通りはトラック通行禁止)」
という標識があります。



吩表 宗 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 11:59:50)


・ォ・��ユ・ゥ・[]ヒ・「、ヒカシコマ1ト熙ッ、鬢、、、、゙、キ、ソ、ャ, ・ケゥ`・ムゥ`、ヌ・ハンバーガー(ファーストフード)ク、ヒ゜、ヨ、ソ、モ、ヒ。クHow are you doing?。ケ、テ、ニムヤ、、いす[]ホ、マ, 、、、゙、タ、ヒ禅、いず、サ、�」、ト、、。ク、ニ、皃ィ、ホヨェ、テ、ソ、ウ、ネ、ォ。ケ、ネムヤ、、、ソ、ッ、ハ、� :-) ヌー、ヒ゜、�ヌ、[]ヒ、ャコホ、ネ、、、ヲ、ォモQイいすキ、ニ、[]ネ, 、荀テ、ム、遙クpretty good。ケ、ネ、ォ、ハ、�ネ、ォ、、、テ、ニ、[]゚、ソ、、、ヌ、ケ。」
ヨミケ�Z、ヌ饑ソレメサキャ。クノマトト��ネ・?。ケ、テ、ニツ└ォ、いすソ、ネ、ュ、�, 、荀テ、ム、��オエ�ャ・・�ニ・�ン、コ、いすニ、キ、゙、、、゙、ケ。」



益山 健 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 12:38:13)


ありゃ, 化けた。

カリフォルニアに都合 1年くらいいましたが, スーパーでレジに並ぶたびに「How are you doing?」といわれるのにはいまだになれません。つい, 「てめえの知ったことか」といいたくなります。前の方に並んでいる人が何というか聞き耳をたてていると, やっぱり「pretty good」とかなんとか言っているみたいです。

中国で, 開口一番「Ni shang nar qu?」と聞かれたときも, 返答がワンテンポずれてしまいがちです。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 13:36:59)


ありがとうございます。やはり「How are You?」と聞かれたら、おうむ返しではだめで、何らかの答えを用意しなければならないのですね。その際は「Good!」か「Very well!」で答えるのがお勧めということですね。

スーパーマーケットで「How are you?」と聞かれるのは素晴らしいと思います。問いかけられれば、それに答えることでコミュニケーションが成り立ちます。

日本人がレジで黙っていることについてポール・スノードン氏が文章を書いていますが(こちらに取り上げました)、私も非常に不気味な光景だと思います。

日本語では店員さんの挨拶は「いらしゃいませ」「ありがとうございました、またお越しくださいませ」で、疑問形にならず自己完結しているため、客のせりふが入る余地がないのかもしれません。

「Ni shang nar qu?」は「どこ行くの?」ですね。「ちょっとそこまで」は訳しにくいのではないでしょうか。


posted by 岡島昭浩 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

志賀直哉(山田)


志賀直哉の作品「城の崎にて」という一文に「動騒」と言う言葉があるのですが、どこの辞書引いても載っていません。
一体どんな意味でしょうか教えてください。



岡島 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 07日 土曜日 23:38:15)


 『日本国語大辞典』でも、「城の崎にて」の用例だけですね。

自分が願っている静かさの前に、ああいう苦しみのあることは恐ろしいことだ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。

 「騒動」との関係については、鈴木丹士郎「『簡単』と『単簡』と」(『専修大学人文科学研究所月報』)という論文にふれてあるようですが(いま未見)、「動静」という語との関係もありそうに思われます。



天野修治 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 08日 日曜日 3:38:27)


おぼろげな記憶に頼って言うのですが、「簡単」はたしか漱石の作品で見て、当時の作家たちの茶目っ気だろうと理解していました。おそらく「動騒」も単純に「騒動」の逆さ言葉(?)と理解していいのではないかと思いますが、どうでしょうか。



天野 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 08日 日曜日 3:40:51)


失礼。私の文章の「簡単」は「単簡」と書いたつもりでした。



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 16:56:42)


 「単簡」は茶目っけではないと思います。漱石以前からありますし、真面目な文脈でも使われます。

 軍隊用語にもあるようですが、これは隠語である、と説明されることもあるようです。

 「城の崎にて」ですが、「騒動」では、やや醒めた目といいますか、対岸の火事のように見ている気がしますので、それを「動騒」と言い換えた、ということはあるかもしれません。



天野修治 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 10日 火曜日 8:13:45)


茶目っ気、というより、言葉に対する軽い「気取り」、と言ったほうがよかったかもしれません。
いずれにしても私の感覚的な印象にすぎません。
手元の広辞苑には「単簡:てみじか。簡単。(主に明治期に使われた語)」と載っていました。一方「簡単」は、同じ広辞苑に「こみいっていないこと。てがるなこと。てみじか。」とあります。
ここから両者の意味の違いはとりにくいのですが、あるとすれば「簡単>単簡」でしょうか。
「動騒」は載っていませんでしたが、「騒動」と「動騒」の違いがあるとすれば、やはり「騒動」の意味のうち、特定の意味に限って「動騒」を使ったのかもしれませんね。
また、逆さ言葉として隠語で使っているうちに特定の意味に限られてきた、ということも多いにありそうです。
何か分かりましたら、ご教示下さい。


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2001年07月06日

「にぎる」と「つかむ」(ようこ)


みなさんは「にぎる」と「つかむ」の違いについて、外国人に説明するとしたら何と説明しますか?教えて下さい。



かねこっち さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 07日 土曜日 11:34:03)


離れたところにあるものを手を伸ばしてとってにぎることを「つかむ」っていうような気がします。
「にぎる」はすでに手元にある場合に使う言葉じゃないでしょうか。
「離れている」のを「つかむ」のは心理的な隔たりでもオーケーに思えます。
また未知が既知に変わるような場合も使うのではないでしょうか。
「聴衆の心をつかむ」「文意をつかむ」などのように。
でもって、お寿司やおむすびはご飯を手にとってから加工するから、この場合は「にぎる」という、とか(笑)。

野球でも野手が打球をとった場合にアナウンサーなんかが「センターバックしてこちら向き、つかみました!」って中継がありますし、グラブの中の球は「ピッチャーボールをにぎりなおして・・・」なんていいそうじゃないでしょうか。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 07日 土曜日 22:53:51)


参考書を見ず、自分の直感を試すつもりでコメントしますことお許しください。

「にぎる」は、何かを捕捉する意志がなくても使用可能のようですね。「手を固く握りしめた」のように。「つかむ」は、何か捕捉対象が必要です。「手をぎゅっとつかんだ」というと、泥棒の手を警察官がつかんだような場合をいうのでしょう。この点を私は最も重要視したいです。

対象物がある場合、「にぎる」は片手で対象物を包むように捕捉する。「つかむ」は、両手で捕捉してもOK。「両手を広げて風船をつかんだ」など。

「にぎる」は手でないと駄目。「つかむ」は、道具を用いて捕捉してもよい。「火箸でたどんをつかんだ」など。



道浦俊彦 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 16:26:56)


辞書をひかずに、直感的なことを申し上げます。
「にぎる」も「つかむ」も、どちらでも使えるものもありますが、「にぎる」は手のひらのうちに入るもので、5本の指を使うもの、「つかむ」は、手のひらから、はみ出してもよいし、5本の指を使うとは限らないもの、という感じがします。
「にぎる」では「手に汗握る」がありますが、「手に汗つかむ」はありません。「拳をにぎりしめる」はありますが「拳をつかみしめる」はありません。「にぎり拳」はあっても「つまみ拳」がないように。
「握り飯」はあっても「つかみ飯」はありませんね。
Yeemarさんがおっしゃる「意志」とは別に、形状・形態からも差があるのではないでしょうか。
「ロープをつかむ」のは、別に2本の指でもいいですが、「ロープを握る」は5本の指が必要です。
もちろん、身体障害があって指が欠けていて5本ない場合は、比喩的にそれに準じて「にぎる」も使えると思います。

以上は、文字どおりの「にぎる」と「つかむ」の違いで、比喩的に使う場合「夢をつかむ」などの場合は、かねこっちさんのいうように距離的なものが関わってくるのではないでしょうか?(「つかむ」は遠くのもの。)「夢をにぎる」はないですが「夢をにぎりつぶす」はあるような。
いかがでしょうか。


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2001年07月05日

ふりちん(道浦俊彦)


下(しも)の話で恐縮ですが、男性が下半身をむき出しにした状態を、皆さんは「ふりちん」と言いますか?それとも「ふるちん」と言いますか?私が子どもの頃、大阪府堺市では「ふるちん」でしたが、その後、正しくは「ふりちん」らしいことを知りました。「ふるちん」の「ふる」を私は「フルちん」、つまり、英語のfullだと思ってました。満塁を「フルベース」と言うように、全部出しちゃった状態だと思っていたのです。「振るから」というイメージもあります。
うちの親父(昭和10年生まれ)は「ふりちん」と言ってましたが、今、埼玉出身の30才と神戸出身の27才の後輩(男性)に聞いたところ、二人とも「ふるちんです」と答えました。
私は今年40才。ある世代から「ふりちん」が「ふるちん」に変ったのでしょうか?
情報、お待ちしています。



佐藤 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 05日 木曜日 23:20:35)


私はどっちだろう…… フリチンかな。(ちょっと悩みます……)埼玉出身。

↓辞書で調べた人もいるようです。意外にもにぎわっているようですね。


Google「ふるちん ふりちん」



岡島昭浩 さんからのコメント

( Date: 2001年 8月 26日 日曜日 23:07:55)


 見坊豪紀『ことば さまざまな出会い』(三省堂1983.11.20)の、「行先」「ゆくさき」「いきさき」を見て、ここのことを思い出しました。古くは「ゆきさき」で、若い人は「いきさき」であるようです。


ふるちん


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2001年07月01日

「たとえば」と「for example」(Yeemar)


英和辞典を引くと、「for example」は「たとえば」と載っています。

日本語の「たとえば」は、冒頭で使うことができます。たとえば、次の例はそうなっています。

 高橋昭・三省堂国語辞書出版部長の話 例えば、女は女性のこと、で済ませるのでは不親切なので、どんな場面、環境で使われるかを考え、語感の違いを際立たせようとしたあまり、一部読者に不愉快な思いをさせてしまった。言葉は社会との関係で日々動いており、「貞淑」の説明なども、確かに現在の感覚には合わなくなってきている。短いスペースの中で、どう表現するかむずかしいところだが、読者の方たちの意見を入れて、よりよい辞書にしていきたい。
(「三省堂「新明解国語辞典」を手直し」朝日新聞夕刊 1984.11.30 p.18)
ところが、私が大学で習った英語の先生(日本人)は、冒頭で「for example」を使うな、とたびたびおっしゃいました。授業中、学生に英語で質問したことに対し、学生が「For example...」で始めると、「No, no」と注意されました。「○○は△△である。たとえば、……」というように、まず命題を述べて、そのつけたしとして具体例を示すときに「for example」を使うのである、と(たしかそうだったと思います。なにしろすべて英語で言われたのでよく分かりませんでした)。

『新明解国語辞典』をみると、「たとえば」は、「前文に述べた趣旨を客観的に証明するに足る例をあげることを表わす」として、「やりたくない事は、友達みんなが参加してもしない。――〔=卑近な例をあげるならば〕塾はいやだって、行ってません」などの例を挙げています。つまり、命題を述べ、その具体例を示すという順序です。森田良行『基礎日本語 2』でもそのような例のみ載っています。

しかし現実には日本語には「たとえば……」で始まる文章もあり、自然です。とすると、英語でも冒頭で「For example...」とやるのも自然な場合もあるのではないかと思います。実際のところはどうなのでしょう。



ののまる さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 02日 月曜日 14:55:54)


日本語話者の場合、周辺的な話題を導入にして主題への道筋を付ける表現方法には特に違和感を感じませんが、
まず主題を先に述べてその後で理由や例を述べる英語の場合、違和感があるのではないかと思います。
特に "example" は、「これに勝る例が少ない典型例」というニュアンスなんで、冒頭に用いると「何の典型例なんだ??」ってことで混乱するのではないかと思います。

辞書(『ランダムハウス英和大辞典』第2版)を見ると、こんな例が載ってました。
If you were to go to Itary, for instance, you would get a different perspective on our culture.
「例えばイタリアに行くようなことがあれば、我々の文化について今とは違った見方をするようになるだろう」
instance は「一般的な例、必ずしもベストな例でなくてもいい」というニュアンスのようなので、
後半の趣旨を強調するために使われる仮定的な例を示す「例えば」に相当するものとして、挿入されているのだと思います。

そのほかにも、日本語の「例えば……とする」のような、最初に事柄を設定するような言い方ならば、
"Let us suppose that..." 等の表現があります。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 02日 月曜日 20:46:55)


ありがとうございます。「For example...」と語り始めるということは、日本語で言えばさしずめ、いきなり「典型例を言うならば……」と語り始めるのに似た違和感があるのだというふうに理解しました。

もっとも、
「冷房をがんがんかけているのに涼しくならないということがありうるでしょうか?」
「典型例を言うならば、そこが屋外だった場合は涼しくならないでしょう」
というふうに、言おうと思えば言えてしまうところが、日本語の日本語らしいところでしょうか。

渡辺真知子が20年前に「たとえば…たとえば〜」と冒頭から歌っていたのも、「For example...」ではなく「If..., for instance, ...」か「Let us suppose that...」と訳すべきなのでしょうね。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2002年 2月 02日 土曜日 23:05:18)


NHK「ポップジャム」(2002.02.02 放送)で、LISAという歌手がゲストとして出ていました。

彼女はよくファンから相談を受けるそうで、司会の堂本光一さんに「何か印象に残っている相談はありますか」ときかれて、LISAさんは「For exampleね……」と話しはじめました。

LISAさんは東京生まれ、コロンビア系ハーフのシンガーとのことですが(NIFTY MUSIC CHANNEL)、どのような言語環境で育ったのでしょうか。


posted by 岡島昭浩 at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「酷い」の読みは?(斉藤)


漢字の読みについて、以前からすこし気になってたことを
すっきりさせようと、インターネット上をさまよってこちらに
流れ着きました。掲示板の趣旨に沿っていればいいのですが。

「酷い」の読みについてです。私はこう書かれていると、
「むごい」と読んでしまうのですが、どうも「ひどい」という
読みとして書かれている場合が多いように思われます。
どちらもほぼ同じ意味で文脈からの判断が微妙なのですが、
「むごい」のほうが「ひどさ」が強いので、そこまでは
言っていないだろうと、改めて「ひどい」と読み直すのですが、
どうもすっきりしません。

「ひどい」は「非道」から来ていて、漢字で書くなら「非道い」
だと思っていたのですが、簡単な国語辞典でも「ひどい」は
「酷い」とされていて、Microsoft IMEのかな漢字変換でも
「酷い」しか出てきません。

私が求めているすっきりする結論というのは、

1. 「ひどい」は「非道い」であり、「酷い」は間違っている。

もしくは、

2. 「ひどい」を「酷い」と書いても間違いではないが、紛らわしい
ので注意深い書き手は「非道い」もしくは「ひどい」を使う。

のいずれか辺りなのですが、

3. 「むごい」は「惨い」であり、「酷い」と書いてあれば、当然
「ひどい」と読む。

が一般的なのではないか、と恐れています。

世の中の常識はどのあたりにあるのでしょうか?



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 01日 日曜日 10:41:29)


同じ漢字を当てていても、「辛い」(からい・つらい)、「上手」(うわて・かみて・じょうず)のように(1)〈意味がはっきり違い、使用場面に住み分けがある〉場合はいいのですが、おっしゃるように「酷い」(ひどい・むごい)とか、「強請る」(ねだる・ゆする)、「歪む」(ひずむ・ゆがむ)のように、(2)〈なまじ意味が似ており、しかしニュアンスが明確に違う〉場合に同じ漢字が当てられていると、どうも困ります。

「娘に腕時計を強請られた」というと、怖い娘かもしれないと思います。

「避ける」(さける・よける)、「濯ぐ」(すすぐ・そそぐ・ゆすぐ)のように、(3)〈意味は同一ではないが、いずれで読んでもそれほど支障がない〉場合もあると思います。

もっとも、(1)〜(3)は程度問題でありましょう。「歪む」はむしろ(3)かも。「辛い」も、中には迷う例もあります。

「ありふれた答えですが率直に申しあげて〔文学賞受賞は〕たいへん嬉しいわけであります。しかしその嬉しさというのは」
 記者たちがいっせいにメモをとりはじめた。
 「天の一角から幸運が舞いおりてきたとか初めてやった競馬で大穴を当てたとかいう場合の天真爛漫な突拍子もない嬉しさではなく、おのずから苦さや辛さが尾を引いてきていてそこから解放されないままの嬉しさであります。〔後略〕」
(筒井康隆「大いなる助走」文藝春秋 p.193)
上に「苦さ」とあるのがヒントになりますが、感情について書いてある部分なので「つらさ」も行けそうです。ちなみに原文には「から」とルビが振ってあります。



Yeemar さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 02日 月曜日 21:00:55)


臭い(におい・くさい)は、意味も違うし、品詞すら違うのですが、「牛乳が腐って、すごい臭いです」とあると、どう読めばいいのか迷います。これは(1)と(2)の中間あたりに位置する例でしょうか。旧仮名遣いなら「臭ひ」「臭い」で区別できますが。



岡島 昭浩 さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 03日 火曜日 15:46:29)


 世の中の常識を探るのは難しいですね。とくに、このような漢字のあて方のような〈知識を必要とする常識〉は。「常用漢字の音訓表にない言葉は、全部仮名書き」という常識とは別のところにあるわけですから。

 「ひどい」が「非道」から来ているのであっても、別の漢字を「ひどい」と読んではいけない、ということはないわけですから、「酷い」を「ひどい」と読ませようとしてもよいわけです。ただ、注意深い書き手(読み方をきにする書き手)は、「ひどい」と仮名書きを使うか、振り仮名を打つか、するでしょう。


#「臭い臭ひ」、そういえば、旧仮名変換(qkana.sed)の時に、問題になりました。

#「常用漢字音訓表にない」で思い出したのですが、漢字検定試験って、「常用漢字音訓表にない読みを書け」というような問題が出るんだそうですね。そういえば「常用漢字音訓表にない言葉を漢字で書きたいと思ったら、常用漢字外の漢字を使う(あるいは音訓表で音のみの字を使う)」という意識も、あるような気がしています。



かねこっち さんからのコメント

( Date: 2001年 7月 03日 火曜日 23:50:48)


漢語の和訳という観点からすれば、「酷い」は「つらい」「きつい」「きびしい」
なんていうのもありうるんじゃないでしょうか。

たとえば「酷暑」「酷評」などの「酷」を和語でいう場合、「ひどい」「むごい」だけでは「酷」という漢字のニュアンスが完全にうつせるとは限らないと思います。
書き手が「酷い暑さ」「酷い評」に「つらい」「きつい」「きびしい」などのルビを用いるのは別にかまわないんじゃないでしょうか。

もとは中国語でしょうから、場合によって対応する和語も違って当然じゃないでしょうか。


posted by 岡島昭浩 at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2001年06月27日

夜ごはん(道浦俊彦)

最近(というか、も5,6年以上前から)「夕ごはん」に代わって、「夜ごはん」という言い方が、かなり普及してきたと思いますが、まだ辞書には載っていないようです。(「辞書にない言葉」に載せるべきだったかもしれません)
これに対して「晩ごはん」という言い方もまだ「生きている」と思うのですが、この「夜ごはん」を使う人の年齢、地域差などについて、何か情報をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか?

検索エンジンで調べたところ、YAHOOでは「夕ごはん」が4460件、「夜ごはん」は4410件、インフォシークでは「夕ごはん」1804件に対して「夜ごはん」は2181件、LYCOSでは「夕ごはん」70件に対して「夜ごはん」547件。
若い人の方が「夜ごはん」を使うような気がします。

「夜」や「晩」にご飯を食べることはあっても、「夕方」にご飯を食べることが減ってきた(特に都会では)ことと関係があるのでしょうね。都市部と農村部では、「夜ごはん」の死用品dに差があるのではないでしょうか。

長くなってすみません。よろしくお願いします。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 27日 水曜日 13:00:12)

↑下から3行目、「使用頻度」です。「死用品d」ではありません。
失礼しました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 27日 水曜日 23:18:38)

私自身は下のような体系を持っていると思います。

 a、朝b、昼c、夕d、夜
1チョウショクチュウショクゆうショクヤショク
2あさめしひるめしゆうめし――
3――――ゆうハン――
4あさゴハンひるゴハンゆうゴハン――

dはあくまで受験勉強などの時の臨時のものですが、「夜ごはん」というと、4dに当たる言い方のような気がしてちょっと気持ち悪いです。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 28日 木曜日 1:03:05)

「夜ごはん」は、私も、違和感がありますね。

体系としては、Yeemarさんとほぼ同じですが、cに、「バン(晩)めし」「バンゴハン」が
入ります。「バンショク・バンハン」は言いません。さすがに「晩餐」は、”自分のコトバ”
という気はしません。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 28日 木曜日 10:49:38)

辞書で「朝ごはん」「昼ごはん」「夕ごはん」をひくと、
「○○めしの丁寧な言い方」
という風に出ていますので、Yeemarさんの体系の中では、そういう区別が出来るでしょう。ところで、「晩ごはん」の位置づけは、どうなるのでしょうか。「夕」と「晩」は時間帯が違うのでは?

また佐藤さんのいう「晩餐」に対しては「午餐」というのもありますね。どちらもあまり体験したことはありませんが(おそらく)。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 28日 木曜日 22:55:10)

下記ページに1960年からの食事時間の変化についての統計データがありました。
→「食事の時間帯
平均夕食時間は18:48から19:20と32分遅くなっているそうです。
私の感覚からいくと6時台はぎりぎり夕方、7時はもう夜(季節によって多少ずれますが)、なのですが
皆さんは如何でしょう。

また、
「今日の晩(今晩)、何食べよう?」
「今日の夜(今夜)、何食べよう?」
とは言うけれども
「今日の夕方、何食べよう?」
とはあまり言いません。「今夕」は論外。


小矢野哲夫 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 04日 水曜日 9:26:52)

ボクの体系は
「朝ごはん」「昼ごはん」「晩ごはん」

「朝めし」「昼めし」「晩めし」
です。
娘が小学生のころ(1988年ごろから)「夜(よる)ごはん」と言っていました。
違和感はありません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 05日 木曜日 8:49:26)

佐藤さんのコメントを拝見して、バンめし・バンゴハンが抜けていたことに気づきました。待てよ、「ゆうゴハン」は言うが「ゆうめし」は言わないなあ、と自省し、表を書き換えてみました。

 a、朝b、昼c、夕d、夜
1チョウショクチュウショクゆうショクヤショク
2あさめし
 
ひるめし
 
バンめし
(ゆうめし)
――
 
3――――ゆうハン――
4
 
あさゴハン
 
ひるゴハン
 
ゆうゴハン
(バンゴハン)
(?よるゴハン)
 
5――おひる――――

私の感覚では「晩(バン)」は「日暮れ。夕方。」(『大辞林』(1))の意識もあり、夕方に食べるご飯に使って差し支えありません。

やはり「よるゴハン」は遅い食事という感じがします。

a-5に「あさ」、c-5に「よる」が入るような気もしますが、「おれ、朝、食べてないんだ」の「朝」は時間帯であり、食事ではないとみました。b-5「もうお昼にしましょう」は、食事であると思います。「もう夜(朝)にしよう」は言わないように思います。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 05日 木曜日 10:30:23)

「夜ごはん」は、あきらかに「夕ごはん」あるいは「晩ごはん」のかわりに使われています。「夜食」とは異なります。
「三度三度食べるおまんま」のうちの一つです。
「夜食」は「おやつ」と同じく、「間食」に分類されるでしょう。
「夕ごはん」「夕飯」の食べられていた時間帯(夕方)に、その食事を取らなくなったことが、やはり「夜ごはん」が出てきた最大の理由ではないでしょうか。
「〜めし」の丁寧な形が「〜ごはん」ですよね。どちらかというと、「ご」がついていることからも判るように、女房詞系で、以前は女性と子どもが使っていたのが、男性も使うようになったのでしょう。
だから「夜ごはん」という人を見ると、女性か子どもが多い気がします。
大の大人の男性は「夕はん」とか「晩めし」を、普通の会話では使うのではないでしょうか?どうでしょう?


夜ごはん さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 8:56:04)

道浦さんがおっしゃるように「夜ごはん」は「晩ごはん」や「夕飯」と言う代わりに使われている言葉です。決して晩ご飯のあとに食べる夜食のことではありません。


小矢野哲夫 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 10:44:54)

上の「夜ごはん」はボクでした。記入欄を間違えました。すみません。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 13:34:11)

私は、「よるごはん」を4dに書いてみたのですが、これは自分は「よるごはん」は使わないけれど、あえて言うなら4dで言うだろう、という意味で申しました。誤解を与える書き方でした。失礼しました。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 16:00:07)

なるほど。了解しました!


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 09日 月曜日 16:01:25)

 私も自分の感覚を書きますと、「よるごはん」は使わず、使っているのを聞くと、幼い感じを持ちます。あるいはふざけているような。なお、私はふざけて「チュージキ」を使います。「ゆうげ、ばんげ」もふざけて。

「そろそろ夜にしよう」は言いませんが、昼飯を食べながら、「よる、どうしようね」とは言います。


小矢野哲夫 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 10日 火曜日 14:14:42)

「ばんげ」は鳥取県倉吉市の言葉で「夕方」のことを意味します。
もちろん、「晩餉どき」ということでしょうね。
「もうばんげになったけ、かえらいや」(もう夕方になったから、帰ろうよ)
インスタント味噌汁に「あさげ、ひるげ、ゆうげ」というのがありますね。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 10日 火曜日 19:56:00)

小矢野さんの書き込みで思いだしました。「時分時」。

だれかのエッセイで、昼食を意味する、と書いてあったように思うのですが、こちらの方は思い出せません。

ちょっと脱線かな。この情報。

大辞林 第二版(goo)の「じぶんどき」


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 10日 火曜日 23:49:54)

久世光彦『ニホンゴキトク』(講談社)でありましょう。

 辞書を引いても、ただ食事の時刻としか書いてないが、朝御飯や夕飯にはあまり使わないのが《時分どき》の面白いところである。はじめに引用した向田〔邦子〕さんと青木玉さんの例文でも、これは昼御飯である。家庭によって習慣の違いがあるから、幅をとって、だいたい午前十一時から午後一時までが《時分どき》ということになる。私の母は昔から、この時間帯に他家を訪問してはいけないと、うるさい。(p.45-46)


OG3 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 11日 水曜日 10:22:43)

「時分どき」が昼食時を意味することがほとんどであるのはこの言葉の使われ方によるものだと思います.
大阪落語の「軒づけ」に,寝しなに茶漬けを食べているお婆さんに「時分どきに邪魔してすまんな」とことわる台詞があります.


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 11日 水曜日 14:29:50)

>大阪落語の「軒づけ」に,寝しなに茶漬けを食べているお婆さんに「時分どきに邪魔してすまんな」とことわる台詞があります.

面白いですね。「時分どき」を昼食時に使うのが一般的であるだけに面白い。「寝しなに押し掛けて、時分どきも何もあるかい」という感を持ちます。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 11日 水曜日 16:40:26)

Yeemarさん、ありがとうございました。ご明察です。

朝っぱらや、夕方・夜には、他家にでかけない(=昼間が誰しも活動時間帯)ことによるのでしょうね。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 11日 水曜日 16:57:02)

 お、佐藤さん。新サーバーでの書き込み第一号です。

 この時分どきは夜ですね。このページ、IEから性的表現を含むページと指摘されました。

蘇るサーバー


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 11日 水曜日 17:31:17)

>お、佐藤さん。新サーバーでの書き込み第一号です。

わ〜ぃ。
いやぁ、それにしても随分スムースになりましたね。めでたし、めでたし。

ご祝儀(?)で、夜とおぼしい例を。「三人の呑んべえたちが〜」の段落です。

■ GWはこれを読め! by 元木昌彦


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 22日 月曜日 15:05:41)

「サタケさんの日本語教室」(佐竹秀雄著・角川文庫2000・3)の23ページに「夜ごはん」が取り上げられていました。やはり生活時間が遅くなっていることで「夜ごはん」が出てきたのではないか?ということです。佐竹先生(武庫川女子大学言語研究所所長)は、「晩と夜を比べると、夜の方がおしゃれ。こんなことも晩より夜が好まれる理由かもしれない」と書いてらっしゃいます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 23日 火曜日 22:24:04)

文学作品に見る「夜ごはん」です。

私は先に帰るので二人で夜ごはんを食べてきたらどう、とすすめたのだけれど、華子も惣一も揃{そろ}って否定した。(江国香織『落下する夕方』〔1996.11発表〕角川文庫 1999.06.25 p.209)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 22日 月曜日 02:53:01)

Yomiuri On-Line関西「ことばのこばこ」2004.01.26に「夜ご飯と夜飯」(米川明彦氏)があります。「夜ご飯」は「どうも最近は若い世代では一般的らしい」。

「夕飯」「夕ご飯」「晩飯」「晩ご飯」に新たに「夜飯」「夜ご飯」が加わったことになる。
ということですが、「ゆうめし」と「ゆうはん」を分ければもう1つ多くなりますね。


skid さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 22日 月曜日 04:06:53)

松井栄一先生の『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」』(小学館、2004年)に、
  第五章 朝・昼・晩、三食の呼称と表記を調べる
がありますが、残念ながら「夜ごはん」については触れていらっしゃいません。


hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 22日 月曜日 11:47:24)

私の感覚でも「夜ごはん」は違和感があります。「晩ごはん」を使います。
「ヨルゴハン」よりも「バンゴハン」の方が言い易いと思うのですが…。でも若い人は使いますね、夜ごはん。

また「晩と夜を比べると、夜の方がおしゃれ」というのも、私の感覚では逆です。「夜ごはん、何処にする?」よりも「晩ごはん、何処にする?」の方がおしゃれに感じます。

因みに、(残業のため)夕方と呼べる時間帯にまともな食事がとれないことが長く続いたため、「夕ごはん」という言葉は個人的には殆ど使わなくなってしまいました。

Yeemarさんの表で言うと、c-4とd-4が共に「晩ごはん」(=夜ごはん?)になります。
「夕ごはん」は夕方(c)にしか使えませんが、「晩ごはん」は夕方から深夜まで(c〜d)OKです。


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 22日 月曜日 12:48:34)

子どもの頃、「よめし」という言葉をよく聞きました。漢字で書くなら「夜飯」でしょうか。昭和30年代の香川県東部です。
「夜ごはん」は自分では使いませんが、他人が言うのは抵抗ありません。(「夕食」というより「夜食」に近い時間に食べることが多いせいかもしれません)

『広辞苑第五版』で三度の食事を調べてみると、ほとんど言い換えで済ませていますね。自分で実際に使っているのは「朝・昼・晩+めし」「朝・昼・晩+ごはん」「朝・昼・夕+食」ぐらいです。

あさ‐げ【朝食・朝餉】(古くはアサケ) 朝の食事。朝飯。
あさ‐がれい【朝餉】(1)天皇の簡単な食事。(2)「朝餉の間」の略。
あさ‐めし【朝飯】朝の食事。あさげ。あさはん。
あさ‐はん【朝飯】朝の食事。あさめし。
あさ‐みけ【朝御食】神前または天皇に捧げる朝の膳部。
ちょう‐しょく【朝食】朝の食事。あさめし。あさげ。
ちょう‐さん【朝餐】あさめし。朝食。

ひる‐げ【昼餉・昼食】(ヒルケとも。ケは食事の意) ひるめし。ちゅうしょく。
ひる‐がれい【昼餉】昼食。ひるげ。
ひる‐めし【昼飯】ひるの食事。昼食。ひるげ。
ひる‐いい【昼飯】ひるめし。ひるげ。
ひる‐ごはん【昼御飯】「ひるめし」を丁寧にいう語。
ちゅう‐じき【中食】(1)1日2食の時、朝食と夕食の間にとる軽い食事。転じて、ひるめし。昼食。
ちゅう‐はん【中飯】ひるめし。中食。昼食。
ちゅう‐しょく【昼食】昼の食事。ひるめし。ちゅうじき。
ちゅう‐しょう【昼餉】ひるめし。昼食。ひるげ。
ちゅう‐はん【昼飯】ひるめし。昼食。
ご‐しょう【午餉】昼食。ひるめし。
ご‐はん【午飯】ひるめし。昼食。
ご‐さん【午餐】ひるめし。昼食。

ゆう‐しょく【夕食】夕方の食事。夕飯。ゆうげ。
ゆう‐げ【夕食・夕餉】(古くは清音) 夕暮の食事。ゆうしょく。晩飯。夕飯。晩餐。
ゆう‐めし【夕飯】夕方の食事。夕食。ゆうはん。
ゆう‐はん【夕飯】夕方の食事。夕食。ゆうめし。
ゆう‐みけ【夕御食】夕方召し上がる食事。
ばん‐しょく【晩食】(1)夕方の食事。夕食。ばんめし。(2)おそく食事をすること。
ばん‐しょう【晩餉】ばんめし。夕飯。
ばん‐めし【晩飯】晩の食事。ゆうめし。
ばん‐さん【晩餐】晩の食事。夕食。特に、あらたまった感じの豪華な夕食。
や‐しょく【夜食】(1)夜、物を食べること。(2)一日の定まった食事以外に、夜遅くとる軽い食事。(3)夕飯。ばんめし。

(余談:『ハイブリッド新辞林』には、「中食」として古語の「ちゅうじき」のほかに、新語の「ちゅうしょく・なかしょく」が載っていました。)


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 22日 月曜日 16:34:37)

余談の余談。
現代の「中食」は、「外食」と、家庭で作って食べる「内食」の中間で、「外で作られたものをうちで食べる」という意味のようです。ホテル1階で売っているいわゆる「ホテイチ」のものなどは「中食」なのでしょう。


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2001年06月24日

T字路(道浦俊彦)

「T字路」は、たいていの辞書では「丁(てい)字路」でしか載っていません。アルファベットの「T]ではなく、「馬丁」の「丁(てい)」です。
おばあさんが、「Tシャツ」のことを「丁(てい)シャツ」と言うということを聞いたことがありますが、私はずーっと「T(ティー)シャツ」だと思ってきました。
そういえば明日の宝塚記念の一番人気の「テイエムオペラオー」は「テイエム」、「ティーエム」ではありません。

なぜ年配の方は「テイ」なのか?「丁」の「てい」だというのはそうだとは思いますし、「ティー」という発音がし難いというのも分かります。
しかし、もう一つ、思いついたのですが、アルファベットの「T]を「テー」と発音したのではないか?たとえばドイツ語です。そちらの教養が英語の教養に勝っていたのではないか?
こんな考えについてはいかがでしょうか?


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 9:43:19)

うちの会社では「T」を「テー」、「D」を「デー」と発音する慣習があります。
理由は電話などで「ティー」を「ピー」と、「ディー」を「ビー」と聞き間違えやすいから。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 21:39:17)

「T字路」「丁字路」について、どなたかが日本語に関する随筆ふうの文章を書いていたと思いますが(道浦さん以外に、書物で)、心当たりの本を探しても出てきません。たしか、「最近の若い者は丁字路をT字路というので困る……」といった調子の文章だったと思いますが、夢で読んだのかもしれません。ご存じの方はご教示いただければ幸いです。

『言葉に関する問答集 総集編』(文化庁)では「「丁字路」か「T字路」か」という項があって(p.589)、漱石・白秋・徳永直・鴎外・道交法などの例を引きながら「「ていじろ」の方が本来の言い方であることが分かる。」としています。すなわち「丁字路」に関しては、「T字路」を「テージロ」と読んだから「丁字路」になったわけではないようです。

幕末の『英米対話捷径』では「D」に「リー」、「T」に「チー」と振ってあります。その後も、「チー(tea)」「スチーム(steam)」「スタビリチー(stability)」「ピチー(pity)」(以上漱石の文章より。なおladyは「レデー」)など、[ti:]は「チー」と書かれ、発音されたのだろうと思いますが、アルファベットの「T」だけは「テー」も有力だったようですね(実態はどうだったか勉強不足で存じません)。

「丁」の発音に引かれた、また、道浦さんのいわれるようにドイツ語等の発音に引かれたのでしょうか。

小学校ではじめて授業を受けた日、「帰りの会」で、年輩の女性の先生が保護者への連絡事項を黒板に書き、われわれ生徒に書き取らせました。それにいわく

  ぴちえのあんない

連絡帳を見た母はこれを理解しませんでしたが、「PTAの案内」のことでありました。「ぴてえ」でなかったところからすると、担任の先生は「テー」派ではなく「チー」派であったかもしれません(1974年、高松市の話)。

小学校で「ティ」など外来音節の表記を教えるタイミングはむずかしいでしょう。漢字は学年別配当表といういちおうの基準がありますが。「テュ」などは高校の世界史の教科書に突如断りもなく出てきました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 21:48:15)

小松左京氏に『題未定』という奇妙な作品があります。Dime tea など、「ダイミテイ」の音に似るさまざまなものがキーワードとなり、筋が進行していく作品でした。その中で「T」と「丁」が掛けられた部分がありました(詳細は忘れました)。

私は文春文庫で読みましたが、いまは角川事務所の「ハルキ文庫」として出ているようです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 23:16:35)

 丁字路・T字路で思い出すのが、交叉点・交差点です。子供の頃に高年齢層の「こうしゃてん」を聞いたとき、訛ってるんだな、と思いましたから。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 08日 日曜日 7:48:22)

外来語らしからぬ音形」に関連話題。

また、こんなものも書きました。http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k010708.htm


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 10月 12日 金曜日 0:24:39)

>「T字路」「丁字路」について、どなたかが日本語に関
> する随筆ふうの文章を書いていたと思いますが(道浦
> さん以外に、書物で)、心当たりの本を探しても出て
> きません。たしか、「最近の若い者は丁字路をT字路と
> いうので困る……」といった調子の文章だったと思い
> ますが、夢で読んだのかもしれません。ご存じの方は
> ご教示いただければ幸いです。

毎日新聞校閲部編『新聞に見る日本語の大疑問』(東京書籍、1999.05.25)p.48「チョー字路と覚えよう」〔上田泰嗣〕でした。

要旨――私はずっと「T字路」だと思ってきた。ところが校閲部の先輩が「テー字路はチョー字路だからね、チョー字路」と言った。「丁」を強調するためにそう発音したのだった。道交法も「丁字路」だ。しかし30代の友人数人は「T字路」。アルファベットに違和感はない。悪しき日本語破壊なのか、新しい日本語の創造なのかはともかく、仕事では判断に迷う日が続きそうだ。

べつに「最近の若い者は丁字路をT字路というので困る……」とは書いていませんが、世代間のギャップについて触れた文章の趣旨が、私の記憶の中で変容したもののようです。


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2001年06月23日

十四日(道浦俊彦)

月の日にちを数える場合、「ついたち」「ふつか」「みっか」「よっか「いつか」「むいか」「なぬ(の)か」「ようか」「ここのか」「とうか」と、和語系統で数えますよね。
これが「11日」からあとは「じゅういちにち」「じゅうににち」「じゅうさんにち」と漢語系に変りますが、なぜ「14日」だけは「じゅうよっか」と、漢語(じゅう)と和語(よっか)が混ざった形になるのでしょうか?「15日」からまた漢語に戻って、「20日」で「はつか」という形になります。これは和語なのでしょうか?
「24日」も「にじゅうよっか」ですね。「よっか」だけどうして?
ご意見お寄せ下さい。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 0:12:22)

私の勝手な想像ですが、「四」=「し」の発音は「死」につながるので嫌われる、
というのがあるのでは?
「いち、に、さん、し」の代りに「いち、に、さん、よん」と数えることも
多いですよね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 0:51:52)

UEJさん、ありがとうございます。今私もまったく同じことを考え付いて、書き込もうとして、UEJさんの書き込みを見つけたのでした。きっと「し」=「死」の忌み言葉を避けたんですよね!
七(しち)も「し」=「死」が入っているから「なな」と、和語系を使うじゃないですか!
長年の疑問が氷解した気がします!ありがとうございます。
それにしても漢語の数の数え方はいつごろは行ってきたんでしょうか。6世紀ぐらい?それより前に和語度の数の数え方はすでにあったんですよね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 0:58:12)

「死」につながるので嫌われるというのは古くから言われているようで、ポルトガル人宣教師ロドリゲスの『日本大文典』(1604)にこうあります。

○四つを意味するXi(四)は或語とは一緒に使はれない。それは死とか死ぬるとかを意味するXi(死)の語と同音異義であって,異教徒は甚だしく嫌ひ,かかる語に接続した四つの意のXi(四)はひびきがよくないからである。従って,その代りに‘よみ〔Yeemar注・訓のこと〕’のyo(よ)を使ふ。‘こゑ〔Yeemar注・音〕’でありながら主として使はれない語は次にあげるものであって,その他にも実例が教へてくれるものがある。
 〔略〕
 Nichi(日)はXinichi(四日)でなくYocca(よっか)である。
 〔略〕
 Nin(人)はXinin(四人)――死人を意味する――でなく,Yottari(よったり)である。(土井忠生訳、三省堂、p.766)
また、安田尚道氏によれば
コリャード『日本文典』(Yeemar注・1632年)では「シニン」は「死人」と発音が同じなので避ける、と説明する。しかし高野本『平家物語』には「四{シ}人」の例あり。また、『天草本平家物語』には「so(Yeemar注・開音記号)xinin(三四人)」の例があり、これは「サンシニン」に由来するものであろう。(国語学会平成8年度春季大会要旨、p.4)
とあり、近世初期には「ヨニン」と言い、「シニン」は避けたことがうかがわれます。

『NHKことばのハンドブック』(日本放送出版協会)の「数字の発音」をみると、「シ」と読むのは「4月」ぐらいのもので、ほとんどの助数詞の前で「4」は「ヨ(ン)」となっています。

たしかに、「死」の連想はあろうけれど、『NHKことばのハンドブック』で「7」が「ナナ」と読まれることが多いことを参考にすると、「4」「7」を耳で聞いたときに紛れないようにするという実際上の必要によるところが大きいのではないでしょうか。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 9:41:13)

> 「シ」と読むのは「4月」ぐらいのもので、
> ほとんどの助数詞の前で「4」は「ヨ(ン)」となっています。

確かに、平成四年四月四日四時四分四秒は
「よねんしがつよっかよじよんぷんよんびょう」
なぜ四月だけ「し」なんでしょう???


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 23:24:06)

 「よん」と「なな」が、漢語系の数詞の中で、どれぐらい頑張っているのか、さまざまな助数詞のとの組み合わせで考えてみると面白いですね。

 「日」だったら、17.27は駄目ですが、歳だったら「なな」も頑張っています。

 でも「よん」よりも頑張っている和語は、数詞じゃないけど「なん」ですね。なんねん なんがつ なんにち なんじ なんぷん なんびょう。
ロドリゲスもたしか書いていましたが。

以下のところもちょっと関連。

数え方


岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 27日 水曜日 11:58:15)

 頃は元禄十四年、弥生半ばの「じゅうよっか」、いや、頃は元禄十五年、師走半ばのじゅうよっか、だっけ。

ほぼ総ルビでも、数字にだけはルビがない、ということが結構あるんですよね。


現代語の数詞については、田野村忠温氏が纏めてらっしゃいます。下のところに書いて居た、つもりですが、号数など書いていませんね。

目についたことば よんほん


岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 17日 火曜日 0:26:55)

 たまたま、最新号のぶっくれっと(三省堂PR誌)での、山田俊雄・柳瀬尚紀対談に、数字にルビをつけないという話が出てきました。


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アルバイトの語誌(Yeemar)

「アルバイト」は学生の間ではまず「バイト」と略して使われますが、学生にとっては「アルバイト」と略さずに使うのは、あたかも「テレビ」を「テレビジョン」というごとく、「ワープロ」を「ワードプロセッサ」というごとくに違和感があるのでしょうか。

『広辞苑』の誕生を扱ったNHK「プロジェクトX〜挑戦者たち〜・父と息子 執念燃ゆ 大辞典」(2000.06.19)では、

〔戦後になり〕外来語が一気になだれ込んだ。「アルバイト」。「働く」というドイツ語が、学生の内職を指すことばとして使われ始めていた。
とのナレーションがあります。

『広辞苑』初版を見ると、

(1)仕事。労働。(2)学問上の労作。著作。研究の結果。(3)学生などの内職。バイト。
としてあります。

『広辞苑』の源流である『辞苑』は手元にありませんが、『明解国語辞典』(1943年)復刻版によれば

(一)労働。仕事。(二)研究。(三)(博士)論文。
とあり、小見出し「アルバイト-ディインスト」に「(一)雑役。(二)勤労・(労働)奉仕。」とあります。「内職」の意味は載っていないと解してよいのでしょう。

『日本国語大辞典』の初版をみると

(1)学問研究の作業。研究業績、特に、研究論文。(2)(――する)学生が、学業のかたわら従事する仕事や。〔ママ〕社会人が本業のかたわら行なう内職。また、それをする人。バイト。
とあり、阿部知二「おぼろ夜」(第2版によれば1949年)の例以下を挙げてあります。

とすると、「内職」の意の「アルバイト」は戦後の用法となりそうですが、『日本国語大辞典』第2版では、戦前の雑誌「旅-昭和九年(1934)一一月号・秘境奈良田と西山温泉〈細井吉蔵〉」の例を補ってあります(採集者は方言関係の研究者とみえます)。

「三つの幹線を挙げる事が出来る。一つは最も遠回りであるがアルバイトを必要とせずしかも最短時間に到達されるもので」
これは「内職」なのかどうか。

石山茂利夫『今様こくご辞書』(読売新聞社)では、幾人かの人の談話が紹介され、中には「内職」の意味で戦前から使われていたという趣旨の証言もあります。

「〔フラウ・メッチェンなどと〕同じように戦前の意味〔学問研究の作業〕の『アルバイト』も、いったん廃れたのではないか。副業といった、新しい意味のものは、学費稼ぎや生活費稼ぎに追われた敗戦直後の学生の境遇から、別個に生まれたものだと思うんですよ」(石綿敏雄・p.224)

「一高では、副業や内職の意味では『バイト』と言い、本業の学業ではなく半端なことをやっているという意識で、『アルバイト』をもじって使っていました。そのころは、主に家庭教師でしたね。他の高校では『アルバイ』って言ってるところが多かった。戦後の『アルバイト』は、半端意識が取れていますが、当時の使い方が下地になっているでしょう」(水谷静夫〔昭和18年春、旧制一高に入学〕・p.224)

〈〔上略〕昭和15年から18年まで在寮した者として言えるのは、私たちは正式にはアルバイトと使い、略してバイトと言っていたということです。〔下略〕(弁護士・倉田卓次・p.225)

〈昭和十七年に東京高等師範学校に入学しましたが、そのころ家庭教師の仕事のことを『アルバイ』と言っていました。最後の『ト』は省いていました。〉(斎賀秀夫・p.225)

「内職」の意の「アルバイト」さらには「バイト」も戦前からあったことが伺われます。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 23日 土曜日 13:23:42)

 おお、Yeemarさん、有難うございます。

 石綿敏雄氏のような感覚で、戦後、その意味が出来た、ということを言ったのでしょうね。

 あらかわそおべえ『角川外来語辞典』の示す、大佛次郎『帰郷』1948の例も、そのような感じなのでしょう。

 水谷静夫氏のものは、アルバイトの半端なものがバイト、ということなのでしょうかね。これが当時の共通の感覚なのかはわかりませんが。

 新村出編纂『言苑』(博文館 S13.2.19初版のS15.4.3 110版)には、アルバイトの項ありません。あるときしょうぶ、あるときばらい、アルパカ、アルバム……

なお、この項目は、以下からの流れです。

視聴記録


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 23日 土曜日 15:48:46)

ありがとうございます。『言苑』にはないのですね。

大佛次郎『帰郷』1948は「戦後の世界は……インフレーションから学費や食費の一切があがって,まじめな学生でも,街頭のアルバイトにでる必要にせまられていた」ですね。戦前にはもう(学生によって?)使われていた用法を、戦後の学生が「定着させた」というところでしょうか。

> NHK「プロジェクトX……(2000.06.19)では、

これは2001.06.19の間違いです。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 24日 日曜日 23:11:15)

 『明治大正新語俗語辞典』にアルバイトの項があり、戦後意味が変わったとしていました。飛田良文氏の「現代語彙の概説」『講座日本語の語彙7』を参照せよとしています。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 20日 金曜日 23:50:34)

矢崎源九郎『日本の外来語』岩波新書1964.3.21 p115-116

 第二次大戦中には、ドイツは日本との同盟国であった関係から、ドイツ語がかなり幅をきかし、
  アルバイト・ディーンスト(Arbeitdienst)「勤労奉仕」
  (中略)
などは、しばしば人々の口にのぼったものだった。このうち、アルバイト・ディーンストのアルバイトだけは、あとあとまでも生きのこっている。もっとも、アルバイトということばは、すでにずっとそれ以前からも学者の「労作」「研究(成果)」という意味で使われてはいた。しかし、「労働」「就労」として広く使われるようになったのは、戦時下においてであった。
 ところが終戦後、生活が安定しないままに、だれもかれもが本業のほかに、べつの仕事をもしなかればならなかった。これを、アルバイトといったのである。そしてだれいうとなく、いつのまにかアルバイトは、「本業以外の仕事」「内職」の意味にずれてしまった。
 


「耳ぶくろ」戸板康二「日本経済新聞」八月二十二日
『耳ぶくろ '83年版ベスト・エッセイ集』文春文庫1986.10.10

  そういえば、予科三年の夏休みにゝ友人が「八月はアルバイトにゆくんだ、工場に」といった。ぼくは「アルマイトの鍋でも作るのか」と尋ねて、失笑された。
 はずかしかったが、おかげで、学生が働いて金を作るのを、ドイツ語でアルバイトというのだと、その時知った。同時に、昭和九年に、慶応の学生がバイト(とはまだいわなかったろう)をしていたのが、確実にわかるのである。
 
おまけに異色のものを。

歌代勤・清水大吉郎・高橋正夫『地学の語源をさぐる』昭和53.1.10.東京書籍

 アルバイト・百長石・アルビタイト
 副業の意のアルバイトはドイツ語Arbeit(労働・仕事)が日本の学生用語となり、第二次大戦後、一般化したもので、発音・綴りとも全く異なる。
 


岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 20日 金曜日 23:52:27)

上記「夏休みにゝ」は「夏休みに、」です。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2001年 9月 01日 土曜日 20:29:36)

見坊豪紀『〈'60年代〉ことばのくずかご』(ちくまぶっくす48)に日付けの確かな用例があります。

チョウドコノ日(昭和18年10月2日)、築地ノ某会社ニ筆耕ノアルバイトニ赴ク。(「サンデー毎日」63年12月8日号39『学徒出陣20年』に引用の、宇野一「遺書」44年9月ごろ執筆)


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2001年06月18日

3タテ(道浦俊彦)

野球で
「阪神、中日を3タテ」
というふうな使われ方をしている、「タテ」。
広辞苑には、「数詞について、つづけざまの負け。連敗。」例文として「三たてをくう」とあります。立て続けの「タテ」だ、と言う人もあるようですが。
最近逆に、連勝の場合もこの「タテ」を使う例があるようです。
それはさて置き、この「タテ」の語源は一体、何なんでしょうか?

また関連で、「3打数ノーヒット」を「3タコ」とも言いますが、これも語源や起源をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、お教え下さい。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 18日 月曜日 23:14:03)

三〇年以上、私の蔵書であり続けている、長島茂雄監修『プロ野球入門』秋田書店(S37.10.15初版発行 S44.7.30改訂20版発行「試合用語」にある、

二タテ・三タテ 二試合、三試合たてつづけに勝つ(負ける)こと。二タテを食う、とは二試合連続負けること。

という説明以上のことは知りません。
三タコなんていうのは、三タテをもじったものだろうと思っておりますが、いつ頃からあるものでしょうか。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 19日 火曜日 13:37:35)

 3タコのようなスポーツ俗語は、スポーツ用語集のようなものにも載らないので、調べにくいですね。昔のスポーツ新聞を丹念に見てゆくのしかないのでしょう。

 また、タコが愚かなものを呼ぶ言い方として使われるのもいつごろからあるのか。日本国語大辞典には方言での記載はありますね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 21日 木曜日 23:09:17)

真偽のほどは知りませんが、
ブリタモリ編集委員会(赤塚不二夫・加藤芳一・タモリ・長谷邦夫)『現代用語事典ブリタモリ』講談社スコラS57.3.20

たこ〈蛸〉
足八本のタコもタコだが、ここでは人を馬鹿にする時に使う「イモ!」とほとんど同義語の罵倒用語。もともとは、我が田辺エージェンシー社長、御存知元スパイダースの歌もうたえる名ドラマー、GS界のジョージ川口こと田辺昭知氏が、私、タモリを指して、「バカ野郎!」とドナる時に思わず吐いてしまったのが発端。この起源説が業界に知れわたるや、各局ディレクター達にも浸透し、とくに、日本テレビでは、DがADや出演者に向かって、「コラ、タコ! そう、お前のことだ! このタコ!!」とほざくのがハヤっている。


野球のタコは、毎日ムック『かくしことば2000語』1995.11.30に載ってますので、おそらくはその参考文献に挙げてある、高木豊『オレだから言えるプロ野球・奇想天外の舞台ウラ』スコラに載っているものなのでしょう。そういえば、このような通俗野球本も用例探しの対象ですね。


岡島 さんからのコメント
( Date: 2001年 6月 22日 金曜日 16:02:25)

 野球のタコは『三省堂国語辞典』の第4版(1992)から入っていたのですね。

 上記、高木豊は1995.3の本であるようです。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 03日 火曜日 15:27:01)

 新明解(五版)では、「〔プロ野球などで〕同じ相手に立て続けに連敗すること。三回以上の場合に使う」としているのですね。これは不正確でしょう。二連戦の場合は、二タテというわけですから。

三連戦の最初の二戦に連敗した場合は、どうなのでしょうね。

最近は消化地合でないと見られない四連戦の場合には、三連敗した場合、3タテで迎えた第四戦、といいそうに思います。ああ、日本シリーズの場合なども。「バファローズ、3タテの後……」のように。


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 04日 水曜日 17:02:13)

 リンクリンク。

 見る方の、野球少年でした。

子どものころは世間並に巨人ファン。テレビでは巨人戦しかなかった。地元のライオンズもちょっと応援。
ラジオを聴くようになる年頃と太平洋クラブライオンズ誕生とが重なり、ライオンズファンに。ラジオではライオンズ戦をよくやっていた。
それでもその年までは、セリーグでは惰性で巨人を応援していたが、中日が優勝することにより、目からうろこが落ち、長嶋の引退セレモニーに違和感を覚え、一気にアンチ巨人へ。

ライオンズファンである私を馬鹿にする巨人ファンの友人の影響もあったろうが、翌年、最下位街道を驀進する巨人で、巨人ファンをやめた喜びに浸ったのでした。

ことばの話336


岡島 昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 12日 木曜日 12:47:52)

 長嶋の引退セレモニーに違和感を覚えたのは、よく覚えていないけれど多分、森昌彦や黒江透修の引退が全く顧みられなかったからではないか、という気がします。今の森祇晶監督は嫌いだけれど、V9の頃のキャッチャー森昌彦は結構好きだったのですよ。
私が左打ちを好んだのは、俊足柴田のスイッチヒッターの影響ではなく、鈍足森の右投左打ちの影響なのです。

キャッチャーミットやキャッチャーマスクも買ってもらったしね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2001年 7月 13日 金曜日 0:32:40)

 このあとのことは、以下に書いてあります。

東上球団


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 05月 13日 火曜日 12:22:23)

3タコの説明が小林繁の『男はいつも淋しいヒーロー』1983に載っていたのを書きましたが、サーバークラッシュで消えました。


posted by 岡島昭浩 at 19:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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