2004年02月14日

仮名遣速習歌の紹介(波江究一)


仮名遣速習に便なるやうにとは行転呼、しちすつ四音の書き分け等の

語例を自由詩に纏め五十音順に配列したものを下記スレッドに投稿

して置きましたのでご座興にでもどうぞ。

鹿は馬になれぬと同様にかなころがし「現代かなづかい」は仮名遣とは

いへぬ。正しい馬を馬と呼ぶやう習慣づけ、文化史上の不良債権

を処理しませう。


序歌   タに続くハ行転呼


荒妙の訴へに和妙に答へ

明妙に歌ひ照妙に鍛へよ

値も量る能はぬ

白妙の尊(たふと)き甕(もたひ)に

たはやすくたはぶるな

与へられし身過ぎに堪へてうろたふな

世々傳はれる言葉を労はり

敷妙に慕ひ讃へよ


言語学@談話室

http://kan-chan.stbbs.net/cgi/board/language/index.html#1




波江究一 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 21日 土曜日 16:05:07)

仮名遣速習歌は2チャンネルにもスレをお借りして紹介して有ります。

学者教師の方が印刷の上、素読教材に使用する場合は作者名明記する限りに於て、

著作権料は申し受けません。


アドレス下記。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1076739222/l50


posted by 岡島昭浩 at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年02月04日

ギャル語(高橋半魚)


先日、日本テレビの「スーパーテレビ」で初めて知りましたが、ギャル語

なる、仮名表記があるんだそうですね。語彙ではなく、文字表記だという点

が、興味をひかれました。「≠〃ャ儿語」の類で、gooで検索すると、結構出

てきます。

 これは、:-)(^_^;)などの顔文字とか、またはキャラクターで絵を描く、

とかからの流れなのでしょうか。そういえば、ぼく自身もむかし、

十ハ 中

小ム ム (松虫)とか、パソ通時代にやってましたが、まだ常識の範囲内でした。


 あるいは、10年くらい前のマル文字とか、「仏恥義理」「歇飛麓勲労流」

(ちょと違ったかな)「加羅魔無威」(今週のわかちゅきで見ました)など

のゾク仮名(っていうのかな)の流れ、すなわちコミュニケーションの不透明

性への憧れ(つまり文字芸術の萌芽?)に位置付けるべきなのでしょうかね。

 そこで、疑問ですが、奇異なる表記に対する憧れは、歴史的はどの程度ある

のでしょうか。あまり思い付かないのですが、例えば、式亭三馬「阿古義物語」

の扉には、アルファベット筆記体に似せた、仮名表記があります。もちろん、

三馬の超高級センスですから、一般には流行ってないと思いますが。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 04日 水曜日 12:04:23)

三馬のはこれですね。

と、とりあえず。

三馬「阿古義物語」(近代日本文学大系)



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 21日 土曜日 22:06:30)

忘れているわけではありませんが、反応できなくてすみません。

ギャル文字変換


posted by 岡島昭浩 at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年02月01日

「五十連音図」縦横誦習の薦め(波江究一)




たてぬきに大和言葉の仮名の数誦みつくしてぞ言癒さまし


五十音図とは母音同じきを以て段を構成し、子音同じきを以て行を為す経緯図ですから、誦み習はせるには「あいうえお」から「わゐうゑを」までの行だけでなく「あかさたなはまやらわ いきしちにひみいりゐーーーーー」と続く段の語序も併せて暗誦み習はすべきでせう。これを国語問題を取り扱ふ講演会の前に講師聴衆一緒になつて唱和して頂きたい。当然国語の授業にも「詩のボクシング」の競技前にも心してこれを習慣づければ自づと「現代国語」なるものの非理不合理に国民全般が目覚めてくる契機となる筈です。

又五十音図が使用音標の一覧羅列では無く、語形活用を定める方程式であり、表であるといふことを周知徹底させるには宣長の呼称「五十連音図」といふを採用してみるも可と思ひます。五十音図とは契沖の命名が明治四年の文部省令で採用されて以降定着したものでして変遷表をご覧になればわかるやうに五韻次第 五音相通 たてぬき 等時代により著者の認識によつて呼称区々でした。

かなころがしを「占領仮名」と呼び「アメリカの陰謀」と毛嫌ひする向きもありますが、責任を他

に転嫁するやうで好ましからず。却て今の言語状況を諷刺するにふさはしいのは当のアメリカ大統領リンカーンの語録に

全体を一時期 一部の人々を永遠に騙すことは出来ても全体を永遠に騙し続けることは出来ぬ

とあり。まさしく今は全体が一時期騙されて居る状態です。


一部が自由一部が奴隷といふ状態では連邦は永続出来ぬ。一方が他方を絶滅するまでこの戦ひは

止まぬであらう

と「別れたる家」の演説の精神を貫徹して大統領になつた彼は南北戦争に突入してゆくのですが、

仮名遣がかなころがしを撲滅するまでといひ換へてもおなじです。山田孝雄博士もこれと似た口吻

で論じてをられました。

何より文とは真理によつて指針づけらるべき物であり、一時期の官憲の腕力によつて強制慣用化され朝野これを疑はぬやうになつたところで、不磨の真理に化け変はれるものではないといふことを

遠からず肝に銘ずる時至らぬ限りは日本の一段の脱皮成長はあり得ぬと断言してよい。鹿は飽くまで鹿でしかなく馬にはなり得ぬもの。いたづらに滅びの門を駄々広くするものではない。事は文化

の大枠骨組みに関はるものですから。


posted by 岡島昭浩 at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月28日

「設ける」ということばの意味(概念的な考え方)について(なかやす)


はじめて投稿します。

「設ける」ということばの概念的な考え方についてご意見頂きたいと思います。

当方が理解しているイメージは、

例えば、「Aの上にBが設けられている」という文があった場合、

BはAに接していれば、設けられているという言葉を使用しても違和感はないのですが、離れていた場合は、設けられているという言葉を使用しても良いものなのか

という少し戸惑いのイメージがあります。

この辺の概念的な解釈についてご教授下さい。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 01日 日曜日 15:47:16)

もう解決してしまったかもしれませんが……


「設置」という語からは「上に接して置く」という印象がありますが、純粋に「もうける」だけを考えれば、これは「つくる」ということばの下位概念と考えていいと思います。では、どのようにつくるか、ですが、辞書の説明と、私の整理した結果は異なります。私は「〜をもうける」の「〜」に入る名詞の種類によって、「もうける」の意味を、次のように5つに分けてみました。


【1】抽象的な枠組みをつくる

 仮定・基準・規制・規則・規定・区分・限界・口実・差別・上限・制限・制度・制約・タブー・法/機会・時間

【2】具体的な区画をつくる

 区域・コース・座・室・シート・席・地帯・地点・縄張り・場所・余地・欄

【3】間に障害物をつくる

 囲い・壁・関門・柵・堰・関所・塀・門

【4】大がかりなものをつくる

 仮屋・工場・祭壇・出張所・新居・巣・廟・舞台/御馳走・子ども・しかけ・秘密

【5】人の集まりをつくる

 課・機関・機構・局・学校・講座・政府・部門・本部/宴・会・儀式


整理した結果では、「もうける」は、何かに接しているとかいないとかには関係なく使われているようです。「地球と火星との間に中継基地を設ける」などということはできそうです。この場合、中継基地は宇宙空間に浮かんでいるのです。


「もうける」の古い意味は、「思いもうける」のように「あらかじめ用意する」ということですが、現在使われている「もうける」にその意味は薄いようです。



なかやす さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 11日 水曜日 11:20:25)

ありがとうございました。

よくわかりました。


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一月は行く、二月は逃げる――新しいことわざ(Yeemar)


「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」とは、この時期によくいわれる文句。私はこれを初めて知ったとき、「うまいことを言う」と思ったものでしたが、それはいつのことだったか。


自分のいた小学校の文集を見ていると、ありました。これで初めて見たのでした。

ことわざにもあるように、一月は行った、二月はにげた、三月は去ったというように、あっという間に終わってしまうのだ。〔5年生の作文〕(文集「つくし」創刊号 昭和52年3月19日発行)
私も「〜行った、〜逃げた、〜去った」の形で覚えていました。情報源はこれに間違いなし。


一般的には、「〜行く、〜逃げる、〜去る」の形ではないかと思います。ウェブで検索しても、どうもこれが「標準形」のような印象を受けます。


新聞では

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、といわれるが、早いもので、もう三月。花の便りも間近になった。(「朝日新聞」1996.03.02 名古屋版地方面)
という例が手元にあります。もっと古い例もあるでしょうが、データベースでは調べていません。


『日本国語大辞典』にはありません。ことわざ辞典のたぐいは見ていません。いずれにせよ「新しいことわざ」であろうと思います。


posted by 岡島昭浩 at 02:48| Comment(3) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月27日

外国にそのままつかわれている日本語(学校のパソ(ワロ)


えーと、、外国にそのままつかわれている日本語は

どのくらいあるんでしょう?

それはどんな言葉なんでしょう?

現在 自分の低地脳でしぼってみたのは

スシとサムライとブシとフジサンです

ほかになにが・・?



Shuji さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 27日 火曜日 11:52:06)

国によって、入ってきている日本語は違うと思いますが、スペインでは…


フジサンは「フジヤマ」。セップクも「ハラキリ」。

その他:ツナミ(津波)・カミカゼ(自爆テロ)・サヨナラ・カラテカ(空手家)・ジュードーカ(柔道家)・カラオケ・オタク(漫画オタクを指す)・カキ(柿:日本語だとはほとんど知られていない)・ゲイシャ(スペイン語発音ではヘイシャ)・マンガ・ニンテンドー・シンチャン(クレヨンしんちゃん)etc. このへんにしておきますが、探せばまだあるはずです。



skid さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 02:00:16)

加藤秀俊・熊倉功夫編『外国語になった日本語の事典』(岩波書店、1999)には50語が取り上げられていました。


アイヌ、生花、浮世絵、漆、沖縄、温泉、歌舞伎、カラオケ、着物、銀杏、黒潮、芸者、系列、碁、交番、酒、侍、指圧、渋い、柔道、将軍、障子、醤油、人力車、鋤焼、寿司、相撲、禅、大名、畳、茶の湯、津波、豆腐、長崎、二世、忍者、根付、能、俳句、腹切り、武士道、蒲団、弁当、坊主、盆栽、漫画、御門、やくざ、楽、ラーメン


最後に、その50語が英・西・仏・独・伊・露など外国の辞書16点に載っているかどうかの一覧表があります。


たとえば、ケイリンは国際競技会の種目になっていますし、テリヤキもソースの一種として認知されているとか。

みかんや焼き物の名称として、satsumaもけっこう昔から英語辞書に載っています。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 02:14:10)

「スシ」と「サシミ」は火星の岩石にも名付けられちゃいましたね。

確かにこの岩、マグロに見えるような気も……(^_^;


(Courtesy NASA/JPL-Caltech)


Hungry for Rocks ("Sushi" & "Sashimi")



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 02:21:01)

関連するものも、あまりしないものも、この際集めてみました。

 アメリカの企業で働くキャシー(=仮名)は、このたび初めての日本支社出張にはりきっていた。出張に備えて、日本人とのコミュニケーションを円滑にすすめようと、簡単なあいさつを覚えることにした。

 そこで、日本への出張経験のある同僚が、「ありがとう」は「アリゲーター(alligator=ワニ)、「どういたしまして」は「ドント・タッチ・マイ・ムスターシュ(Don't touch my mustache.=私の口ひげに触らないで)」を早口で言うと、それっぽく聞こえるんだよ、とキャシーに教えてくれた。(「週刊朝日」2002.11.22 p.76)


 十六世紀に建てられたローマのジェズ教会には、マリアが「カミス(神々)、フォトケス(諸仏)、アミダ、シャカ」と刻まれた経典と竜とを踏みつけている彫像がある=写真。偶像崇拝とも悪魔とも見ていたのだろう。〔キリシタンの時代 宗教論争を読む15〕(「朝日新聞」夕刊 2000.02.01 p.9)


そのロスで野茂〔英雄〕のプレーを実況するラジオに耳を傾けると、アナウンサーがマイクを握りしめ興奮して叫ぶ、こんな言葉が飛び込んでくる。

サンシン! シャットアウト、カンプウ!」〔「野茂の「サンシン」で威力を増してきたアメリカ社会での「日本語」」〕(「サンデー毎日」1995.08.06 p.154)


 歌舞伎、すしやカラオケなどだけでなく、マンガやアニメ、テレビゲーム、相撲、剣道が知られるに連れて、日本語も少しずつ海外で使われるようになっている。

 「アメリカ中部を旅していて、ラジオの天気予報で、英語の中に突然『すこーし』という言葉が使われたのを聞いて驚いた」(コロンビア大学ドナルド・キーン文化センター所長ピーター・グリーリ氏)(「朝日新聞」夕刊 1999.12.15 p.5)


【ボン18日=桜井元】「たまごっち」も「パパラッチ」や「クローン羊」と並んで入選――ドイツ国語協会が十八日発表した「今年の言葉」に、日本のおもちゃの商品名が選ばれた。審査委員会は単なる流行語ではなく、今年の世相を映す言葉を選んだという。たまごっちは同国内でも人気で、「ソニー」「トヨータ」と、日本企業名などは自己流の読み方をして気にしないアナウンサーも、なぜか正確な発音で紹介している。(「朝日新聞」夕刊 1997.12.19)



masakim さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 06:49:22)

『小学館ランダムハウス英和大辞典 第2版』(1994)の巻末に「日本語から借用された英語」という5ページの一覧表が載っています。

これは「英米の主要辞書と新語辞典に載っているものをまとめ…また、データベースに基づいて、最近の使用度が高いと認められるものも若干収録した」もので、abukumalite(阿武隈石)からzori(草履)までが収録されています。比較的新しいものにはkanban(かんばん方式)karoshi(過労死)ryokan(旅館)などがあります。



NISHIO さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 11:51:30)

ひとつの目安として、「外国語の辞書に載っている日本語」を挙げるなら…


新「国際日本語」講座 -英語辞書の中の日本文化-』(原口庄輔・原口友子 編訳、洋販出版、ISBN4-89684-065-8)


  次の単語の意味は? gingko, hibachi, skosi・・・・。

  発音や意味が微妙に異なりながらも、英語化し、国際化した日本語335語

  (オックスフォード大学出版局発行の『SOD』4版の収録語)を徹底分析!

  英語の窓を通して、もうひとつの日本語の姿、普段見過ごしている日本文化の

  本質についても再確認できる1冊。


他の複数の情報によれば、SODに採録されている日本語は「378語」だそうです。

参照→『世界の言語と国のハンドブック』(下宮忠雄編著、大学書林、ISBN4475018439、2000/7/10)


欧米以外では、中国に里帰りした日本製の漢字語彙や、戦前の日本統治下にあったアジア・太平洋諸国にそのまま根付いた日本語なども多数あると思います。


新「国際日本語」講座



後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 13:41:58)

OED2 on CD-ROMから抜き出したらしい、日本語から英語への借用語のリストが

Wordファイルの形で読めるようです。

Japanese 'loanwords' in English



後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 11日 木曜日 14:18:49)

下記の本が出版されていました。


OEDの日本語378

福田陸太郎/監修 東京成徳英語研究会/編著

出版社名 論創社

出版年月 2004年2月

ISBNコード 4-8460-0500-3

世界最大の英語辞典であるオックスフォード英語辞典に収録された378の日本語を定義と用例をふまえ解説。

西洋が日本をどのように理解してきたかを位置づける。

OEDの日本語378



hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 12日 金曜日 05:39:43)

(ちょっと趣旨がずれますが……以下、米国に関する話です)

私の個人的な印象ですが、米国で日常生活において最も使用されている日本語由来の言葉は、"Toyota"や"Pokemon"等の固有名詞を除いた一般名詞では、「スシ(Sushi)」と「テリヤキ(Teriyaki)」ではないかと思います。この2つの言葉を知らない米国人は、殆どいないのではないでしょうか?余談ですが、外国で日本の味を期待して注文すると失敗することがありますけれども、私の経験上、特に"Teriyaki"は要注意だと思います。


他には「アニメ(anime)」も認知度高いように思います(これは世代にもよるかも知れません)。本屋さんや電気屋さん、DVD/CDショップにあるちょっと充実したDVDやビデオコーナーには、大抵"Anime"の棚があります。但し"Anime"にあるアニメは殆ど全て日本製で、ディズニーやパワパフ等の米国製アニメは"Family"等に分類されています。「ジャパニメーション(Japanimation)」という言葉もありますが、こちらは"anime"ほど一般的ではないと思います。


また脱線ですが、映画「The Matrix」を題材にした「The Animatrix」というアニメ作品があるのですが、日本語版は「アニマトリックス」というタイトルになっていました。「アニメイトリクス」という読みで"anime"と"Matrix"を引っ掛けたタイトルだと思うのですが、ちょっと残念です(しょうがないですけど…)。


それから「フトン(Futon)」もよく目にします。但し日本の布団ではなくて、(背の低いマットレスでできた)ソファーベッドを指すようです。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 12日 金曜日 05:56:09)

インドの「オートリキシャ(Auto-rikisha/rikishaw)」。三輪の小型タクシーのような乗り物ですが、インドに行った時はまずその多さにビックリし、また、思いがけない所で普段使わない日本語に再会して不思議な気分でした(恥ずかしながら、現地に行ってから初めて聞いた言葉でしたので)。

日本の「人力車」が由来のようですが、普段の会話では単に"Auto"と略されていました。



masakim さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 12日 金曜日 07:10:40)

昨日リサイクルショップでアメリカ製のhibachiをみかけました。

火鉢とは似て非なるものでバーべキュー用のこんろでした。


エンカルタ英語辞典(1999)では次のように説明されています。


hibachi /hi ba'atchee/ (plural -chis) n. a portable barbecue of Japanese design, with a base for the fire with vents under it, and one or more adjustable cooking racks [Mid-19thC. From Japanese, literally "fire bowl."]


単複同形ではないので、かなり定着しているようです。



後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 12日 金曜日 17:17:21)

辞書に載っているからといって、実生活でよく使われているとは限りませんね。

私にとって意外だったのは、イギリスのスーパーでごく普通に shiitake mushroom が

売られていることでした。

waitrose :Shiitake Mushroom



booko さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 13日 土曜日 01:33:58)

スイス(のドイツ語圏)ですき焼きを作ったとき、しいたけと白菜と豆腐は、

それぞれそのままの名で売られていました。

豆腐はチーズのように薄いプラスチックの容器に外箱は紙でしたが。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 13日 土曜日 02:29:39)

普段あまりスーパーに行かないので失念していましたが、確かに「シイタケ(Shiitake)」と「トーフ(Tofu)」という言葉も日常生活の一部となっています。日本食料品店でない普通のスーパーでもよく目にしますが、「えぇ〜これがシイタケ?」と思うものが殆どです。シメジみたいなものが多いような気がします。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 13日 土曜日 05:08:09)

すみません、米国のスーパーの話ですが、Shiitakeは大抵の店にまずあると思いますが、Tofuの方は微妙かも(?)知れません。自然食品を売りにしているスーパーであれば、まず間違いなく置いてあるとは思うのですが。。不確か

なことを書き込み申し訳ありません。



益山 健 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 13日 土曜日 06:02:06)

>futon

うち(カリフォルニア)にあります :-)


>gingko, hibachi, skosi

ginkgo と skosh だろうとおもいます。後者は honcho などとともによく話題になりますが, わたしは耳にしたことがありません。


napa cabbage (白菜), kabocha squash (かぼちゃ), satsuma tangerine (みかん)など, スーパーで売っているからといって英語として定着しているとはいえないのがつらいところです。うちの近所の店では arame なんてのも売っています。

tofu はサラダやバーベキューにもいれますし, じゅうぶん定着しているでしょうが, 中国語に由来する可能性はないのでしょうか。

あるテレビ番組(Dexter's Laboratory)で柔道着を着た人物が「shiitake!」とさけびながら手近な人をなげとばす, というシーンがあったのですが, 「シュターキー」にしかきこえないため, 日本語吹き替えの人には何といっているのかわからず, シュターキーのまま吹き替えたそうです。

ほかに, カリフォルニアだけかもしれませんが, zorry (ゴムぞうり) は, つづりのせいもあって, もともと日本語ということすら意識されていないようです。



masakim さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 15日 月曜日 07:00:16)

後藤斉 さんからのコメント

( Date: 2004年 03月 12日 金曜日 17:17:21)

> 辞書に載っているからといって、実生活でよく使われているとは限りませんね。


アーサーの日本語つれづれ草【第2回】「火鉢バーベキュー」(2001/11/21)では次のように述べられています。


 今までに受けたランゲージ・ショックの数々を、もしリストアップするとなったら、「火鉢」の驚きはきっとトップテンに入るだろう。ミシガンで生まれ育って二十二歳になるまでジャパンとまるで縁のなかったぼくにとって「ヒバチ」は、「ウルトラマン」以外にほとんど唯一親しみを感じるジャパニーズだった。

 ジャパニーズといっても hibachi という語はアメリカで広く使われ、普通のイングリッシュ・ディクショナリーにも載るくらいの、れっきとした英単語だ。そしてミシガンの我が家にあった hibachi はディクショナリーの定義どおりの、典型的なものだった。


http://www.web-nihongo.com/back_no/column_01b/011121/index1.html



後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 15日 月曜日 10:49:33)

> 辞書に載っているからといって、実生活でよく使われているとは限りませんね。


このコメントは、03月11日木曜日14:18:49の私のコメントまでは主として日本で出版された辞書や文献に

基づいていたのに対して、hiroyさんが外国生活体験にもとづくコメントを出されたので、その流れの転換を

私なりに肯定的にとらえたもののつもりでした。

言葉足らずで誤解を与えたとすれば申し訳ないのですが、直前のmasakimさんのコメントに対してという意図は

ありませんでした。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 16日 火曜日 09:04:10)

柴田武『知っているようで知らない日本語 2』ごま書房 1987.12.20 p.158「お弁当」に

 近ごろ外国人に日本の“弁当”は、OBENTO(オベントー)の名でなかなかの人気がある。小さい箱のなかにいろいろのものがはいっている、幕の内風のものが歓迎されるそうだ。
下記は、関連記事といえますかどうか。(Mainichi INTERACTIVE[2002.05.06 毎日新聞])
JR東日本の関連会社「日本レストランエンタプライズ」(旧日本食堂、NRE)は米国から冷凍輸入した弁当「O―bento(オーベントー)」を26駅で発売した。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 16日 火曜日 12:22:28)

昨日、久方振りに近所のスーパーに足を運びました。野菜・果物コーナーを注意深く見てみたところ、以下を発見しました。

・NAPPA

・DAIKON

・OKARA

・FUJI APPLE

いずれも札に書いてあった表記そのものです。このうち"NAPPA"は、本体に巻いてあるシールには"NAPA"とありました。日本語におけるカタカナ語の表記揺れ、のようなものでしょうか。


"DAIKON"は少し細めの大根のように見えましたが、"DAIKON"という言葉がどれだけ定着しているのか興味が沸いたため、近くを通りがかった年配の女性に、DAIKONを指差して「これってDAIKONですか?」と敢えて尋ねてみたところ、「それはradish。DAIKONはこれじゃない?」と言って、上の棚にある明らかにDAIKONではない野菜を指差して答えて下さいました。そこで今度はもう少し若い女性に聞いてみたところ、「ん〜、(DAIKONの隣に並んでいた野菜を指差して)これが○○だから……、多分それはDAIKONじゃない?」とのことでした。サンプル数2なので確証はありませんが、"DAIKON"も「スーパーで売っているからといって英語として定着しているとはいえない」もののうちの一つかも知れません。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 16日 火曜日 12:36:29)

>・OKARA

すみません、"OKARA"ではなく"OKRA"でした。昨日見たときは"OKURA"のようにも見えたのですが、"OKRA"は元々英語のようすね……。失礼しました。


それから"TOFU"も昨日行った近所の(普通の)スーパーに置いてありました。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 16日 火曜日 18:44:51)

OKRAは、エジプト原産だそうです。



booko さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 25日 木曜日 01:47:15)

前の職場は9割近く英語話者で半数は英語が母語の人だったのですが、

印鑑のことをずっとhankoと呼んでいたのを思い出しました。


書類に、

Get your Mg's hanko and fax to H/O.

のように書いてあるものがありました。

口語では、

Can you hanko this?

というふうに、動詞でも使ったような気がします。


英語話者が多かっただけで日本の企業だったので、

『「完」はcomplete、「納」はpay、「日」がdayの意味であるから、今月の

完納日である○日までにしっかり集金をするように』

などという書類もあります。


posted by 岡島昭浩 at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月21日

"虹"にかかる枕詞はあるのでしょうか(智)


初めて書き込みさせて頂きます。高校3年生の智と申します。

日々古典の問題演習をしていると、様々な和歌に様々な修辞法が使われているのを目にします。枕詞、序詞、掛詞、折句に縁語、僕は枕詞と縁語が好きなのですが…

あんなにも色々に美しいものをうたった歌があるのに、虹に関するものは見たことがなく(そんなに沢山の文を読んでいるわけではありませんが;)、国語の資料集を見たりネットを調べてみても"虹"にかかる枕詞というものがあるのかどうか分かりません。

このことについてなにかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。お願いします。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 21日 水曜日 22:25:37)

 おっしゃるとおり、虹はあまり和歌には詠まれていません。国文学研究資料館の二十一代集検索でも、二首しかヒットしませんね。


歌に詠まれないものはいろいろありますね。蝶などもその一つです。

虹が詠まれないのは、虹が蛇なども含む虫に近いものと思われていたせいかもしれません。


万葉集でも詠まれることが少ないために、枕詞はないと思われます。

万葉集検索



さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 22日 木曜日 20:21:55)

返信ありがとうございます。

調べていて虹霓という表現を見つけました。

確かに空に昇っていく蛇や龍に見える気がします。

どちらかというと中国…漢詩向けの材料なのでしょうか。

きりぎりすなどはよく詠まれている気がするのですが…虫などは鳴いて風流を感じさせるものなら詠まれるのかなと思いました。

昔の人との感覚の違いが不思議で面白いです。


実は、虹という単語を物語の題に使おうと思い

枕詞と組めば日本らしい味が出るし7字になって語呂もいいと考え探していました。無いと知り少し残念です。

色々の枕詞のなかで"久方の"が光だけでなく天や空、月、雨、雲、星、夜などにかかると知り、

虹につなげるにはいちばん近い言葉のように思われたのでこれで行こうと思います。


こちらに初めて伺ったのはほんの一週間ほど前なのですが、

様々な会議の題材が以前から気になっていたことだったりはっと気がつくことだったり、拝見していてとてもためになります。

大学生になったら議論に参加させて頂けるような知識を身につけて、これからも折々伺いたいと思います。


ありがとうございました!



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 22日 木曜日 23:29:37)

私は「あづさゆみ」という枕詞を考えていました。「張る」「引く」などにかかる枕詞ですが、虹は弓形だからです。「久方の」といわれるとなるほどと思います。


枕詞の中には、歌人が個人的に作ったものもあるようですが、新作を作ろうと思えば作れるような構成法があります。たとえば「〜なす」といえば「〜のような」ということです(「みかもなす 二人並び居」といえば水鴨のように二人並んでいる)。すると、「弓のような虹」ならば「まゆみなす 虹」というようなのも作れそうです。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 24日 土曜日 18:27:55)

脱線ですが――


「〜なす」は、万葉集を調べると名詞にかからないこともないですが(例、「真玉なす 二つの石を 世の人に 示したまひて」(旧813)では「真玉なす」が「二つの石」にかかる)、多くは連用修飾であって、体言にかかっているように見えるものも、おおむねは、むしろその下の用言にかかっています。「垣穂なす」は、体言にも用言にもかかっているようです。


ですから、「まゆみなす 虹」のように名詞にかかる枕詞をじゃんじゃん生産してよいかというと、ちょっと留保が必要かもしれません。「まゆみなす 虹の立つれば」のように動詞がくればよりよいかもしれません。ただ、こうなると枕詞というよりは比喩に近いようです。



さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 16:29:14)

Yeemerさん、返信ありがとうございます!

折角ご意見を下さったのに反応が鈍くてすみません;


枕詞の作り方について、ありがとうございます。

枕詞に限らず、ことばを考える上で参考にさせて頂きます。

をかしの面白みを生み出せそうな気がします。

"まゆみなす"、虹のイメージがはっきり想像できて、清音の流れが綺麗だと思います。

虹が弓形、ということに西洋の神話を思い出しました。どこかの神様が悪魔と戦うのに使ったという話だった気がしますが、虹の弓のかかりかたを見るとむしろ天にむかって矢を放つものにも見えます…ってどうでもいいですね;

"久方の"についてもう少し調べてみた所、

<「ひさかた」「の光」とは「HISAKATA」すなわち「照る/曇るをしばらく繰り返していたが、結局、照ることになった」「そういう光」をいう>

…ということで、似てるからとこじつけた割に話のイメージに合っていたのでやはり"久方の"に決めました。

しかし虹→弓→武器→闘争(struggle)=激しい雨→獲得=(雨がやんで)虹、という連想したイメージに心ひかれたので、まゆみなす、の形ではなくもどこかに使わせて頂いてしまうかもしれません(*^^)

昔からずっと繋がってきている枕詞を自分で作るというのはなんだか畏れ多い(おこがましい?)のでやめておきます(^^;)

枕詞はやはり詠み親しまれたものから生まれるんですよね?

そのうち現代の歌詠みの方々から"携帯"とか"パソコン"にかかる枕詞が生まれたりするんだろうかなどと思ってみました(笑)


ながながと脱線しつつすみません;

ありがとうございました。


(↓"久方の"について書いてあったページです。第二段にありました)

月の砂漠



さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 16:29:58)

Yeemerさん、返信ありがとうございます!

折角ご意見を下さったのに反応が鈍くてすみません;


枕詞の作り方について、ありがとうございます。

枕詞に限らず、ことばを考える上で参考にさせて頂きます。

をかしの面白みを生み出せそうな気がします。

"まゆみなす"、虹のイメージがはっきり想像できて、清音の流れが綺麗だと思います。

虹が弓形、ということに西洋の神話を思い出しました。どこかの神様が悪魔と戦うのに使ったという話だった気がしますが、虹の弓のかかりかたを見るとむしろ天にむかって矢を放つものにも見えます…ってどうでもいいですね;

"久方の"についてもう少し調べてみた所、

<「ひさかた」「の光」とは「HISAKATA」すなわち「照る/曇るをしばらく繰り返していたが、結局、照ることになった」「そういう光」をいう>

…ということで、似てるからとこじつけた割に話のイメージに合っていたのでやはり"久方の"に決めました。

しかし虹→弓→武器→闘争(struggle)=激しい雨→獲得=(雨がやんで)虹、という連想したイメージに心ひかれたので、まゆみなす、の形ではなくもどこかに使わせて頂いてしまうかもしれません(*^^)

昔からずっと繋がってきている枕詞を自分で作るというのはなんだか畏れ多い(おこがましい?)のでやめておきます(^^;)

枕詞はやはり詠み親しまれたものから生まれるんですよね?

そのうち現代の歌詠みの方々から"携帯"とか"パソコン"にかかる枕詞が生まれたりするんだろうかなどと思ってみました(笑)


ながながと脱線しつつすみません;

ありがとうございました。


(↓"久方の"について書いてあったページです。第二段にありました)

月の砂漠



さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 28日 水曜日 16:31:27)

うわあ;二つ入ってしまいました;

見苦しくてすみませんm(__)m;;


posted by 岡島昭浩 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月10日

「結構」はなぜ、あいまいになったのか?(MTさん)


「全京都建設協同組合」のHP「アット・ホーム・ページ」の中のことわざミニ辞典のコーナーで「結構」の語源は、字のとおり家屋を構築したり、文章を組み立てたりする事。建築物の組立てが優れている時、「見事な結構」と誉めたが、やがて、見事、立派な意味を表すようになった。現在ではYES・NOがあいまいな「結構です!」という言い方が多い。という記述がありましたが、「結構」はいつ頃から、なぜ、あいまいな表現になったのでしょうか?


http://web.kyoto-inet.or.jp/org/zenkyoto/osirase/news/kotowaza/2001autumn.html



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 10日 土曜日 05:09:47)

古典を見ると、「物くさ太郎」(室町末)には「四面四町に築地をつき、三方に門を立、東西南北に池を堀、嶋をつき、松杉を植へ、島より陸地へそり橋をかけ高欄に擬宝珠をみがき、まことに結構世にこえたり」とあり、これは、「屋敷の造り(の立派さ)が世間に有名である」ということでしょう。


大名狂言「鬼瓦」では、「大名 さてもさても結構な御堂じゃなあ。」とあって、これは「さてもさても(立派な)結構の御堂じゃなあ」と、( )内の意味がちょっと残っているように感じられます。やがてその( )の中の意味が、直後の「結構」に移行するのでしょう。


「お茶はいかがですか」「もうけっこうです」という言い方がいつごろからのものかについて、辞書は語ってくれません。(このような用法では、案外、用例が未収録なのですね、「味噌にこだわる」などもそうですが。)


「けっこう」は褒めることばであるものの、「お茶は(もう出していただかなくても)けっこうです」というふうに( )内の意味を補える場合は拒否になります。


「けっこうです」があいまいとは、私はあまり思いません。「お茶はいかがですか」に対し「もうけっこうです」と言ったのに、お茶を注がれるということはないでしょうし、「どうです、これからちょいと一杯」と言われて「けっこうですね」と答えれば、同意と解釈されるはずです。ここで「けっこうです」と言うと拒否だと思われるでしょう。「いや」とか「もう」とか、そのほかの文脈の助けによって、意味が一つに確定します。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2004年 01月 10日 土曜日 23:59:37)

「結構です」が曖昧ならば、「いいです」も曖昧だということになってしまいますね。

ですから、これは「結構」という言葉が曖昧なのではなく、使い方によって曖昧になってしまうものだろうと思います。


「もう結構」の手許の用例としては、昭和一〇年頃の「ドクラマグラ」にあります。



 しかし私は慌てて押し止めた。

「イヤ。モウ結構です」

 と云ううちに両手を烈しく左右に振った。


posted by 岡島昭浩 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月27日

働き中毒(波江究一)


私の現状はワーカホリックとは程遠いのですが、いはゆる高度成長を支へた日本人の典型として。この詩形の普及に私が働き詰めになるやうであれば、日本も叉別の運気が開ける所あるかと思ひまして紹介。平成初期の作です。


海老釣り舟など漕ぎ

しばらく休みたい

餌を下ろせ

前乗れ

チヨムボめ

もう遊んで居るわけにゆかぬ


えひつりふねなとこきしはらくやすみたいぬゑさをおろせまへのれ

ちよむほめもうあそんてゐるわけにゆかぬ


posted by 岡島昭浩 at 18:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月15日

フセイン元大統領(hiroy)


フセイン元大統領が米軍により拘束されましたが、朝日、読売、毎日、

共に「前大統領」ではなく「元大統領」としています。「前大統領」と

しないのは、体制そのものが崩壊したためでしょうか?

「前大統領」としてしまうと、「現大統領」がいるかのような印象を受

けます(もっとも本人は今でも「イラク共和国大統領」と名乗っている

ようですが…)。


今後イラクの新政権が樹立され、「大統領」というポストが設けられた

場合でも、間に暫定占領期間を挟むため、あるいは体制が刷新されたと

いうことで、フセイン氏に対してはやはり「元」を使用することになる

のでしょうか。


ソ連崩壊後、エリツィン時代のゴルバチョフ氏は「前大統領」「元大統

領」どちらで呼ばれていましたっけ…。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 15日 月曜日 18:19:29)

まずは参考ページですが、道浦俊彦さんの「平成ことば事情」に考察があります。2003/8/4の記事です。

ことばの話1315「フセイン大統領は元?前?」



hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 16日 火曜日 14:47:56)

さすが道浦さん、既にチェック済だったのですね。

道浦さんのページ中の引用部分「例え直前でも「元」とする考えが…増え

つつある」という箇所は少し気になりました。読者・視聴者としては、

「前」と「元」を適切に使い分けて報道してもらった方が分かりやすい

と思うのですが、如何でしょうか。


ところでフセイン大統領ですが、米国では単に"Saddam"または"Saddam

Hussein"です。話し言葉ではフルネームが多いと思います。逮捕後のマイ

ケル・ジャクソン容疑者の例のように、一般的にニュースではフルネーム

でない場合はラストネームを用いると思いますが、フセイン元大統領の

場合は例外のようです。"Former President"という表現も見聞きしません

(英語では「前」も「元」も区別ないですね)。


またブレマーCPA代表の会見冒頭、"Ladies and gentlemen, we got him."

という表現は、いかにも英語的だと思いました。これが日本だと、

「フセイン元大統領を拘束しました。」と堅苦しくならざるを得ない

と思います。


posted by 岡島昭浩 at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月11日

一貫は何個?(道浦俊彦)

近くの回転寿司屋に行ったところ「四皿八貫」と書いてありました。私は寿司「一貫=2個」と思っていましたが、「四皿八貫」というのは、写真を見ると「8個」だったのです。つまり、この回転寿司屋では「一貫=1個」ということになります。果たして「一貫」は寿司何個なのでしょうか?


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 11日 木曜日 14:40:57)

私も疑問に思い(自身がないので)ネットで調べてみました。

中国四国農政局統計部のWebサイトに「すし(寿司)はなぜ一貫(いっかん)
二貫と数えるのでしょうか」という質問と回答があります。そこでの説明
によると、「一貫=1個」のようです。
(ただこのサイトで引用・紹介している文章のオリジナルですが、引用元
の日本橋・都寿司さんのホームページには発見できませんでした。「詳し
くは農林水産省「消費者の部屋」等へおたずねください。」としていて
電話番号まで載っていますが…。)
他のサイトもいろいろ見てみましたが、やはり「一貫=1個」ばかりのようです。

ところ関連話題ですが、ネットを調べていて「なぜ握り寿司の単位はカン
(貫)なのか?」という話題を多く発見しました。
雑学大作戦:知泉 寿司
重箱の隅 vol.610
食に関する雑学

中国四国農政局統計部:寿司の数え方


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 11日 木曜日 16:16:08)

とりあえず

関連スレッド


posted by 岡島昭浩 at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月09日

魚ぐし(りとる)


分からない単語があるので、皆さんに教えていただきたいのですが・・・。

魚ぐし、とは何でしょうか?

志賀直哉さんの『城の崎』の単語調べをしているのですが、検索しても出てきません。過去の記事を見て「動騒」も初めて知ったので、教えていただきたいです。

どうか宜しくお願い致します。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 10日 水曜日 00:43:56)

 『広辞苑』程度の辞書でも載っています。


また、googleで検索しても、いろいろとひっかかりますよ。

google魚串



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 10日 水曜日 12:45:46)

「うお」でなく「さかな」と読んでしまうと辞書では引けないですね。

「魚串」でなく「魚ぐし」でも少しは検索できました。


posted by 岡島昭浩 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月08日

「さようなら」はいつ使いますか?(くくる)

すご〜〜〜く基本的なことなんですが、「さようなら」を日常会話で
どのような場面、頻度で使っていますか?
私はほとんど使いません。

仕事場で別れるときは、「お疲れ様でした。」「失礼します。」「お先です。」
を「さようなら」のかわりに使います。

日常会話で明日も会う人たちに「さようなら」というのは、なんか
おかしな感じがしてしまいます。

多分私の中で 「さようなら」という言葉は本当の別れ、
例えば彼氏・彼女と別れる、卒業する。
などのイメージがあるのかも知れません。

皆さんはどうですか?


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 09日 火曜日 10:05:58)

 私の場合、「お先に」などと声をかけられた際、「はい、さようなら」と答えることも多いような気がします。これは主に学生さんに対するときのことのような感じです。

「お疲れさまです」と答える場合もありますが、「ご苦労様です」や「お疲れさまです」が、使いにくく感じている状況もあるのかもしれません。ただ、「お疲れさま」「ご苦労様」の場合、「さようなら」よりは、相手に気を使っている気もしますし、言葉選びはむずかしいところです。

教えてください(ご苦労様)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 09日 火曜日 16:25:18)

自分は「さようなら」をどういう時に使うか、思い返してみてもよく思い出せないことにがっかりします。

人のことはよく分かります。学生の中には、教室から出るときに「お疲れさまです」と言って帰る者があります。あれはアルバイト先で覚えてくるのでしょうね。なんだか非常に違和感がある。不愉快でもある。この不愉快さを分析して行くと、よく言われる「目下の人には『ご苦労さま』を、目上の人には『お疲れさま』を使いましょう」という説があまりにも一面的であることを痛感します。

こういうとき、学生にはやはり「さようなら」と言ってほしいのです。


くくる さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 10日 水曜日 14:19:27)

岡島昭浩さん、Yeemarさん ありがとうございました。

私がこの質問をしたのは、外国人の友達に別れの言葉
「さようなら」「失礼します」「お疲れ様でした」の使い分けを教えてほしいと
言われたのがきっかけでした。
後者2つは簡単に答えられたのですが、Yeemarさんがおっしゃっられているように、私も
自分は「さようなら」をどういう時に使うか、思い返してみてもよく思い出せなかったからです。

でもお二人のコメントを読んで気づいたんですが
私も、学生時代は学校の先生に対して「さようなら」を使っていました。
社会に出てから「お疲れ様でした」「失礼します」を覚えてから
使わなくなったようです。

それが日常ですから、「さようなら」を使うと違和感が生まれるのかもしれません。

社会に出て、覚える言葉も増えますが、その代わりに使わなくなる言葉も
出てくるのですね。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 10日 水曜日 14:42:16)

「さようなら」は、「左様ならば失礼します」とか「左様ならばごきげんよう」といったものの省略が挨拶の言葉になったのだと思います。
「失礼します」とか「お疲れさまでした」という気遣いやねぎらいの言葉があるのはよいものの、それに加えて「さようなら」と挨拶するべきなのではないでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 10日 水曜日 15:25:22)

唯川恵『夜明け前に会いたい』(新潮文庫)には、

〈あ、おはようございます〉〈おっす、親孝行してるじゃないか〉〈じゃな〉〈こんにちは〉〈ごめんなさい〉〈恒さん、ごちそうさま〉〈じゃあ私はここで、おやすみなさい〉〈すみません、いただきます〉〈失礼します〉〈ありがとう〉〈ただいま〉〈いらっしゃいませ〉〈行って来ます〉〈こんばんは〉〈初めまして
などとありとあらゆるあいさつが出てくるのですが、「さようなら」だけは見当たりません。もしかしたら使われていないのかもしれません。まだすべてをデータベース化していないので、いい加減なことは言えませんが。3分の1ほどはデータベース化しています。


くくる さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 12日 金曜日 10:36:21)

skid さんありがとうございました。

なるほど、そうですね「お疲れ様でした」はそもそも「さようなら」とは別の用法ですね。確かに、道で偶然あった方に対して別れるときに「お疲れ様でした」とは言いませんし・・。話しをするだけで、共に何かの作業・労働をしたわけではないので、労いの言葉は使えないということですね。


Shuji さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 13日 土曜日 10:43:49)

「さようなら」は大人の男性同士では使いにくい気がします。相手が子供や学生の場合は抵抗無く使えるし、相手が女性の場合も使っているかもしれません。
「ごめんなさい」などもそうなのですが、大人の男性同士では使いにくい表現が日本語にはけっこうあるのではないでしょうか。つまり、「さようなら」は基本的には子供・学生・女性が無理なく使える表現で、大人の男性が使う場合は子供・学生・女性に合わせた形で使う、というところではないでしょうか。
「さようなら」や「ごめんなさい」などの表現には社会的公的要素が少なく、個人的私的な匂いがあまりに出過ぎて、社会的公的立場で挨拶をする傾向の強い大人の男性同士だと、違和感があるのではないかと考えています。

因みに、私が管理人の「日本語を考える会 掲示板」で<「お元気ですか」はどんな時言うのか?>が話題に出たことがあります。

バルセロナ
Shuji(天野修治 改め)

「日本語を考える会 掲示板」


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 13日 土曜日 20:43:07)

> 唯川恵『夜明け前に会いたい』(新潮文庫)には、……まだすべてをデータベース化していないので、いい加減なことは言えませんが。

その後、全部の文章をデータベースに入れました。約290ページほどの小説で、内容は、公的な会話(OLの仕事場)と、私的な会話(家族や友人、恋人)がほぼ半々ぐらい。

これを用いてあいさつを検索してみると、「さようなら」「さよなら」はやはりありませんでした。「失礼します」に類する語は3例、「ご苦労さま」に類する語は5例、「お疲れさま」は1例でした(必ずしも別れの場面だけではありませんが)。


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 15日 月曜日 14:35:01)

本題と関係なく大変恐縮ですが、Yeemarさんに質問があります。
「全部の文章をデータベースに入れました」とのことですが、どのよう
に入力されているのでしょうか?すべて手入力でしょうか?それとも
OCRソフトを併用されているのでしょうか?
(データベースというのはテキストファイルかと想像しております)

何か良い方法があるのならば(良いOCRソフトなどありましたら)参考に
させて頂きたく思います。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 15日 月曜日 15:13:07)

hiroyさんへ、新しい文庫本などはOCRソフトを使用して、音声読み上げソフトで読み上げさせて校正をするという方法をとっています。古いものは手で入力せざるを得ないこともあります。OCRソフトはパソコンを買ってきたときにたまたま付いていた「読んde!!ココ」というもので、他にどういうものがあるのかあまり知りません。昔々「e.Typist」というのを使っていましたが、時期が異なるので比較できません。オートドキュメントフィーダはないので、手差しで、1日2時間を費やすとして1冊につき1週間ほどの作業量です。決して能率は良くありません。

データベースというのは、文章の一文一文を切り離してデータベースソフト、表計算ソフトに流し込むという意味合いで書きました。つまり、テキストファイルそのままを保持しているのではない(テキストファイルそのままを持っているといつしか著作権侵害のタネになりそうでもあるので)という意味合いを込めています。


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 15日 月曜日 16:57:01)

Yemmarさん
早速のご返答、ありがとうございます。「音声読み上げソフトで校正す
る」というのがポイントですね。なるほどと思いました。しかしそれに
しても1日2時間x7日間とは、なかなか大変な作業ですね(私にはできそう
もありません…)。オートシートフィーダがあったとしても、一度コピー
する必要があるので、手間はかかりますね。

OCRソフトですが、かなり前(7〜8年程前)にOmniPageが良いという話を
耳にしましたが、今Webで確認してみたところ、欧文専用でした(昔は日
本語にも対応していたのかも知れません)。最近はOCRソフトも比較的安
価になりましたが、実用的に使えている、ということですね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 15日 月曜日 22:56:05)

>オートシートフィーダがあったとしても、一度コピー
>する必要があるので、
私はコピーせずに、切り離してADFに掛けております。スキャンするだけならば、二時間で何冊か出来ます。いいですよ。今は消耗部品を換えていないので、一枚ずつ手で挿していますが、好調時は傍についていなくても表裏で百ページぐらい読んでくれるので、もうフラットベッドには戻れない、というところです。


hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 16日 火曜日 13:49:53)

岡島さん
以前は「オートシートフィーダ」と呼んでいたように思うのですが、最近
は「オートドキュメントフィーダ(ADF)」なのですね。両面取り込みができ
るというのは存じませんでした。コピー機やプリンタには両面機能があり
ますから、スキャナにあっても確かに不思議ではないですね。
もしかして複合機でしょうか。自動給紙で両面取り込みというのは強力で
すね。こうなるとあとは、切り離さなくても頁を自動的に捲ってスキャン
してくれる装置が発明されれば、言うことなしですね(著作権の問題が出
てきそうですが…)。

#本題から外れてしまい申し訳ありません…。> くくるさん


くくる さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 16日 火曜日 17:34:00)

hiroy さん、私の質問の答えはもう出ているのでご心配なく。。

Shuji さんありがとうございました。
私は女性なのですが、「さようなら」をほとんど使いません。
Shuji さんがおっしゃるように、以前は「大人の男性同士では使いにくい表現」というのが明確だったように思います。
でも、女性の社会進出にともなって、女性にも使いにくい言葉、表現が出てきたのかもしれませんね。

Yeemarさんのデータも大変興味深いです。
小説が今の世の中全てを表しているとは思わないのですが、
一言も「さようなら」が出てこないとは、、、。

みなさん、ありがとうございました。
大変勉強になりました。
また、わからないことが出てきましたら質問させてください。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 16日 火曜日 22:11:12)

ADFについては、下で。

HP


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 25日 木曜日 09:37:28)

「さようなら」は、保育園児の息子が、毎日「先生さようなら、また明日!」と使っています。学校では使うかもしれません。


posted by 岡島昭浩 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月05日

会話記号の成立年代について質問致します(藪野直史)


高校の国語教師をしている者ですが、

現在我々が用いている、会話記号であるかぎかっこ


 「 及び 」 二重かぎかっこ 『 及び 』


は、いつ成立したものでしょうか。同様な記号を他国では見かけないことから、日本独自のものかと思われますが、成立年代及びルーツをお教え願いたく、質問致しました。

浄瑠璃本や詩吟、伝統邦楽楽譜等に似たような記号を見かけたようには思い、ネット上の日本語関連のサイトに質問しても答えが得られません。

よろしくお願いいたします。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 05日 金曜日 20:55:18)

大熊智子「引用符を用いた会話文表記の成立」『東京女子大学日本文学84』 (1995/09)を探しています。

おっしゃるように、近世期の似た符号(庵点)と関連づけた論でした。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 18日 木曜日 10:20:57)

 手許で探したもののとうとう見つからず、図書館に行って見ることにしました。


 カギ括弧を、始まりと閉じにわけて、始まりは近世期にある庵点から、閉じを、やはり近世期にもあった漢文の「鈎画」(段落を示すもの)から、それぞれ来ているとしています。


 「閉じ鈎括弧が登場するようになるのは明治に入ってしばらくしてから」ということです。


 また、庵点が現在のような始まりのカギ括弧になったのには、木版から活字への変化が与っているであろうということです。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 18日 木曜日 10:26:53)

 会話ではなく、引用であることを示すカギ括弧のようなものは近世期からあって(大森氏は「鈎括弧(甲)」と称して、会話を示す「鈎括弧(乙)」と区別)、これには、「」のみならず、『』のような形状もありました。庵点と同様に、一字のなかに収まってはいませんが。



藪野直史 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 19日 金曜日 08:28:26)

岡島先生、誠にありがとう御座いました。本来なら、御紹介頂いた論文を自ら探しに行くべきでありました。本件に関して疑問に思っていた同僚達に早速報告致します。


posted by 岡島昭浩 at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月04日

いろは風味の讃美歌 クリスマス日本化の為に(波江究一)


やがてクリスマスですが、信仰も無くて国民的祭になつて居るは文化上不健全と思ひ、信徒ではありませんが、実質基盤を賦与せうと、わが国独特のいろはの詩法を用ゐて制作してみました。省略飛躍で意味通じ難いところは英訳の中に敷衍してあります。これを通してクリスマスが実態あるものになり、それ以上に日本語の比類無き特質が

内外に認知されむことを願ふものです。


奇し霊孕む

処女より生れて

罪を癒せる子

諸音植ゑ匂へ

率ゐ結ふ縁ぞ

我が名消さぬ野路


くすしたまはらむおとめよりあれてつみをいやせるこ

もろねうゑにほへひきゐゆふえんそわかなけさぬのち


When the child who purifies our crime

Is born from the maiden belly conceived by the Holy Spirit,

We will play all good tones.

And we connect solidarity with unknown people,

And we will parade a field, reciting an immortal name.


posted by 岡島昭浩 at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月02日

たのしいひなまつり(高橋半魚)


ご無沙汰しております。疑問に思ったので、お智恵拝借と存じまして、書き

込みさせていただきます。

 サトウハチロー作詞の「たのしいひなまつり」という有名な歌がありますが、

2番の歌詞の「お嫁にいらした姉様に」のところを、「我が家にお嫁に来た」と

理解していましたが、これを「他家にお嫁に行った」という風に解釈することは

可能でしょうか。

前者で思ってたので、家父長制下で嫁がいびられてるいやーな歌だと思ってま

したが、後者なら実姉を想起している末娘みたいな、けっこういい歌だな、とお

もいまして。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 21:18:49)

詩の世界のことなので感受性が問題となりましょうが、

「おや、この官女は今度お嫁にやってきたお義姉さんによく似ているわ」

というほうが詩らしいか、それとも、

「この官女の白い顔を見ていると、お嫁に行かれたお姉さまが思われる」

というほうが詩らしいか、という問題でしょう。どうも私には後者のほうが詩らしく思われます。


もう一つは、詩的世界の中で「嫁に行った姉を思う」というテーマと「嫁に来た義姉を慕う」というテーマとどちらが一般的かということもあろうかと思います。前者のほうが何となく一般的のような気がします。たとえば、「十五で姐やは嫁に行き」(赤とんぼ)など……そのほかにすぐ思いつきませんが……。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 21:56:51)

 まず、「いらした」の両義性を確認するところから話は始まるのでしょう。


 「いらっした」あるいは「いらしった」は、「いらっしゃる」の〈タ接続形〉でしょうから、これは、「行く」でも「来る」でも「居る」でも、どの意味でもよいのでしょう。「〜〜にいらっしゃる」の場合は「居る」ではないでしょうから、「〜〜に行く」か「〜〜に来る」か、いずれかの意味となると思われます。


「いらっしゃる」は、元は「いらせらる」ですから、本来は「入る」の尊敬なのでしょうが。


「赤とんぼ」の「ねえや」は、姉ではなく、子守さんであろうと思っております。「お里」から子守奉公に来ていたが嫁に行った、その後しばらくは「お里」からも、奉公先(良縁を得るきっかけともなった?)へ便りが届いていたが……、という具合に。



後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 23:07:38)

亡くなった姉へのレクイエムだとの説もあるそうです。

宮地楽器ピアノ技術課 音楽情報誌 Together28号



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 03日 水曜日 00:32:25)

「赤とんぼ」の「姐や」については、何となく引っかかりを感じつつも、書いてしまいました。実姉であれば、どこか他の家が「お里」でそこから便りが来るというのは考えられないので、やはり子守の姐やですか。



高橋半魚 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 03日 水曜日 18:23:15)

 みなさま、ありがとうございます。「たのしい」ではなく、「うれしいひなまつり」でした^^;。


>「いらっしゃる」は、元は「いらせらる」ですから、本来は「入る」の尊敬なのでしょうが。


 ふーむ。語義的には、やはり「お嫁に来る」の方が優勢なんでしょうかね。

現代語の感覚では、「来る」でしか解釈されないとも思いますし。

 ただ、「行く」で解釈するのも不可能ではない、ということでしょうか。


 後藤さんの紹介されていてサイトものぞきました。この歌詞は、作詞者の

実人生とストレートに繋がってるものではありませんが、参考になりますね。


 Yeemarさんのおっしゃっている、感受性の問題で言いますと、僕も、だんぜ

ん過去の想起のほうが詩的だろうと思っておるのですが、実際には案外少ない

かもしれませんですねえ。

 「赤とんぼ」は、時制と想起の面でも、童謡の中でピカ一の出来ですね。木

越治さんの意見ですが、歌謡曲ではちあきなおみの「喝采」が最高傑作だとか。

すいません、話題がずれました。


 



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 03日 水曜日 20:07:30)

>現代語の感覚では、「来る」でしか解釈されないとも思いますし。

ですか? 半魚さんは。


「外国にいらしたことありますか」

は×でしょうか。



高橋半魚 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 04日 木曜日 16:27:15)

>「外国にいらしたことありますか」

>は×でしょうか。


 なるほど。○ですね。


はい、これからは「お嫁に行った」論者になろうと決意しました。



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死体と死骸(道浦俊彦)


大阪の堺市で、酪農会社が牛の死体を無許可で処分していたというニュースが流れました。その中で読売テレビでは「牛の死体」と表現したのですが、NHKは「死んだ牛」と表現していました。辞書によると、人間もほかの動物も「死体」とするとありますが、「牛の死体」には違和感があるという声もありました。「死体」と「死骸」の区別は、どのあたりで線を引けるのでしょうか?虫は「死骸」ですよね。哺乳類は「したい」でもいいのかな、とも思います。物理的な「大きさ」が基準でしょうか?でも、「食用」にするものとそうでないものは、違うようにも思いますし・・・。

最近、テレビのニュースでは、人間の場合はほとんど「遺体」を使うので、動物なども「死骸」から「死体」へと相対的にランクアップしたのでしょうか?



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 18:03:56)

かつて「8時だョ!全員集合」の食堂のコントで、客の加藤茶かだれかが「おやじさん、この○○って料理はどうやって作るの?」と聞いたのに対し、おやじのいかりや長介が「これはだな、魚(または牛、豚だったか?)の死体を切り刻んでだな……」と言っていたのがおかしかったという記憶があります。「死体」という言い方がなまなましくてギャグになるわけで、NHKの表現はそのあたりを考慮したものでしょうか。


辞書では「死骸」も人に使って問題なしであるようですね。また、べつに「死骸」→「死体」→「遺体」と「序列」があるわけではないと思います。ですが、私の感覚ではこんな感じです:


・「虫」は「死骸」

・「のら犬・のら猫」は「死体・死骸」

・「食用牛」は何とも言えず(食料だから)。言うとすれば「死んだ牛」

・「パンダ・飼い犬・飼い猫」は情がどれだけ移っているかによって「死骸・死体・遺骸」(ただし『朝日新聞用語の手引』によれば「×<遺体>パンダの遺体→○パンダの死体 *「遺体」は「死体」より丁寧ないい方で、獣には用いない」。たしかに、「遺体」は「「死体」に比べて人格性をこめていう」(大辞林)だそうだから、さすがに「パンダの遺体」は不適切だと思います)

・ふつうの「人」は「遺体」(推理小説なんかでは「死体」。報道では「遺体」。『放送で気になる言葉』改訂新版 p.31では「「この事故で、現場には死体が残されており〜」の用例で、「死体」は生々し過ぎるのではないかと指摘があった」)


用例を調べると違ってくると思います。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 18:16:50)

いや、「ゴキブリの死体」と言うから、「虫・のら犬・のら猫」は区別なく「死体・死骸」と言いそうです。


「遺骸」をパンダには使えると言いつつ人には使えないとするのはへんなようですが、私は「〜骸」は人に使いにくい感じをもちます。



NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 03日 水曜日 02:34:04)

家畜は「屠体」が一般的だと思います。⇔「生体」

事故死や病死の場合は「死体」ですが。


ちなみに「屠体」は広辞苑、大辞林、新辞林になし。

新辞林は「屠畜」もありませんでした。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 06日 土曜日 06:39:04)

「死体」と「死骸」ですが、私の個人的な感覚では、以下のように使い

分けています。


・「死体」 → 死後、まだ血液や体液などの水分が相当残っている状態

・「死骸」 → 血液や体液などの水分が相当なくなり、干乾びた死体


換言すれば、「生々しいかどうか」ということでしょうか。

「死体」→「死骸」と変化することはあっても、「死骸」→「死体」と

変化することはない、ということになります。


従って私の場合、動物、昆虫など、植物以外の全ての生物に対して「死体」

「死骸」共に使用します(但し人間は例外)。例えば「ゴキブリの死体」も

使いますが、一般的に昆虫の場合はすぐに干乾びてしまうため、「死骸」

の方を使うことが多いように思います。「牛の死体」も特に違和感ありま

せん。


人間については「死体」「遺体」「遺骸」を使いますが、「遺体」と

「遺骸」の使い分けは不明確です。


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2003年11月24日

マイケル容疑者かジャクソン容疑者か(道浦俊彦)


「苗字+容疑者」なら「ジャクソン容疑者」です。新聞はみな、そうなっていますが、テレビでは「マイケル容疑者」も見られます。フジ・テレ朝の読みとと、TBSの字幕のみが「マイケル容疑者」でした。「真須美容疑者(被告)」を思い出させましたが、あちらは最初「健治容疑者」もいたことですし、「同姓忌避」ということでわかりますが、これは、「愛称優先」ということでしょうか。



NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 24日 月曜日 20:35:00)



21日の朝のニュースで「マイケル・ジャクソンは、…マイケル・ジャクソン容疑者は」と言い直したのを聞きました。フジテレビだったか。芸名の呼び捨てに慣れていると、つい間違ってしまうのでしょうね。

本業以外の報道で、突然「○○容疑者」の呼称や「○○さん」の敬称がつくと、一瞬誰のことかと思ってしまいます。名字だけ・名前だけ


当日夕刊の各紙の表記。


朝日

(社会面のみ)「M・ジャクソン容疑者」、「マイケル・ジャクソン容疑者」×1回、「同容疑者」×6回。


毎日

第1面:「M・ジャクソン容疑者」×1、「マイケル・ジャクソン容疑者」×2、「同容疑者」×4。

社会面:「マイケル・ジャクソン容疑者」×1回、「同容疑者」×6、「ジャクソン容疑者」×2。


読売

第1面:「M・ジャクソン容疑者」×1、「マイケル・ジャクソン容疑者」×2、「同容疑者」×4。発言引用中「マイケル」×2。

社会面:「マイケル・ジャクソン容疑者」×2、「同容疑者」×3、「ジャクソン容疑者」×11。発言等引用中「マイケル・ジャクソン」×2。その他「マイケル邸」×1、「ジャクソン宅」×1。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 06日 土曜日 05:08:02)

米国三大ネットワーク(CBS,ABC,NBC)およびCNNのニュース番組では

"Michael Jackson"または"Jackson"でした。従来は"Michael Jackson"

または"Michael"だったのではないでしょうか。


また日常生活であまり敬称を使わないためか、"D.C. area sniper suspect"

というように事件名に"suspect"を付けることはあっても、直接名前に

"suspect"を付けた言い方は聞かいないように思います。

日本では日常的に敬称を付ける習慣があるため、最近は人権上の配慮から

「容疑者」を付けますが、以前は逮捕されると呼び捨てでしたよね。


ところで「シュワちゃん」は加州知事選後、「シュワ氏」になりましたね。


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2003年11月18日

ふたつ以上の音便形(booko)

はじめて書き込みいたします。


ふと疑問に思ったことなのですが、ひとつの活用形、もしくはひとつの形に対してふたつ以上の音便形がある場合があるのですが、それはどのようにしてできたのでしょう。


たとえば「歩きて」に対して「歩いて」「歩って」、「買いて」に対して「買って」「買うて」という2種類が考えられます。私自身は「歩いて」「買って」が標準で、聞けば理解はしますが「歩って」「買うて」を使うことはありません。

「起きる」「生きる」「尽きる」などは音便がないのに「飽きる」だけは「飽きて」のほかに「飽いて」という形もあります。


このように音便形が複数あったり不規則だったりするのは、なにが原因なのでしょうか。口の開きなんかが関係あるのかな、とは思いますが、自分ではとても結論を出すに至りません。どなたかご教示いただければ幸いです。


(余談ですが、先日の国語学会で岡島先生を一方的に発見しました。先生がいらっしゃった会場にいたのですが、たいへんな司会をうまくこなされたなあ、と思いました。お人柄のなせる業ですね。。。)



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 00:18:20)

 まず、答えやすい所から。


 「飽きる」には「飽かん・飽く」という五段活用のものもあります(主に西日本で使われているものですが)。「飽きて」は「飽きる」のテ接続形であり、「飽いて」は「飽く」のテ接続形であるわけです。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 00:29:04)

 「歩って」は江戸っ子風の言い方という気がしますが、その江戸(東京)に於いて「歩いて」と「歩って」とがどのような関係になっているのかを知らないのでいい加減なことを書けませんが。


 「歩って」は「行って」と同様、カ行五段動詞が、イ音便ではなく促音便になった形ですね。他の多くのカ行五段動詞はイ音便になりますが、促音便になるのはその例外と言えるものです。「行く」の音便形が、「行いて」にならずに(「ゆいて」ならありますが)、「行って」になった理由については、考察した論考がありますが、「歩って」についてはどうでしたでしょうか。




岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 00:35:21)

「買う」のようなハ行四段動詞(アワ行五段動詞)の音便形は、東日本では「買って」のような促音便になり、西日本では「こうて」のようなウ音便になるわけですが、なぜこのようになるのかは、東日本方言は子音優位の方言であり、西日本方言は母音優位の方言であるから、などといわれることもあります。


なお、東日本で「買うて」のような、ウ音便が使われる場合には、固さ・古めかしさということがありそうです。「問うて」「請うて」が「とって」「こって」にならないのは、オ段という音のせいではなく、「問う」「請う」が、口語ではなく、堅い言葉だからだろうと思います。



booko さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 20日 木曜日 00:48:26)

夏の課題で、大阪出身者の発音と自分(東京の、武蔵方言に入る地域でしょうか。基本的にはNHK発音とほとんど変わらない感じです。)の発音の比較をやってみたのですが、そう言われれば母音の出方にはかなり差がありました。実際に発音してみても、アクセントをコピーするだけではちっとも大阪弁らしく聞こえないのは、声の出し方そのものに違いがあるからなのですね。


このほかに、自分の中で揺れがある形としては、「おおきい」と「おっきい」、「そうか」と「そっか」、「ばかり」と「ばっかり」などがあります。「なにが悲しゅうて」のようにウ音便を使うときは、確かに古めかしい感じを出したいときに使います。促音便はぞんざいな感じのときに多く使うかもしれません。


「行って」と「行いて」についても含めて、自分でももう少し勉強してみます。ご教示ありがとうございました。




岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 22日 土曜日 01:28:08)

 ハ行動詞のウ音便と、形容詞のウ音便は、同じ名前ではありますが、別物であると考えて置いた方がよいと思います。


 同様に、ハ行動詞などの促音便と、「おっきい」などの促音化も、別物であると考えておいた方がよいかと思います。ハ行動詞などの促音便は、もはや促音便化しない「原形」では使えないものになっていて、これを話し言葉で使うと滑稽になります。「ではいっしょに歌いてください」のように。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 01:51:30)

 ハ行動詞のウ音便と、形容詞のウ音便は、別物ですが、似ている部分もありますね。ともにテに接続することがあります。


 「ちごうて」はハ行動詞のウ音便ですが(非音便形は「ちがひて」)、これが形容詞のウ音便であると誤認されると、非音便形は「ちがくて」(あるいは「ちごくて」)になってしまいます。

実はそれって ちがくテ?



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 14:43:07)

以前、「ことばの話(平成ことば事情)175あるって」で、書きました。それを転載します。ちなみに私は「あるって」は使いません。方言だと思いますよ。

**********************************

関東の方で時々耳にする若者言葉で「あるって」というのがあります。

「歩いて」の意味ですが、なぜ「歩いて」が「あるって」になるのか疑問に思い、考えてみました。

そもそも「歩く」という動詞の連用形は「歩きて」ですが、その「き」がイ音便で「い」になって「歩いて」となります。このパターンの他の五段動詞の例を挙げると、

「書く」=「書きて」=「書いて」

「泣く」=「泣きて」=「泣いて」

「空く」=「空きて」=「空いて」

などです。

また、「走る」の連用形は「走りて」から「走って」と促音便になります。

「飲む」=「飲みて」=「飲んで」、「読む」=「読みて」=「読んで」とともに撥音便になります。このように五段動詞の連用形は、単語によって形が違う、ということに気付きました。

そこで「あるって」ですが、その形から言うと、「連用形が促音便になっている」わけです。上にあげたように、促音便の動詞には「走る」があります。

そこで同じような動作の連想から、

「“走る”が“走って”となるなら、“歩く”も“あるって”となってもいいんじゃないか?」

となって「あるって」が出て来たのではないか?と考えました。

それにしても「歩く」より「あるって」の方が促音便の分、はずんでいて、スキップくらいのスピードがあるような気がしませんか?

武庫川女子大学の言語文化研究所長・佐竹秀雄先生にメールで疑問について尋ねたところ、


“五段活用の動詞の音便は、活用語尾の行、すなわち何(なに)行の活用で

あるかによって連用形の(音便の)形が決まります。”


ア行は「促音便」(例・言う) ナ行は「撥音便」(例・死)

カ行は「イ音便」 (書く) バ行は「撥音便」 (転ぶ)

ガ行は「イ音便」 (泳ぐ) マ行は「撥音便」 (読む)

サ行は「し」 (刺す) ラ行は「促音便」 (売る)

タ行は「促音便」 (立つ)


“但し唯一の例外は、「行く」。これはカ行なので「イ音便」になるところですが、なぜか「促音便」になるのです。”


というお返事でした。

また、こういった五段活用の音便問題は、ワープロの変換処理のような言語情報処理に使われているそうです。なるほどねえ。日頃“穏便”な生活を送っていると、あまり“音便”には触れないものですねえ。


その後読んだ「留学生と見た日本語」(佐々木瑞枝著・新潮社)という本に、「てフォーム」という形で載っていました。ちょっとだけ抜粋すると、

「書くと言う動詞のあとに“て”をつけてその後に動詞を続ける。“書いている”とか“書いてしまう”他にも“書いてあげる”“書いてくれる”“書いてみる”。たくさんあるでしょう。こういうのを“てフォーム”っていうの。そして“て”の後に来る動詞の意味は本来の動詞の意味と少し違ってくる。」

「それがね、とてもおもしろい規則があるの。例えばさっきの書くという動詞、終止形が“く”でしょ、それが“い”に変わる、つまり書くは書いてになる。他にも終止形が“く”で終わる五段動詞考えてみて」

といった感じです。

なお、著者の佐々木さんは日本語教育者で、現在、横浜国立大学の教授です。


「あるって」を聞きました!2001年7月2日、北海道大学に取材に行った時に、極光警備という会社の警備員のおじいさん(70歳ぐらい)が「あるって5分くらいかな」と使っていました。




Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 17:22:28)

備忘のため記します。これが基本文献でしょうか。

橋本四郎「「行く」の音便」(『女子大国文』12 1959.02)



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 17:40:41)

それと、

迫野虔徳「カ行イ音便の形態的定着」(『語文研究』31・32 1971/10



ですね、「行って」については。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 12月 02日 火曜日 17:46:18)

 二段動詞に音便のないことについては、


かめいたかし「 《―キ(―)>―イ(―)》のいすとうりあ(ものがたり)」(国語国文49‐1 1980/01)


があります。題名からだけでは分からないので。


#いつもぶっきらぼうな書き方で申し訳ありません。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 24日 火曜日 16:25:19)

関連して、不規則な活用にはどのようなものがあるか、集めてみます。


〔動詞編〕

四段動詞の不規則

 *連用形が促音便

 行って(×行きて)

  注 山田孝雄の文章に「勢力をうるやうになり行いたものであらう」

 *連用形がウ音便

 乞うて(×乞って)・恋うて・問うて・厭(いと)うて(厭って?)

  注 国木田独歩「富岡先生」(1902年発表、新潮文庫)に「梅子を恋{こい}ている」とあり。ルビはだれが?

下一段動詞の不規則

 あり得(う)る(アリエルも)

未然形なし

 ×有らない

命令形なし

 ×違え(他、多数あるはずなれども思いつかず)

終止・連体形がまれ

 「そぐわない」とは言うが「そぐうばかりの」などは比較的まれ

 ほださ(れる)・うなさ(れる)・気圧さ(れる)・焼け出さ(れる) 等は終止形なし(もしくは「れる」込みで1語)

 たむろって・もやって

活用種類の揺れに属すべきもの

 愛する・愛す 属する・属す 等

 耳を澄ませて―澄まして(澄ませる・澄ます)

 矢を射って(←射て)(四段←→上一段)〔誤り?〕

 おもねて(←おもねって)(下一段←→四段)〔誤り?〕

 しけた・しけった(どちらもあり?)

 「憂(うれ)い」(四段動詞の居体言形)・「憂うべき」(四段動詞終止形)はあれども「憂わない」とはあまり言わず「憂えない」と言う


新しい音便

 *促音便

 電話すっからさ 金がかかっだろ

 助動詞「う」を促音化 帰ろっか

 *撥音便

 行ってくんね!


〔形容詞編〕

終止形がまれ

 同じい

へんな連体形

 ごとかる「花のごとかる罪を抱きて(都はるみ・歌「邪宗門」)」


まとまりませんが、メモとして。このようなものをまとめたものは、ちゃんとあるのかもしれません。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 24日 火曜日 19:43:06)

> 未然形なし

>  ×有らない


「なし」は言いすぎですね。

「ハハハ……。主観的はよかったな。しかし君イ、むやみに主観的であられては、はたが迷惑するからな。(石坂洋次郎『青い山脈』〔 1947年発表〕新潮文庫 1968.01.15 47刷改版 p.175)


この書一覧のうえは、斧{おの}を磨{と}ぐ間もあらせず、即刻ハムレットの首を刎{は}ねるべし、という厳しい指令なのだ。(シェイクスピア・福田恆存訳『ハムレット』新潮文庫 1988年47刷改版 p.176)

後者は文語の残存かもしれませんが。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 25日 水曜日 14:04:50)

「〔元理化学研究所研究員で「遺伝子スパイ事件」の被告〕のDNA損壊はA〔という人物〕との悪化した人間関係に基づく幼稚な懲罰的発想による嫌がらせが主たる動機である」。理研を利そうとする意図については「そのような高尚なことは思いもつかなかった」。(朝日新聞 2004.02.25 p.23)
サ変動詞「利する」が四段動詞化した例で、めずらしいと思います。



後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 25日 水曜日 16:01:01)

田野村忠温 2001「サ変動詞の活用のゆれについて―電子資料に基づく分布―」(『日本語科学』9:9-32)に:

>一般的には

>「X」が促音・撥音・長音を含む場合はサ変のままであり、

>それ以外の場合にはサ五に変化している。

(Xは一字漢語)との観察があります。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 02月 25日 水曜日 18:14:40)

ありがとうございます。「利」は促音・発音・長音をふくまないので「利そう」になるのは一般的原理にかなっているわけですね。私にはこの語は目新しく、また、手元のいくつかの辞書(岩波・新選・新明解・集英社・新潮現代・明鏡・大辞林・広辞苑・日本国語大辞典の最新版)でも載せていません。ところが、『三省堂国語辞典 第5版』には、さすがに四段(五段)の「利す」が載っていました。また、『講談社日本語大辞典』では「利する」に「=利す」とあって、これは四段形もあるということでしょう。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 06日 土曜日 09:47:23)

形容詞「いい(良)」は終止・連体形以外を欠いています。もしくは、人によっては「よかった・よく・いい・いい・よければ」と活用する変格活用になりおおせているかもしれません。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 04月 02日 金曜日 06:20:06)

「べきだ」が変格活用だということについて以下に。

別スレッド「べき止め」について


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2003年11月16日

打ちっ放し(hiroy)


「打ちっ放し」という言葉についてご意見をお聞かせください。


「ゴルフの打ちっ放し」とは言いますが、「バッティングセンター」と

言うことはあっても「野球の打ちっ放し」とは言いません。

「打ちっ放し」単体で「ゴルフの打ちっ放し」を意味するようです。

このような使い方はいつ頃から始まったものなのでしょうか?


当方ゴルフも野球もしないのですが、この言葉は気になっていました。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 16日 日曜日 15:24:23)

タイトルだけを見てコンクリートのことかと思いました。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 19:15:55)

大部の『日本国語大辞典』にも、「打ちっ放し」については、コンクリートやゴルフのそれについての意味を記してあるだけで、古い例の引用などはありませんね。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 19日 水曜日 20:32:10)

 スポーツ俗語は用例を探すのが大変ですね。スポーツ用語集のようなものに載らないわけですから。また、この場合は練習場の呼び名ですから、中継放送などにも出て来ないような感じですね。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 20日 木曜日 04:46:21)

たしかにコンクリートにも使いますね。それにしてもなぜ野球には使わずにゴルフだけに???



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 20日 木曜日 06:48:03)

思うに、ゴルフでは自分が打った球を再び何度か打つために追って行くのが基本だからではないでしょうか。

野球では打者が一度打つだけで、あとは相手チームが球を追うことになり、もともと打ちっ放し状態です。



hiroy さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 20日 木曜日 08:50:17)

私はなんとなくですが、ゴルフ練習場では

「手元にあるボール」を「打ち放す」

のに対して、バッティングセンターでは

「向こうから飛んでくるボール」を「打ち返す」

からなのかな?と思ってました。

でも「打ちっ返し」とはいいませんね(^_^;。




NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 03:10:50)

googleで「"打ちっ放し" -コンクリート -RC -ゴルフ」を検索してみると、

野球の用例も出てきます。他に、パチンコやマージャンなども。


posted by 岡島昭浩 at 11:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする