2003年08月29日

〜となりました(畠中敏彦)


近くにある市営プールが閉鎖され、「当プールは廃止となりました」の横断幕が掲げてあります。ちょっと違和感を持ちました。

つまり、私どもが一方的に廃止したのでなく、行政上の要請で仕方なく閉鎖したのです、と他人事のように聞こえます(現に跡地に小学校が建設されるらしい)。

そうかもしれませんが、「当プールは廃止しました」の方が、私にはすなおに受け入れられるのですが。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 29日 金曜日 21:44:29)

 日本語では、「〜〜する」よりも「〜〜になる」と言うことが多いと言われます。


 「珈琲を入れました」よりも「珈琲が入りました」が選ばれやすいと言う。


 最近はやりの「〜〜になります」もそこあたりから来るものでしょうか。


 責任転嫁になってしまう、というのはそうですね。「廃止しました」なら「(書いている人が)廃止しました」であり、「廃止となりました」なら「誰それによって」は明示されないわけですから。


 「珈琲が入りました」なら「誰によって」が明示されないのは、むしろ奥ゆかしさとして誉められこそすれ(別の人が入れたのを自分が入れたかのように言うこともありましょうが)、「廃止となりました」のように良くない行為の場合には責任転嫁とされてしまうわけですね。


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2003年08月26日

「帽子」について教えて下さい。(福井県)


 福井大学を卒業し,中学校の教壇に立っています。授業中,「帽子」ということばについて生徒から質問がありました。「帽」という一字だけで頭にかぶるもの,おおうものという意味があるのに,「子」という字は何のためにあるのかということです。音と関係するのかと,これについていくつか調べてみましたが,明確な答えがみつかりません。「拍子」「杓子」ということばも,同様に最初の一字で意味を表しています。

 教えていただけたらと思います。よろしくお願いします。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 26日 火曜日 22:16:36)

 漢和辞典の少し詳しいもので「子」を引いていただけると分かると思うのですが、「子」には接尾辞とでもいうような用法があります。もともとは人間に付けたり、何か小さいものに付けたりするものだったのですが、次第に、あまり意味もなく付けられるようになっていったようです。


唐代ぐらいからそうなっていったと言いますが、宋代あたりになるともっと増えて行きます。「ス」と読まれる「子」は(「椅子」など)はそうですし、「ツ」と読まれるのは、もっと新しく輸入されたものです(「面子」など)。


なぜ、意味もなく接尾辞のようなものが付けられるようになったのかについては、難しい面もあるのですが、中国語が、一字一字が一語であったところから、時代が下るにつれて次第に2字で一語というのが増えてきたことと関係があろうと思われます。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 31日 日曜日 20:15:18)

「扇子」も同じですね。「韻」との関係はないのでしょうか?



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 01日 月曜日 19:35:59)

韻を踏むのは、違う言葉だけれども音のひびきが似ている、ということを楽しむものでしょうから、「子」という全く同じ意味を持つもので末尾を揃えても、それは韻を踏んだことにはならないと思います。少なくとも韻を踏むために「子」を付けた、と言うことではありません。



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2003年08月15日

ときしょなしに(道浦俊彦)


三重県上野市出身の両親が使う言葉で「ときしょなしに」というのがあります。googole検索で1件です。漢字で「時所なしに」と書いてました。これは「のべつ」の意味だと思うのですが、どの辺りまで広がる方言なのでしょうか?



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 15日 金曜日 19:21:35)

「時所なしに」だとすると、湯桶読みでおもしろいですね。


『日本方言大辞典』(小学館)には「ときしゅんなし【時旬無】」というのがあって、「時期、または時刻にかかわらないこと。奈良県南大和683」とあります(683は野村伝四『南大和方言語彙』1936)。これが関連あるでしょうか。これも湯桶読みです。


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2003年07月31日

肉声(道浦俊彦)

最近、イラクのフセイン元大統領の「肉声テープ」なるものが出まわったりしているようですが、この「肉声」、テープに録音された時点で「肉声」ではないのではないでしょうか?そういう「肉声」の使い方も「あり」ですかね??


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 31日 木曜日 20:11:49)

これは道浦さんが以前ご指摘の「犬の人形」や、時枝誠記の「赤い白墨」……等々と通じるものがありますね。ただ、「犬の人形」「赤い白墨」の場合は「人」や「白」の意味が希薄化しているということで説明が可能ですが、「肉声テープ」は、そういう説明がむずかしいですね。あえていえば「肉」の部分が希薄化して、「声のテープ」というような意味になっているのでしょうか。または「肉声」を「本人の声」というつもりで使っており、「本人の声のテープ」という意味になっているのでしょうか。

犬の人形


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 04日 月曜日 08:32:55)

私のコメント、さっそく「平成ことば事情」でご引用いただきました。冷や汗。

考え直してみると、「『犬の人形』や『赤い白墨』に通じるところがある。『肉』の部分が希薄化して『声のテープ』という意味になり、」の部分はやはり無理だと思います。「声のテープ」という意味になっているのならば、カタールやサウジのアナウンサーが代読したものも「肉声テープ」になってしまいます。前半部分はよけいでした。

ところで、私のもとには「NHKカセットブック 肉声できく昭和の証言」シリーズというのがあります。正確にはそのうちの1巻だけで、「宗教・思想家 文化人編8 柳田国男 折口信夫 金田一京助」(1992年発行)というものです。

むろん、柳田・折口・金田一本人の声が収録されたテープということです。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 04日 月曜日 13:13:54)

ちょっと違うんですが、本人の筆跡を見せるために図版として原稿とサインを載せる場合、「自筆原稿」「直筆サイン」という言い方でよいでしょうか。
原物じゃなくて図版になるから「肉筆」とは言わないですよね。
「自筆」と「直筆」の使い分けはよくわかりません。

また、「生原稿」というと、普通は印刷物になる前の書かれたままの原稿ですが、これは「活字原稿」(いちど雑誌などで活字化されたものを原稿として使い、別の雑誌・単行本などで再度活字にする)に対する言葉です。
「生テープ」というと、何も録音されていない使用前のテープです。
「生写真」というと、印画紙にプリントされたものですが、デジタルカメラで撮ったものをパソコンのプリンターで出したものも、やっぱり「生」なのでしょうか。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 04日 月曜日 21:00:38)

集英社新書の『悪魔の発明と大衆操作』(原克著、2003,6)177ページに載っている日本無線電信電話(株)製ラジオの広告の文句が、「真に肉声を聞くには抵抗増幅に限る」というもので、この「肉声」は本当の意味の肉声ではないのでは?


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 06日 水曜日 00:15:18)

8月5日の朝日新聞(朝刊)に「菊池寛の肉声を録音したレコードが東京都内で見つかった」と書いてありました。
言うなれば、肉声レコード?
テープからの肉声はありえないけれど、「肉声(を録音した)テープ」は、二次的な録音ではなく、直接の声(肉声)を録音したということを言いたいのかもしれません。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 14日 木曜日 11:53:38)

そういえば「肉筆」という言い方もありますね。浮世絵の場合、版画に対していうわけで、これは印刷してあっても、その印刷前の姿が肉筆であれば、「肉筆浮世絵」なわけですね。

「生写真を多数掲載」も同様でしょうか。「肉声テープ」の場合はどうなんでしょうね。「肉声レコード」はダイレクトカッティングなのでしょうね、その頃の技術としては。

NACSISで引っかからないので示せませんが、古書目録で三島由紀夫『肉筆版創作ノート』ひまわり社 (昭30)というのを見ました。これが写真版なのか活字に起こしているのか気になるところです。


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2003年07月30日

どうも ありがとう(角田圭子)

明治38年生まれの義父(福島県生れ/東京育ち)に「どうもありがとうございました」といったら、「どうもありがとうですか、これはこれは」と笑われた記憶があります。昔は「どうも、ありがとう」とはいわなかった、「どうもおかしい」とか「どうもいけない」とか使うモンだ、と。
「どうも〜」なんて軽く挨拶してしまう昨今ですが、いつ頃から「どうもありがとう」が普通になったんでしょう? 「全然いい」みたいな感じでしょうか?


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 31日 木曜日 02:08:23)

あたかもお義父さんとおなじことを、柳田國男の、昭和初期に84歳で亡くなったおじいさんが言っていたそうです。孫たち(柳田たちということ)が「どうもありがとう」と言うと、おもしろそうに笑ったのだそうです。柳田の解説によると、「どうも」は、もともと「どうしても、いかに考えてみても」ということで、熟慮の末に使うものだったのが、「ありがとう」のような軽いあいさつに付いたのがおかしかったというのです。『毎日の言葉』に載っているエピソードです。

ずっと飛びますが、1965年に評論家三宅艶子が〈お礼なら「どうもありがとうございます」簡単にしたいのなら「ありがとう」と言って欲しい〉(「暮しの手帖」1965.12)と書いており、彼女は「どうも+ありがとう」はOKだったようです。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 31日 木曜日 07:55:31)

昭和天皇がおっしゃってなかったでしょうか?「どうもありがとう」


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 31日 木曜日 12:29:48)

慶應3年生まれの夏目漱石は使用していますね。
「どうもありがとう。だれが転任するんですか」(坊ちゃん)
あと「三四郎」や「明暗」にあります。

昭和八年から使われている国定読本第四期(サクラ読本)にも見えますから、このころには文部省公認なわけです。

「イヤ、ワタシハ、モウヂキ下リルノダカラ、カマハズ、オカケナサイ。」
ト言ヒナガラ、アツチヘ行キカケマシタ。
「ドウモ、アリガタウ。」
ト、ニイサンガ言ヒマシタ。
「アリガタウ。」
ト、私モ言ヒマシタ。(三年上、電車)

また、
「どうもありがたう。ほんたうに、むりな事を言つてすまなかつたね。」(同、少彦名のみこと)


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 31日 木曜日 12:37:22)

昭和八年と言えば、浅野信『巷間の言語省察』(中文館書店)で、「どうもありがとう」の略「どうまり」が載っていますから、略語の本体である「どうもありがとう」は、かなり流布していたのではないでしょうか。

浅野信『巷間の言語省察』メモ


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2003年07月29日

耳遠いことば(新前など)(Yeemar)


多湖輝『頭の体操 第2集』(光文社カッパブックス1967)のp.93に
新前{しんまえ}の警官が犯人に手錠をかけ、図のように、紐{ひも}を通して、その端を二本まとめてしっかりと握っていた。ところが、この犯人は、紐抜けの名人だったらしく、紐を切らず、手錠もこわさず、五体満足のまま、この紐からするりと抜けて脱走してしまったという。犯人はどのような手口を用いたか。
とあります。「新前」か……、それも言うなら「新米」だろう(注、「それも言うなら」は関西風か)、イとエの区別があいまいで間違えたのだろう、と思っていましたが、辞書にもあります。『言海』にも。『日本国語大辞典』にも。後者には漱石「坑夫」の


 「『手前は新前(シンメエ)だな』と云ったものもある」


の例が。「坑夫」には他に「新前(しんめえ)は大抵二番坑か三番坑で働くんだ」「貴様は新前(しんめえ)だな」の例もあります。「しんめえ」の形であるところが特徴的です。『日本国語大辞典』には他に『新しき用語の泉』(1921)の例も。


しかし、私はあまり聞かないことばです。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 29日 火曜日 02:56:14)

「新前」は『日国』の初版に載っていませんでした。

それを10年ほど前、某機関紙に書いて松井栄一先生にお送りしたことがあります。

最初、私は「新前」→「新米」だと思っていました。

「新前のなまり」「新前の変化」「新前の転」と載せた辞典が16点もあったからです。

松井先生と山田忠雄先生からも勘違いだと指摘をいただきました。

でも、『新明解』第四版にもそう載っていたのです。

第五版では〔「新前」と言うのは、「お前」→「おまい」への誤れる回帰に基づく〕となりました。


当時の調査結果は以下のとおりです。

○=語釈あり、△=空見出し、×=見出しナシ

新米○・新前○……4点

新米○・新前△……5点

新米○・新前×……13点

新米△・新前○……13点


また、明治期の辞典では以下のものに「新前」の見出しがあります。

言海

日本大辞書

日本新辞書

帝国大辞典

日本新辞林

ことばの泉

新式いろは引節用辞典

辞林

大辞典

音引日用大辞典


それなのに簡単に用例が見つからないのは幽霊語なのかれしれないと書いたところ、ちょうど新版の漱石全集を担当していた方から「坑夫」にあると教えられたものです。 



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2003年07月21日

平板アクセントの「カレシ」(Yeemar)


平板アクセントの「カレシ」は何を意味するか? 広島県の短大教授でいられる方から「書物によって説が違う」とのご指摘のメールをいただきました。添えられたいろいろな説を見ると、なるほど齟齬があるようです(私の見つけた本と併せて該当部分を後に掲げます)。

諸説をまとめると、頭高の「カレシ」「カレ」(従来のふつうのアクセント)で言い表されるのは、
1.夫 2.本来の恋人 3.he 4.恋人 5.ボーイフレンド
などで、一方、平板の「カレシ」で表されるのは
1.ちょっと人に言えないパートナー〔浮気相手〕 2.遊び相手 3.恋人 4.軽いつきあい相手 5.本命の男性 6.〔頭高の場合よりも〕内側の人間関係
などとされています。

これを見ると、たとえば「恋人」は、頭高の2、4に入っている一方で、平板の3にも入っています。一見、諸説入り乱れているように見えます。

しかしながら、子細に検討すると、頭高は「公に認知された関係、後ろ暗いところのない関係」の男性に用いられるのに対し、平板は「秘密にしておきたい、ごく一部の人にしか知らせていない関係」の男性に用いられるという点で、それぞれ共通します。

したがって、頭高・平板それぞれの意味の違いについて、諸説は齟齬しているわけではないと、私は考えます。

……というようなことをご返事しました。

ただし、気になるのは、平板の「カレシ」の意味が、時期によって微妙に変化したりしてはいないだろうかということです。平板の「カレシ」の発生時期についても気になります。ご存じの情報をお持ちの方がいられましたらご教示ください。

なお、『新明解日本語アクセント辞典』(三省堂)には、平板のカレシは「避けたい」という意味のことが書いてあります。
【「カレシ」のアクセントに言及する文章】(年代順)*「span」タグでアクセントを示しています。IEでご覧ください。
● 平板化は、外来語だけでなく、在来語にも見られること。パーティー、パンツに匹敵する例に、二つの「彼氏」がある。週刊誌の記事に、
  でも、彼氏(ちなみに、このアクセントは平板)に見つかるのはちょっと。
という会話がでていた(山田美保子氏の文。「週刊文春」一九九四・三・一〇号)。
 まだ、女性語の範囲にとどまているのかもしれない。結婚した女性にとって、その夫は頭高のレシ(レシ近ごろ早く帰ってくる?)だが、ちょっと人に言えないパートナーの男性はカレシ(ちょっとカレシに会ってくる)で、このことばは、ささやくように発音するのだそうだ。(柴田武『日本語はおもしろい』岩波新書 1995.01.20 p.184)

●・彼氏 れし  本来の恋人
    かれし  遊び相手の男性
(米川明彦『現代若者ことば考』丸善ライブラリー 1996.10.20 p.96)

● しばし沈思黙考したのち、友人は意外な新説をとなえた。「意味がちがうのではないか。heの彼はレ、恋人の彼はカなのではなかろうか。どんもそんな気がする」と言うのである。〔略〕
 何人ものかたが、小生の友人である大学教師の推測はどうも正しいようだ、と知らせてくださった。すなわち今の若い娘たちは、恋人のことを「カ」と言う者が多い、とのことである。〔1997.03.20の文章〕(高島俊夫『お言葉ですが… 「それはさておき」の巻』文藝春秋 1998.01.30 p.62-63)

●若い人たちは「彼氏」をアクセントで区別する。従来の起伏型の「レシ」は恋人という意味、平板の「カレシ」はもっと軽いつきあい相手の意味で使うという。(井上史雄『日本語ウォッチング』岩波新書 1998.01.20 p.172)

●女性にとっての「彼氏」は、文頭を高く発音すれば、ただのボーイフレンドですが、平板に発音すれば本命の男性を意味することになるというわけです。「彼女」についても同じで、「カノジョ」を全部平板に発音すると、自分にとって特別な女性を意味するというのです。(池上彰『日本語の「大疑問」』講談社+α新書 2000.03.01 p.48)

●〔頭高の「カレシ」(A)と平板の「カレシ」(B)について〕(A)(B)ほぼ意味は同じ。但し、(B)はより内側の人間関係を表す。(岩松研吉郎『日本語の化学』ぶんか社 2001.04.10 p.231)



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 21日 月曜日 20:40:46)

みんな平板と頭高を対象によって使い分けているんでしょうか。

私は甚だ疑問に思います。

使い分けているとしたら、もともと地域によって平板と頭高の違いがあるから、どっちがどんな意味かというのも逆になるのことはないでしょうか。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 22日 火曜日 00:05:29)

広島では〈女子大生数人に聞いたら、区別しないと言いました〉とのことです。


平板化という現象は、まずもって共通語のアクセントに指摘されるものですから、方言で2種の「カレシ」を使い分けないのは当然だろうと思います。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 29日 水曜日 22:40:36)

小アンケートを加え、03.10.04に、「ふたつの「彼氏」」という題で文章にまとめました。


posted by 岡島昭浩 at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

永久仕様、半永久仕様こぶら


はじめて投稿します。よろしくお願いします。


知人がCDを購入したのですが、その帯に「日本盤のみ半永久3枚組」の文字が

ありました。

「なんのこっちゃいな」と思いましたが、どうやら「初回限定のみ3枚組み」に

対して、「(初回のみならず)3枚組ですよ」ということのようです。

その後、「永久仕様」の表現も見つけました。


しかしこれ、CD作ってる会社の間で申し合わせでもしたんでしょうか。

私は7月に入ってから気づいたのですが・・・。


http://www.crownrecord.co.jp/who.htm

http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/DF/Tommyheavenly6/DFCL-1105/



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 21日 月曜日 12:47:22)

 鉄道で、当初は皆、各駅停車だったが、急行列車が出来たことにより、「普通列車」「鈍行」などという呼び方が必要になった、というのを思い出しました。


 CDは初回限定ばやりですね。初回限定でない二回目の商品の方が珍しい(レアだ)、などという品もあるやに聞いております。もちろん、初回限定で出し、二回目の出てない商品も多いのでしょう。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 22日 火曜日 11:05:35)

数年前、雑誌の特集号に「超永久保存版」と書いてあったので、その雑誌の編集部に「超永久保存版」と「永久保存版」の違いに付いて聞いたところ、「永久保存版は1年以内、超永久保存版は、1年以上です。」ときっぱり答えられたことがあります。この雑誌は「週刊誌」だったので、その世界での「永久」とはそういうことのようです。「永久」は「物理的な永続期間」、「永遠」は「理念上の永続期間」という気もします。ちなみに長島選手引退式の際の言葉は「巨人軍は永久に不滅です」。「永遠」ではありませんでした。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 22日 火曜日 11:45:29)

「超永久保存版」は、道浦さんが「平成ことば事情」第1回にお書きになっています(1999.04.15)。文庫版の『「ことばの雑学」放送局』には未収録ですね。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 26日 土曜日 10:23:40)

Yeemarさん、ありがとうございます。リンクまで!「第1回」でしたか。文庫本に載せるものの選択は、編集者にお任せしましたので。ちょっと文章が短かったのかもしれません。


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2003年07月19日

“「ご存知」の表記は「旗本退屈男」”説の出所(Yeemar)

おどろいた話。ある編集プロダクションの方から
ご存知」は正しくは「ご存じ」でなければならない。「ご存知」は「ご存知!旗本退屈男」で広まったともいわれるが、誤用である。
という説を伺いました。

「存じる」ですから「ご存じ」でかまわないのは当然ですが、「存知」ということばも古くからあり、それに「ご」をつけた「ご存知」もかまわないはずです(ただし旧仮名遣いは「ごぞんぢ」になりますが)。虎寛本狂言にもあるといいます(『日本国語大辞典』)。

とりわけ面妖なのは“「ご存知!旗本退屈男」で広まった”という箇所で、どこから出た説かと思います。そう申し上げると、「しかし上司もそのように申しておりました。ウェブでも見ました」とのことでした。

このドラマは、「テレビドラマデータベース」によれば1988年に放送されて以降シリーズ化したようですから、ここ10年前後の説ということになりそうです。「ご存知もの」といわれ人気を博したゆえですね。それにしても新しすぎる。

そこでウェブを見ると、

最近まで「ご存知」という表記は「ご存知! 旗本退屈男」が元で広まった、と思い込んでいましたがそれは間違いみたいです。(あかぅんたれ
というのは見つけました。この説がいろいろなサイトで見つかったというわけではありませんが、深く静かに信じられているのかもしれないと思います。何か影響力のある情報源が存在するのではないかと疑います。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 19日 土曜日 21:20:08)

> ただし旧仮名遣いは「ごぞんぢ」になりますが

現代仮名遣いでも連濁扱いになるので「ごぞんぢ」でしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 20日 日曜日 09:04:37)

いや、やはり「ご存知」も「ごぞんじ」で、「ごぞんぢ」は許容ですね。「世界中(せかいじゅう)」「融通(ゆうずう)」と同じく。「天智天皇(てんじてんのう)」も。この点は「うなずく」で議論されています。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 20日 日曜日 11:08:42)

御存知一心太助(福田善之)昭和42
御存知源氏小僧(伊丹万作)昭和6
などという作品があるようです。これは、〈「ご存知!旗本退屈男」の出所〉ですね。

さて、私が、〈「ごぞんじ」というのは「御存知」と書きたいだろうが「御存じ」と書かなくてはならない〉というのを読んだのは、高校生か遅くとも大学教養部の頃ですから1970年代の後半です。マスコミによって「ご存じ」が定着しかけていたのに、時代劇により復古的(?)な「ご存知」が使われて目を引き、これから広まった、と誤解されたものでしょうか。

「ごぞんじ」を「ご存じ」でなく「ご存知」で書きたいのには、節用禍的なものもありましょうが、「存じ」には謙譲語的なものを感じ、尊敬語であってほしい「ごぞんじ」と馴染みにくい、という面もあるのかな、と思っていました。

しかし、謙譲語的な「存じ」を「存知」と書いた例も沢山あるのですね。「存知ません」のような。


豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 20日 日曜日 12:49:43)

「存知ません」は、サ変動詞連用形を「ぢ」で書いているのか、はたまた
サ変動詞をまるごと省略してしまったのか、興味深い処です。
サ変まるごと省略例は、「存知奉る」が中世から見えます。類例「養子(ヤウジ)
仕る」が、確か「本福寺跡書」にあったと思いますが、ちょっと出て来ません。


豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 20日 日曜日 13:17:58)

「本福寺跡書」開巻劈頭でした。「御養アレト申程ニ養子(ヤウシ)奉(タテマツ)
リ」(括弧内は原本の振り仮名)。(日本思想大系17「蓮如・一向一揆」p.187)
「養子仕る」では類例になりません。調べてから書けばよかった。失礼しました。
「古今著聞集」に「制止給ふ」というのもありますが、古写本を得ないので存疑。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 20日 日曜日 17:04:30)

「ご存知」を不可とする説の根拠を私なりに推測すれば、「ご承知」「ご報知」「ご通知」など「ご+漢語」はみな「チ」になり(ただし「ご下知」は「ゴゲジ」も)、「ジ」と発音するのは「ご案じ」「ご談じ」「ご判じ」など、みな動詞連用形であるということもあるのでしょう。たしかに「ご存じ」の表記のみを認めるほうが整然とします。

このような説は、戦前の仮名遣いのもとであっても、生まれ得たと思います。でもやはり戦後のものでしょうか。ちなみに文化庁『言葉に関する問答集』に「「御存じ」か「御存知」か」が載るのは1984年(問答集10)のことです。岡島さんがご覧になった例には遅れます。

それにしても「旗本退屈男」が引き合いに出されるのは荒唐無稽にすぎます。それを大まじめに書いてある本などがあるとすれば、知りたいものと思います。もっとも「旗本退屈男のタイトルにも使われていますが……」という文章が、伝言ゲームでいつの間にか「旗本退屈男から広まった」となったのでしょうか。

「沙石集」には「アワレ制止給ヘカシ」もありますね(『日本古典文学大系』)。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 21日 月曜日 14:51:16)

すこし脇にそれますが、橘守部『俗語考』(全集9p297)、

存(ゾン)   今奉存候など云存は、存在とつゞきて、物のそのまゝに在を云。今思ふと云所を存ずるといひて、奉存候などいふは、存知の二字の意なるを、知を一字省きしより其義遠くなりつる也。但し存といひならはしたるも久しきことなり。明月記「嘉禄元年十二月廿三日云々。答云。本自存此由不顧涯分可申入由。許譲退出云々」

「存知」と書くべきだといっているわけではなく、語源的に「存知」だといっているのでしょう。

さて、「存知ます」の例、小杉天外『はやり歌』第九


「筆、誰にも知れやしないかい?」
「は、何誰(どなた)も存知ませんよ。まア、お入り遊ばしまし。」

花田清輝もあるようです。

あと、安田章氏なのか、『隣語大方』なのか未確認なもの(手許のデータ管理の不備で)。「存知ますまい」


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2003年07月18日

やさしい参考書(Yeemar)


小学5年生から「学校で方言のことを調べる授業があります。方言はどうして、できたのか教えてください」とのメールをもらいました。


ああ、それなら……と参考書を示そうとして、小学5年生にふさわしい方言の入門書を知らないことに気づきました。まさか柳田国男『蝸牛考』というわけにもまいりますまい。小学館『方言の読本』は、『日本方言大辞典』の副産物としてできたらしい一般向けのやさしい本ですが、「方言はどうしてできたのか」という根本的なことは書かれていないし、第一、小学生にはやはりむずかしすぎます。


そこで、参考書は示すことができず、ない知恵をしぼって私なりの考えを書いて返信した次第でした。それにしても、その後わかったともわからぬとも返事が来ないのは、どうしたことでしょうか。


また、学生に、音韻・アクセントのやさしい――というより、おもしろく読める参考書を示そうとして困ったこともあります。


おもしろく読める参考書といえば、まずは○○新書・○○文庫のたぐいでしょう。ところが、語彙や文法、文字などに関する新書・文庫は多いのに、音韻・アクセントに関するものはあまり見当たりません。金田一春彦氏でさえ、音韻・アクセントだけをテーマに一般向けの本を書いてはおられないと思います。今のところ、私の知るのは城生佰太郎『ことばの未来学』(講談社現代新書)ぐらいです。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 18日 金曜日 12:52:07)

これは、今でも買えそうです。

彦坂 佳宣 『方言はまほうのことば!ことばの探検―4』



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 18日 金曜日 12:59:13)

福武書店の『方言をしらべよう』全10巻は、もうないようです。

『方言をしらべよう』(webcat)



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 18日 金曜日 13:09:31)

シリーズ全体が見渡せるページがないかと思ったがうまく見当たらないので、サーチで。

アリス館はここだと思うのですが。

ことばの探検(アマゾン)



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 18日 金曜日 13:39:46)

>その後わかったともわからぬとも返事が来ない

 「インターネットで調べよう」という名目のもとに生徒に調べさせる。しかし、「もしメールで尋ねるとしたら」というようなことも教えないのはどうしたことなのでしょう、と思います。


>音韻・アクセントのやさしい――というより、おもしろく読める参考書

たしかに、思いつきません。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 19日 土曜日 02:40:04)

まだ見てはいないのですが、学研の『小学生の新レインボー方言辞典』はどうなんでしょう。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 19日 土曜日 06:08:11)

「ことばの探検」シリーズ、『新レインボー方言辞典』など、小学生にというよりは私自身が読みたいと思いました。『レインボー』は分類方言辞典というおもむきですね。


amazon.co.jpによりまとめると、アリス館「ことばの探検」シリーズ(1997.04)のラインアップは:


1 吉田 智行『日本語は世界一むずかしいことば?』(日本語と世界の言語)

2 あべ せいや『日本語のルーツをさぐったら…』(日本語の起源)

3 飛田 良文, 荒尾 禎秀『ことばのはじめ ことばのふるさと』(日本語の単語)

4 彦坂 佳宣『方言はまほうのことば!』(方言と標準語)

5 湯浅 茂雄『生まれることば 死ぬことば』(新語・流行語・隠語)

6 浅田 秀子『日本語にはどうして敬語が多いの?』(敬語)

7 木下 哲生『ことわざにうそはない?』(ことわざと慣用句)

8 古藤 友子『日本の文字のふしぎふしぎ』(漢字・ひらがな・カタカナ)


ここでもまた音韻・アクセントが抜けております。文法もないようです。第1巻でまとめて触れているのかもしれませんが。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 19日 土曜日 10:32:44)

参考書・・・は示せないのですが、「方言はなぜできたか?」ではなく「共通語(標準語)はなぜできたか?」を教えるべきではないでしょうか?

方言・・・というか、言葉は最初からその地域地域にあるものではないですか?

標準語という概念が出来たことでその対立概念として「方言」という「くくり」がでてきたのではないでしょうか?

と、感じましたが、いかが?



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 19日 土曜日 12:15:43)

 まず、標準語:方言という問題の前に、〈言語の地域差はなぜ出来たか〉ということから考えてみるべきでしょう。

 かつて日本語がどの程度の範囲で使われていたものなのかは知ることが出来ませんが、現在、日本列島の全域で使われています。そして、日本語には地域差があります。これは標準語が必要とされる以前からあった地域差です。これが何故生じたのかを考えてみるのはよいことだと思います。


 〈北の方は寒くて口を開けないように発音したから東北方言が出来た〉などという俗説に惑わされない目を、子供たちに持って貰いたいものです。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 19日 土曜日 20:46:51)

方言の観念ということなら、万葉集にも「東歌」がありますし、「鳥が鳴くあづま」と東国方言を鳥のさえずり扱いにしているので、ことばの差は古くから意識されていたのでしょうね。


私はくだんの小学生に、「グループによることばの差というのは、あなたのクラスの中でも生まれることがあるはずです」などと教室内のことを例に挙げて書き送りましたが、同意が得られたかどうかは、なにしろ返答がないのでわかりません。その小学校の先生が、「東北では口を開けないので訛りが生まれたのです」というようなことを教えているのかどうかも、なにしろ返答がないのでわかりません。小学生よすべからくメールには返答すべし。



くさむら さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 20日 日曜日 06:57:35)

未見ですが、佐藤亮一監修 日本の方言大研究(全7巻・7巻のみCD付き) ポプラ社 \19,000 などはいかがでしょうか。

6冊目の「なるほど方言学入門」に、「方言と共通語」「方言はなぜできるか?」「方言はいつごろからあるのか?」「古いことばが生きている」などの項目があります。


ポプラ社ホームページ



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 20日 日曜日 23:00:44)

 くさむらさん、有り難うございます。


そのポプラ社のと、福武のを混同していました。ポプラ社のものの、福井市立図書館で借りてみたことがあります。「ききくらべよう日本の方言」は、うちの子供に好評でした。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 21日 月曜日 20:03:15)

ポプラ社のものも役に立ちそうですね。大人にとっても。「こちら」は直リンクです。


「ききくらべよう」に入っている方言による桃太郎の語りは、富士通の日本語探検シリーズに入っている「方言ももたろう」および「日本列島ことばの探検」の中の「桃太郎」とは別物なのでしょうか。「日本列島ことばの探検」は持っています。「方言ももたろう」は持っていたか、持っていてなくしてしまったのか、分からなくなりました。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 04日 木曜日 18:19:11)

> 音韻・アクセントのやさしい――というより、おもしろく読める参考書


柴田雅生氏の「日本語研究のための参考図書」(価格は1000円程度までとする方針)の「音韻・文字に関するもの」でも、ほとんどは文字関係で、音韻に関するものは橋本進吉『古代国語の音韻に就いて 他二篇』だけとなっていますね。



Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 04日 木曜日 18:22:29)

↑おや、リンクが私の本の箇所になっています。失礼しました。はい、さようです、私の本を記していただいているのを拝見したついでに、音韻・アクセントを探してみわけです。


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2003年07月10日

日本語逆引き照合順(益山 健)


「逆引き広辞苑」のように日本語を後ろから前に五十音順で並べる場合,

どんな順序で並べるのが使いやすいものでしょうか。あるいはどんな順序

が現実に存在するのでしょうか。利用目的により異なるかもしれませんが。


「カード」は「カアド」とみなして並べるのがよさそうですが, たとえば

「しゃ」を「ゃ→し」の順序にするのと「しゃ」でまとめるのではどちら

が便利でしょうか。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 10日 木曜日 07:44:59)

紙の「逆引き広辞苑」と電子辞書の「逆引き広辞苑」はならべ方の基準が違うようです。



UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 12日 土曜日 10:50:48)

電子辞書の「逆引き広辞苑」なんていうものが存在するのですね。

普通の広辞苑で後方一致検索が出来ればそれで十分のような気がするのですが。

というよりも、後方一致の方が検索キーワードをそのままの順で指定できる分

便利のように思います。

電子辞書の「逆引き広辞苑」でなければ出来ないことってあるのでしょうか?



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 12日 土曜日 11:37:19)

逆引きは、目的によって異なりますよね。


>「カード」は「カアド」とみなして並べるのがよさそうですが

「カードはドアか」(このカードはドアを開けるのに使うのか)

よりも

「カードはどうか」(カードキー導入は如何なものか)

の方に、回文的要素を感じてしまうので、言葉遊び用には、両方の様式のものが欲しい気がします。


「しゃ」。

「しや」と「しゃ」が混在するのでなければ、「ゃし」でも「しゃ」でもいいかと思いました。

しかし、「きゃ・ぎゃ・しゃ」を近接させて、間に「きや・ぎや・しや」が紛れ込まないようにするには、


でも、「しゃ」と「しや」が並んでいるから面白い、という人もいますよね。たしか、逆引き辞典の書評か紹介でそんなのを読んだように思います。

笠間の逆引き(底本・岩波国語辞典)と、冨山房の大言海逆引きが出た頃のものだったかな。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 14日 月曜日 19:08:48)

UEJさん、「逆引き広辞苑」の電子辞書、というか、正確には「逆引き広辞苑も入った電子辞書」です。シャープの「広辞苑GENIUS」電子辞書で、広辞苑と逆引き、ジーニアス英和、和英辞典、パーソナルカタカナ語辞典、漢字辞典、故事ことわざ&四字熟語辞典が入っています。



masakim さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 15日 火曜日 05:06:17)

私が愛用している電子辞書Seiko SR9200には、

『広辞苑 第五版』『逆引き広辞苑』『リーダーズ英和辞典 第2版』『新和英中辞典 第4版』『漢字源(JIS漢字版)』『The Concise Oxford Dictionary 10th ed』『The Concise Oxford Thesaurus』

が収録されていますが、メニューには

「スペルチェック」「英和成句検索」「逆引き広辞苑」「広辞苑慣用句検索」「漢字源熟語検索」

などの項目があります。

PC版の「広辞苑」には「完全一致」「前方一致」「後方一致」「部分一致」「論理式」の検索法がありますが、電子辞書の場合は「完全一致」か「前方一致」しか検索法がないので、「逆引き広辞苑」を収録して「後方一致」などを可能にしているのではないでしょうか。(電子ブックも同様だと思います)




益山 健 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 24日 木曜日 02:31:17)

どうもいろいろな意見をありがとうございました。

回文の長音の扱いについては実際に回文つくりを趣味にしている人の間で

はどうする習慣なのでしょうかね。


「逆引き」は「逆引き電話帳」のような使われ方もするので, もうちょっと

紛らわしくない表現がないものでしょうか。「後ろ前」では「ん→あ」の順

に並ぶものと誤解されそうですし。



豊島正之 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 24日 木曜日 07:06:00)

「語尾順配列」というのもありますが、苦しいですね。

カナダの英語・フランス語ソート規格(Z243.4.1)は、語末のアクサンを重視するため、

途中に語尾から語頭への逆向きの文字列検査を要求するところがありますが、単に

right to left と言っています。

英語 reversed も「逆順」(つまり「正順」に対する「後ろ前」)の意にも使われ不可。

独語 ruecklaeufig に倣って「逆向き配列」としてみても依然曖昧。


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2003年06月20日

打者一巡(道浦俊彦)


「打者一巡」というのは、その回の9人目のバッターがボックスに入った時点で言えるのでしょうか?それとも、10人目(二巡目)が入った時点でしょうか????



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 20日 金曜日 17:38:43)

 私の感覚であるのですが、10人目のように思います。「同じ人が二度」という感です。


 ただし、9人で攻撃が終わって回が改まり、前回と同じ打者から攻撃が始まる際であれば、「前回は打者一巡」というような気もします。



skid さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 21日 土曜日 09:16:56)

10人目は二度の打席だから2巡目が始まるような気がします。



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 21日 土曜日 10:25:13)

 考えてみれば、十人目ではなく、九人目が終わった時点、というのが正確ではないかという気がしてきました。走者が残っている場合には、九人目が終わらずにチェンジになる可能性がありますが、そういう問題ではなく。


これは打者一巡だけでなく、年月の問題でもありますね。

1/1からの一年は12/31までだけれど、6/21からの一年は翌年の6/20までなのか6/21までなのか、というような。



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 21日 土曜日 10:41:11)

岡島さん、そうなんです、うちのアナウンス部で後輩アナと話していてまったく同じ話が出ました。つまり去年の9月に何か「コト」が起きて、(たとえば)その8か月後の5月になった時点で、また「コト」が起きると、「1年ぶり」といえるのかどうか。この場合は「年」よりもさらに小さな単位の「○か月」があるので、「8か月ぶり」と言えばいいのですが、「11か月ぶり」はもう「1年ぶり」と言っていいのかどうか。おおまかに言うと「11か月ぶり」はニアリー・イコール「1年ぶり」といっても通ると思います。

そうすると、9人目のバッターがアップした時点ででおおまかに言うと「打者一巡」と言ってもよいのではないかと。ただ、正確に言うと、9人目が終了した時点、つまり「1年ぶり」は、その「コト」が起こった「時」に究極に近い時間が終了した時点、これも大まかに言うと、その「コト」が起きてから「ちょうど1年」になった時点を指すのではないでしょうか。


9人目が終わったことを”後から見れば”「打者一巡とは言える」が、9人目が来た時点では「打者一巡とは言えない」ような気がしてきました。しかし、9人目がバッターボックスに入って時点で、近い未来を指す意味で「これで打者一巡となります」という言い方は出来るのではないかと思います。「打者一巡となりました」は間違いでしょうが。

どうでしょう???



道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 03日 木曜日 14:41:24)

こちらに、ここでの皆さんのご助言も合わせてて書きました。

平成言葉事情1254「打者一巡」



岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 03日 木曜日 15:11:29)

上のURLは、hemlをhtmlに直しました。


直行するには、下↓から。

打者一巡


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中華丼?中華飯?(よもやま)

突然おじゃまいたしまして恐縮です。

名古屋出身で横浜に来て16年の私は「ぶたじる」で育ち、上京して「とんじる」という言葉を知りました。
それと同じように「中華飯(ちゅうかはん)」で育った私には、上京したときに目にした「中華丼(ちゅうかどん)」という言葉に強い違和感を抱いたものです。

中国式に言えば「飯(はん)」のほうが正しいと思いますし、関東のお店で実際に出される器もけっして「どんぶり」ではありません(深皿とでもいいましょうか)。
天津飯・天津丼(かに玉のせご飯)、マーボー飯・マーボー丼、なども同じです。

ちなみに、名古屋の有名漫画家・鳥山明氏の「ドラゴンボール」という作品は、中華料理の名前のついたキャラクターがたくさん登場する漫画なのですが、「テンシンハン」という人間のキャラクターが登場します。
「テンシンドン」ではありません。

全国的には「丼(どん)」が正しいのでしょうか?
名古屋だけやっぱりヘンなのでしょうか・・・。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 21日 土曜日 00:30:49)

名古屋だけということはないと思います。九州人である私は、マーボーどん、天津飯で、八宝菜をかけた御飯は中華飯と言いそうですが、中華丼でも許せます。子供の頃に聞いたCMソング?「天丼カツ丼中華丼……」というのが残っているせいかもしれません。

やや、話題がそれますが、食べ物で「中華」と単に言った場合、中華料理一般をさす場合、ラーメンすなわち中華そばをさす場合、中華飯をさす場合があるように思います。大橋巨泉が「なんちゅうか本中華」といった時の中華が中華そばの意味であることを知ったのは、冷麺を「ひやし中華」と呼ぶのと照らしあわせたときでした。


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2003年06月18日

「開く」と「あける」(道浦俊彦)

どこで聞いたか忘れてしまったのですが、
「電車の社内アナウンスで、『ドアが開きますのでご注意下さい』というのはおかしい。なぜならば『開く』は『観音開き』のような『ドア』に使うもので、電車ドアのような『引き戸』には本来使わないものだ」
という声を聞きました。現状では引き戸も開き戸(ドア)も「開く」「あく」両方使っているとは思いますが、本来は本当にそうなのでしょうか?


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 19日 木曜日 00:00:22)

個人的には観音開きの方が「ひらく」の語感に近いように感じます。
(とはいっても「引き戸をひらく」に違和感を覚えるほどではありませんが)

小学館国語大辞典の【ひらく】の項には、
 「ひろ(広)あく(明)」の変化という
とあります。
確かに観音開きの方が「広く」あいたという気がします。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 25日 水曜日 22:44:37)

 たしかに、ドアの方が、「ひらく」を使いやすいとは思いますが、引き戸のようなものでも「ひらく」も使用すると思います。
抽象的な言い方(「お店がひらく」のような)も可能ではないでしょうか。「幕がひらく」も実際のことでも比喩でもいいそうですし。

なお、揚げ足取りのようですが、「觀音開き」は限定しすぎではないでしょうか。ドア状でも、片側にひらくもの、上下にひらくもの(しとみ)でも、いいですね。


NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 17日 月曜日 02:55:09)

「ひらく・あく」の話ではありませんが、電車の2枚ドアは「両引き戸」といいますね。
車内アナウンスは、たいてい「ひらきます」「しまります」ですが、車掌自ら操作しているはずなので、「あけます」「しめます」が正しいのではないかと個人的には思っています。駅係員のアナウンスなら「ひらきます」「しまります」でもよいでしょうけど。

(数年前、東急田園都市線三軒茶屋駅で駅係員が「ドア閉めちゃいます」と言ったのを聞いたことがあります)

ついでに。
「観音開き」は建築業界では「フレンチドア」といいます。なぜフレンチなのかは知りません。
冷蔵庫のドアは、メーカーによって「フレンチドア」と「両開きドア」が分かれています。シャープの「左右両開きドア」はちょっと意味が違いますが。


posted by 岡島昭浩 at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冷水と冷や水(道浦俊彦)

先日新聞記事で「ダスキン再生に冷や水」とあったのですが、これは「冷水」の方が適当な表現だと思うのですが。
辞書で「冷や水」を引くと「冷たい水。れいすい」などと書いてあって不親切です。「冷や水」と「冷水」のニュアンスの違いについてご意見をお聞かせください。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 19日 木曜日 20:06:49)

「ひやみず」は年寄りが飲んで腹をこわすものですね。あるいは福岡県にある峠。

浴びせて冷たくするのは「れいすい」だと、私は思います。。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 19日 木曜日 23:16:58)

私の語感は実は逆で、浴びせるのは「ひやみず」です。
「れいすい」だと単に「冷たい水」の意味しか持ちません。
地方や世代によって違うのでしょうか。

広辞苑(CD-ROM版)では「冷水を浴びせる」の読みは「ひやみず」とされています。
新明解(Bookshelf 3)では「れいすい」「ひやみず」どちらの項目にも
「冷水を浴びせる」の用例が載っています。


masakim さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 20日 金曜日 05:43:51)

『明鏡国語辞典』(大修館書店 2002年)の「れいすい(冷水)」の項には
   「―を浴びせる(=意気込んでいる人のそばで、いきなりその気勢をそぐような言動をする)」
という用例がありますが、「ひやみず(冷や水)」の項には「年寄りの―」の例しかありません。
これは私の語感と一致するのですが、念のため『類語大辞典』(講談社 2002年)を調べてみると、「冷水(レイスイ)」の項に「〜を浴びせられたようになる」という例は載っているののですが、「冷や水(ひやみず)」の項に
   「景気回復に冷や水を浴びせる急激な円高」のように、ある勢いを弱める物事の意で比喩的に用いられることが多い。
と説明されており、「ダスキン再生に冷や水」も”適当な表現”であるようです。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 20日 金曜日 21:18:07)

「新潮文庫の100冊」などのデータベースで見てみると、「冷や水」は検索されず(?)、「前身に冷水を浴びせられたように」などと、ショックを受けるなどの場面でつかわれる例が大多数です。ところが、この「冷水」は「れいすい」と読むのか、「ひやみず」と読むのか。ルビがないので分からない部分もあります。

やや話がそれるかもしれませんが、「年寄りの冷や水」は、年寄りが冷や水を浴びるのでしょうか、それとも、飲むのでしょうか。『日本国語大辞典』には「(老人が冷水を浴びることの意)」と書いてあります。ところが、例文の歌舞伎・善悪両面児手柏(1867)には「譬にも言ふ年寄(トシヨ)りの冷水(ヒヤミズ)〔ママ〕、水よりお茶にしなさんせいなあ」とあり、「老人が冷水を飲むのはよくない、お茶にしなさい」と言っていると解釈されます。

テレビの健康番組か何かで、「飲むということなのだよ」と言っていたような気もしますが、よく覚えていません。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 21日 土曜日 00:11:28)

 私は、ひやみずは飲むものであると思っていましたので、「年寄りの冷や水」は腹をこわす結果になると思っていたのです。一方で「水浴び」の意味も知っておりましたので、「冷水をあびせる」を「ひやみず」と読む背景に、この諺の意味の変化もあるのではないかと、今回考えたことでした。

ただ、私は「ひやみず」は飲み水のような気がするので、「ひやみずをあびせる」というと、麺類を茹でているときに吹きこぼれを防ぐために注ぐ水、いわゆる「びっくりみず」をかけているように感じてしまうのです。
「れいすいをあびせる」であれば、熱くなっている鉄板などを冷やしている樣子が目に浮かび、これこそが「冷水を浴びせる」ように感じます。


masakim さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 21日 土曜日 05:32:38)

「年寄(としより)の冷水(ひやみず)」に関しては『岩波ことわざ辞典』(2000年)は
   原意について、年寄が水浴びするのだという説と、冷水を飲むことだとする説が、明治時代から言われていた。イメージからは、水浴びの方が無謀さが強く感じられてもっともらしい気がする。ところが、江戸・明治時代の少なくない文例や図像資料を見た限りでは、水浴び説の裏付けとなるものは出てこず、水飲み説のものばかりだ。
とし、年寄が冷や水を飲むところを描いた明治時代の江戸系いろはカルタの画像を載せている。
この諺をもじった川柳に
   水売りも爺いはぬるいように見え(川傍柳4-33)
   年寄の冷水でない美濃の滝(柳多留26-20)
   年寄の冷水売りははやらない(柳多留30-23)
   年寄に汲む冷水は酒と成り(柳多留101-1)
などがあります。
   


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 21日 土曜日 10:30:41)

masakimさん、有り難うございます。
>年寄の冷水でない美濃の滝
というのは養老の滝のことでしょうが、これも、養老の滝の水を飲んで長生きしようとしている、いうことなのでしょうかね。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 21日 土曜日 14:01:30)

さっき読み終わった米原万里著『魔女の1ダース』(新潮文庫)のサブタイトルが
「正義と常識に冷や水を浴びせる13章」
でしたが、この米原さんが「師匠」と読んでいる徳永晴美さん(=男です)は文庫のあと書きで、この本には「下ネタ」が豊富で、その「下ネタ」が、
「哲学、言語学、心理学、文化人類学的な文み脈で顔を出し、『常識』に冷水を浴びせる」
と書いています。徳永さんは「レイスイを浴びせる」と読ませるつもりだと思います。
本のタイトル及びサブタイトルは、編集者が付けた可能性が高いのですが、著者である米原さんも了承しているであろうことから、米原さんの感覚では「冷や水を浴びせる」でOKだったのでしょう。しかし、師匠の徳永さんの感覚は「冷水」だったのではないでしょうか?

1冊の本に両方出てきて、しかもこの話をしている時にこんな本を読むなんて、奇遇だなあと思いました。


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2003年06月17日

丸谷才一『輝く日の宮』(Yeemar)

丸谷才一『輝く日の宮』(講談社 2003.06)を読みました。「芭蕉はなぜ東北を旅したのか」「『源氏物語』に『輝く日の宮』という巻はあったか、あったとすればなぜ失われたのか」など、全編議論で埋め尽くされた感のある作品です。

丸谷氏の作品は一作ごとに「議論」の占める割合が大きくなってきているように思います。『裏声で歌へ君が代』では物語50パーセント・議論50パーセントぐらいだったのが、『輝く日の宮』では物語10パーセント・議論90パーセントぐらいになっているのではないでしょうか。小説にストーリーを求める読者にとっては苦痛かもしれず、また、純粋に実証的な文学研究を求める読者にとってはあまりに荒唐無稽にすぎるかもしれず、そうすると、多くの読者がつくのかどうか心配になります。(といいつつ私はまあ面白く読みましたが。)

登場人物たちが、狂言回し・解説者としての役割に力を入れるあまり、自分自身の人生を十分に生きていないのではないかという気もします。人物にリアリティが欠けているのはこの作品の瑕瑾ではないかと思います。

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ことばについてですが:

・若者ことばを写そうとする努力。「ヒロインはあたしにわりかし似てゐる名前だつた」(p.36 女性)、「これってかなりいい線だと思います」(p.88 同)、「ていふか、お願ひですね、むしろ」(p.408 若い女性)、「梨のコンポートとか食べて」(p.415 同)、「「別に何もないんです。ただちよつと、先生とおしやべりしたくなつて」みたいな返事を期待してゐた。」(p.404-405 地の文)
 地の文で「『〜』みたいな」というのはまるで若い作家の文章みたい。

・丸谷式仮名遣いの不統一。「一座は感に堪えた様子でしたし」(p.219)とある一方で、「佐久良が感に堪へた声で」(p.414)
 また「店を出た真佐子は丁度{ちやうど}来合せた車に乗り、」(p.16)とある一方で、「ちようど盆の十三日、迎へ火を焚くと、」(p.210)
 *いずれも後者が丸谷仮名遣いに合っているのでしょう。

・独特の言い回し。「一般に荒つぽいことをしないのが公卿の流儀だつた。保元の乱からはちよつと別になるけれど。菅原道真の流刑それとも左遷でさへ、あれだけみんなに厭がられた。」(p.392)
 *このような「それとも」の使い方、何カ所かあり。

・これも独特の言い回し。「京都の男から、テレビでの話を褒める手紙を添へて、19世紀文学研究グループのリーフレット送つて来て(返信用封筒つき)、サインがほしいとのことだつた。」(p.118)
 *このような「〜が送って来る」はもう1カ所ありました。「〜が送られてきて」または「〜を送ってきて」と私ならば言いますが、これは丸谷氏の口癖でしょうか。

・わからないことば。「そこで会長は両手をおろし、そして言つた。/「KBなしといふのが嬉しい」/「はい、大丈夫です」/「あの手のことはどうもね」/「でも、きれいごと言つてられませんから」(p.298)
 この「KB」とは何でしょうか。会長が、役員の男に社長就任を要請する場面です。


masakim さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 18日 水曜日 05:26:23)

丸谷才一『輝く日の宮』は未読ですので引用された文から推理するしかありませんが、私の知っているKBはkickback(リベート)の略ですので「みかえり、代償」のことではないでしょうか。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 20日 金曜日 21:28:57)

ありがとうございます。『日本国語大辞典』『大辞林』『角川外来語辞典』『小学館ランダムハウス英和辞典』など手近の辞書を見ると、キックバックの意味は載っていませんでした。よく使われる隠語なのでしょうか。


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2003年06月14日

早起きは三文の?(じゅうさん)

早起きは三文の(得)なのでしょうか?(徳)なのでしょうか?
大辞林や広辞苑は「早起き」の項に用例として、
「早起きは三文の徳」と載っていてびっくりしました。
わたしは「早起きは三文の得」と習った記憶があります。
Googleで調べたところ
「早起きは三文の得」 約7,480件、
「早起きは三文の徳」 約1,240件と
「得」が多いのに一安心しましたが
なぜ、中型の辞書が「徳」を採用しているのでしょうか?
寝坊助のわたしがうかがうのも恥ずかしいのですが
ちょっと疑問に思いました。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 14日 土曜日 19:58:21)

「得」と「徳」とはしばしば相互乗り入れしていますね。たとえば尾崎紅葉「金色夜叉」には

これも娘と申すのは名のみで、年季で置いた抱も同様の取扱を致して、為て遣る事は為ないのが、稼げるだけ稼がせないのは損だと云つたやうな了簡出、長い間無理な勤を為せまして、散々に搾り取つたので御座います。
(「続続金色夜叉」〔1903.06発表〕新潮文庫 p.448)
のように、「徳」の字を「損」と対にして用いています。今なら多く「得」と書くところで、ここでは「徳」が「特」のあて字になっているのでしょう。このあて字はずいぶん古く(中世?)から見られたようです。

「得」は「利得」で金もうけにつながるもの、「徳」は「美徳」で、金もうけにはならないかもしれないが「よい」もの、ということだと考えれば、「三文の得」のほうがいいかもしれません。でも、ことばは既成事実を作ってしまえば勝ちですから、「三文の得」「三文の徳」いずれもOKといったところでしょう。

ACTION PRESENTS/得盛!〔ママ〕 SKI RESORT/in 北志賀高原/竜王SKI PARK/小丸山スキ-場.ハイツスキ-場〔ハイフン原文ママ〕
というチラシを大学内で1998年以前にみつけましたが、「特盛り」と書くのが多数派であるように思います。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 14日 土曜日 20:00:00)

混乱しています。訂正です。
> ここでは「徳」が「特」のあて字になっているのでしょう。

「徳」が「得」の、ということです。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 14日 土曜日 20:39:44)

これを読んで思い出したのは「亀の甲より年のこう」。
Googleでは、
 亀の甲より年の功:約1,570件
 亀の甲より年の劫:約63件
広辞苑では「亀の甲より年の劫」を項として挙げ、
『「年の功」とも書く』としています。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 18日 水曜日 13:36:13)

『放送研究と調査』2003年6月号=最新号の101ページに、まったくこのテーマそのものの『早起きは三文の「徳」か「得」か』というコラムを坂本充研究員が書いてました。
それによると、国語辞典で最初に登場する「三文のトク」は、明治42年の『俗語辞海』(集分館)が「朝起きは三文の徳」。「早起きは三文の得」は昭和34年『新言海』(日本書院)。『日本国語大辞典』(第2版)では「朝起き〜」は「三文の徳」で用例は明治13年の河竹黙阿弥の『日本晴伊賀報讐(にっぽんばれいがのあだうち)』のセリフから、「早起き〜」のほうは「三文の得」で明治22年の禽語楼(きんごろう)小さんの落語が紹介されていたそうです。
で、坂本さんの結論は「朝起き〜徳」「早起き〜得」とで異なっていたらしい、ということです。
アナウンサー的な視点から言うと「得(LH)」と「徳(HL)」ではアクセントが違うのです。そのアクセントから言うと、私は「得」だと思っていました。もちろん、「早起き」が、です。ただ、「馬子にも衣装」「濡れてで粟をつかむ」というような成句の「馬子(HL)」「粟(HL)」という頭高アクセントが、ともに現在は「LH」という尾高アクセントになってしまって、「孫」「泡」と思われているというような現状もあります。そこから考えると「得」と「徳」が混同されるのも、一般的には、しょうがないのかな、とも思います。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 19日 木曜日 20:54:11)

「早起きは三文のトク」が昭和34年の『新言海』では遅すぎると思って適当にあたってみたところ、明治45年の『大辞典』(山田美妙)にありました。
漢字表記は「早起三文徳」です。
大正元年の『新式辞典』も「早起き〜徳」です。
また、「朝起きは三文の徳」は明治41年の『大増訂ことばの泉 補遺』にありましたから、『俗語辞海』が最初ではないですね。
ところで、「徳」と「得」のアクセントは違うのでしょうか。


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 20日 金曜日 08:01:19)

skidさん、アクセントNHK発音アクセント辞典と新明解アクセント辞典で「得」と「徳」は同じアクセントでした・・・。すみません。人名の「徳」はアクセントが違って頭高アクセントで載っていました(新明解アクセント辞典)。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 20日 金曜日 21:10:39)

「朝起き」の場合は「徳」で、「早起き」の場合は「得」というのは、やはりおかしいと思います。skidさんがご指摘になっていることで、すでに問題点が現れていますが、古い時代には「得」「徳」が相通じていた、どっちを書いてもよかったというのが事実に近いのではないでしょうか。アクセントも一緒なのですね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 21日 土曜日 00:19:35)

 道浦さんのように人名でない「徳」を頭高に言いたくなる気持ちは、私も分かります。これはおそらく「得」と区別したいが故のアクセントではないでしょうか。「人にとって大事なのは徳です」などという時に「得」だと思われたくない、という意識から頭高にいいそうに思います。


坂本 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 02日 水曜日 18:47:14)

skid さん、ありがとうございます。
道浦さんから同僚に連絡があり、読ませていただきました。
参考になりました。
 実は、私がコラムを書いたのは、インターネットの文研ホームページで公開している「国語力テスト」で、「『早起きは三文の( )』( )の中に入るのは 1.得 2.徳 3.特 のどれでしょうか」という3択の問題を出しました。
とたんに「正解が2つあるのでは?」という指摘があったのです。
 そこで、道浦さんが紹介してくださった【早起きは三文の「徳」か「得」か】というコラムを書きました。
「国語力テスト」では、1.得 69% 2.徳 30%という結果でした。
詳しいことは「国語力テスト」を集大成した『国語力アップ400問』NHK出版 p64に追記しました。書店で立ち読みしてください。
 お礼が遅れて申しわけありません。
重ね重ね、ありがとうございました。

文研:国語力テスト


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「スマソ(すまそ)」言葉。ネット上の特有の表現について(魚津光一)

おそらく、ネット上だけでのことだと思いますが、
謝罪の意味の「スマン(すまん)」を「スマソ(すまそ)」としている表記が最近急激に増えているような気がします。お気づきでしたでしょうか。最近ではカタカナではなくひらがなで堂々と「すまそ」と表記している例も見かけます。
この現象はいつごろからでしょうか。また、他にもネット上特有の表記(顔文字は別としても)はあるのでしょうか。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 14日 土曜日 12:05:45)

〈インターネットもどき〉のことを「イソターネット」と書くことは、90年代前半からあったような気がします。「木ームページ」というのはそれよりは新しそうです。

キーボード位置の対応から、NTTをミカカとするのは、〈ネット特有〉と言えるのかは不明ですが、コンピュータならではでしょう(仮名タイプ時代からあったのかもしれませんが)。

「すまそ」とひらがなで書くと言うことは、表記から語形にまで及んだ、ということになり、語形レベルでのネット特有の表現については、いろんなところで書かれていますが、一部、いつ頃から見た、という情報があるところもありそうです。今、すぐには示せませんが。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 14日 土曜日 14:19:12)

ネット上特有の表記は、とりあえず『2典』(バーチャルクラスター発行、ブッキング発売、2002年)という2ちゃんねる辞典に‘いぱーい’載ってます。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 14日 土曜日 19:39:13)

掲示板の語句は、管理プログラム等による削除を回避するために、わざと変わったことば遣いをするのですね。以下関係記事です。

 悪意を探し出すことが、清水正己さん(26)の仕事の一つだ。/ 企業や個人を相手に、インターネットに関連する様々なサービスを提供している東京都渋谷区の企業ガーラで、「辞書チーム」に身を置く。/ チームは5人。犯罪につながる言葉やわいせつな表現、差別用語などを集めて、「不適切用語集」として会社のコンピューターに登録しておく。顧客企業のホームページに送りつけられる不穏な書き込みを見つけ出し、はじき返すためのキーワードにする。〔略〕/ とりわけ、過激な言葉が飛び交う「2ちゃんねる」の中の掲示板には、誹謗{ひぼう}中傷があふれている。「市んじまえ」という書き込みも9月に見つけた。
(「朝日新聞」2001.10.19 p.38)
「すまん」は、べつに差しさわりのあることばでもなく、言い換えの必要もないものですが、「市ね」などと尋常ならぬ言い換え表記を多用する人は、ことばを異化する趣味が「すまん」(スマソ)だの「まったり」(マターリ)だの、べつに差しさわりのないことばにまで拡張されるのでしょうか。

パソコン通信の時代にも使われた「みかか」(「今月はみかか代〔電話代〕がかかってこまる」)が何となくユーモラスな雰囲気を持っているのとは異なり、「市ね」「逝ってよし」「オマエモナー」「マターリ」などのことばは、血の通った人間の会話という感じが薄いと思います。私自身は使いたくありません。

「スマソ」の祖先にあたる用字法として、「エノケン」(榎本健一)を「エノケソ」とするなどがあります(ネットのことばではありませんが)。

とにかく、あの時代以後、喜劇の世界では、エノケンの人気は一世を風靡{ふうび}いたしまして、「喜劇の王様」なんていうふうにいわれた。エノケンのニセモノが現れまして、地方を回って歩いたそうであります。ポスターのまん中に大きく、エノケン来る! と書いてある。ところが、エノケンのンの字がよく見るとンでなくて、ソ。エノケソ。なんでありまして、客が文句をいってきても、/「あなたがよくポスターを見ないからです。そそっかしい人がいて、困るんだよネ」/なんて逆襲される。
(小沢昭一・宮腰太郎『滋養豊富・元気の素 小沢昭一的こころ』新潮文庫 1986.02.25発行 p.271)
この「エノケソ」のエピソードは他の人も書いていたように思いますし、類例もあるでしょう。


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 15日 日曜日 14:50:41)

>〈インターネットもどき〉の...「イソターネット」
についてはリンク先をご参照ください。発祥は1996年2月より少し前で
あるようです。下記サイトに代表されるような使い方はインターネットが
一般に普及してからでてきたものと考えられますので、1995年以前に遡る
のは難しそうです。
とりあえず見つけた早い例は1995年12月6日のものでした。
http://groups.google.co.jp/groups?hl=ja&lr=&ie=UTF-8&oe=UTF-8&threadm=DJ5x1A.2ps%40ics.tj.chiba-u.ac.jp&rnum=77&prev=/groups%3Fq%3D%25E3%2582%25A4%25E3%2582%25BD%25E3%2582%25BF%25E3%2583%25BC%25E3%2583%258D%25E3%2583%2583%25E3%2583%2588%2B%25E3%2581%2582%25E3%2581%2595%25E3%2581%25A0%26start%3D70%26hl%3Dja%26lr%3D%26ie%3DUTF-8%26oe%3DUTF-8%26scoring%3Dd%26selm%3DDJ5x1A.2ps%2540ics.tj.chiba-u.ac.jp%26rnum%3D77
>何年か前には、こんなに「イソターネット・フィーバー」になって、
>個人向けプロバイダがここまで普及するとは、想像もしてませんでし
>たが…
これには、翌日付で
>>何年か前には、こんなに「イソターネット・フィーバー」になって、
>細かいギャグを…:-p
というツッコミがはいっていますので、初例に近いと言ってもいいのでは
ないかと考えられます。

イソターとは


後藤斉 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 15日 日曜日 15:24:46)

こっちにリンクを張るほうがよかったですね。

fj.news.usage Name yourself along with your organization's name (article and site) 


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 15日 日曜日 16:39:07)

『2典』に「香具師」(ヤシ=ヤツ)が載っていないということは、ここ1年以内の流行でしょうか。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 15日 日曜日 17:59:18)

 イソターネットについては、私自身が、パソコン通信経由でテキストのみの情報を見ていた時代(Netnewsなども読んでいました)に、知った言葉であったように思っていましたので、1994-5年であったのかと思いましたが、95年も末なのですね。その頃の私はパソ通経由ではなくなったものの、14400bpsで繋いでいますから、たしかにイソターでした。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 15日 月曜日 06:27:05)

こんにち、「奥さん」のことを「奥」と言うだろうか(『日本国語大辞典には載っています)と思い、「"彼の奥が"」でGoogleで検索してみると、わずかに数件ヒットした中の大部分が「2ちゃんねる」のサイトです。いずれも「浮気相手の彼の奥さん」で使われている模様。「奥さん」を略していう、これも2ちゃんねるのことばでしょうか。

「もしもし。わたくし、木村の奥でございますが」「あっ、奥さんですか、どうもこれはわざわざ」

などという使い方が一般にあり得るかどうか考えているところです。ちょっとなさそうですね。


岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 09月 21日 日曜日 23:33:57)

「連投」というのは、比喩的な表現と思ったら(「小泉続投」などと同じように)、「連続投稿」なのですね。


hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 17日 水曜日 06:16:33)

「某巨大掲示板」(とネット上では呼ばれていますね)の用語集ですが、「2典Plus」というサイトがあります。どなたも触れられていなかったので、一応リンクを掲載しておきます。2004年2月27日で開設1周年とのこと。

2典Plus


booko さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 17日 水曜日 14:39:55)

「スマソ」というのは、ネット特有のことばなんですね。
私は、話し言葉でよく使われる「すんまそん」(「すみません」を
ちょっとおどけた感じで言いたいときに使う)が「スマソ」の
ように聞こえるので、それをそのまま表記したのだという印象を
受けました。

「イソターネット」があるところをみると、おそらく「ソ」と
「ン」を混同するということはあるのですね。
ローマ字入力では考えられないことですが、かな入力で最初から
カタカナにしておけば、あり得ることなのでしょう。

しかし、ちょっと見てみただけなんですが、「スマソ」を使って
いる人が、同じページ内の他の単語で同じように「ソ」と「ン」を
混ぜて使っている例は、少ないように思います。
「インストール」「コミュニケーション」「インター」「ライオン」
「ジャングル」「バージョン」「マンガ」「ネーミング」「キャンペーン」
などの言葉では、多くの人がそのまま「ン」を使っているようです。

同じページ内で「ケソ」「ゴメソ」を使っている人も、1人だけ
発見しました。(しかも半角カタカナ)
BBSの、タイトル部分では「スマソ」、本文中では「スマン」を
使っている人も1人います。

@カタカナ入力で「ソ」と「ン」を混同
A口語「すんまそん」と「スマソ」は似て聞こえる
B「スマソ」はネット用語として定着した

のように考えたのですが、いかがでしょう???


booko さんからのコメント
重複削除


hiroy さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 18日 木曜日 05:19:14)

恥ずかしながら、当方「すんまそん」は知りませんでした。ネットで検索してみると、たくさん使用されていますね。方言、或いは若者言葉でしょうか?

「スマソ」や「イソターネット」の起源が、「ン」と「ソ」が混同されたため、とはちょっと思えませんが……。少なくともJIS配列では離れていますよね。単に字形が似ているから、ということなのだと思います。

ところでその某巨大掲示板では「俺」のことを「漏れ」と言う人がいますが、上掲の「2典Plus」によると、

漏れ【もれ】[名]
「俺」の意。
2ちゃんねる誕生以前からUG系掲示板ではしばしば使われていた単語で、誰かが「俺も俺も」を「俺漏れも」と誤変換したことが始まりと言われている。今はブームは下火だが、好きな人は今も使いつづけている。

だそうです。真偽のほどは定かではありませんが、「俺も俺も」→「俺漏れも」説には、思わず納得してしまいました。

2典Plus:漏れ


道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 18日 木曜日 10:05:11)

酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社、2003,10初版)の42ページに、
「バーチャルな女性に萌え感を覚えるわけで」
とあります。「萌え」が使われています。


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 18日 木曜日 10:39:57)

「スマソ」「イソターネット」…… 
ン→ソの例が多いような気がしますが、逆に、ソとあるべきところをンで表記した
例はありますか? 多分、あるとしてもごく少数のような気がするのですが……

(どうしてそうなるのか。出現位置と頻度がカギかなと思ってますが、特殊拍という
ことはとりあえず(あくまでも「とりあえず」)置いておけると思いますが。)


佐藤 さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 18日 木曜日 13:08:12)

あ、単に、「故意にンをソに記す」というルールがあって、その逆のルールがない、
ということかもしれませんね。(ただ、そういう一方通行がルールとして認知され

理由を考えるなら、上に記したようなことに注意してもよい、ということか)


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 03月 18日 木曜日 14:02:55)

「ソ」とあるべきところを「ン」にする可能性ですが、

> (どうしてそうなるのか。出現位置と頻度がカギかなと思ってますが、

ある国語辞典では、カタカナことばとして語中・語尾に「ソ」が出てくる例はわずかに30語(「メゾ・ソプラノ」のような複合語を除く)。そこから「トルソー」「シャンソン」のように長音・撥音が続く例(これらは「ソ」を「ン」にすると「トルンー」「シャンンン」のように発音できないことばになる。もっとも、字で書くぶんには「ンンブレロ」でも「トルンー」でも「シャンンン」でもかまわないわけですが)を引くとわずかに15語になってしまいます。すなわち:

アイソトープ、オーソドックス、オーソリティー、カーソル、カソリック、ガソリン、サキソホン、パーソナリティー、パソコン、パラソル、フィロソフィー、ペーソス、ペソ、ヤソ教、ラプソディー。(われながら、奇妙な調査をしてしまいました……)

この中で、「パンコソ」(ぱんこそ)という表記はネット上であり得るかと思って検索してみると、散発的にはありました。(一般的ではなく、某巨大掲示板の用語というわけでもない。)

いっぽう「ン」が語中語尾に来る語は調べていませんが、いくらでもあるでしょうから、「故意にンをソに記す」ほうが断然やりやすいということになりますね。


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2003年06月13日

「ださい」について(Yeemar)

井上史雄+鑓水兼貴『辞典〈新しい日本語〉』(東洋書林)の「ダサイ」の項目、
ダサイ 「田舎くさい、泥くさい」。1975年に耳にしたとの報告あり、『現代用語の基礎知識』では1978年版に収録(暴走族を震源地にすると記述)、1981年にフジテレビの「オレたちひょうきん族」で使い、1980年代にタモリが「ださいたま」と表現した、1981年さいたまんぞうの「なぜか埼玉」がヒット(ホームページ1999)。
とあるこの「ホームページ1999」は私のホームページ「「ダサい」はいつから」のことなのですね。

本書で(用例でなく)出典文献として挙げられているホームページは、佐藤貴裕さんの「気になることば」と私のもののみのようで、光栄です。しかし、佐藤さんの名も私の名も出ておらず(私の名はべつに、よろしいのですが)、URLもそれぞれ誤っているのは残念。

「ダサい」の発生については、私のページに追記したとおりskidさんが1974年の例を挙げられ、その後さらに1973年の例を報告されました(日国.NET)。

私が個人的に得た証言では、当時神奈川県小田原市に住んでいた方が「暴走族をしていた友人から」「昭和48年(1973年)の春」に「突然耳慣れない奇妙な単語」を聞いたのが最初だということです。それで、私がホームページに書いたとおり「暴走族から端を発しているような気がします」とのことです。

この方はユニークな語源説も紹介してくださいました。「暴走族仲間が、普段ならコカコーラを飲むところをたまたまサイダーを飲んだところ、それが仲間うちのブームになり、サイダーでは古臭いので、ダサイと呼ぶようになった」そうです。記録には値する語源説だと思います。

別の方の証言。1976年、中学2年生のとき友人が「今日もコセコセと駄西詩を書き」という詩を書いたとのこと(原文ママ)。また、この方が高校2年の時(ということは1979年ごろ?)、雑誌「ぴあ」の「はみだし」〔「はみだしYOUとぴあ」でしたっけ〕に、「ダサイという言葉は『だって埼玉だもん』が略されてできたって本当ですか?」という投書が載ったとのこと。「だって埼玉」説は、私がホームページに書いたものより古いことになります。

整理して、私のページに追記しようと思いますが、とりあえずこちらに書き込む次第です。


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2003年06月07日

カッコ内の字の大きさ(Yeemar)

丸括弧の中の文字の大きさはどういう基準で決めるのでしょうか。

E.L.カニグズバーグ作・小島希里訳『ティーパーティーの謎』(岩波少年文庫051) p.33に次のようにあります。
●A. イジーがグラスをたたきわって、みんながヘブライ語でマザル・トーヴ(おめでとう)と叫んだちょうどその瞬間だった。

●B. アレンをのぞく全員が輪になってホーラ(イスラエルの伝統的なダンス)を踊りだしたので、ぼくはクラブハウスを抜けだしておばあちゃんの家に走ってもどった。
上のうち「(おめでとう)」は、本文と同じ9.5ポイントです。「(イスラエルの伝統的なダンス)」は8.5ポイントと思われます。

この差は何でしょうか。単なる不統一でしょうか。

いったいに、( )に入った語句でも、内的独白のようなものは本文と同じポイントで、1単語程度の注釈はポイントを落とす処置がとられるようです。問題は、それ以外の場合です。この本では、
●C. つまり、天気予報ではなく暦をみて冷房をつけたロボットがいたらしい(本物の人間かもしれないし、電子装置かもしれないけれど)。(p.10)
●D. つまり、(教会と教室との)中間ぐらいの作法でいけとの通達が出ていたというわけだ。(p.10)
などは、本文と同じ大きさです。ところが、たとえば柴田武『日本語はおもしろい』を見ると
◆E. スキー、スケートは、「スベル(滑る)」と、初頭の一音が同じであるだけでなく、(p.30)
◆F. 「カーカー(烏が鳴く)」「かっきり(一時に着く)」のような擬音語・擬態語、(p.100)
◆G. 言語学のうち、地理言語学(方言学)の重要な概念を表わす用語が(p.67)
などではカッコ内は本文と同じポイントですが、
◆H.「現代仮名遣い」では「頬」を一義的にホオと規定しているよう(中略)だが、(p.25)
◆I. エレベータ、モータ、ダンパ(ストーブの節気弁)という例が出ている。(p.49)
◆J. 国広哲弥『意味論の方法』(大修館書店、一九八二年)に紹介されている東京方言(山田進さんのもの)と、(p.91)
◆K. 今度教えてもらった菅原新三郎さん(宮沢賢治記念館の社会教育指導員)によると、花巻方言では、(p.116)
◆L. その一つに、「同音語には共通アクセントをつける」ということがある(「共通アクセント」は「共通語(東京語)のアクセント」の意味らしい)。(p.162)
などではカッコ内はポイントを落としています。

C「(本物の人間かも…)」とL「(「共通アクセント」は……)」との方針は齟齬していますし、G「(方言学)」とI「(ストーブの節気弁)」とも齟齬しているのではないかと思います。

ポイントを落とすかどうかというはっきりした基準はあるのでしょうか。本によっては、括弧内は一律にポイントを落とす、または、落とさないものもあるようです。

文学と論文とでは異なるかもしれません。論文等では、注釈の主旨にかかわらず、文相当のものはポイントを落とさず、句または単語であればポイントを落とすのがよいのではないかと思います。しかし、実際はそうではないのでしょうか。


skid さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 08日 日曜日 03:28:09)

丸括弧の箇所の文字の大きさについては、明確な基準はないと思います。
編集方針というか、編集者(あるいは著者)の好み次第でしょう。
同じ出版社の本でも違うことは珍しくありません。
小さくしたりしなかったりは、たとえば言い換えの単語程度なら小さくせず、補足説明は小さくするといった方式があります。
CやDの箇所は原文からある記述なので小さくしないのかもしれませんね。


Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 08日 日曜日 12:16:54)

すると話は簡単なことでしたね。

明確な基準がないということになると、これは自然の言語と同じく人々(編集者?)の間に「見えないルール」があるのかもしれないと思ったりもします。「これこれの場合は実際には80パーセントが小さくなっている」といった具合に。

それを研究するとなると、すこぶる微妙な研究になりそうですが。


UEJ さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 14日 土曜日 20:30:14)

私の本では外国語の単語の読みや意味を丸括弧に入れて表記しています。
私としてはこれらの括弧内の内容は本文の流れをある意味妨げてしまうので、
少し小さなフォントにしたかったのですが、
編集者の方から「語源に関する本を買ってくださる方には年配の方が多いので、
ポイントを落とすと読みづらくなる」という指摘があり、
結局本文と同じポイントにしています。

「見えないルール」の研究、なかなか難しいかもしれません。


posted by 岡島昭浩 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ■初代「ことば会議室」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする