きのう見本本を受け取り、あらためて見ておりますと、いろいろと神をも恐れぬことが書いてあります。
・愕然としたのは、仮名遣いの誤り。「あめつちの詞」を引用しているところがあって(p.145)、「山 川 峰 谷」「人 犬 上 末」の「川」「上」に「かわ」「うえ」とルビがふってあります。日本語の音を1回ずつ用いるというのがこの詞の趣向ですから、「かは」「うへ」でなければ意味をなしません。原稿では「かは」「うへ」だったのですが、どこかで仮名遣いが間違って、校正刷りでも看過しました。
・「モーニング娘。」などと固有名詞に使われる「。」について触れました(p.119)。これがいつごろからのものか、ということについて、はっきりとは書いていませんが、私は1980年代以降というニュアンスで書き、用例もそのころのものを出しています(1970年代のものは見つけていませんでした)。ところが、本が出る直前、1972年の吉田拓郎のアルバムのタイトルに「元気です。」、また、1975年の井上陽水のアルバムタイトルに「招待状のないショー。」とあることをご教示いただきました。これはもはや追記の余裕はありません。
・「なやましい」が「官能的だ」以外に「頭を悩ませるようだ」という意味で使われるようになっていると、「公に指摘」されたのは、1996年、ある出版社で開かれた研究発表会〔三省堂・語彙辞書研究会〕が初めだと思うと記しています(p.90)。ところが見坊豪紀『ことばの海をゆく』(朝日選書 1976)の p.150に、追記のようにして
(古語の復活的用法として有名なものに「悩ましい」があります)と記されていて、すでに20年前に「有名」だったことが知れました。ではあの研究発表会は何だったのか、会場に並み居る語彙・辞書の権威からも「その話はすでに有名ですよ」という質問もなかったようだが、などと言っても詮ないことです。私は研究史を看過したことになります。もっとも、私の本では、大正時代にすでに使われている(室生犀星)とも書いていて、「悩ましい」の「新用法」は意外に古いというのが主旨です。
かような次第で、満身創痍、とまでは、さすがにひいき目もあって思いませんが、きずのあることは今から分かっております。もし本書がお目にとまって、お気づきのことがありましたら、ご指摘いただければ幸いです。のちに何らかの形で反映したいと存じます。
こういうことは、自分のホームページに掲示板を設けてお願いするのが筋のような気もしますが、「情報はできるだけ一元化を」というのが理想だと思いますので、こちらに書き込みました。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 05日 木曜日 09:34:55)
上記のような次第もあって、お求めになろうとされる方がいられたとしても、もう少しお待ちいただいたほうがよろしいかと存じます。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 05日 木曜日 09:36:38)
と言うと売れなくなってしまいますね。むずかしいところです。
skid さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 05日 木曜日 16:50:42)
固有名詞の「。」に関して、ご存じかもしれませんが念のために。
『言語生活』第277号(1974年10月)に「現代の句読法」という特集がありまして、土屋信一先生が「新聞広告の句読点──キャッチフレーズを中心に調べる」を書いています。
また、1973年1月号の「ことばのくずかご」でも取り上げられているそうです。
広告の見出しに句読点を付けるのは1970年代前半に流行したようですね。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 05日 木曜日 17:20:23)
ご出版、おめでとうございます。まずはリンクなど。
岩波・
アマゾン
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 05日 木曜日 19:36:44)
skidさん、これはさいわい存じておりまして、「土屋信一氏の研究によれば……」という文言を入れてあります。「索引」もつけることができ、ことばだけでなく、研究者の方を中心に人名もできるだけ入れました。
岡島さん、リンクありがとうございます。「ホーコー鍋」(中国風しゃぶしゃぶのこと)ということばに関してお名前を引用させていただきました。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 13日 金曜日 17:43:21)
「のの」について書きます。ずっと以前にメールで申し上げたと思うのですが、すでにそのメールは残っておりません。
私は福岡の人間ですが、連体助詞の「の」は「ん」で、準体助詞の「の」は「と」と対応します。「私の金」は「わたしんかね」、「いいの」は「よかと」(「いいと」とも)。それで「私の(もの)」は同音重複もなく「わたしんと」と言うわけです。
そこで、「わたしんと」を共通語に置き換えようとした場合、「わたしのの」になってしまいそうになります。「わたしのん」は口にしたことがありますが、「私のの」は共通語の知識によってなんとか抑えられます。
「がの」「のが」「がん」「のん」と言っている人にとっても、これを共通語訳すると「のの」と言ってしまいそうになるのではないかと思うのです。
「いいの」を「いいが」と言っている人にとって、共通語訳するには「が」を「の」に置き換えればよい、と。それで「がの」が「のの」で現れる。
「のの」が現れるのにはそういう背景―母語として「のの」を持っているわけでなくても「のの」が現れる―もあるように思います。
なお、福岡の「んと」ですが、「飯間君の(もの)」は、「ん」のあとに「ん」を続けるわけには行かず、「飯間くんんと」ではなく、「飯間くんのと」と言います(「飯間くんと」という人もいるようですが)。「ん」が「の」の訛形であることが意識されているわけです。
とりあえずweb版の方にリンクしておきます。
→ ほかののを
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 13日 金曜日 22:44:25)
ありがとうございます。以前お教えいただいて、そのご趣旨を理解していなかったのかもしれません。
鹿児島の若者が「じゃっど、じゃっど」を共通語に直訳して「だよ、だよ」と言うなどの「からいも普通語」を連想します。それと原理的には同じようなことが「んと」「がの」「のが」「がん」「のん」などを使う人にも起こりうるということですね。
そう考えると、『漱石の思ひ出』の筆録者である松岡譲が方言として「のの」を持っていなくても、「がん」(これは今の新潟)などを持っていれば、文章で「ほかののを」などと書く可能性はありますね。そこまできっちり言及することができず残念です。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 06月 22日 日曜日 01:12:35)
クラッシュで飛んでしまった「今日この頃」の話題です。「私だけだろうか」の関連話題ですが。
小林信彦『唐獅子株式会社』(新潮文庫)の「唐獅子意識革命」は「新しい女」「翔んでる女」に影響される話ですが、「そうした女の存在が奇妙に新鮮に感じられる今日このごろです」と語る部分が出てきます(新潮文庫114頁)。これは、「新しい女」の物言いを真似たものでしょうか。
初出は1978年春であるようです。
→ 一つ学問をした
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 06日 日曜日 09:47:21)
産経新聞での紹介記事です。
→ 【新書専科】「遊ぶ日本語 不思議な日本語」飯間浩明著
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 06日 日曜日 11:59:52)
ご報知ありがとうございます。ほんとうに広く情報にお目を配っていられますね。私は著者であるのに狭い目配りしかしておりません。
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 06日 日曜日 13:58:55)
(本題ではありませんが)たまたま産経新聞を取っているだけです。
私は朝日新聞を取りたくない、という気持ちがあります。別に主義主張がいや、というわけではなく、受験参考書であることを標榜している新聞は取りたくない、という思いです(これは朝日新聞から入試問題を作り続ける大学側にも大いに問題があるのですが)。
アンチ巨人なので、読売新聞も読みたくない。
本当はローカル紙・ブロック紙が好きなのだけれど、大阪には真面目なローカル紙が見当たらない。
毎日か産経か、ということで、これまで見たことがない産経にしたのでした。
これはまた思った以上に癖のある新聞でした。思想的なことはともかく、「言葉の乱れ」についてもうるさい新聞であります。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 06日 日曜日 22:52:20)
自分の紹介が出ているというのは気になるもので、駅前で「産経」を買ってきました。なるほど、「ことばの乱れ」についてもうるさい新聞です。そういう論説が出ていました。切り抜いておきましょう。
「産経抄」には安本美典氏のことが出ていたりして、やはり自分の取っている新聞(朝日新聞)だけでなく、折に触れて各紙を見なければいけないなあ、と思いました。
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 07日 月曜日 17:06:37)
産経新聞は、校閲部長のSさんという方が、言葉と漢字に”うるさい”方で、特に表外字の使用規制緩和に関して、積極的に活動なさっています。最近は、「本文中に登場しない表外字」を、見出しにルビなしで使い、関係者の間では論議を呼んでいます。こないだも「黴菌」を見出しに使っていました。ある意味では漢字の勉強になる新聞です。
田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 24日 木曜日 18:51:18)
『遊ぶ日本語 不思議な日本語』、拝読いたしました。
ほんとうにどうでもよい事で申しわけないのですが、飯間さんはペ122に、
「映画では(「。」のついた題名の作品としては)『どっちにするの。』(金子修介監督 一九八九)あたりが最初でしょうか。」
と書いておられます。しかし、この四年前に、『花いちもんめ。』(伊藤俊也監督 一九八五)という映画(『恍惚の人』みたような内容の映画です)が公開されていました。主演は、十朱幸代さんと、今は亡き千秋実さんです。
どういうわけかこの映画、「日本映画データベース」では、「。」抜きで登録されていました。けれども、たしかにあの映画は「。」附きでクレジットされていましたし、ヴィデオのパッケージも「。」附きになっています。
→ 日本映画データベース
田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 24日 木曜日 19:16:43)
訂正です。
>たしかにあの映画は「。」附きでクレジットされていました
→たしかにあの映画は「。」附きで登録されていました
それと、「飲みニュケーション」(ペ125〜ペ128)に関連することなのですが、これまたどうでもよい事で申しわけありません。
関西ローカルとおぼしき「やぐら茶屋」のCMに、「Let's 飲みニケーション」というキャッチ・フレーズが現れます。このCMはおそらくバブル全盛期あたりに撮られたものか、あるいはもっと以前に撮られたものかもしれませんが、とにかく古いCMで、一九九五年よりは以前のものと思われます。
このCMはずっと使いまわされていて、新たに撮り直されることがなぜかありません。今でもABCテレビ(テレビ朝日系列)のニュースの後に、しばしば見かけます。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 24日 木曜日 21:00:33)
ありがとうございます。軽々に「最初」などと書くものではありませんね。おそろしい。もっとも、自信のなさが「……あたりが最初でしょうか」という表現になったのでした。「おじいちゃんが壊れていく」というコピーで話題になりましたね。休日朝のNHKの映画枠で見たような気もします。
「Let's 飲みニケーション」は、関西に行ったときに見たような記憶もあるのですが、はっきりしません。そこで、手元にあった古い例から1995年の例を出しました。前後関係としては「ノミニュケーション」→「ノミニケーション」の順で出現したと考えるのが自然だと思っております。
→ 東芝けあコミュニティ(「花いちもんめ。」)
佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 25日 金曜日 13:57:54)
よく探鳥に通う〈ながら川ふれあいの森〉近くに某社の研修・娯楽施設
があるのですが、その社名を表示した看板に
ホラタ、工業
とありました。「ホラタミ」が本来で(でも意味不明ですが)「ミ」の
2画が消えたのだろうと思いつつ見直すのですが、それにしては「、」
の位置が「タ」に寄りすぎている…… で、ヤフーの電話帳で調べたら、
ホラタ、工業株式会社 第一工場 (代) 0583-xx-xxxx 岐阜県各務原市金属団地9 鉄鋼工業(各務原市)
と出てきました。マピオンやMSNの地図では「ホラタ工業」(誤って「ホタ
ラ工業」もあり)のごとく、読点は入っていません。読点が入ったのは、
誤りと考えてのことでしょうか。下記リンクでは「.」を使用していますが
(下1/4あたり)、正式名称としては「ホラタ、工業」なのでしょう。
しかし、なぜに読点が入ったのか……
・漢字「工」に接する片仮名「タ」が、漢字「夕」でないことを示すため?
(でも「夕工業」っておかしな業種ですね。「斜陽」への連想を嫌った??)
・片仮名「タ」に接する漢字「工」を片仮名「エ」に誤認させないため?
(「ホラタエ業」…… これも誤認しそうではないですね)
ローカルな話ですが、御参考まで。
→ 18
佐藤 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 25日 金曜日 14:12:04)
ヤフーの電話帳で「。」「、」で検索すると、用のないもの、固有名詞では
ないものもひっかかりますが、けっこういろいろあるようです。
プリント、ス(PRINT‐SU) 0574-xx-xxxx 岐阜県可児郡御嵩町中1608-47 印刷(御嵩町)
K。一級建築士事務所 076-xxx-xxxx 富山県富山市山室荒屋515 建築設計
(富山市)
とか。すでにお試しのようでしたら、ご放念ください。
→ Yahoo!電話帳
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 26日 土曜日 10:32:57)
田島さん、Yeemarさん、「飲みニケーション」は私も先日「櫓茶屋」のCMを目にして「あ!飲みニケーションだ」と思いました。古いですよね、あのフィルム。よく映画館に行くと、上映前に流れていました(今も?)。
撮影は1980年代でしょう。イメージとしては「翔んだカップル」ぐらいの頃の髪型の女性が出てくるような感じです・・・って言っても分りませんね。もう少し調べたらまた書きます。
田島照生 さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 26日 土曜日 18:22:56)
そうです、そうです。どこかでよく見かけたCMだなあと思っていたら、道浦さんの仰るように、「映画館」だったんですね。思い出しました。私もよく見てました。
けれども最近は、スクリーンではなくもっぱらヴィデオで観ているので(これが映画産業斜陽化の一因であるので、申しわけない気もします)、以前と同様にあのCMが放送されているかどうかは分りません。
もうひとつ、かなりローカルのCMに、「ユニバー」のCMがあります。これはサンテレヴィジョンでよく流れているものですが、七十年代後期(ちょうどカラオケが誕生したあたりの)に製作されたものではなかろうかという様なたいへん古いCMです。「やぐら茶屋」は、それよりも新しいものではないかと思います。
>イメージとしては「翔んだカップル」ぐらいの頃の髪型の女性が出てくるような感じです・・・って言っても分りませんね。
おっしゃりたい事はよく分ります。私は、故・相米慎二監督の映画(とくに独特の「長回し」)も好きなので、「翔んだカップル」も観たことがあります。いまデータベースで調べると、公開年は一九八〇年になっていました。バブル全盛期どころか、プラザ合意よりずっと以前の映画なんですね。
それから道浦さん、最後になりましたが、『「ことばの雑学」放送局』も拝読いたしました。ちなみに、私は大学生ですが、「煮詰まる」を梨元さんと同じ様な意味で使っておりました。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 07月 26日 土曜日 23:48:37)
佐藤さん、Yahoo!電話帳で調べるという方法、お教えいただきありがとうございます。句点が出てくるのは、「ここだけ。」とか「サボテン。」とか、全部で6件(軒)あります。これらの所に電話して「すみませんが、お宅の店は何年に創業でしょうか……」などと聞くと興味深いことが分かるかもしれません。しかしちょっと躊躇しますが。
田島さん・道浦さん、「やぐら茶屋」のCMはずいぶん古いのですね。すると「ノミニュケーション」の発生時期が気になります。「ノミニュケーション」→「ノミニケーション」という、私が示した推論が揺らぐことにならなければいいが、と不安に思います。いずれにせよ私が示した例は少々新しすぎたようです。
守沢良 さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 03日 日曜日 23:21:15)
ご無沙汰しております。
以前このサイトでYeemarさんからコメントをいただいたことがあったため、何か参考になる話が書けないかと思っていました。時間ばかりが過ぎてこんな時期になってしまったうえ、なんの役にも立たないコメントなった気がします。読み流してください。基本的に読書メモに手を加えたものなのでデアル体で失礼いたします。
p.14の「声をあららげる」「目をしばたたく」の話。
いきなり赤面。「荒らげる」と書いて「あらげる」と読むと思い込んでいた。「荒」の字に「あ」と「あら」の2種類の訓読みがあるから悪い。しかし、「あ」と読むのは、「荒れる」とか「荒らす」だもんな。「荒らげる」で「あらげる」はちょっと無理。
p.65〜のテーマは〈81番さま〉。テーマは最近よく話題になるヘンな日本語。
フジテレビでこの夏始まった「トレビアの泉」で、タレントのタモリ(敬称略)がしていた話がおかしかった。もともと深夜枠で好評だったものを、ゴールデンタイムにもってきた第1回目(やはりこれは重言だろうな)の放映だったと思う(彼はその後の放映でも若者言葉にインネンをつけつづけている)。
・「〇〇って言うじゃないですか」
投書の冒頭にあったこの表現が暴発のキッカケ。馴れ馴れしさのせいか「大っ嫌いだ」と吐き捨てたタモリは、続いて嫌いな表現をふたつあげた。
・「一万円からお預かりします」
これに対して「オレは一万円じゃなくタモリだ。タモリ様からお預かりします、と言え」というようなコメントしていた。こういうインネンのつけ方もあるらしい。視点のユニークさが新鮮だったが、気になって確認したらこの表現を扱った『お言葉ですが(3)』(高島俊男)にも同じようなことが書かれていた。
・「こちら〇〇になります」
これもよくヤリ玉にあげられる。「これから〇〇になるのか? もうすでになってるじゃないか」というインネンはごもっとも。
p.135〜の重言の話。「ラム酒」「シェリー酒」と似た印象があるのは「バルサミコ酢」。インターネットで検索すると、「バルサミコ」で1万8500件ヒットし、「バルサミコ酢」だと7390件。「バルサミコ」は「バルサミコ酢」も含むから、おおざっぱに言って、半々というところか。「バルサミコビネガー」なんてのも348件ヒットした。
p.152に出てくる「取れ取れ」(取れたばかり)。これは関西の方言とのこと。昔近ツリ(近畿日本ツーリスト。これは正解がよく判らない略称で、旅行業界「近ツー」が一般的らしい)のガイドブックの仕事をしたとき、言い換え集のなかに、「とれとれ」は「とれたて」にする、とあった。方言であることをだれかが指摘して、お達しが出たのだろう。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 04日 月曜日 08:34:16)
数点にわたるご指摘ありがとうございます。
「こちら〇〇になります」という言い方がやり玉にあげられるのはいつごろからのことかと思い、「語彙索引の検索」を見ましたが、文献はわかりませんでした。私の記憶では、だれかから借りて読んだ内田春菊さんの漫画の中にありました。何という漫画であったか忘れました。1980年代後半のことです。
友人同士でファミリーレストランの店員をからかいに行くという話。店員がメニューかなにかを持ってきて「こちらメニューになります」と言ったところ、彼らは「メニューになるんですか?」と言って、「じー」などとそれを見つめるのでした。(「コーヒーになります」だったかもしれません)
料理をしないので「バルサミコ」というのはよく知りませんが、イタリア語で芳香性の意だそうですね。原語では「aceto balsamico」(すなわち「芳香酢」?)と書いてある例もあります(イタリア語・英語で説明してあるページ)。とすると「ワイン酒」「ウィスキー酒」とでも言うがごとき、いかにも重言らしい言い方とはちょっと事情が異なるのではないかと思います。
「鰺の取れ取れ」という谷崎の例を、以前こちらに書き込みましたが、聞いてぴんと来ない地方の人もいると思われます。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 08月 04日 月曜日 20:10:45)
「〜になります」については、道浦さん「平成ことば事情」の「ことばの話23「になります」」参照。(1999/10/8)この項は文庫本『「ことばの雑学」放送局』にも収録。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 10月 16日 木曜日 01:33:16)
I章の3「「でも」か「ででも」か」について、質問をいただいたので、以下に書き込みました。
→ ででも? でも?
岡島昭浩 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 00:22:46)
松本で見つけた句読点付きの商品名ですが、全国区のようです。
→ 白鶴 | ほの、
NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 03:41:21)
まれに「アチェートバルサミコ酢」と呼ぶ人もいます。これは明らかに重言。
通常は「バルサミコ」だけで通じるので「酢」が余計な印象を与えるのでしょう。「モッツァレラ」を「モッツァレラチーズ」(イタリア語+英語)と
言うが如く。
「取れ取れ」と聞いて「ぴちぴち」と続くのは関西人ですね。
→ アチェートバルサミコ酢
道浦俊彦 さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 21日 金曜日 07:46:02)
とーれとれ、ピーチピチ、カニ料理。確か、キダ・タロー。
「京橋は」と言うと、「ええとこだっせ」と続くのも関西人。
さて。
私は始めて「バルサミコス」と聞いた時に、「ス」は「酢」とは思わずに「ス」まで「一体の言葉」と感じておりましたから、「バルサミコ酢」という表記を見たときにはドキッとしました。
NISHIO さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 24日 月曜日 21:36:23)
「悩ましい」の新しい用法の古い用例について。
1996年の三省堂・語彙辞書研究会での「公に指摘」、1976年の見坊豪紀『ことばの海をゆく』(朝日選書)よりも、さらに20年古い用例です。
---------
『言語生活』の1956年(昭和31年)2月の項。(『言語生活の目』p.79より)
一知半解ということばがある。あることばの形だけは知っていても、
その使い方を誤ると、とんでもない文章ができあがる。以下はその珍文四題。
▼その二――Y紙社説。
国語や国字も、混乱と不安定のままに放置されていると、その祖国への
愛着感をうすくする。とくに、この問題は、老人たちより若人にとって
一層なやましい問題であり……
若人にとってナヤマシイとは、国語国字問題も昇格したものです。
---------
最後の1行は編集担当(国語研究所研究員)のコメントです。(全般に皮肉っぽい口調が気になります)
その他の「珍文」。
・A紙政治面:「やんやの不平が飛んでいた」、
コメント:どんな不平ぶりか、一度聞いてみたいもの。
・某区民新聞:「設備に糸目をかけられる大会社や大工場の住宅、アパート〜」、
コメント:「金に糸目をつけない」というのなら、聞いたことはあるが…。
・本の広告文:「正確な史実に基く 馥郁たる艶話集」
コメント:フクイクたるエロ話だって! ちょっと読んでみたくなるね。
→ 平成ことば事情・ことばの話654「悩ましい」
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2003年 11月 27日 木曜日 02:43:50)
ありがとうございます。これは、私自身たいへんうかつでした。『言語生活の目』は愛読書で、しばしばこちらでも引用しています。当然、文章中で触れるべきところで、それをしなかったのは、やはり研究史を看過したとしか言いようがないところです。今、当該ページを見てみると、鼇頭に「なやましい」と私の字でメモしてありますから、注意だけはしていたのであります。それが文章に生かされなかったのは、「メモ」→「データベース化」のプロセスを怠っていたからです。『言語生活の目』は、索引が大ざっぱで、それだけでは使いものにならないため、私のメモを含めた索引をデータベース化するつもりだ、などと岡島さんに申していたのですが、あれから話は、どこへ行ったやら。ちなみに「なやましい」は元の索引にもちゃんとあります。
「メモ」→「データベース化」を怠っているものが溜まっておりまして、ちょっと恐ろしいことです。
ついでに、その後気がついたことについていくつか:
「国境の長いトンネル」の p.158
〈一つ山越しゃ他国の星が/凍りつくよな 国境{くにざかい}〉とある東海林太郎「国境の町」について
日本国と満洲{まんしゅう}国(現在の中国東北部)との境を指しています。これはいけない。小沢昭一・大倉徹也『小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ』(新潮文庫)p.124によれば、
作詞者は、大木惇夫{あつお}という詩人の方。この歌詞の「他国の星」とあるところを、最初「ロシヤの星」とお書きになったそうですね。ところがレコード会社のエライサンが、国際情勢を考えるとロシヤと具体的な名前を出すのはまずいんじゃないかと、それだけ書き直しを頼んだ。それで「他国の星」になったというエピソードが伝わっております。ということですが、この記述を待つまでもなく、この国境は「蘇満国境」、すなわちソ連と満洲の境と考えるのがふつうではないのか。だいたい「日本国と満洲国の国境」とはどこだね、日本海ではないのか? まあ、私としては何となく日本領朝鮮半島と満洲ということでつじつまを合わせていたのでしたが。
男のポップス・女のポップス(p.107以下)
歌謡曲雑誌に収録された歌詞を対象に、男女の文末表現について小調査を行い、一定の男女差を認めました。しかし、もう一言ほしかった。それは、「男女どちらに向かって歌いかけているか」によっても語尾は変わってくるということです。たとえば依頼表現「〜て」(例、「誰か言って」)を女性は多用し、男性も使いますが、男性が「何々してよ」というのは女性に対するときが多いのではないのか。
もともと、日本語に男女のことばの差は少なかった。ところが近代以降、男女のことばの差が分かれた――という弱からぬ説ないし主張があり、ある一面では真実かと思いますが、もう一面では男女の言語生活は厳然と違ってもいた。だいたい昔の男は漢文ばかり書いていて日本語はちょびっとしか書かなかった。おのずと、男は「はなはだ○○なり」という言い方になり、女は「いと○○ぞや」という言い方をしただろう。しかし、男も女に向かっては「いと○○ぞや」と言っただろう。相手の言い方に合わせるのは男から女に限らずよくあることで、いい大人が子どもに対し「ぼく、いくちゅ?」(君、いくつ?に非ずして)と言うのも同様だろう。現代、男が女に「君、○○してよ」と言うのも、やはり同じだろう。(今、よく知らぬまま、考えをメモした次第です)
大野晋『日本語の年輪』(新潮文庫)で、「な……そ」の使い方についても同様のことがあったと記述。
あっ、どうもどうも(p.69以下)
いろいろな場面で使える便利な「どうも」を、もっと積極的に使っていこうではないかと主張しました。執筆当時に知っていればぜひ触れたかったのは、篠崎晃一・小林隆「買物における挨拶行動の地域差と世代差」(『日本語科学』2 1997)。端的にまとめれば、西日本ではアリガトー類が多く、東日本ではドーモ類が多く使われる。とすると、「どうも、どうも」を擁護するのは東日本出身者に多く、非難するのは西日本出身者に多いかもしれない(私は西日本出身だけれど擁護派)。「ありがとう」と言うか「どうも」と言うかで地域差があろうとまでは考え至らなかった。「執筆当時に知っていれば」と申しましたが、考え至らないものは触れることもできなかったわけです。
Yeemar さんからのコメント
( Date: 2004年 04月 07日 水曜日 23:01:10)
3月26日に、電子書籍版が出たようです。ご教示いただいたことを含め、できるだけ手直しいたしました。もっとも、どういう方がダウンロードして下さるのだろうかと思います。電子書籍というのは普及しているのでしょうか。
→ 岩波Web書店